赫奕たるユダ

@bigboss3

第1話


 K県Z市内は秋の夕暮れに染められ、秋風が冷たいとも涼しいとも取れない体感温度で吹き赤茶色の枯葉を舞い上げていた。町はすっかり美しい紅葉を木枯らしの零下に変換しようとしていた時だった。市内には白装束の日に焼けた参拝者が、寺の正門まで力強い足で歩いていく。また寺とは反対方向にはコンクリートでできた建物に十字架をあしらった広い大学の敷地にはパイプオルガンの音色が響き渡り、それと同時に神々しい声で讃美歌を響かせていた。そして通りの突き当りには、二階建ての家ほどの高さがあろうかという鳥居が建っていて、そこでは年を取った老人や右肩に腕章をつけた男たちが寄り集まり境内で一礼をしていた。

この町では、宗教が産業を支えている。どの宗教もキリスト教、仏教、神道の流れを持つ新興宗教で、表向きは対立することはなく平和に共存して自らの信仰を守っていた、と言えば聞こえはいいが、実際は水面下で抗争起こさないように睨み合いをしているだけであった。

 一昔前、この三つの宗教は各地で闘争や事件を起こし、一般人や建物に被害を与えていた。そのため人々は、この三つの宗教をカルトと言って嫌っていた。しかし人々は分け合って三宗教に依存せざるえなかった。三つの宗教以外の宗教がここから締め出されていた。

ここで布教活動をしようとすると、短期間のうちに関係者が謎の変死を遂げてしまうのだ。当然警察も事件性があるとみて現場などを調査するが、目立った外傷もなく毒物の反応もないことから、事件は迷宮入りをしてしまうのであった。ただ気になることと言えば、胸や首、頭を押さえていたことぐらいであった。町の人々は原因もわからぬ死に方、でしかも外から来た宗教の関係者とその信仰者のみが死ぬことから、神の祟りだと言って恐れた。

こういった事情もあって町は三つの宗教以外は全く寄せ付けなかった。


 そんな街の中を、低い重低音を響かせた二台の古めかしい一〇〇〇㏄クラスのバイクが、通りを西から吹く風をものともせず疾走していく。一方はライムグリーンに青と白のラインが付いた丸みを帯びたタンクに中身を抜いたシート、ZRX1200DAEGと書かれたエンブレムがついたサイドカバー、そしてDEVILと書かれたマフラーをアクセルとともにうならせていた。そんなバイクに乗るのはそれらには明らかに似つかわしくない少女と見間違えるほどの顔をした少年が座っていた。その少年はヘルメットも被らず。軍用の防寒着と黒のジーンズにおしゃれなコンバースという出で立ちで、赤茶色のメッシュの入った肩までつくくらいの髪をなびかせていた。

 もう一方はアメリカンスタイルにそれに似つかわしくない流線型のタンクとフレーム。タンクにはHarley‐Davidsonと書かれていた。そのバイクには凛とした姿に男装をすれば男と間違う程の容姿をした一〇代後半ぐらいのボーイッシュな少女が乗っていた。服装はジーンズに彼女もまたヘルメットもせずショートカットの黒髪をなびかせていた。

その二台のバイクを見た人々はともに眉をひそめて、買い物帰りらしい中年女性たちはまるで犯罪者を見るかのような眼つきで二人を見ていた。それに対し二人はともに猿や豚を見るかのような冷たい目線で人々を見返した。二人の目を見た瞬間、人々は二人から目線をそらし、まるでそこに二人がいないような行動をした。それを見た二人は、まるでいつものことだという顔をしてバイクのアクセルを絞り、街の通りを駆け抜けていった。人々はその猪が嘶くようなマフラーの重低音に、まるで肉食獣に怯える草食獣の様にビクついた。人々にとって二人の操るバイクの音とガソリンが爆発した後に発する黒い煙は畏怖の象徴でしかないらしい。人々は早く二人が自分たちの視界から消えてほしいという表情を隠しきれずに行った。しかし彼らの願いは交差点に設置された信号によってもろくも崩されてしまった。煌々と輝く青のLEDが黄色に変わり続いて赤に変わる。二台のバイクは重低音と排気した煙を小さくしていきホイールは白線の前で回転をやめた。

「結局、あの店にもなかったわね」

「仕方ないだろう、D51の船底テンダーはアダチですら販売してないんだから」

 ZRXに乗る少年はハーレーに乗る美麗を慰めた。どうも彼らは模型ショップに行って買い物をしていたらしい。美麗は落胆の色を隠しきれないでいた。それに合わせたかのように迷彩色のトラックが何台も列をなして走っていく。それはこの町に本拠地を持つ自衛隊の車列であった。人々はその光景を見てなんて間の悪い時に走っているんだという顔をした。さらに何か重要なものを積んでいるのか、やけに警備の車列が多くその分時間が長かった。

「やっぱり、ヤフオクで出品されるのを待つしかないのかしら」

二人を冷たい目線で見つめる人々の気持ちなど知ってか知らずか、ハーレーに跨る美麗は気落ちしていた。

「そう気を落とすなよ。また探せばいいんだから」

「それもそうね。まあ、それはそうと今夜、空いてる?」

「ああ、一応ね。どうしたの」

「じつは、スィッディークが私たちに用があるから来てほしいって」

 スィッディークは、二人の知り合いでイスラム圏出身の男性だ。多くの人間が二人の存在を恐れる中で、普通に接することができる数少ない知人であった。

「どうしたんだろう?」

「そうね、彼が呼ぶ位だからなんかあるんでしょうね」

 二人がそのような会話をしているうちに、何台も連なっていた車列がようやく途切れ、変わることのなかった信号がようやく青に切り替わる。その光景を見た人々はようやく安堵の顔を浮かべた。

「どこで会うの」

「護国神社の境内に来てほしいって」

 護国神社と聞けばどんな場所の事を人は思い浮かべるだろうか。マンガファンの中にはマンガ『クローズ』で春道とリンダマンが一対一の死闘を繰り広げた場所を思う人もいるだろう。護国神社とは国家のために殉職した公務員たちを祭るために作られた神社。つまり性質上英霊を祭る靖国神社と全くではないにしろ似たような神社なのだ。そこで会いたいことはどういうことだろう。少年の頭の中に疑問が持たれ掛かった。

「じゃあまたね、翼」

 ハーレーに乗った美麗は、翼という少年に優しい笑顔を見せて別れの言葉を言った。

「また今夜な、真理愛」

 翼も真理愛というハーレーに乗った男の子のような美麗に別れの言葉を返した。そうして二人は二手に分かれて、それぞれの家路に向かって別れていった。二人のバイクの音が左右二手に分かれて市内の建物に反響しつつ遠ざかっていった。その音を聞いた人々は安どの顔をして元の生活に戻った。


 護国神社の境内、辺りはすっかり暗闇に覆われ少し青みがかったLEDの街灯や家の灯が見えるだけであった。その街灯の一つに真理愛が本を読んで二人を持っていた。本のタイトルは『資本論』と書かれていた。自分の家では読ましてもらえない、というより、読んではいけない本と言われている。彼女はマルクス主義者ではなかったが、この本の著者であるマルクスに興味を持って読み始めたのだ。しかし彼女の家では未だに害毒のようにみられているため、持ち込むことすら容易ではない。

「翼の奴、やけに遅いわね、またあのバカどもに見つかって揉めているのかしら」


 彼女はそうして待っていると、暗闇の向こうからバイクの音と思しき排気音が高鳴り丸い灯がパーッと光った。その灯と音がだんだん近づいてきてそのバイクの持ち主が分かるようになってきた。それは翼の乗る大型バイクでだった。真理愛はやっと来たかという顔をして、凭れていた街灯から離れた。

「遅かったじゃない」

「ごめん、バイクの調子が何か悪くて」

 翼は苦笑いをしながらバイクを降りてプラグのかぶりを直すそぶりをした。

「……もっとましな嘘がつけないの」

彼女はいつものことだというあきれた顔をしてため息をついた。彼女には彼が遅れた本当の理由を見抜いたらしい。

「ほんとはあいつらの監視の目をかわすのに時間がかかったからでしょ」

「やっぱりわかった?」

「あんたとは何年の付き合いなの、それぐらいわかるわよ」

 翼は彼女が気を遣っていることに気が付いたらしい。翼自身もやっぱりばれたかという顔をして頭を抱えた。


 翼と真理愛は、この町を事実上牛耳っている三宗教のうちの二つの勢力、創世会と聖心アドベンティストの教祖を両親に持っていた。宗教が違うという理由で会うなと言われているが、聞く耳を持たなかった。

 翼の両親が率いる創世会は仏教系の新宗教で世界に二五か国に支部を持っていた。元々創世会はZ市出身のとある僧侶の教えを教義とした老婆と弟子が幕末に創ったと言われている。創世会は当時の天理教や金光教と同じく幕末の時代に生まれた民衆宗教の一つであった。その時代マシュー・ペリー提督率いる黒船の来航を皮切りに徳川幕府が崩壊しはじめ社会は不安に陥っていた。社会の不安に陥った時代に人々は神や仏にすがるというのがおきまりであった。創世会もそのような時代に現れた宗教の一つであった。ただ一つ違うのは時間をかけて成長したのではなく、翼の両親が入信して二〇年足らずで急速に勢力を伸ばしていった。


 一方、真理愛の両親が率いる聖心アドベンティストは、元々カトリックから分かれた異端のキリスト教の分派の一つであった。いつ生まれたかについては諸説あるが、Zに最初に教えを説いたのは、第二次世界大戦終結間もないころと伝えられている。この時代、GHQの改革で、正式に信仰の自由が認められるようになった。信仰の自由は、明治初期に欧米の圧力で表面上認められてはいたが正式に認められたのはこの時であった。最初に彼らが始めたことは学校の創設であった。最初の頃は信者のみを受け入れていたが、やがて宗教や生まれも問わず、広く受け入れようとした。しかし、その一方で職員や教員は、この宗教の母体、聖心アドベンティストの信者であることを求められた。現在では表向き撤廃されてはいるが、今日になっても学園の職員は信者で占められていた。やがて学園を中心に病院や美術館などを作り、癌細胞のように勢力を広げていき、やがて教会をたてるほどになった。当然このような広がりに行政が介入してしかるべきだったが、政府は積極的ではなかった。政府の追を逃れる常套手段として多くの新宗教が使っている「信仰の自由の侵害」という免罪符で逃れていた。

 翼と真理愛は、両親の意向でそれぞれの宗教が経営する学校に入学させられ、それぞれの教えを叩きこまれようとした。しかし二人とも、それぞれの教えを覚えようとしなかった。いやむしろ拒絶した。二つの宗教のよりどころにしている厳しい教えは勿論のこと、親の七光りと揶揄され、いじめの対象になっていた。その冷酷なまでの幼少期が二人の中に自分を助けなかった神に対する憎悪とその怨念である反宗教主義志向を募らせていった。やがて二人は皮肉にも、宗教組織の教祖を親に持ちながら反宗教主義に傾倒していくことになった。顔に泥を塗られた二人の両親は、苦々しく思っていた。二人の両親は考えを改めさせるために、さらに宗教教育に力を注いだ。それは暴力すら用いるほどに激しいものであった。常人なら洗脳されかねないものであったが、二人にはきかなかった。いやそれ以上に反宗教主義を堂々と掲げるようになった。


 そんな二人はイライラしながら夜の護国神社の境内で待ち続けた。

「それにしてもスィッディークの奴、やけに遅くないか」

「確かにそうね。いつもなら時間通りに来るのに」

 二人は通信端末を取り出し時間を確認した。時間はすでに一〇時を回っていた。スィッディークとの約束の時間をすでにオーバーしている。彼は約束をよほどのことがない限り守るのにどうしたのか、二人は顔を曇らせていた。ふと、二人以外の気配を感じ取った。

「お前たちの探しているイスラム教徒はここにいるぞ」

 男のものと思われる謎の声が聞こえてきた。二人が振り返ってみると暗闇から複数の人影が見えてきた。二人はあわててバイクに戻りバイクにキーを差し込んでエンジンを動かし、ライトをハイビームにしてハンドルを人影の方向に向けた。バイクのライトに照らし出された姿に二人は思わず息をのんだ。そこに映し出されたのは、黒い背広を着た五、六人ほどの男たちと全身アザとそれに連れられてふらふらになりながら歩いてきた、傷でいっぱいになったアラブ系の褐色肌と黒髪で口ひげをはやした男。

「スィッディーク!」

真理愛が声を上げた、二人の目の前に倒れそうになった人物は、今夜会いたいと言った男であった。それがどういうわけか全身傷とアザでボロボロになって倒れかけていた。

「おい、どうしたんだ。何が起きた」 

 翼はバイクから離れてスィッディークに向かって走った。彼の呼吸は荒く痛みで歪めていた。スィッディークは体よろけ倒れようとしたが、翼が彼の体を抱き寄せた。スィッディークは痛みに耐えながら口を開いた。

「す、すまない二人とも。奴らに……、情報が漏れた」

「おい、なんだ、情報って?」

「お前たちの伯父夫婦とこの町に関することだ」

 それを聞いたとき一瞬、二人の心臓の波形が跳ね上がった。二人にとって心の底から家族と呼べる存在はいない。正確にはいなくなったと言い換えるべきであろう。それは二人の伯父と伯母の夫婦である。夫婦は元々彼らの両親たちとは違い、宗教を嫌っていた。別に宗教そのものを嫌っていたというわけではない。両親が代表を務める宗教法人が金儲けのためだけに働いていること。さらに儲けを出すために詐欺まがいの商売や隠ぺい工作などをしていること。そういった偽善行為を二人が嫌っていたのだ。そんな夫婦は二人のことを我が子のようにかわいがった。また二人にとっても夫婦は本当の両親に見えた。また夫婦はバイクや鉄道などが趣味で、休日になると決まって二人を連れてツーリングに出かけていた。また夫婦の家にはいろんな本が置いてあった。二人はその本をよく読んでいた。『ユダの福音書』や『銀河鉄道の夜』、はたまた『蒸気機関車の技術史』などいろいろな本を読みふけっていた。しかしそんな幸せは突然終わりを迎える。夫婦の乗っていたバイクが事故を起こした。夫婦はほぼ即死の状態だったらしい。しかし事故の報を聞いた二人は、「二人が事故起こすはずがない」と両親や警察などに抗議をするがほとんど相手にもされなかった。さらに前から持っていた反宗教主義と神への憎悪もあいまって、二人の心はロシアの赤い皇帝ヨシフスターリンのような何とも思わない鉄の心となった。

「わかった、もうしゃべるな」

 そういって翼はスィッディークを助け上げ、引きずろうとした。

「翼と真理愛だったね。悪いようにしないからそこにいる男をこちらに引き渡してくれないかな」

 男の一人がその言葉を発したとき、二人はまるで人間が発するものと思えぬ殺気で男達をひるませた。男たちは生まれて初めて殺人事件の被害者の気分を体感した。スィッディークをボロボロにしたであろう男たちが人数的に上にも関わらず、一瞬金縛りを受けたような感覚を覚えた。

