第55話 鏡の創造主

 青年のアシムはサタそれにスタナと共に中型獣を狩っている最中であった。村の衆が大声で罠へと誘導すると、五頭の犬が追い込みをかけた所で狩人であるこの三人が仕留めるのだ。


 この日も無事に狩りを終えれば、木陰で槍の手入れを始めた矢先である。アシムの目の前は突如として真っ白に光り一瞬意識が遠のいていた。


 近くに雷が落ちたのかと思い見渡すも快晴である。周囲には何事も無く、サタとスタナにも変化はない、気のせいだろうと思い深呼吸を試みれば、アシムは今までに経験が無い程に息を深く吐き、今度はじれったくなる程にゆっくり吸い込んだのである。


 意識せずとも勝手に妙な呼吸をしているのだが、それを繰り返すほどに、見た事も無い筈の記憶が脳内に広がっていくのである。


 聞いた事も無い言葉だが内容が理解出来るし、見た事も無い人々と交流し、木で造った立派な住まいがあった。火は簡単に使えて水は汲みにいかなくても地に掘った穴の中から手に入る。食べ物も豊富なばかりか、人々は見た事も無いものを身に纏っているのだが、それが着物という名である事を知っている。


「アァァ……、……」

「ア? アシム、ダウシタ? オソロシカ?」


 アシムと千弦の記憶が交錯しながらも、やがて未知なる記憶が鮮明と成り始めたのである。


「ソウ……だ、ワシハせんゲん……ダイやくサイをおさめ……こ処に、そうか儂はアシムとして此処に生まれ変わったのか……しかし、先の世ではなく、何故遠き過去へ?」

「ア? ダウシタ?」

「あぁ、大事ない今全てを思い出した」

「アシム?」


 すべては神々の意図に間違いはない。ならば、この地は鏡の発祥である可能性が高いのだ。アシムと言う名の千弦は周囲を眺め、此処が何処なのか見極めようと立ち上がった。


 噴煙を上げる山々の姿形は違うが、その配置から此処が信濃の地であり、上郷の近くであると確信していた。サタの肩を叩き、心配ないと伝えれば、上郷の地を目指し歩き始めた。


 気候は温暖である、しかも五千年前の世では植生もかなり違っていた。あの勾玉に使われていた紐はムエという名の蔓である、この時代では当たり前のように生えていたものであった。


 一時半(三時間)程歩き上郷と思われる地まで来れば、鏡は探さずとも千弦の目に映っていた。


ブゥゥゥン……シュルシュル……シュルル……


 低い音が響き空気を振動させながら、大きな何かが浮いているのである。近づき見てみれば、その何かの下には既に鏡の穴が掘られていたのであった。


「間違いなく此処が鏡……では大きなこの存在が神々の御姿か?」


 神々に違いないその存在は楕円形をしており、一町(百十メートル)を優に超える大きさであった。姿は滑らかで美しくまるで鏡のように周囲の景色をそこに映していたのである。


 程なくして、神々の一部に変色が見られれば、その中へと入る様に神々が直接脳へ語り掛けてきたのである。


 事の全てが神々の意図であるのなら恐れる事は何も無い、一歩踏み出せば神々は地へと降り、その中へ千弦を迎え入れたのである。


 何もない空間であったが、間もなく天には空が見えれば壁と表現すべきそこには周囲の景色が見え、さらには床さえ透けて地面が見えた。解り易く言うのなら、神々の内部に入った筈が外に居るような感覚なのだ。


 一瞬外ではないのかと千弦も考えたのだが、風を全く感じられないから神々の内部には間違いがない。ならば見えている景色とは幻影なのだろうか。


 宙に浮くと知らされれば、あっという間に地上から離れた、腰が抜けるほどに驚き、その恐怖に眩暈さえしたのは仕方も無い。感覚的には千弦自身が生身で天高く飛んだような感覚なのだ。


 しかし、少ししてそれに慣れれば、景色を見る余裕も出来たのである。眼下にはサタ達が見えていたが、更に上昇を続ければ日の本の全体像が見え、やがては広大