「渡せるとでも思っているの、私の知り合いをこんな目に合わせるような輩に。ましてお前ら金(きん)宗教(しゅうきょう)のメンバーならなおさらよ」

 金(きん)宗教(しゅうきょう)とはこの町を牛耳っている第三の宗教の事だ。この宗教は神道系の宗教で、戦時中の頃は軍国主義べったりな状態だった。このころ国家は宗教に戦争への賛同を強制させられ、それに反対する宗教の関係者は最悪、当時の秘密警察、通称「特高」に逮捕されて拷問を受け獄死する可能性があった。実際過酷な拷問の末、病死名目で死体となって出てきたケースもあったからだ。しかし金宗教は、強制ではなく自らの意思で戦争を支持していた。やがて戦争が終わると、今度は自ら軍に強制されて反対すれば捕まっていたあの時は仕方がなかったとずうずうしく戦時中の態度の言い訳をし、そこから宗門を復活させていった。その後、他の宗教との抗争を繰り返して勢力を拡大し、現在ではZ市を本拠地にして、政治にも食い込むようになっていた。当然、政教分離に反すると批判も出たが、支持母体を別に用意することでその批判をかわしていた。

 翼と真理愛はこの男たちが金宗教の一派だとすぐに見抜いたらしい。その断定的な言葉を聞いて男たちは動揺の顔をもって二人に聞いた。

「な、何のことかね。私はそのような組織を聞いたことがないのだがね」

「とぼけたって無駄だ。お前たちからは、俺らの知っている屑どもと同じオーラが出てる。それに懐に隠しているのも気になるしな」

 男達はその言葉を聞いて一瞬眉をひそめた。どうやら自分たちはこの二人をいささか甘く見すぎていたようで、単なる親の七光りなどではないと気づいたようだ。彼らはどす黒い笑みと殺意と共に懐から何か取り出した。それは電磁警棒とポリマーフレーム製の拳銃であった。

「どうやら君たちを甘く見ていたようだ。さすがとしか言いようがない」

「何、驚くことじゃない。ちょっとした観察力と推理力があれば簡単なことだ」

 翼は雑作もないというようなもの言いをしつつスィッディークを支えた。スィッディークは彼らのやり取りを聞きながら、ただただすごいという顔をせざるをえなかった。おそらく彼でさえ分からなかったのだろう。

「相変わらず、すごい観察力だな、翼」

スィッディークは、翼の耳に小さなひそひそ声で褒め称えた。それに対して謙遜の代わりに自分と同じささやき声が聞こえてきた。

「立てるか」

 その小さな声に一瞬、何か恐ろしいことがおきるのではないかという予感が彼の頭の中をよぎった。そして翼はスィッディークを支えていた手を離し、二人から離れた。

「どうするつもりだ?」

 二人は答えなかった。二人の周りからは物音ひとつ聞こえず、それが異常なまで張りつめた緊張感を持たせた。その緊張感は男たちにも伝わったらしく、それまで不敵な笑みをしていた男たちが険しい顔をして、銃と電磁警棒で身構えようとした。


 突如、二人は金宗教の警務員と思われる背広の男達に向かって突進し始めた。男達は不意を突かれ二人のタックルをもろにくらってしまう。最初に二人は拳銃を持っていた男たちに体当たりして、銃の使用を一時的に封じた。男達は銃を持っていた腕を外そうとしたが、彼らの力が強いのか一向に腕が抜けない。一方、他の男達は翼と真理愛に不意を突かれ混乱していたが、彼らに押さえつけられていた仲間を援護しようと電磁警棒を振り下ろそうとした。しかしそのことに気付いた真理愛は押さえつけていた男の腕を、フォローしようとした男の方向に向けた。その瞬間男の持つ銃口から火炎と爆竹の破裂音のような音を数回発した。その瞬間電磁警棒を持った男達はその場で倒れ腹を押さえ苦しむ。一方二人に抑え込まれた男達はなんとか離れようと抵抗を続けるがなかなか離れない。しかし一瞬二人が少し距離を離したように見え、男達は一瞬の隙ができ、後ろに離れようとした。だがその隙を翼は腕を掴んだまま右肘で伸びきった男の肘関節に一撃を加えた。男の腕は反対方向に曲がり男の口から激しい雄叫びを上げてその場で転げまわった。一方真理愛は男の右足を靴で踏みつけ相手との距離を取った。男は思わず右足を両手で抱え込んだ。その秒単位の隙を真理愛は見逃さず、左ひざで男の顎を蹴り上げ、男の顎を叩き割った。顎を割られた男は口を押えのた打ち回った。

 最後に残った男二人はその素早い展開に茫然とするほかなったが、すぐに頭の中の回路を働かせ武器を暴れまわる二人に向けようとしたが、それよりも一瞬早く二人は背後の気配を感じ取ったらしく、すぐに振り返ると両手を高く上げ、鋭く踏み込んで右ストレートを相手の鼻に向かって放った。男は持っていた武器を落とし殴られた鼻を抑え込んでのた打ち回った。一方もう一人はダッキングをして右わき腹に強烈な蹴りを入れられた。男はわき腹を抑え込んで同じくのた打ち回った。

 すべてが終わったときスィッディークは二人の名前を恐る恐る呼んだ。二人の目はまるで冷然とした目つきを一瞬スィッディークに向けた。スィッディークは一瞬その冷たい目つきに後ずさりをしてしまったが、二人はすぐに子供らしい純粋な眼差しに変わった。

「あ、すまない」

「スィッディーク、怪我はない」

 真理愛は戦いを終えた後に後ろに下がらせたアラブ人を気づかった。

「あ、ああ。それより君たちの方は大丈夫か」

「大丈夫だよ」

そういって翼と真理愛が男たちの方向に目を向けた。そこにあるのは死屍累々の状態で倒れ苦しむ男達だけであった。これが一〇代そこらの若者がやったのだと思うと身震いがした。一瞬、三人が耳をそばだてるとサイレンの音が聞こえてきた。

「やばい、パトカーがやってくる」

「スィッディーク、私のバイクに乗って」

「わ、わかった」

 二人はあわてバイクに跨り、キーを回してエンジンを動かした。スィッディークは真理愛の乗るハーレーに乗った。二台のバイクはエンジンをふかし、護国神社を後にした。

「これからどこに行く」

 バイクを運転する翼は二人に話しかけた。どこかに隠れなくてはならないのはすぐわかった。何せあれだけのことを起こしておいて近所の人々が気付かないわけがなかった。また自分たちのバイクが誰かに見られている可能性もある。

「とりあえず、君の伯父の家に向かってくれ。そこに我々の仲間が集まっているはずだ」

 スィッディークは痛む体を押さえながら答えた。

「え、どうして伯父の家なんかに集まっているんだ?」

「そこで、他の仲間たちと落ち合うことになっているんだ」

 その話を聞いて二人は首をかしげた。

「なにも、あそこで集まる必要もないでしょ」

「聞いたかもしれないが、君の伯父に関係する事なんだ。それに……」

 スィッディークはそこから答えに詰まった。答えようにも事態が急の状態であるためどこか落ち着けるところで話した方がいいと考えたのだろう

「それに、なによ?」

「話は後だ、今は急ごう」

 スィッディークの答えを聞くと二人はスロットルを絞り速度を上げ、暗闇に明かりを照らしながら集合場所に向かっていた。

 Zの中心地から少し離れた場所にその家はあった。築八十年以上は経っているかと思えるその洋風建築の建物は明かり一つともっておらず、電柱に取り付けられた灯に照らされたコンクリートブロック塀は、草と苔に覆われ半分荒廃が進んでいた。建物はそんな荒廃をものともせず、雨風の力に耐えに耐えたという感じであった。その風化に耐えた建物の入り口には一〇人ぐらいの男女が暗闇に紛れ誰かと待ち合わせをしていた。彼らはスィッディークの仲間で、彼が翼と真理愛を連れてやってくるのを待っていたのだ。

ふと彼らの耳にマフラーの排気音が近づいてきた。

「来たぞ、彼らだ」

一人がその音の主の正体に気がついたらしく、他の仲間に伝えた。それを聞いた他のメンバーも音のする方向に視線を向けた。その三人が乗る二台のバイクはその洋館の前に近づくとブレーキをかけて止まった。ここは真理愛の伯父夫婦が住んでいた家であった。主がいなくなった後維持する人間がいなくなって、この建物のことも多くの人々は忘れかけようとしていた。一部の人間を除いて。

「よし、やっと着いた」

「ねえ、スィッディーク大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」

 真理愛の気遣いにスィッディークは気丈にふるまった。四五歳の彼は敬虔なイスラム教徒である。彼の家族は中東方面だと普通の家庭ではあったが、一〇代のころになるとよくある反抗期でイスラムの神学校に通いその教えに妄執するようになっていた。やがて彼はイスラム過激派に入りイスラムのためなら死ぬことも恐れないという考えのもと、狂気に染まっていった。彼はアッラーの名においてならなんでも許されるというイスラムテロ組織の思想にどっぷりはまり、戦闘員として欧米などに対するテロ活動に従事していた。しかし彼の家族が自分の所属するイスラム組織の自爆テロに巻き込まれたことで彼の考えは大きく変わる。彼の家族は大家族で一〇人もいたのだがそのうち生き残ったのはわずか三人。他は爆風と炎で食肉加工時に出る肉片に変わり果てたのだった。そして生き残った家族も手足が欠損し全身ミイラの状態で社会復帰も絶望的という状態であった。連絡を受け家族を見舞った彼は自らの思想に疑問を持ち始め一歩下がったところから過去を考えてるようになった。その行動から出た答えは自分たちがアッラーのためにやったことは、すべて自分たちが都合のいいように解釈したものだという結論だった。第三者の目から見ればそんなもの当たり前という他ないのだが、全てはアッラーのためと信じていた彼にとってそれは衝撃的なことであった。彼はすぐにイスラム過激派から抜け、現在の妻である組織が迫害していた女性と病院に入院していた家族三人を連れ日本に逃げ込んだというのがいきさつである。


「どうしたの、スィッディーク、傷だらけじゃない」

 肌が小麦色の中国人女性が持っていた端末のライトをスィッディーク方向に向けて近づいた。

「話はあとだ。それよりもこんな大人数で空き家の前にいたら、いくら夜でも怪しまれると思うよ」

「しかし、奴らが最も見つかりそうにないところといえば、ここしかないと判断したのだ」

 スィッディークは翼に支えられながらバイクから降りた。

「それはもういいわ、それより早くみんなを中にいれましょう」

真理愛はバイクから素早く降りて洋館に備え付けてある車庫に入れる準備をした。

「でもどうやって入る、この建物は電子ロック式でカードか何かないと入れない仕組みになっているのだぞ」

 女性と一緒に来た男が翼たちに焦った顔をして訴える。しかし翼と真理愛にとってそれは想定された問題であった。

「そうでしょうね、そういうシステムになっているんですから」

「おばさん、スィッディークを支えてもらえるかな?」

「ええ、いいわよ。でもどうするつもりなの」

女性の質問に翼は無言のままスィッディークの体を預けると、急ぎ足で車庫のシャッターの前に向かった。そして持っていた携帯端末のアプリを起動させ、その携帯端末をシャッターにかざした。すると端末から電子音が流れ鍵を開けるとき聞こえてくる金属音が響いた。その音を確認した翼はシャッターをつかみ勢いよく上に上げた。

「開いたよ、早くみんな中に」

 翼がせかすと真理愛は待ち合わせしていた他の人たちと一緒にバイクと一緒に素早く車庫の中にいれた。

「いい端末ね。おそらく鍵の機能を持ち合わせているのね」

「ええ、彼女の伯父さんが入れた秘密のアプリでね。この家に入るための鍵を兼ねているんだ」

翼は全員が入ったのを確認して周りに誰もいないことを確認してシャッターを下ろした。


 洋館の書斎、そこには数え切れないほどの本が立ち並び、あたかも数百年の伝統を持つ英国かイタリアの古い図書館かと思わせるほどに本が戸棚に埋め尽くされていた。翼と真理愛は二、三人ほどの面子を窓越しの見張りにつけ、他は書斎に集めた。この書斎を話の場にしたのは、これだけの大人数を収容できる部屋がなかったのはもちろん、この部屋は窓が一枚もなく、明かりをつけても光が外から漏れることがないこと。さらにこの部屋には緊急時に備え付けてあるものを利用することができるためここのほうがいいと、二人が希望したためでもある。この部屋には翼と真理愛をはじめ、一〇人の人間が書斎に詰めていた。あるものは腕組をして柱にもたれかかりあるものは待ちくたびれたのか椅子に座ったまま目をつぶっていた。翼は本棚の中から取り出した『ユダの福音書』と題された一冊の本を開き、懐かしそうな顔をして読んでいた。

『ユダの福音書』とは、一九七〇年代に中東のとある洞窟で盗掘者が発見した福音書の一つである。現在読まれている福音書は、ニカイア公会議で決まったマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つのみと言われていたが、後の研究調査で実に数十種類もあることが分かってきた。そのうちの一つ、ユダの福音書は、初期のキリスト教一派のグノーシス派がユダの裏切りの真実を彼らなりの解釈で書いた書物であった。その内容に多くの研究者や宗教学者などから物議をかもしだし、偽書だといわれるほどにまで発展した。後の調査でこの書物は本物ではあるが、イエスとユダが死んでから三世紀後に書かれたものといわれたため、明らかにユダ本人が書いたものではないと結論付けられ一旦は収まった。しかしこの結論は大きな危険をはらんでいた。もしユダの福音書がユダ本人の書いたものでないとするのであれば、外典とされる福音書は勿論のこと正典とされた四つの福音書も彼ら本人が書いたものではないとされるため、答えには慎重を要しなければならない。

翼と真理愛は伯父夫婦にいろいろな本を図書館の代わりに読ませてもらった。ユダの福音書は伯父が高校生の頃、二〇〇六年に学校のパソコンでナショナルジオグラフックのサイトで発表された時に知ったのだと伯父自身が語っていた。その後、伯父が偶然古本屋でなんとなく買ったとも言っていた。翼はその本を見て伯父夫婦との思い出を懐かしく思いながら思い出に浸った。


「さて、そろそろ本題に入りたいんだけど」

真理愛はソファーに腰を下ろしてカップに入れたアイスココアを口に含みながら聞いた。

「そうだな、それじゃあ話に入ろう」

 スィッディークは顔や腕を絆創膏やガーゼで固め、向かい側の椅子に座って改まった顔で話した。他の人々が見てもその光景は痛々しく思わずにはいられない姿であった。

「傷のほうはどうだ」

 翼は心配で聞いた。翼と真理愛は狼のように獰猛なところはあるが、冷酷な物体ではない。二人は迫害されているものに対しては優しく接する心を持ち合わせていた。それは伯父の背中から見て育ったものであった。伯父夫婦は一言でいえば仲間思いのエキセントリックな性格で、イカれた行動や事件は枚挙にいとまがないほどであった。しかし伯父夫婦には語りつくせないほどの冒険談が多かった。一説には世界中の国々で傭兵稼業をしていたのではないかと噂されるくらいであった。そんな伯父夫婦に二人はなついていた。他の人たちは二人を敬遠していて、一部の人間しか伯父に近づかなかった。二人はそんなもの好きの一人であったが、それと同時にかけがえのない家族の一人でもあった。


「まず君たちは伯父さん夫婦が事故ではないと思っているらしいな」

スィッディーク真面目な顔で二人に質問した。

「ああ、俺は伯父さんが事故で死んだなんて信じてないから」

「そう思う根拠は一体何なんだい?」

その質問に真理愛は即答で答えた。

「伯父さん達は自動車整備の専門学校に通ったことがあって、そこでバイクの整備を学んだことがあるの。そんな伯父さんが事故で死ぬなんて信じられない。しかも整備ミスだなんて」

 彼女の耳で聞いた警察の調書によると伯父夫婦はバイクの走行中に事故の原因は伯父の整備不足による車両不備だというのであった。しかし伯父の経歴を知る二人にとってそれはあり得ない原因であった。 

「そういうと思ったよ」

 スィッディークは笑みを作って二人を見た。

「実は私もこの事故に疑問を持っていたのだ」

「どういうこと?」

「あの事故の日、私は彼女の伯父の整備を見ていた」

 それは二人にとって寝耳に水の事実であった。スィッディークはさらに言葉をつづけた。

「あの日に私は君の伯父さんから大切な話があるから来てほしいと言ってきたからだ」

「大切な話っていったいなに?」

「その話は後に置いといて、伯父さんが事故じゃないと確信した理由についてなんだが、ある写真を見たからなんだ」

「事故を起こしたバイクの写真ね」

「そうだ、これを見てほしい」

スィッディークは右ポケットから端末を取り出して机の上に広げた。端末には事故を起こした伯父夫婦のバイク写真が現れた。バイク自体はフレームとエンジン以外はグシャグシャにつぶれ、ほとんど原形をとどめていない状態であった。それは二人にとって複雑な心境をもたらした。

「この写真のどこに伯父が事故じゃないという証拠があるんだ」

「この写真をよく見てほしい、これはバイクのスプロケットとチェーンのところなんだが……」

 その写真を見たとき二人は目を見張った。スプロケットが三つに割れていた。しかも事故でおきたものではなく前々から摩耗しきりそれに耐えきれなくなった感じだった。これを見て二人の憶測は確信に変わった。伯父がこんなことに気が付かないわけがない。二人が伯父達ならば自分で直すか、バイク屋に頼んで新品のスプロケットに交換しているはずである。

「なるほど、伯父さんがこんなことに気が付かないわけがない。誰かがいじったというわけだね」

「その通りだ、実際に私も交換したのを見ている」

「でも、どうして?」

「あの後、私は君の伯父から誘われて肉料理を食べさせてもらうことになってな。私は豚肉が食べれないからいいと言ったのだが、彼は今じゃ食べるのも違法になった鯨の肉だから大丈夫だといって丸め込まれた」

それを聞いた二人は思わず笑ってしまった。

「まったく伯父さんらしいよ。豚が不浄の生き物だと知って、気を使ったんだろうね」

「まったくそうだね」

「話を戻そう、実は伯父さんは先に済ませて先に帰っていた。私は鯨料理を食べ終えてすぐバイクのところに戻ったが、その時、先に戻っていた伯父さんが誰かと会話している声が聞こえてきた」

「それが犯人だと睨んでいるの?」

「私の推測ではそう考えている。少なくともあの時バイクのところにいた人物が犯人じゃないかと考えている」

「それは誰か、わからない?」

「顔を見てないからね、だが声は聴いている。それに昔の馴染みっぽい感じだったから少なくとも初対面じゃないのは分かった」

 その話を聞いた二人は首を傾げた。一体誰であろうか。伯父さんが親しい人物というとそう多くはない、何せ、伯父さんのはた目から見たら理解できない性格だ、彼に対して親しくする人間などこの町はおろか地球上差が自手も指を数えるくらいしかいないだろう、それにもしいたとしても伯父夫婦は大切にするにせよ、その絡まった毛糸玉のような性格なため、よほどのモノ好きじゃない限り親しくするのは難儀なはず。かいつまんで言えば思い至らな過ぎてわからない。

しばらく考えにふけった二人であったがその沈黙をスィッディークが破った。

「まあ、犯人捜しは後でするとして、それよりもその人物が犯人だとして彼が殺されなくちゃならない理由を考えないといけないと思うんだけど」

「でも、それじゃあ伯父さんがうかばれないわよ」

「それは僕も同じだよ」

 二人の目と顔を見たとき、うそをついていないとスィッディークはすぐにわかった。二人の表情は穏やかな顔をした。しかしその目は怒りに震え唇もかみしめていた。伯父を殺した犯人を二人は許せないのだと分かった。その姿に誰も声を出せずにいた。しばしの沈黙の後、スィッディークは再び勇気を出して別の話を切り出した。

「正直に言うよ、伯父さんが殺されなければならなかった理由だが……」

 その言葉に翼と真理愛は一瞬怒りで彼をにらみつけたがすぐに平静さを取り戻した

「おそらく私に託(たく)した秘密が原因だと思う」

「秘密ってなに?」

「リー、例のスクラップ記事を持ってきてくれ」

スィッディークがさきほど彼を気遣った中国人の女性に話しかけた。リーという女性は、封筒に入ったスクラップブックを取り出して表紙から開いた。その中には新聞の切り抜き記事やネットなどからコピーしたサイトなどが張られていた。翼をはじめ部屋の中の人間がその本に釘付けになった。よく見るとそれはこの町で起きている宗教関連の怪死事件であった。最初に事件が起きてから現在に至るまでの事件が各新聞社のマイクロフィルムから印刷しそれを切り抜いたと思われるものも混じっていた。

「このスクラップブックの内容はこの町で起きている宗教関連の怪死事件についてがほとんどだ」

「ああ、あの事件か警察も調べているらしいけど、謎が多すぎて警察もお手上げというのが現実らしい」

 そう口にしたとき、二人は何かに気が付いた。

「待てよ、もしかして?」

「察しが良いな、君は。そうだよ、伯父さんはこの街で起きている事件の真相をつかんだみたいなんだ」

「いったい、どんな真相?」

「ヒントはね、真理愛、君が今持っている『資本論』の著者が残した言葉だ」

その言葉に真理愛は自分の読んでいた本の著者の名前を確認した。カール・マルクス、共産主義思想の開祖にして多くの社会主義国家の原点となる男。彼の『資本論』は後に二〇世紀の社会主義思想の原型となった人物である。

「カール・マルクスのこと、彼と怪死事件とどういう関係があるの?」

「マルクスの残した論文に『ヘーゲル法哲学批判序論』というものがあるのを知っているか」

「いや、初めて聞くけど」

「その論文でマルクスは宗教を民衆のためのアヘンだと書いているのだよ」

「ああ、その言葉なら知ってるよ、有名な言葉だ」

 翼は持っていたユダの福音書を閉じて言った。マルクスの「宗教は逆境の悩める人ための息であり民衆のアヘンである」という言葉は非常に有名だ。このアヘンという意味は宗教=麻薬という意味ではない。アヘンは緩和医療での痛みを抑える、痛み止めとして使われている。アヘンを材料とする戦場などの応急処置で使われるモルヒネがその代表であろう。マルクスとすれば『ヘーゲル法哲学批判序論』でアヘンとは民衆のための痛み止めであるという趣旨が言いたかったみたいだ。しかしアヘンの乱用が横行すると宗教=アヘン=麻薬という考えが広まるようになり、共産主義を志す多くの人々のあいだに宗教は麻薬と同じものであるという考えが広まるようになっていく。そしてソビエト連邦をはじめ多くの共産主義国家がその考えのもと、教会の破壊や聖職者の殺害などの宗教弾圧に乗り出していった。

 その言葉なら二人はよく知っている。しかし、翼と真理愛はその言葉と事件がどういうつながりを持っているのか全く理解できないらしく首をかしげていた。

「それがどうかしたのか」

「そのスクラップ記事の黄色い付箋の所を開けてほしい」

 真理愛はその言葉に言われるがままその付箋のついたページを開いた。そこにはファイリングされた十枚以上のマイクロフィルムと走り書きで書かれた文書があった。

「なんだ、いまどきフィルムだなんて、伯父さん何考えているのかしら」

「まあマイクロフィルム自体のことは別にして、そこの走り書きを見てくれ」

そこにはこう書かれていた。


〝マルクスの言う宗教というアヘンを痛み止めや麻薬から治療薬や毒物に変えることができる兵器〟


「なに、この言葉?」

「どういう意味なんだ」

「見ての通りだ、伯父さんはこの事件の真相にたどり着いたらからこの言葉を残したらしい」 

スィッディークが言うには、伯父さんはこの事件の裏にはこの町を事実上牛耳る三つの宗教が事件に深くかかわっているのではないかと考え、秘密裏に彼らの機密資料を調べたらしい。しかしその調べは容易なものではなかったに違いない。

「でも、こんなものどうやって見るの?」

 真理愛はその冷戦を舞台にしたスパイ映画でしか見たこともないようなガラス乾板のミニチュアヲ手に取り首をひねりながら見つめた。

「私がコピー機を介して端末に入れてある」

 スィッディークはそういうとさっきまで広げていた事故写真をパソコンの画面から撮影したと思われるPDFに切り替えた。

広げられたPDFには何枚にもパソコン画面を撮影した写真が映し出されていた。その内容の多くは三つの宗教の機密資料であったが、その中には極秘とスタンプされた資料が何枚かあった。

 それにはまるで機械でできたウィルスのような形の機械の図が載っていった。

「なんだ、このわけのわからないロボットのような図?」

「彼が言うにはその兵器はナノマシンという極小の機械を使ったものらしい」

「ナノマシン?」

「確かナノサイズの機械の事だよな、SFで読んだことがあるよ」

 ナノマシンはウィルスサイズの大きさの機械である、最初の概念は1959年アメリカの物理学者リチャード・ファインマンがカルフォルニア工科大学の講演で提唱したのが最初といわれている。

「ナノってどのぐらいのサイズになるの?」

「地球のサイズを一センチだとするとビー玉位のおおきさになるサイズだ」

 それを聞いて何人か驚きの声を上げた。誰もナノマシンのサイズがどんなものか知らなかったのだ。

「そんなに小さいのか?」

スィッディークは目を見開いて翼に聞いた。

「ああ、そうだ。でもそんなに小さな機械、ほんとに存在するのか」

「どういうことだ?」

「だって、そんなものが開発されたなんて聞いたこともないし、第一そんなもので特定の宗教を暗殺できると思えないし、どうやって三つの宗教が手に入れたのかもわからないじゃないか」

「実はそこが問題なのだよ、もしこの町の宗教が自らの利権を守るために他の宗教を排撃するために起こしたとして、どうやってそれを手に入れたかなのだよ」

「そうよね、そこらの工場で作ったとは考えられない、軍か国の研究所で作ったと考えるほうが自然よ」

 真理愛は端末をいじくりながら言った。

「まあ、オウム真理教の例もある。大学の研究員を組織に引き入れたり、海外のブラックマーケットで手に入れたりできるご時世だから、奴らも手に入れたっておかしくないが」

「でもそれを差し引いたって……」

翼がそういいかけた時に突然、翼の携帯端末の呼び出し音が聞こえた。翼は服のポケットを探りまわり端末を取り出した。翼はその文字を見て顔を曇らせた。

「みんな静かにして」

 翼はみんなに手を向けていった。真理愛やスィッディークなどはコールの相手が誰だか分かった。

「大丈夫なの?」

「みんなが黙ってれば大丈夫だろう」

 翼はタッチパネルを通話にして端末に話しかけた。みな彼の言うとおり口をつぐんだまま黙っていた。それはあまりの静けさに耳鳴りが聞こえてきそうなくらいであった。

「もしもし」

「翼か、今どこにいる」

「おまえかよ」

 翼はうんざりした顔して相手に話しかける。それは彼にとっては、一番相手にしたくない相手のようだ。

「自分の家族に向かってお前はないだろう」

「その話はいい、で何の用だ?」

「今どこにいる」

「M市のライブハウスに入っているけど」

翼は適当な嘘でだまそうとした。まさかカメラでもついてないだろうしGPSも解除済みだから心配ないと思った。

「へえ、M市のライブハウスって田舎にあるのか」

「はあ、そんなわけないだろう」

 この時の翼は両親がふざけているのかと思った。透視能力でもないのに田舎にあるなんて電話越しの相手にわかるわけがなかったからだ。

「じゃあ、なんでお前のバイクはあの男の家のある座標にいるんだ?」

 その悪意の含んだ質問に翼の警戒色がレッドアラードに変わって目が細くなった。

「……どうしてそんなことが分かる?」

「お前のバイクに、勝手だがGPS発信器をつけさせてもらった」

それを聞いた翼は顔を真っ赤にして端末に向かって罵声を浴びせた。

「てめえ、ふざけんなよ」

「お前がいけないのだよ、翼。お前が私達の言うことを聞かないからこうなるのだよ」

 翼の激怒に受話器の向こうの人物は冷然と答える。

「お前のようなろくでなしどものためにいうことなんか聞くとでも思ったか」

「だから、お前にいいものを用意してある」

その言葉に翼は何か悪い予感がして書斎を飛び出した。そして窓を見ようと走り出したとき見張りに出ていた一人が血相を変えて走ってきた。

「翼君、大変だ」

「どうした、何があったんだ」

「外は完全に包囲されている!」

「誰が包囲している?」

「わからないが、少なくとも警察じゃないことは確かだ」

「わかった、俺は外を確認するから、このことをみんなに知らせて」

 そういうと翼は走り出して窓のところまで行った。そしてそのカーテンを少し開けて端末のカメラ越しにあたりをうかがった。それは何台ものランプを回転させた車が辺りを封鎖していた。翼はカメラを暗視モードに切り替えて、覗いてみると相手の服装は警官風の人間や特殊部隊の人間のように見えたが、翼は彼らの持っている装備を見て彼らが警官ではないとすぐにわかった。通常警官の持つ銃は銃身の短いリボルバーや小型のオートマチックを使用するのだが、彼らの持っている銃は自衛隊ですら持っていない、カービンモデルのアサルトラフルであった。拳銃もFN社製のファイブセブンを手に持っていた。特殊部隊も通常使用する拳銃弾を使用するMP5サブマシンガンではなく、P90という拳銃弾サイズのライフル弾を使用する銃を持っていた。翼はそれ見て、戦慄を覚えた。おそらく両親たちが送り込んだ差し金だと推測ができた。しかしその装備は明らかに欧米の特殊部隊に匹敵する。

「安心しろ、お前と真理愛ちゃんは生け捕りにするよう言ってあるから」

「だまれ、お前に助けられるより大切な仲間と死んだほうがましだ」

そう言って通話を切って翼は足早に書斎に戻ろうとしたとき、あるものが目に入った。それは昔伯父が好んでプレイしていた『MAFIA3』というゲームであった。翼は思わずそのゲームを拾い上げて昔を思い出した。それは伯父夫婦と一緒にゲームをした思い出だ。伯父はこの『MAFIA3』の思い出について語ってくれた。彼はその主人公リンカーン・クレイの悲しいまでに非情に徹した復讐に感情移入してしまったと語っていた。その憎悪はすさまじく、マフィアの一人の首にロープを巻いて観覧車に吊るしたり、マフィアのボス。サル・マルカーノの兄アンクル・ルーの腹を裂いたうえ銅像に縛り付けたり、はたまた、ルーの部下トニー・デラジオを高級ホテルの上階から投げ落とすなど、どれもえげつなく、残忍な殺し方であった。二〇一六年に出たこのゲームを翼は懐かしく思ったのだ。

「おい何やっているんだ、早く来い」

その声に翼はすぐに現実に連れ戻された。翼は『MAFIA3』のパッケージを隅に置いて書斎に向かって走り出した。

書斎では見張りをしていた仲間の話を聞いて騒ぎだしていた。いったいどうすればいいのかわからずにもめだした。そんな状況の中で翼は書斎の扉を勢いよく開けて入ってきた。

「みんな状況は聞いたか」

 翼は興奮しつつも冷静さを保ちながら聞いた。

「ああ、おそらく君の両親の差し金だろう」

「多分そうだと思う、さっき電話で聞いた。それよりも外はまずいぞ」

「どうなってたの?」

「全員警官の格好をしていたけど、装備は欧米の軍の特殊部隊並みの装備をしていた。おそらく周りは逃げられないよう包囲されているだろう」

翼の言葉に全員は動揺した。おそらく翼と真理愛は生かしてとらえるだろうが自分たちはテロリストとして撃たれることは想像に難くなかった。

「まずいぞ、どうする」

スィッディークたちの間にも動揺が走った。もし奴らがここに押し寄せてくれば自分たちは完全に袋のネズミだ。戦闘員のころの経験上それはわかっていた。

「みんな、この机と絨毯をのけてくれ」

翼と真理愛は何を思ったのか、机を持ちあげてそれを蹴飛ばしさらに絨毯をめくりあげた。絨毯の下からは長方形の扉が現れた。それが秘密の入り口だと気が付くにはさほど時間がかからなかった。

「まさかこの地下で攻撃をやり過ごそうというのか?」

「はずれ、この中にあるもので反撃するの」

 そういいながら真理愛は今では製造されていない白熱電球のスイッチを入れた。オレンジがかった光から照らし出されたのは埃がかった数十丁のライフルやマシンガンなどの銃火器であった。その中にはアサルトライフルの元祖ともいえるドイツ軍のSTG44も混じっていた。その他にもFNFALやppsh‐41といった、今では旧式でレアな銃が保管されていた。その光景にスィッディーク達は思わず息をのんだ。

「これだけの銃器、いったいどこから集めた?」

「おじさんが傭兵をやっていたって噂、聞いたことない?」

「ああ、噂だけなら聞いたことはある」

それを聞いたほかの人たちはハッとした。

「それじゃ、傭兵だったという話は本当だったのか?」

「半分は当たっているけど、違うところがある」

「違うところ?」

「おじさんは中東に立ち寄ったとき、対武装勢力の民兵として戦っていたらしいの」

「民兵だって?」

「ええ、おじさんは世界中を放浪していた時に武装勢力に誘拐されかけて、返り討ちにしたって話していたわ」

 それを聞いてみんなは驚きの顔をした。話によると伯父をさらおうとした武装勢力は神のためなら何でも許されるという考え持っていた。その考えは違うと感じた伯父は命がけで脱走し、シリアで手に入れたドイツ軍のSTG44を手に取り武装勢力と敵対する民兵組織に入り、戦いに挑んだらしい。まるで小説のネタになりそうな話だ。

「俺はこれを使う」

翼はSTG44を手に紙の箱に入れられた7.92ミリクルツ弾の入った弾薬箱を手に、マガジンに弾を入れた。

「私は、これを使う」

 真理愛はM60E6マシンガンをつかんだ。それは女性が使うには明らかに異質な銃であった。それを使うと聞いた人々は『えっ』と言う顔をして彼女を見てしまった。

「みんなも銃が使える人は早く」

 スィッディークをはじめとした何人かの人間は銃を手に触れた。

「ブランクはあるけど、大丈夫?」

「ブランクはないつもりだが、相手の装備は明らかに上だ、機動力を封じないと勝ち目がない」

スィッディークは冷静に分析して言った。それはかつて自分が神の教えを歪めて信仰した過激派の時に培われた聖戦士の目で分析した眼であった。

「多分、扉が一つだから扉を吹き飛ばして突入すると思うから、トラップを仕掛けたほうがいいと思う」

「考えは間違っていないが、素人の考えは危ないな」

「とにかく、ここを生き延びることが大切だ」

「このままうってでるか?」

「危険すぎるな」

「でもこのままでも危ないと思うけど」

 翼は銃を握ったままどうやって戦うか思案する。いったいどう迎え撃つ、おそらく不意打ちをかけてくるだろう、逆に利用できないか。一方真理愛のほうもどうやって生き残るかを思案した。ゲームのようにはいかないことぐらい自分でもわかっていた。しかしこのまま手をこまねいていてもらちが明かない。どうすればいいか、ふと彼女はあるものに視線が向いた。それはセムテックス、当時のチェコスロバキアが開発したプラスチック爆弾であった。

「こうなったら、やってみるしかない」

「何をするつもりだ」

スィッディークはいったい何をするのかわからず彼女の顔を見た。

真理愛の顔は覚悟を決めた悲痛な表情をしていた。


 一方の伯父の家を包囲している武装部隊は、外で待機していた。警察に変装しているとはいえこれだけの武装と人数だ。いつ誰かが本物の警察に通報されてもおかしくない状況にある。

 無線機片手に警官の格好をした男が家の方向に視線を向けていた。

「どうですか、上からの命令は」

 男は婦人警官をした女性に話しかける。

「まだ来ません」

「全く、上の連中はなにを考えているのだ」

「そうですね、たかが武器のない相手にこんな大所帯だなんて」

 男たちは不満を口にしながら待機をしていた。彼らも詳しいことは聞かされていなかったらしい。すると特殊部隊の格好をした男たちの一人が警官の格好をした男に近づいて来た。

「今、連絡が入りました。全員突入せよとの命令です」

「ご子息はどうするのだ」

「二人は生きたまま確保せよとのことです」

その言葉を聞くと男は、アイコンタクトで武装した部隊に合図を与えた。合図を確認した部隊はドアに近づき、四角い板状の爆薬を仕掛けた。そして部隊の一人がスイッチを入れると扉は吹き飛び、それと同時に部隊が突入していった。特殊部隊がよく使う戦法であった。外で待機していた部隊はその光景をただ黙ってみていた。警官に扮した男は心の中では早く仕事を終わらして帰りたいと考えていた。何せ今回の仕事は秘密を握る集まりの排除という今までの中で一番らくな仕事のはずだった。それなのに完全武装してまでやることなのかと考えていた。それは今回の仕事に駆り出された誰もが考えていたことだ。突入から一分半が経過したとき、無線機から連絡がきた。

「こちらスザク、目標が隠れていると思われる部屋を発見。これより突入する」

「こちらゲンブ、了解した」

その無線が届いた直後ドアをけ破る音が聞こえてきた。そして「クリア」という子が聞こえてきた。

「こちらゲンブ、目標が発見できず」

「どういうことだ、奴らは逃げたのか?」

「いえ、そのような形跡は……」

そう言いかけた直後、突然その無線の主の声が怒声に代わりそれとともに靴の足音が聞こえてきた。無線を聞いていた男が何かあったかを聞こうとしたとき、答えが家自体から返ってきた。

家の中から閃光と炎と爆風が内側から膨れ上がって、外で待機していた部隊に襲い掛かってきた。その爆風から家の部品や鉄くずなどが車や待機していた隊員たちに襲い掛かり何個か突き刺さってしまった。

一方の異変の中心にいた突入部隊は全員、体のほとんどを原子サイズに変化されて、一部の小さな消し屑と肉片だけが火炎の燃料に変えられてしまった。

爆発して数分経った頃、爆発の起きた中心では黒焦げになった床が持ち上がり、中から銃を持った翼たちが現れた。彼らは書斎の扉にセムテックスを仕掛け突入部隊が入ってくるのと同時に爆発するよう仕掛けていた。彼らは武器地下室の中で身を隠し、騒動が収まるのを待っていた。

「えほ、えっほ、ひどいことになったな」

 スィッディークはせき込みながら地下から出てきた。まさか真理愛がこのようなことをやるなど思いもしなかった。なにせ伯父夫婦との思い出が詰まったこの家を、生き残るためとはいえ爆破した。そう考えながら地下のほうを向いた。そこから翼と真理愛が銃を持って上がってきた。その眼はまるでプールに入った後のように充血していた。

「君たち泣いているのかい」

 スィッディーは二人に恐る恐る質問してみた。

「おかしいんだよな」

「何がだ?」

「普通なら辛い決断なのに涙が全くでないのよ」

真理愛は自分の胸の内を語った。それに続けて翼は自虐的な言葉を投げかけた。

「ねえ、笑える話だろう」

誰も一言も言葉を発しなかった。二人の言葉は笑えない。というか、そんな話で笑えるものではなかった。

「理解できないと言いたいが、話は後だ。まずはここから脱出するぞ」

スィッディークは彼なりに話をそらして、火と煙と熱が入り混じる建物の中から外の様子をうかがった。翼は出入り口から一緒に隠れていた仲間たちを一人ずつ出していった。隠れていた仲間は、その消し炭と炎で覆われ書斎に一人ずつ目を凝視してしまったが今はそんなことに気を取られている暇はなく、生き残ることを第一に考えなくてはならなかった。炎と煙は勿論、爆発で混乱しているとはいえ敵がいつ突入してくるかわからなかったからだ。また自分たちの持っている情報を野放しにするとも考えられず、すぐに情報の〝もみ消し〟にかかるに違いない。彼らはすぐに煙と炎で出来た道を気にすることもなく脱出するのだった。


一方、外のほうでは、飛んできた破片と爆風で修羅場になっていた。止めてあった車は破円で突き刺ささり窓ガラスが割れ、一台は爆風で横倒しになっていた。そして外で待機していた何人かは破片にやられ血を流して倒れていた。

「くそ、なんて奴らだ」

警官の服装をした男は頭を押さえながら舌打ちをした。彼らにしてみてもまさか自分の隠れているところを爆破するなど思いもよらない考えであったからである。男はすぐに状況確認のための無線に手をかけた。

「何をしているんです」

「状況の確認だ」

「あの状態で生きているわけないじゃないですか」

「そんなことはわかっている、だが念のためだ」

 そういって男が無線機に口元を近づけようとしたときだった。突然建物のほうから銃声が聞こえた。それと同時に男の耳元を何かが小さな風切り音たててかすめていった。

「みんな、伏せろ!」

男は大声で部下たちに指示を与えた。それに呼応するかのように燃え盛る建物の中から一〇人くらいの人間が現れ、そこからいくつもの閃光と火柱が吹き上げてきた。翼たちが持っているライフルを使って脱出を図った。

「何やってる、早く攻撃しろ。」

「ですが、今はさっきの爆発による混乱が収まっていません。今はそれを収集するべきかと」

攻撃を受けた敵の部隊もすぐさま応戦を開始した。いたるところで発砲音と閃光が飛び交うが状況は翼たちに完全に有利だった。先の爆発で突入部隊を全滅させたうえ、後方にひかえていた部隊も大混乱に陥っていた。それに加え翼たちの装備は旧式とはいえ汎用機関銃のM60E6やSTG44アサルトライフルといった、連射ができ、ライフル弾を使用する銃なのに対し、後方部隊の持っている銃はカモフラージュするために用意していた、拳銃や拳銃弾を使用するサブマシンガンのみであった。彼らが突入部隊と同じ装備であるならば互角以上の戦いになったであろうが、後方で待機している以上もし誰かに見られて、自分たちが警察ではないと見破られれば大問題になってしまう。もし素人目ならごまかせるかもしれないが、もし警察じゃなくても警察の装備を知っているもしくは見ている人間ならば、すぐにこいつは警官じゃないと見抜いてしまう危険性を持っていた。そのため彼らはカモフラージュのために警官の格好をした上で、動かなくてはならなかった。

「だめです、敵の火力と勢いがありすぎてこちらでは対応しきれません」

「隊長、早く増援を!」

「だめだ、もし増援を出せば警察にかぎつけられる」

「しかし、このままでは」

 彼らは切迫した状況で応戦せざるえなかった。

 一方翼たちのほうは、圧倒的有利の中で逃走を図ろうとしていた。彼らはこのまま戦っていていてもらちが明かないと感じていた。確かにこのまま戦えば勝てるだろうがそれは一局面であって、そのまま勝ち進めるとは思えなかった。伯父夫婦の家を犠牲にしてまで突破口を開いた真理愛であったが、問題はその逃走先について考えていた。伯父の家以外に頼れる所はないか、スィッディークたちの家では家族に迷惑がかかるし、ましてやそのことを両親が見抜けないはずもなく頼るわけにもいかない。彼女は思い悩んでいた。

「さて、どうする。脱出できたとはいえ、ほかに行く当てはあるか」

真理愛は沈黙したままであった。その様子を見てスィッディークはやはりという顔をした。彼は仮にも武装勢力の戦士だった男だ。自爆目的の狂信者ならいざ知らず、多くの武装勢力は生き残るため脱出路を用意するもの。それは死を覚悟したものではしないことであった。

「どうするのよ、奴らは諦めるとは到底思えない」

「じゃあ、あそこはどうだろう」

「あそこって?」

リーは首を傾げた。私たち以外に彼が頼れる所があるのかと思った。何せ彼らはこの町一番の嫌われ者である。味方を探す難易度は人間が針の穴の中に入るほどだ。そんな彼が思いつく味方とはいったいだれなのだろう。

「伯父さんの友人の乙武史彦神父」

「え、あの人頼るの?」

真理愛は一瞬顔を曇らせた。スィッディークは疑問の顔をして聞いた

「誰だ、そいつは?」

「乙武さんは伯父さんの幼馴染なんだけど、元はヤクザの幹部だった人。今は足を洗って教会の牧師をしてる」

「え、彼にそんな友人がいたの?」

 リーは初耳という顔をして聞いた。

「教会って、ひょっとして真理愛のところのか?」

スィッディークは一瞬疑いの目をした、牧師ということはキリスト教だろう、ひょっとしたその男は聖心アドベンティストの信者という可能性を考えた。その答えは真理愛の言葉で帰ってきた。

「いえ、伯父さんは刑務所にいたころにカトリックの洗礼を受けたらしいから、私のところとは宗派が別なはずよ」

それを聞いてスィッディークは一瞬安堵の顔をした。

「日本の刑務所は軍隊並みに厳しいと聞くぞ、その中で洗礼を受けた気持ちはわかる」

「ああ、塀の中じゃ当たり前らしい。特に死刑囚や無期徒刑にとっては一途の希望だから。伯父さんはその中で神の言葉に出会ったって言ってたからね」

「なるほどな」

 スィッディークは思わずうなずいてしまった。

「その場所はどこなの?」

 リーは思わず場所を尋ねた。それに対して二人は少し考え込んで答えた。

「ここから北へ一キロ離れたところだ」

「思ったより遠いな」

「文句を言っている暇なんかないわよ」

「そうだな」

 その言葉聞いた後、翼たちは一路、乙武牧師がいるカトリックの教会へ足を進めた。

神々しい白い建物の内部に十字架とステンドグラスにはイエスの受難と復活が描かれており、その下では一人の神父が十字架と祭壇に祈りの言葉を唱えながら、祈りをしていた。

彼、乙武史彦は真理愛の伯父の小さいころからの幼馴染であった。彼の家は古い団地に一家六人で暮らしていた。一家はともに貧しかったが、幼馴染の伯父とはともに遊び仲間であった。中学に上がると暴走族に入り、喧嘩と走りで知らぬ者はいない人間となった。伯父夫婦にバイクの乗り方を教えたのも彼である。そして中学を卒業し県下一の悪校に入るころには、すでに暴走族のヘッドになったうえ、地元のヤクザとつるむほどになっていた。そして高校を中退してそのままヤクザの世界という、何ともベタなパターンのような人生を送っていた。やがて、ヤクザとしての才覚があったのか、あっという間に幹部にまでのしあがり、警察までマークされるほどになった。そんな彼が突如ヤクザの世界から足を洗って、キリスト教の神父になるというニュースを聞いて誰もが驚きを隠しきれないでいた。彼曰く、覚せい剤の密輸と抗争で刑務所に入っていたときに、とある神父との出会いでキリスト教の言葉と出会い、自らの罪を悔いて神父になったと語っているが、それに対して疑問を投げかける人々が多かった。もし彼の言うとおりであれば出所すぐに牧師になっていなければおかしいはずなのに、出所してからの間が長いのである。それについて彼は親に対するメンツとそれまでの準備に時間が必要だったからというのが理由であったらしい。そんな人々の風評をよそに乙武は神父になり、その出生と親切で瞬く間に人気となった。Zから離れていたことも彼が教会を開くことのできた要因でもあった。

乙武がいつものように祈りの言葉を唱えていると不意に扉をけ破るような音とともに十数人の男女が銃を持って勢いよく入ってきた。乙武は思わずヤクザだったころの口調と物腰でその男女に罵声を浴びせた。

「だれじゃあ、おのれら。ここは神聖な教会やぞ」

その言葉に何人かはたじろいだが、すぐに二人の少年少女が飛び出てきて乙武をなだめた。

「神父、俺達だ」

その二人の男女を見て、乙武は思わず驚きそうになったが、すぐに冷静になって口調をいつもの神父に変えた。

「真理愛ちゃん、それに翼君も、いったいどうしたのだ」

「実は、俺たちの両親たちの追っ手に追われているんだ」

 それを聞いて乙武は驚きを隠しきれないでいた。

「いったい何をしでかしたんだ、君たちを追うなんて尋常じゃないぞ。それに銃まで持っているなんて」

「神父、今頼れるのはあんただけなんだ、しばらくかくまってくれないか」

それを聞いて、一瞬迷いが生じたが彼らが悪いことをしたとは到底思えなかったらしく即答で答えた。

「わかった、何とかしよう」

 その言葉を聞いて、ほぼすべての人間が安堵の声をあげていた。ただ一人を除いて。スィッディークはこの乙武という人物に何か引っかかりを覚えたらしく、しんみょうな面持ちで彼を見ていた。

「どうしたの、スィッディーク?」

 真理愛がスィッディークの様子がおかしいことに気づき尋ねた。

「いや、あの乙武という男のことだが」

「神父がどうかしたの」

「どっかで聞いたような声だと思うのだ……」

その言葉に真理愛は思わず首を傾げた。二人は初対面のはずなのにどこで見たというのであろう。

「あなたと神父は初対面でしょ」

「いや、私はどこかで……」

スィッディークは首をかしげながら考え込んでいると、突然からのポケットから振動し始めた。それは彼が持っていた携帯端末であった。その番号を確認するスィッディーク。

「誰から?」

「うちの子供たちからのメールだよ、それにしてもこんな夜遅くに何の用……」

そう言いかけたとき、二人は顔色を変えてメールを見た。瞬間二人の悪い予感は当たったらしく、あっという間に顔面蒼白になった。その事を翼と乙武はすぐに察して近づいた。

「どうした?」

「ちょっと、私たち四人で話がしたいのだが」

「何かあったのかい」

乙武は首をかしげつつも三人を個室に案内してリーたちと別れた。


「何かあったのかい?」

乙武は二人の心痛な顔を見て何かあったのだろうことは察しがついていた。だがそのことを一向に語ろうとはしない。二人はただ黙ったまま下を向いていた。

「おい、いい加減話せよ、いったい何があったんだ」

「……そうだな、ただ黙っているだけではいけないよな」

 そういうとスィッディークは自分の持っていた携帯端末を見せた。その画面には体をロープに巻かれ布で口を封じられた三人のアラブ系の子供たちの写真が添付されていた。それを見た翼は顔色を変えた。

「まさか、この写真の子供達は?」

「そうだ、私の子供達だ」

スィッディークは深刻な面持ちで立ちすくんでいた。人質を取るということは戦いにおいて弱点をとるという上では効果的な戦術であることは彼自身もわかっていた。そのことをわかっていたため、家族には秘密にしていたのだ。しかし奴らが自分のことを調べる以上家族のことを調べることはわかっていたはずだ。スィッディークは自分の不覚を呪った。

「あいつら、どこまで腐っているんだ」

 翼は冷静な口調で言いながらも、その唇は歪んでいた。乙武もスィッディークの心情を察し、思わず祈りの言葉を唱えてしまった。それはスィッディークの、そして彼の息子を身を案じての祈りであった。

「ねえ、どうしたらいい?」

「こうなってしまっては、どうにもならない」

 翼が口を開こうとしたとき、とっさにもって来た本に目が入った。それは自分がさっきまで読んでいた『ユダの福音書』であった。あの爆発の時に思わず持ってきたものであった。翼はそれを見つめて何か考え込んでいるようだった。それを見た乙武は口を開いた。

「どうした?」

「みんな、俺のことを信じている?」

 三人は翼の質問の意図が分からなかった。

「何を言っているんだ?」

「いいから質問に答えろよ」

 翼が険しい顔しながらも、その瞳は信じてほしいというまなざしをしていた。三人は彼の真摯な気持ちを感じ取り口を開いた。

「……信じている」

「あたしも」

「私もそうだ」

 その言葉を聞いたとき翼は乙武に自分の持っていた『ユダの福音書』を乱暴に渡して言った。乙武は思わず後ろにのけぞったがすぐに『ユダの福音書』を手に取り体の態勢を戻した。

「みんな、これから俺がすることを許してくれる?」

 翼は切迫した口調で三人に覚悟を迫った。三人は彼がこれから何をするのかわからないでいた。ただひとつわかっていたことは、彼が子供たちの救出のための方策を思いついたに違いないということである。翼は机に置かれていたライフルに手をかけ握りしめた。


 教会の中ではリー達残されたメンバーが四人が出てくるのを待っていた。彼女たちは、四人が今後の相談をしているのではないかと感じていた。何せ非常事態である。いつ奴らがここにやってくるかわからない状況で何の策もなく逃げ回っていくのでは、らちがあかない。今後のことについて話し合っているのだと考えているのだというのが、多くのものの見解である。しかしただ一人リーだけは違っていた,彼女には別の見解があった。四人が別室にこもったのは何か重大な事態が起きたからだと知っていたからである。その根拠は携帯端末を見て顔色を変えたスィッディークだった。彼の身に何か重大な事態が起きたから三人に相談しているのだ。他の人間に相談しなかったのは、私事を人前では相談できなかったのだろう。まったく水臭い男だ。

「いったい何しているんだ、こんな時に」

 一人が思わず不満を口にした。

「……私が四人の様子を見てくる」

 リーがそう言って、扉のほうに向かって歩いていこうとした時だった。突然一人が大きな声で叫んだ。

「た、大変だ。奴らが大挙してやってきた」

 その報を聞いて全員がどよめいた。

「どういうことだ!?」

「わからない、どうしてここがわかったのか」

誰もが混乱に陥った。どうしてここがわかったのか、誰にも見られてないはずだし発信機の類も外したはずなのにどうして。多くがその疑問に答えを見出そうと思案したがすぐにその必要もなくなった。その答えが扉をけ破って出てきたからである。

「動くな、全員そのまま銃を下ろせ」

 その事態に誰もがパニックに陥った。彼らの目に映ったのは真理愛の背中に銃口を向け人質を取った翼と、簀巻きにされて転がされたスィッディークと乙武の姿であった。

「おい、これはいったい何のつもりだ、翼!?」

 混乱する男の質問に翼は冷然と返した。

「見ての通りさ、真理愛を手土産に親父たちのところへ投降するのさ」

その返答に誰もが怒りの声を上げた。まさか彼が裏切ることになろうとはだれも予想だにしなかった。それほど彼のことを信じ切っていたからである。

「お、お前は何を言っているのかわかっているのか」

「ああ、自分でも正気だと思っているよ」

翼は当たり前だと言わんばかりの態度と言葉で彼らの神経を逆なでさせた。真理愛はその返答に怒りの声を上げた。

「あんた、私たちをだましてたのね!」

真理愛の抗議の声を平然と受け流し彼女を人質に取ったままドアのほうへ向かった。リーが銃底を使って後ろに向いた翼を殴ろうとした。翼はすぐに振り返り真理愛の背中に銃を向けた。

「馬鹿な真似はよしたほうがいい」

「お前こそ、こんなことして何の得がある」

 リーは怒りと困惑に満ちた口調で質問する。

「悪く思うな、やっぱり親父たちを裏切れないからな」

「ふざけるな、お前は自分の両親がやったことを見逃せるというのか!?」

 周囲から怒りと罵声が飛び交うが翼はその声をすべて流すかのように平然とききながして、扉の方向に歩み寄った。そして翼は右手に手を伸ばして扉を開けた。するとたくさんの自動車の光が二人を照らし出して、その周りを黒い影がとりまいていた。


 教会のやり取りから三日たった、創世会の集会場。その会場には千人はくだらないかという、大勢の人々が席に座っていた。そしてその壇上では三つの宗教の代表が壇上に座っていた。反対方向にはジム・ジョーンズのような風貌をしたサングラスをかけた男や、神主の着込むような服装をした人物など多種多様で異彩を放ってした。また一方では黒い背広や信徒が立ち並んでいた。

「ありがとう翼、私たちの思いを理解してくれて」

 翼の母親は満面の笑みを浮かべて翼のほうを向いた。彼女にしてみればやっと自分の息子がいうことを聞いてくれたという思いにとらわれたのだろう。そんな母親の気持ちを知ってか知らずか、翼は真理愛と一緒に席の最前列に座っていた。そしてその壇上には怪僧グレゴリー・ラスプーチンを思わせる男が、マイクを使って説法をしていた。彼こそ翼の父親にして創世会の現教祖である徳永(とくなが)永(えい)豊(ほう)という男である。


「今よりこの私はこの世の奇跡を起こして見せよう」

 永豊はそういうと壇上から三人の子供たちが黒い背広来た男たちに連れられてきた。それはスィッディークの子供たちであった。三人は永豊の命令でスィッディークの子供たちを人質に取りスィッディークに息子達の引き渡しと自らの持っている情報を渡すよう脅しをかけたのである。結果として情報の奪還には失敗したが、息子が友好関係にある聖心アドベンティストの娘を手土産に帰ってきたことは喜ばしいことであった。あとは邪魔になったイスラム教徒の子供を見せしめを兼ねて『奇跡』を起こして地獄に送ってしまえばいいだけの話だ。おそらく彼の心中にはそのような考えがあった。

「我が息子よ、そして聖心アドベンティストの娘、壇上に上がりたまえ」

永豊がそういうと翼と真理愛は壇上に用意された階段を使い壇上に上がった。二人は満面の笑みを作り両親に近づいた。その光景を背広の男や客席の人々は拍手をもって歓声を上げた。

「息子よ、よくぞ帰ってきた」

「父さん、今までありがとう」

 その言葉を口にした後二人は抱き合い喜びを表した。永豊は目をつむり息子との和解を喜んだ。一歩の翼は父親に抱擁しつつもその目線をスィッディークの子供たちに向けた。真理愛もジム・ジョーンズのような父親とカトリックの尼さんのような恰好をした母親と抱き合いながらもスィッディークの子供にウィンクをした。子供たちは最初はその意味が分からなかった。そのような状況をよそに二人の両親たちは抱擁を終えるとすぐに演説に戻った。

「今まで息子はわれわれに対して反発ばかりしていたが、今ここで和解のすることができた」

そいうと永豊は一つの書物を取り出しライターで火をつけた。それはイスラム教の聖典コーランであった。コーラにつけられた火は生き物ように燃え上がり、伊ページの一ページごとに黒く縮こまった灰に姿を変えていった。それを見た子供たちは怒りの声を上げた。

「この悪魔め、よくも私たちのアッラーから貰ったコーランを焼いてくれたわね」

「お前たちなんかアッラーに裁かれて地獄に行け!!」

 イスラム教徒にとってコーランは命より大切な本である。それは高いところにおいて敬うほどであった。それを燃やしたり、破り捨てたりすることなど、それは冒涜ではすまされないほどであった。実際日本でも富山でパキスタン人のコーランを日本人女性が破り捨てるという事件が起きた時多くのイスラム教徒が警察署で抗議の声を上げた。

三人の怒りの声に永豊は平然と笑みを作って返した。

「残念だが、私の奇跡の前では地獄に落ちるのは君たちのほうだよ」

そう言って永豊は軽く指を鳴らして超え高々に宣言した。

「これより私は奇跡を証明してこの不信者を地獄に落とそう、そして我々は祈りをささげよう、これによって我々は天界へと導かれる」

 永豊の言葉とともに人々は祈りの言葉とともに両手を合わせ顔を下にした。その祈りの仕方は三つの宗教の関係者はもちろん会場にいるほとんどの人々が祈りの言葉を口にした。そうほとんどの人間を除いて。


祈り始めて数分、突如永豊の顔色が見る見るうちに青くなり嘔吐し始めた。それに合わせて人々が次々と苦しみだしのたうち回り始めた。あるものは頭を抱えまるでバットで頭を殴られたような痛みだといいながらのたうち回り、またある者はのどをかきむしり「息ができない」と言いながら苦しんで転げまわった。その地獄絵図は三つの宗教の信者と関係者にのみにその症状が起きた。それに対し翼と真理愛そしてスィッディークの三人の子供、そしてその光景を見て条件反射敵に持ってきた、マスクをかぶった金光教の教祖と側近の数人には何ら影響はなかった。

「ご、が、く、苦しい、どうして我々が……」

「どうやら地獄に落ちることになったのは親父、お前達のほうだったらしいな」

翼のその冷然とした言葉と悪意と憎悪に満ちた笑みを見て真理愛の父親は苦しみながら口を開いた。

「ま、まさかお前たち?」

「そうよ、あんた達の言う『奇跡』を逆手に取らせてもらったわ」

「簡単なC言語プログラムで助かった。ちょっといじるだけで簡単に切り替わるのだから、楽な物だ」

息子の放ったその冷酷な真実に永豊は勿論二人の家族は愕然とした。まさか自分たちのプログラムがそんな簡単に改変されるとは思わなかったらしい。しかも改変したのは自分の大切な子供だったのだからなお信じられなかった。

「ど、どうして、仮にもあなたたちは私の家族なのよ!」

母親の抗議に対しふたりは、まるで家畜を見るような目つきで二人を見た。

「お前らは俺達の家族じゃない、俺達の家族は俺を大切にした真理愛の伯父さんと伯母さんだけだ」

「そう、ましてや自分の子供を脅迫して恐怖で押さえつける親がどこにいるの」

 実の子供たちから返った返答に、ショック受け何も言い返せなかった。二人は自分達の両親を蹴飛ばし、子供たちの方へ走った。

「大丈夫かい、三人とも」

二人は悪意に満ちた顔とは打って変わって三人に優しく話しかけた。

「翼君、真理愛ちゃん、ひょっとして僕たちを助けるために……」

「済まなかった、俺達はお前らを助けるためにわざとここに戻ったんだ」

 二人は本当に申し訳ないという顔をして子供たちに謝罪した。それを聞いた子供達は思わずお礼の言葉を言った。三人からみて二人はまさに神から使わされた「救い主」にうつったのである。

 二人が謝罪してすぐに、重い扉の方から何かで爆破したような音がして、その方向から一〇人ほどの武装した男女が乱入してきた。それはスィッディーク達であった。

「翼、真理愛、みんな大丈夫か!」

 突入してすぐスィッディークは生き残った彼らに駆け寄った。

「スィッディーク、助けに来たのか?」

「ああ、君達の裏切りが偽りだと『ユダの福音書』で伝えてくれたおかげだ」

 スィッディークはバックから『ユダの福音書』の福音書を手渡しで返した。

彼は翼に乱暴に渡された本によって、彼の行った裏切りが偽りだと知ったのである。別に暗号が直接書いてあったというわけではない。その本の内容が暗号だったのである。

グノーシス的解釈で書かれた『ユダの福音書』の内容によるとイエスの弟子たちが祈りをささげる中イエスはその姿をあざ笑ったとある。それは間違った祈りだったからである。イエスは自分の心理を理解している者はいるか弟子たちに質問した。全員理解していると答えたが一人を除いて歩み寄らなかった。その一人、ユダだけは彼に近づき「私は貴方が何者であるかを知っている」と答えた。その後イエスはユダに「自分がやろうとしていることをしなさい」と言った。つまりユダのイエスに対する裏切りは、イエスの指示によるものであること、そしてイエスはユダを誰よりも信頼した弟子であることが書かれていた。このグノーシス的な解釈で書かれたユダの裏切りの理由が排除された原因ともいえる。当然発表された時など正統派をはじめ多くの学者が物議をかもしたことは言うまでもない。

本の内容自体が暗号であることに気づいた彼らは、すぐに態勢を整え彼らの救出に乗り出したのである。

「全く人が悪いわね、ちゃんと話してくれればよかったのに」

「敵を欺くにはまず見方からって言うでしょ」

 真理愛は笑顔を作りリーに答えた。彼女もまたこの茶番に気づいて翼に協力してスィッディークの子供の救出に手を貸したのである。

一方スィッディークと子供たちは再会に沸き立っていた。子供たちは

「パパ、助けに来てくれたの?」

「お前達も無事だったか!?」

 スィッディークは子供達にけがないのか確認した。そのうちの一人の次男が泣きべそをかいていた。

「怖かった……」

「済まなかった、私が不注意だったばかりに」

スィッディークは涙を流しながら子供たちを抱き寄せた。その姿をただ静かに見つめる翼と真理愛、二人にしてみれば自分達には縁遠いものに感じたのである。二人以外の人々は笑顔で家族の再会を見ていた。彼らの周りの一つから発せられた一筋の悪意に気が付かなかったのである。

突然、爆竹が破裂したかのような音が彼らの耳に届いた。その瞬間スィッディークは自分の子供たちの手から離れ崩れ落ちた。翼達は音のする方向へ顔を向けると、そこにピストルを構え恐怖と怒りをマスク越しに伝える金光教の教祖がいた。真理愛は怒りに任せて服の袖からナイフを取り出し金光教の教祖に迫った。近くにいたボディーガードが防ごうとするが、全員銃を抜こうとする前に真理愛のナイフに首の血管と呼吸器系を切断されて、喉元を抑え、倒れていった。教祖は恐怖でボディーガードが邪魔にも関わらず、真理愛に向けて発砲した。しかしその弾はまるで視認しているかのように真理愛の皮一つをかすめて避けられるか、自分のボディーガードに命中するだけで、肝心の彼女には当たらなかった。やがて教祖の持っていたピストルの弾が尽き、それに気づいた真理愛はウサギを狙う豹のように教祖に襲い掛かった。真理愛は教祖の腹にナイフを突き立てそれを左から右にまるでジッパーを開けるかのように引き裂き教祖の内臓を外へ出した。教祖は必死に内臓をかき集めようとするが、血を吐き続け、死にたくないと叫びながら意識が遠のいていく。

一方の真理愛は、自らの起こした殺戮の後倒れ込むスィッディークに駆け寄った。スィッディークは苦痛に耐えながらも必死に息子たちの顔を見ようとした。

「親父、しっかりしろ、寝るんじゃねえ」

「パ、パパ、だめだよ、死んじゃ」

「スィッディーク、しっかりしろ、今病院に連れて行ってやるから」

 翼とスィッディークの子供たちは必至で彼の意識を保たせようとする。

「も、もう手遅れだ、さっき撃たれた時、血管をやられたらしい」

 スィッディークは優しい声で語りかけた。その眼は死を覚悟した、透き通った水晶のような目だった。

「パ、パパ……」

子供達は声にもならない声で父を呼んだ。彼らの目には大粒の涙が滝のように流れ出ていた。

「お前達、私のような人間になるのではなく、立派な人間に育てくれよ」

 スィッディークは息子たちにそう言うと今度は翼と真理愛に目を向けた。二人は唇をかみしめ目を充血させつつもスィッディークを見ていた。二人もまた自分の不注意を責めていたのである。

「二人とも、正直な話を言うと、君たちがうらやましかった」

「「うらやましい?」」

 二人はスィッディークの言っている意味が理解できなかった。

「そうだ、私は神に隷従して神のためならば何でも許されるという考えで戦ってきた。その為には数えきれないほどの人間を殺し、家を破壊し、奪ってきた」

 二人は彼の言葉を聞いて彼の本当の意味を知った。彼は家族のみじめな姿を見るまで自らの行いは全て神のもとで許される行為だと信じて疑わなかった。しかしそれは神の教えに背く行為だということ、それに気が付くことができたのは、家族の悲惨な姿を見てからであった。

「だが、君たちは教祖を両親に持ちながら、神を拒絶し自らの考えと信念で戦い続けた。それがうらやましかった」

 スィッディークの言葉は二人に強く刻みつけられた。それほど彼の言葉は大きかったのである。自分達は助けようともしない神や宗教を激しく憎んだ。その為に宗教を嫌い神の教えに頼らず自分で歩もうとした。しかし皮肉にもそれこそが神の望むべき人々の姿であったのである。

「最後に、君たちに伝言だ…」

 そういうとスィッディークは二人に耳打ちをし始めた。二人は目を見開き驚きの声を上げたが、すぐに冷静さを保った。真理愛は子供たちに目線を映して手招きをした

「三人とも、お父さんの手を握ってあげて」

 真理愛は力をなくしつつあるスィッディークの手を彼の子供たちの手に添えた。スィッディークは子供たちに父親らしい優しい笑顔を作った後、目の光を失った。

それを見届けた子供たちはまるで赤ん坊のような声で今まで以上に泣き続けた。翼と真理愛は後ろを振り向き、何も言わなかった。誰もが彼の死に大きなショックを覚えたらしい。

ふと、向こう側から声がした。

「お、愚か者ども、お前たちは自分で死刑執行のボタンを押したのだ」

 その声はさっきまで飛び出た内臓を集めていた金光教の教祖であった。

「この町は……、もう……、おわ……」

 その言葉を最後に教祖はこと切れた。

 翼達はさっきの悲劇など忘れたかのように教祖の言葉の意味を思案した。

「いったい、どういう意味だ?」

「わからない、だが逃げた方がいいのは間違いない」

「リー、彼らを安全なところに避難して、あなたたちの知り合いにも避難を呼びかけて」

「貴方たちは?」

「僕らは、伯父さんを殺した実行犯と決着をつける」

 その言葉を聞いたとき彼が死に際に残した言葉の意味が分かった。恐らくこの戦いで最後の決着をつけるのだと容易に想像がついた。

「本気なの?」

「でなけりゃ一緒に逃げるって、言ってるよ」

 翼の目には覚悟と信念に満ちてその口調にも迷いがなかった。それを見たリーもまた二人の覚悟が本物であることを悟った。

「止めても無駄なのね?」

「たぶんな」

 翼はぶっきらぼうに答えた。二人は失うものは残ってないつもりらしい。多くの人々を望む望まずにかかわらず犠牲にしてきた。それでも前に進み続けなければならない。二人の姿を見た人々はそう感じた。二人はリーにライフルを手渡されると、その場から離れる。

二人が会場から離れようとしたとき、スィッディークの長女が引き留めた。

「なんだい」

 二人は振り向かず返答をした。

「必ず生きて帰ってきて」

 二人の後姿を見て、差し違えるのではないかと感じたらしい。彼女は涙で流した目で二人に祈った。どうかこの二人が生きて帰って来てください。

「お互いにな」

 そういって翼と真理愛は死屍累々となった会場の扉に向かって駆け出して行った。


小高い山に二人はたどり着いた。そこにはいつもの牧師の格好をした乙武神父が長ドスを片手に町で起きている惨劇を見ていた。翼達がナノマシンのプログラムをいじったせいで会場のみならず市街地に散布されていたナノマシンが異常をきたしたらしい。人々は原因不明の症状で苦しみだしていた。その彼が見据える目は悲しみと覚悟に満ちた目であった。

 その乙武神父の耳に草をかき分ける音と足音が近づいてきた。その音はだんだん近くなっていき、やがて足音は彼から五メートルの位置で止まった

「待っていたよ、翼君、真理愛ちゃん」

乙武は静かに優しく語りかけ、後ろを振りむいた。そこには銃を構え鋭い目つきで乙武を睨みつける二人の姿があった。

「神父、スィッディークから伝言を聞かされたよ」

「あんたがおじさんたちを事故に見せかけて殺したって」

翼の質問に乙武は静かに答えた。

「その通りだ」

「どうして、伯父さんとあなたは友達だったんじゃないの」

 真理愛はその真実がショックだったらしく神父に激しく詰め寄った。

「ああ、その通りだ、それは今でもそうだ」

「じゃあ、なんで?」

「それが組を抜けるために親父が出した条件だったからだ」

「条件?」

「俺の居た組は、お前たち両親と関係を持っていてな、お前の両親が表ざたにできず、私兵を動かせない裏方仕事をよく頼み込まれていたのだ」

「よく聞く話だな」

「私はキリスト教の牧師になろうと思い、親父にけじめをつけるから抜けさせてほしいと頼んだ。すると親父はある仕事を終わらせれば抜けさせてやると言ってきたのだ」

「それが、伯父さんの殺害……」

 真理愛は小さな声でつぶやく。乙武は目をこすりながら後ろを振り向く

「おじさんは伊丹十三じゃないんだよ」

 翼は思わず創価学会に関する映画を作ろうとして創価と関係が深かった暴力団の後藤組に暗殺されたといわれる映画監督の名前を出してしまった。そのツッコミに乙武は思わず苦笑いしてしまった。

「そうだな、だが伯父さんたちが彼とはもっと根深い物を持っていたのだよ」

「根深いもの?」

「考えてみたまえ、伯父さんがたかがナノマシンの存在を秘匿するぐらいで口封じをするのであれば、ほかにも手があったはずだし、遅かれ早かれナノマシンは世界中の国の誰かが発表していたはずだ」

「殺されなければならない理由はもっと先にあるといいたいの?」

「そうだ、そしてそれこそ、君たちの両親がナノマシン兵器を手に入れた理由なのだ」

「神父、単刀直入に聞くよ、親父たちにナノマシン兵器を送った黒幕の正体と奴らの目的を」

 翼は真剣な顔をして質問した。自分がここにやってきた理由の一つが、おじさんが殺されなければならない本当の理由を知りたかったからである。

「君たちの両親が運営する新興宗教にナノマシン兵器を横流ししたのは政府の連中だ」

 それを聞いて二人はやはりという顔をしてうなずいた。彼らにしても予想道理の返答だったのである。

「そうでしょうね、でもそれなら向こうが何を目的として流したかよ」

「政府の目的はとある実験をこの町で行い、それをもとにある計画を始めるためだった」

「なんだ、その目的って?」

 乙武の言葉に翼は思わず首を傾げた。

「ナノマシンを使った国家による宗教の統制だ」

 その言葉に二人はありえないという顔をして叫んだ。

「バカな、そんな大それたことするなんて」

「そう、表でそんなことをすれば国内外から叩かれるのは目に見えている。そこで政府は秘密裏に進めることにしたのだ。ナノマシンを使って表向きは信仰の自由を謳いながら裏ではナノマシンを使った宗教統制をしようと」

「憲法で保障されている権利を奪うのか、そんなこと許されるはずがない」

「だからこそ、ナノマシンを使うのだ。秘密裏に各県に指向性のナノマシンを散布して神社仏閣から教会に小さな民間宗教にいたるまでを管理し、その宗教が社会的に脅威となると判断した場合にそのナノマシンを使って教祖や信者を暗殺するようにプログラムして」

 二人は政府の荒唐無稽とも思える考えにものが言えずあきれ返る。

「憲法で明記をされたことを、小さな機械で奪っていく……」

 翼は小さな声と皮肉めいた口調でつぶやいた。

「やっていることは、宗教を大々的に弾圧している共産主義国家と同じね」

真理愛は皮肉を込めて言った。

「その通りだ、だが宗教はアヘンと言ったとき、マルクス自身もそのアヘンがさらに悪い方向に傾くなど考えもしなかっただろう」

 乙武は皮肉も込めてマルクスが生きていた時の気持ちを代弁した。

「でもどうして、ナノマシンなんか使ってまで宗教を統制しようと考えたんだろう」

「簡単なことだ、信仰の自由を盾にされたからだ」

 それを聞いたときに二人は気が付く、今まで父親や母親ががん細胞のように町を牛耳り警察や政府の妨害もなく広げてきたのも、憲法が定めた信仰の自由を理由にしてきたことを。彼ら宗教組織は自分たちが政治の力を行使できるようにするには二つに一つ武力で奪うか、もしくは国民による投票で合法的に奪うかである。武力によって権力を握ろうとしたのが、オウム真理教やイスラム武装勢力のような組織で逆に創価学会のように別組織として切り離し、実質的に自分の信者にその組織を使って政治に食い込むという悪知恵を働かせる組織がいる。それは政教分離をするにしても国教定めるにしても都合が悪いし悪益しか及ぼさないものであった。

「それだったら憲法そのものを改定してしまえばいいじゃないか」

翼は安直で単純明快な答えを言った。彼自身からすれば当たり前のことを話したつもりであったのだが、乙武の返答は彼の安直な考えを一周するものであった。

「今の時代に信仰の自由を奪ったらどうなる、いくら宗教が脅威になりつつあるからと言って、自由を奪い、昔のように自分の宗教だけにしたりするか?」

 翼は黙り込んでしまう。もし昔のようにその宗教を禁止するなどということを行えば、時代錯誤だと叩かれてしまう。政府はそういった踏み込んだことができないのである。そのジレンマの解決がナノマシンであったのだ。翼はその事実に気が付くのに秒単位の時間で十分だった。

「信仰の自由が免罪符としてある限り、政府も大々的に介入ができない、ならばそれを有名無実にするしか道がない」

「……そういうことだ」

 翼の言葉は的を射ていた。恐らくナノマシンを使った宗教統制はこの国だけでなく世界中が模範し始めるかもしれない。中国をはじめとした宗教を禁じた国、イスラム教をはじめとした国と宗教が一体となった国家、さらには日本のように宗教の介入ができない国まで、ナノマシンというアヘンを使い、ある宗教は痛み止めとして人々に重宝され時として奇跡ともとれることもできるようなるに違いない。逆にある宗教は、麻薬や毒物としてその国では衰退させるものに違いない。それは宗教の時代の中で暗黒時代と表現しても過言ではない未来像であった。国家が宗教をコントロールしてそれをもとに完全なすみわけができる未来を。

「皮肉なものだな、宗教統制の実験のために横流したのは、自分たちに巣くう宗教組織だったとは」

 乙武は苦笑した顔を作り下をむいた。一方翼と真理愛は少し考え込み始めた。そして二人は質問をした。

「一つ聞いていいですか」

「いいぞ」

「どうして、そのことを知っているんですか?」

 真理愛は翼よりも早く、乙武に質問した。乙武の返答は気が抜けるものであった。

「知っていたのではない、推測したのだ」

「推測?」

「そうだ、君の伯父さんを殺した後で、私は疑問を持ち続けていたが、俺の居た世界では知らぬが仏というのが掟だったから、知りたくてもできなかった。しかしその疑問が解ける時が来た」

「まさか……」

 翼はその疑問が解ける原因に心当たりがあった。それは臨終の間際、自分に真実を伝えた人物であった。

「そうだ、君達と一緒に行動を共にした、アラブ人に資料を見せられた時だ。私はそのアラブ人と、真実を交換し合い、推理した答えだ」

 二人はまさかと思ったが、それと同時に落胆も隠しきれなった

「つまり、証拠は出てきていないってことだね」

「その通りだ、だがもし証拠があったとしても、政府は何とか言い逃れはできるだろう」

 乙武はため息をついて、タバコを吸った。彼にしてみれば言い訳をしないにしろ自分も加害者であると同時に被害者でもあるという意識も持っていたが、それを口にすれば二人の怒りを買うことこの上ないためあえて口にしなかった。人の尊厳を傷つけるほど彼もそこまで無神経ではなかったのだ。

「それともう一つ、あんたが何でその真実を俺たちに話したのか聞いてなかったね」

 真理愛は自らの疑問を彼にぶつけた。

「……何でだろうな、君たち二人を見ていると神以上に希望を見いだせるような気がするのだ」

「希望……、俺たちが?」

 二人は乙武に言っていることがわからなかった。自分たちは希望ではなくむしろ禍であると認識していた。そのことは周囲の人間にも認知していることである。

「そうだ、私は神のためにどんなに厳しい教えや説法を受けても神には背かず、ただ人々がイエスの元に行くことを願うという責務を背負っていた。しかし、それは本当にイエスのためになっているのか、私にはわからなくなった」

 乙武の心中を心の底から語ったものだと二人はすぐに気づいた。神にすがるものは、その教えを従順に守らなくてはならない、しかしいつかは究極の選択を迫られる時が来るかもしれない。乙武はその矛盾に対峙していたのだろう、かけがえのない親友を殺したその時から。

「しかし君たちは図らずも、神の教えや仕来りに縛られることもなく、それぞれの神を信じる者のために尽くしている」

乙武の言葉を聞いたとき、二人は気が付く。自分は少なからず神のことを憎みきれていなかったことを。僕らの否定したかったのは神や宗教ではなくそれから変質を遂げたシステムや組織であった。神はそのようなものを本来望みはしないし、それを望むものをほめたたえるだろう。その事実を知った時二人は天を仰ぎ、高笑いをしてしまった。

「何がおかしいのだ?」

 乙武はわかりきっていた疑問にあえて質問した。

「これがおかしくてなんだっていうんですか、憎んでいた神にあたしらが従っていたのだから」

 真理愛は悪意に満ちた笑みを作りながら答えた。自分の滑稽さがおかしくてたまらないのだ。乙武は自分は道化だったといわんばかりの二人を哀れに思った。

「……神は、だれでも心の中にいるものだよ」

 そういうと乙武は神父の上着を脱ぎ棄て上半身裸になり、持っていた長ドスの鞘を抜いた。彼の背中には弥勒菩薩の入れ墨が月明かりに照らし出されていた。そしてその眼はカトリックの洗礼を受け一人でも神とイエスの元に向かうことを祈る神父の目ではなく、幾多の修羅を潜り抜けて、何人もの人を殺めた裏社会のアウトローの目をしていた。

 幾多の人間を倒してきた二人にしても、その眼に二人は思わず引いた。

「その眼を見たのは初めてかもしれない」

 翼は少し怯えつつも彼を見て言った。

「恐らく、この姿を見せるのはヤクザ稼業から足を洗って以来かもしれない」

 そういうと乙武はポケットから時計を出し、時間を確認した。

「一五分で勝負をつけよう」

「何で一五分なんだ?」

「もう時間がない、恐らく一五分後に純粋水爆を搭載したF2戦闘機とF35がこの町を空爆するだろう」

 二人はその言葉に思わず絶句してしまう。あの教祖が言った本当の意味をこの時初めて知ったのだ。

「まさか、たかがナノマシンの隠滅ために、町ごと証拠を残さず消し飛ばそうというのか」

「政府は自分たちに都合の悪いものがあれば町を一つ消すことぐらいわけない」

「でも、政府はどう言い訳する気?」

「おそらく、この町の基地の弾薬庫の誘爆かカルト教団の自爆とでも発表するのだろう」

「だったらこんなくだらないことすより、先に避難を呼びかけたら?」

 真理愛の疑問に乙武はヤクザ目線で答えた。

「お前達には、わからないだろうが、極道の世界ではメンツが大事なのだ。どんなにくだらないことでも、最後までその考えや生き方を貫く、それが私の居た世界だった」

「そんな……」

「それにお前達だって私を倒すためにここまで来たのだろ?」

 乙武の返答を聞いた真理愛はすぐに次の言葉を続けた。

「無駄話はここまでにした方がいいでしょ、空爆の話が本当なら時間がないでしょう」

「そうだ、それに我々にはここから急いで避難を呼びかける時間も余裕もない、しかしもし15分のうちにどちらかが生き残り、尚且つ早く済めばだれか一人でも、避難を呼びかけることができるかもしれない」

「貴方本気で言ってますか?」

その質問に乙武は沈黙で答えた。彼自身もこれは単なる希望論であってしかも、ゼロどころかマイナスと言われても仕方のない希望であった。

「そうでしょうね」

「でも、希望は失ってはいけない」

 乙武はこのような状況の中で希望を口にした。元ヤクザの神父はたとえどんなに悲しいことがあってもその中には希望という目があると信じていたのである。二人はその心理をこの時はまだ理解できなかった。

「それじゃ始めますか」

「ああ、そうだな」

 二人は持っていたライフルのコッキングレバーを引き臨戦態勢に入った。乙武も鞘を捨て、構えだした。町には明かりが煌々とひかり照らし出していた。

「いくぞ」

 翼は低い声を出してさっきの会話とは打って変わって殺意と獰猛さを兼ね備えたオーラを身にまとい乙武を睨みつけた。

「来い」

 三人は互いに武器を向けて最後の戦いに挑んだ。その姿は互いに滅ぼしあう獣の戦いでもあった。二人は持っていたライフルを乙武に向け発射し続けた。乙武はまるで弾丸が見えているかのような動きでかわしていく。そして二人の懐に入れば長ドスで切りかかるが、二人は皮一つでかわしていく。その死力を尽くし戦いは町の消滅というタイムリミットが迫る中で行われる、決闘そのものであった。おたかいに武器の特徴と欠点、互いの長所と短所を把握し、互いの長所をつぶしあい、逆に互いの欠点を集中的に攻撃する。しかし互いに自分のことを知り尽くしていた両者はその短所を卓越した防御技術と読みで防いでいく。その戦いがいつ終わるのであろうか、一五分というタイムリミットで二人は本来は持ち得たくない殺意をむき出しにしながらも、その思いは純真なものであった。

タイムリミットまで十二分、時間にすればたった三分の出来事にもかかわらず、三人の集中力と素早い行動力によって時間は圧縮されて、実際の時間より一五倍の時が進んでいると感じていた。乙武は顔に銃弾のかすり傷と汗で塩を塗りこまれたかのような痛みと戦っていた。一方二人の方は上半身を刀傷でいっぱいにしつつもしぶとく食い下がる。

乙武は腰につけていたガススプレーと手榴弾を組み合わせたような物体を野球のピッチャーがボールを投げるように二人に投げつけた。真理愛は条件反射手にライフルに取り付けていたショットガンでそのガススプレー状の物体に発砲した。その物体は、ショットガンから放たれた散弾の直撃を受けた瞬間に破裂し、中からまるで宇宙誕生によって起きるビックバンを思わせるほどの閃光を発して三人の網膜に焼き付けたのだった。


 とある屋敷の外で年齢が十歳にも満たない二人の子供が涙を流しながら夫婦に駆け寄った。その夫婦は二人の泣きじゃくった顔を見て、何かがあったのだと気が付き二人を抱き寄せた。

「真理愛も翼君もどうしたの、そんなに泣いて」

 女の人はその二人の子供を気遣いながら質問した。彼女は真理愛の母の義理の姉である。二人は世界中を放浪して、久しぶりに故郷に帰ってきたのである。

「伯父さん、僕達、神様なんか大っ嫌いだ」

 翼という少年は涙を流しながら怒りを口にした。

「どうしてだい」

 男は二人に優しく語りかけた。その風貌は世界を放浪して帰ってきたためか服が汚れ、ひげを蓄え髪はぼさぼさであった。

「伯父さんには、わからないけど、あたし達のパパやママは行きたくもない小学校や幼稚園に行かされるの」

その言葉を聞いて二人はため息をついた。

「なんだ、そんなことか」

「私たちだって、そういうことをさせられたわよ」

「それだけじゃないんだよ、毎日神様や仏様に祈らなくちゃいけないし、ちょっとでもルールを破ると叩かれるし、さらにクラスのみんなからいじめられるんだ」

 真理愛はその怒りを伯父たちにぶつけた。伯父はそんな彼らの怒りを黙って聞いていた。そいて少し沈黙した後、口を開いた。

「なら、憎めばいいさ」

 二人の子供は伯父の意外な言葉に思わず「えっ?」という声を上げて、驚きの表情を作った。この時の翼と万梨伯父の言葉はさらに続いた。

「神様なんて、所詮は人々が作り上げた心の偶像さ、その偶像を信じるか信じないかは、人の自由だし、それを止める権利も邪魔する権利もない。だがな、望みもしない神の信仰など、心の折檻でしかない」

 伯父は神々しい口調と表情で二人に自らの持論を展開した。二人はいつの間にか泣くのを忘れて伯父の言葉を聞き入った。

「なんてな、どうやら泣き止んだようだな」

持論の展開した後、飄々とした口調で二人を慰めた。一方の二人は自分の言葉を受け入れてくれたという気持ちでいっぱいで屈指のない笑顔を作ったであった。

「それじゃ、気分直しにツーリングでもするか」

「ツーリング、どこに自転車があるの?」

 真理愛はツーリングをすると聞いて自転車を使ってやるものだと思ったらしい。しかし伯父そんな子供の発想を笑って吹き飛ばした。

「ははは、真理愛、自転車じゃないんだな、これが」

 伯父はそういうと小屋に向かって走り中に入った。しばらくすると中から埃をかぶった古いバイクと一緒に伯父は出てきて、咳をしながら押してきた。

「うっそー、おじさんバイク持ってたの?」

「ああ、久しぶりにエンジンをかけようと思うのだが長いこと乗ってなくてね」

 子供達は明るい笑い声上げながら、伯父さんのバイクを見た。この時の二人はバイクには疎かったが、二人から見てもそのバイクは古いということはすぐに分かった。

「エンジン、かかるの?」

「なーに、埃は被っているが、かかるだろう」

 伯父は気にしたこともないという顔をして、バイクのキックに足を掛けた。

 これが翼と真理愛、そして伯父夫婦が初めて一同に会して、ツーリングに出かけるきっかけとなった、最初の思い出であった。

 戦いの後、そこにあったのは空になった7.92㎜クルツ弾の薬室と刀身の折れた長ドスに全身に数十か所の弾丸を受け、笑みを浮かべ涙を流したまままるで眠るように死んだヤクザ崩れの神父が横たわっていた。その姿を右手に銃を握りしめ、左手にはケースのようなものを持ったまま見下げる二人の男女の姿があった。市街地の方では至る所でパトカーや救急車のサイレンや火災の煙が立ち上り悲鳴のような声が聞こえていた。ふと二人の背後に誰かの気配を感じる。

「翼くん、真理愛ちゃん」

 二人が振り向くと、そこにスィッディークの子供たちが現れた。

「三人とも、どうしてここが」

「リーさんたちがあなたたちの顔色が変わったのが気になって、あなた達の位置情報を調べてくれたの」

 二人はその言葉を聞いて自分の不覚を笑った。今の時代位置情報がわかるなど常識中の常識で、知られたくなければ電源を落とすのが当たりまだというのをすっかり忘れていたのである。

「それで、リーたちは?」

 翼の質問に子供たちは沈黙してしまった。その瞬間二人は事態を察した。彼らは逃走中に追撃を受けてたのだと、そしてその末路についても。

「……そうなの」

 真理愛はただ一言つぶやいた。彼女はただ、下をうつむき、ただ沈黙したまま微動だにしなかった。次男が恐る恐る、彼女の顔を覗き込んでみた。

「泣いてるの、お姉ちゃん?」

次男の一人の質問に思わずハッとした。次男の一言に翼は彼女の顔を見た。彼女の二つの瞼からしずくが流れていた。思わず真理愛は翼の方を見た。彼女の涙目の瞳が大きく成った。翼は無意識に目をこすってみた。すると手には何か液体のような跡がついていた。

二人の流す涙を見て、長女は思わず口走る。

「親を殺すほどの冷酷さを持つあなた達でも、死んだ人のために涙するのね」

 長女の言葉は二人の心をえぐるものではなく、真実を網羅したものでもなかった。自分達でも何が悲しいのかわからなかった。

「いや姉さん、二人の涙は人が死んだ悲しみから来るものじゃない、どんな人間が死んでも、どんなに大切なものを失っても涙できない自分達が情けなくて涙したんだ」

 長男の心理を突いたであろう言葉に最初は何も言い返せなかった。なぜなら自分が人のためになく涙などとうに失われているのだから。でも、そんな自分達であっても、決して涙を流さないわけじゃない。感動する時だって泣くし、玉ねぎを切って目を流すことだってある。彼らが涙を流さないのは、ただ一つ、人の死に対してである。それなのに二人は涙を流した。ただ、神父との結末は予想できたためそれは受け入れていた。それなのに自分達は涙した。最初二人には長男に指摘されるまで理由がわからなかったのである。

「……たぶんそうだろう」

 翼はただ一言そう返した。

「これからどうするの?」

 二人はただ沈黙を保ったままだった。伯父さんの仇をうち、自分の親兄弟を殺しこの町に巣くう、自分から見れば悪の根源の中心部をつぶした今、もう目的は達した。心残りとすれば、三人の身の安全と三つの宗教を使って実験した政府の思惑ぐらいだが、それは自分の感知することではないと考えていた。

「もうすぐここは空爆で地図からも、ネットワークからもなくなる」

「パパの後を追うにはちょうどいいかもね」

 その瞬間二人に新たな目的が生まれた。子供たちの一人の言葉に翼は条件反射手に反論した。

「いや、俺たちは生き残らなくちゃいけない」

 翼は有無を言わさずに二人を見た。俺が死ぬのは構わない、これは俺が起こした罪の一つであって、自分自身がつけなくてはならない一種のけじめだ。それは真理愛も同じだろう。しかしスィッディークの子供たちは違う。彼らは俺や親父さんに巻き込まれて、悲惨な目にあわされたのだ。その三人が死ぬことは、俺も真理愛もそしてスィッディーク自身も望まないに違いない。その考えに達したとき新たなる希望が生まれたのである。

「でも、足はどうするの?」

 次男は徒歩で逃げるには時間がないことを知っていた。なにせこの山の中を歩くのに多少の苦労を要したからである。

「心配ないわ、それは神父が用意してくれた」

真理愛はそういうと丘の草むらに隠されていた塊にライトを当てた。それはCB900とドゥカティのバイクが現れた。そのバイクはまるで新車のように美しく輝いていた。

「これはプレミア物のバイクですね」

「こいつは、伯父さんたちが乗っていたバイクよ」

 真理愛の言葉に子供たちはこの古いバイクのもともとの持ち主を察した。

「まさか、このバイクって?」

「そうだよ、伯父さんたちが事故で死んだときに乗ったバイクだ」

 子供達はやはりかという顔をして納得した。それと同時に疑問もわいたらしく二人に質問した。

「でも、その割にきれいよ?」

「たぶん事故の後、乙武神父は償いの気持ちでレストアしたんだと思う」

 翼の言葉に子供たちは納得した。神父が彼らを呼びつけたのも、ここで戦ったのもすべては贖罪のためだったのだと。おそらく彼らの方でもそのことに気が付いたに違いない。

「神父は優しい方ですね」

「そうだな……」

翼と真理愛はそれぞれにバイクにまたがりエンジンに火をつけた。二つのエンジンは唸り声をあげて、かつての雄叫びを上げた。恐らく事故で主をなくして以来このバイクは抜け殻も同然だったのだろう

「さあ、ここら逃げるぞ」

「まさか、片方は三人で乗るの?」

 子供達は顔を引きつらせて質問する。

「それしかないだろう、それとも一人は歩いていくか?」

 翼の質問に答えることなく三人はバイクに乗った。長男は真理愛の乗るドゥカティの後ろに座り、長女と次男は翼の乗るCB900にサンドイッチのような形で跨った。

「大丈夫なの?」

 長女は何か疑問を持ったらしく真理愛に疑問をぶつけた。

「何が?」

「翼君が乗るバイクは三人じゃない、法的にも性能的にも問題あると思う」

 その質問に翼は即座に答えた。

「こんな非常時に法律なんて気にしてる場合じゃないだろ」

「それもそうだね」

 前者の質問に長女は納得した。今自分たちに必要なのは生き残ることであって法律はどうこう言っている場合じゃない。

「それにベトナムじゃ、カブで5人乗りしているらしいんだ。ましてやこのバイクは古いとはいえだいぶカスタムしているらしいから100馬力は軽く出るはずだ」

「お話はそれくらいにした方がいいわよ」

真理愛の言葉にみんなが耳を傾けていると、不意に彼女の言葉に交じってジェット機の轟音が聞こえてきた。それは旅客機のものとは明らかに違い、空港からも離れているのに低空を飛んでいるようであった。

「いいか、しっかり摑まっていろ」

「うん」

二台のバイクは町から見える煙と阿鼻叫喚の声を背に唸り声をあげて山の中をかけ分けていった。


町の郊外にある道路に二台のバイクは止まった。前方700mから800mに、検問があった。しかしその検問にあたっていたのは警察ではなく、防護服と迷彩を着た人物がライフをぶら下げていた。そして町へ入ろうとする車やバイクを元来た道へ追い返し、逆に町から出ようとする車両には車から降ろされ、テントの中に連れていかれた。そしてその向こうに止めてあったトラックの荷台には三段重ねにされた死体(ボディ)袋(パック)が積み込まれていた。

「誰も逃がさないつもりだな」

「空爆を聞いた時から予想はしてたけど、ここまで厳重に警備しているとはね」

 翼と真理愛はその光景にため息をつき、端末の暗視モードで確認していた。

「どうするつもり」

スィッディークの長女は二人に質問した。素人の彼女にしてみればどうやっても逃げ出せないように見えたのだ。

「強行突破するまでだ」

 二人はアクセルを唸らせ突破のチャンスを伺った。その努力論ともとれる返答に三人は無茶だという顔をしたが二人は特に意を返さなかった。

「そうだ、三人に私損ねたものがあった、俺のポケットを探ってくれ」

 翼の言葉にスィッディークの長男は彼のポケットを探った。そのポケットから出てきたのは三冊の本であった。大きさからして岩波文庫らしい。

「この本は?」

 暗闇で見えなかった長男は何の本か尋ねた。

「それは、日本語に訳されたコーランだ」

 その返答に子供達は一瞬目が飛び出そうになった。彼がコーランを持っていたことも驚きだが、コーランが日本語に訳されて販売されていたことも寝耳に水であった。

「日本にもコーランがあったの?」

「ああ、イスラム教の研究者たちがアラビア語を日本語に訳していたんだ」

 翼は感傷的に答えた。

「本当なら、再会の後に渡すつもりだったんだ」

 その言葉に三人は察した。自分の父親がやること見抜いていたが、あの状態で阻止すれば疑われるし、自分たちの命も危機に陥るとわかっていたのである。そして自分たちを助け出した後、謝罪として渡すはずだったのである。しかしその計画も予期せぬ悲劇(アクシデント)によって渡せなかったのだ。

「そうだったの……」

 長女はそれ以上言葉を続けることができなかった。

「真理愛、空爆までの時間は?」

「あと二分半よ」

 真理愛は端末の時間を確認して空爆までの脱出時間を計算した。

「いいか、ロトの妻みたいになりたくなかったら絶対に後ろを振り向くな」

 翼は今まで嫌っていた旧約聖書のソドムとゴモラを引用して四人に言い聞かせた。神を信じる三人のためにわかりやすくたとえたものであった。もし少しでも振り返りでもしたらそこで終わり。彼らの目は目の前の道を分断する壁に視線を向けた。

「わかった」

「よし、行くぞ、みんなしっかり摑まってろ」

 翼はそういうと二台のバイクは轟音とどろかせた後、クラッチをローに入れスタートさせた。タイヤは白煙を上げスリップしたかと思うと、凄まじい勢いで走り出した。二台のバイクは全力で検問に突入していく。一方、検問をしていた隊員たちは笛とライトを振って警告するが二台は止まらない。兵士たちは威嚇のためにライフルを発車しようとした。その時バイクの後に閃光が走り、巨大な光の球と巨大な土埃が迫ってきた。検問にあたっていた全員はその場で目を抑え低く身構えた。一方二台のバイクは後ろを振り返らず、立ち止まらず、ただ真直ぐに走り続けた。その姿はソドムとゴモラか逃げるロトの一族を彷彿とさせる光景であった。二台は装甲車とバリケードで作られた壁の隙間を抜けて走り抜ける。それから一五秒もの沈黙ののち、バリケードを守る隊員たちに強烈な爆風と砂埃が襲い掛かり隊員たちを巻き込んだ。

 一方ゼロどころかマイナスともいわれても仕方がないと思われたバリケードの壁を突破した、二台のバイクは二、三人乗せているとは想像できないほどの加速とスピードだし爆風を切り抜けんと駆ける。それはまるで音速の壁を突破するかと思えるほどの勢いであったが、その後方からやってくる土埃と熱が混ざり合った巨大な空気の壁が、彼らの走るバイクの何倍ものスピードで辺りの建物や畑木々を巻き込み、彼らを吸収しようと迫る。

「だめだ、追いつかれる!」

「あきらめちゃダメ」

「このまま突き進むぞ、絶対振り向くな!」

二台のバイクからそのような怒号と悲鳴がまじりあい、その声をエンジンが焼けるような音を出しながらバイクが悲鳴を上げる。しかしそんな彼らの努力と思いとは裏腹に爆風は容赦なく、執念深く迫っていった。

 やがて、土埃は消え辺りが見えるようになると隊員たちは体を起こした。彼らはその爆風が襲ってきた方向を見ると、そこには巨大なキノコ雲が火の玉に照らされて上空に舞い上がっていた。それは水に絵の具を垂らしてその絵の具が広がっていくような光景であった。

この日、かつて国家に大きな影響力を持つほどにまで金と権力の中心地であったZ市は巨大な光の球の発生とともに地図からも歴史からも抹殺された。


EPILOGUE


『……Z市で起きました、爆発でIAEAは純粋水爆による空爆が濃厚となったとして、国際司法裁判所による訴えを起こし……。』

 アフリカと中東の境目に接する村のとある家で、今では珍しいトランジスタラジオのスピーカーからニュースが流れていた。子供達は家の中でお菓子をかじりながらラジオを聞いていた。本来なら断食の時期にもかかわらず、母親がせがむ子供にお菓子を与えたらしい。

「お母さん、もっとお菓子が欲しい」

「ちょっと待ってなさい、今外の様子を覗いてくるから」

 母親はそういうと窓を覗き込み様子を伺った。

一方、ラジオで流されているニュースは連日同じようなものばかり流れていた。ニュースで流されているZ市で起きた爆発を政府は弾薬庫の爆発であると、公式発表したが生存者の多くは爆発の直前ジェット機の轟音が聞こえたと証言した。政府はその事実を認めようとはしなかった。しかし偶然撮影された映像の中に軍用機の機影が写っていたことで、世界中で批判が集中、国内外で日本政府に対す抗議活動が巻き起こった。その一方で政府の計画していた、宗教統制に関する記事は控えめに報道され大々的に報じられることはなかった。その一方この記事に着目した各国政府や宗教団体などはこの技術に着目し始め、各国がその技術を取り入れようと躍起になっている、とニュースは語っていた。その多くは宗教問題で頭を悩める国々ばかりであった。

『次のニュースです、同じく日本で起きました、ジャパニーズマフィア幹部殺害事件で、日本の警察は先週起きました、科学研究所爆破事件を起こした犯人と同一犯とみて……。』

次のラジオのニュースが流れ始めた時、女の人が血相を変えてラジオのスイッチを切った。彼女はカーテンを閉め、家の鍵をして子供たちを呼んだ。

「みんな隠れてなさい」

 母親の慌てた子に子供の顔に疑問符が浮き出ていた。

「ママ、どうしたの」

「奴らが来たわ」

 女の人が子供抱き寄せて地下に隠そうとしたとき、突如、AKを持った黒人の男がドアをけ破り家に押し入った。女の人と子供たちは互いに抱き寄せて体を震わせた。

「この女、アッラーの教えに背いたな」

 男は女に対する侮蔑的な視線で親子を見合った。

「いや、やめてこの子だけは何もしないで」

「いいから、外に出ろ」

 男は銃を突きつけ、女を子供たちのもとから無理やり引きはがし連れ出し始めた。子供は男に「お母さんを放せ」と掴みかかったが非力な子供に男はAKの銃底で殴りつけて倒した後、子供の腹を蹴飛ばした。女は思わず駆け寄ったが男は女の髪を掴み無理やり外へ連れ出した。

 町の広場では多く人々が後ろ手に縛られたまま座らされていた。その周りを中国製の重火器を持った男たちが彼らを逃がさないよう見張っていた。

「この者たちは、我らの神、アッラーの教えに背いた。よって男たちは銃殺、女子供は奴隷として売り渡す」

拡声器を持った男たち声に周辺にいた人々はただ成す術もなく立ちすくんでいた。この国は内戦が続き多くの武装勢力が群雄割拠してこの国の政権を狙わんと争っていた。その中で台頭してきたのは、この国の多くが信仰していたイスラムを標榜する武装勢力だった。だが彼らほかの非イスラムの人々を弾圧し始め、挙句の果てにはイスラムで禁止されているはずの奴隷にまで手を出すようになったのであった。人々は当然反発したが武装勢力は実効支配をしていた町を見せしめとして弾圧した。この町も御多分に漏れず女子供を見つけ出して、羊の生け贄として集めたのである。

 男の拡声器が広場中に響き渡り見せしめ裁判ごっこをしていた。

「誰か、ここに異議のある者はいるか」

 誰も手を上げなかった。あげれば殺されるのを誰もが知っていたからである。誰もが沈黙をしていた時、ひとりのフードを被った男が声を上げた。

「異議あり」

 その返事に多くの人々の間でどよめきが起きた。この状況下で異議を申しつけるなど異常としか言いようがない。その男はボロボロのフードを被り拡声器を持った男に対しまるでイスラムとって浮上の生き物とされている豚を見るような目で近づいてきた。

「誰だ、貴様は?」

「貴様らはイスラムの面をかぶった外道どもの集まりだ。薄汚い豚にも劣る」

 その言葉に男は顔を真っ赤にしてその男を睨みつけた。

「貴様、アッラーを崇拝するわれらを侮辱するか」

 周りを見張っていた男たちも、すぐさまその東洋人に銃口を向けた。周りの人間はこの男は馬鹿かと思ったかに違いない。この状況での剛直な批判は死に値する大罪である。その状況でフォローしようがない。住民たちはこの東洋人の最後が目に見えた。

「アッラーを侮辱しているのは貴様らだ」

その東洋人は殺意と憎悪に満ちた声で言い返した。男は最初気が狂ったかと一瞬油断し、銃を上に向けた。その秒単位の隙を見せたことは彼にとって生死を分ける行動になった。突然その東洋人は被っていたフードを使い、男の持っていた銃と視界を封じ、隠し持っていたアーミーナイフで男の顔面を突き刺した。男はあまりの激痛に悲鳴を上げた。当然誰もが騒然となった。誰もがその東洋人が行った殺しにあっけにとられていた。しかし彼らそれと同じくらいに驚いたのは別にあった。その凶行を行ったのはどう見ても重大にしか見えない少年であった。この華奢な人物が今自分たちが見ている凶行をおこなっていることが現実とは思えなかった。

「う、撃て」

その凶行を見ていた武装勢力の一人がすぐに我に返り、彼を殺すよう指示する。だが、支持された一人が反応せずそのまま立ちすくんでいた。

「おい、何してる、さっさと撃ち……」

 武装勢力の男が言いかけた時、周りにいた男たちがバタバタと倒れ始めるかもがき苦しみだした。人々はいったい何が起きたのか混乱の極みにあった。一方拡声器を持った男を殺害した少年は自分を撃てと命じた男に照準を定めた。男はそれに恐怖おののき、慌てて銃の安全装置のロックを外そうとするが、手が震えて外せない。その間に少年はナイフを持ってやってくる。

「ひい、く、くるなあ」

 男は銃を投げつけようとしたがその前に後ろから喉元を切り裂かれた。男は首を押えそのまま倒れ込む。男の喉元を切り裂いたと思われる人物は少年と同じ東洋人の女性であった。その姿は返り血で悪魔のような姿を感じていた。

「ありがとう、真理愛」

「手をわずらせないでよ、翼」

 その男女は互いに不満やお礼を言っているらしいことはわかっていたが、なっていっているかはわからなかった。言葉がから察するに日本人らしいことはわかった。

 ふと人混みの中から子供が駆け寄ってきた。それはさっき男に殴られ母親を連れ去られた子供であった。

「ママ、ママー」

子供は母親の顔を確認し駆け寄った。母親も子供を抱き寄せて再会を喜んだ。

「無事だったかい」

「うん、あのお兄ちゃん達が助けてくれたの」

 子供は二人の男女の方を指さした。そのボロボロの服の上にフードを被った男女の顔は再会を喜ぶ子どもとは裏腹にどこか悲しげであった。二人はその姿を確認すると静かに歩いて行った。人々はその二人に畏怖と敬意が混在し、二人の歩く方向に合わせて、まるでモーゼの十戒のようにその道を彼らに譲った。

「あの……、どこの誰だか知りませんが、助けてもらってありがとうございます」

 母親はお礼を言うと二人の男女は一度立ちどまり振り向いた。その顔と目は驚きとの顔であったが、すぐに元に戻りそのまま歩いて行った。道沿いには武装勢力の人間が苦痛と恐怖で固まっていた。その中の群衆の中の一人が口にした。

「聞いたことがある、最近宗教テロや戦争を行う人間を謎の力で殺す五人の男女がいると、奴らは神を標榜して殺戮を正当化する人間をまるで神の罰ともつかない力で殺していくらしい」

 人々はその一人の言葉にどよめきが起きた。そんな神の力にも等しい人間が現れると聞いたことがあったが、まさか実在するとは。彼は髪が使わせたものなのかと口々に噂した。

 そんなどよめきの中助けられた子供が手を振った。

「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」

 子供のお礼の言葉をよそに一組の男女は再び放浪の旅に出て行った。二人の目の前には砂漠の迷彩で塗られた自動車が、三人の男女を載せて止まっていた。

その寂しい後姿を見て多くの人が彼らは神に罰せられ、罰として放浪しているのだ。神の許しが来るその日まで未来永劫、彷徨い続けるのかもしれないと思わずにはいられなかった。

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赫奕たるユダ @bigboss3

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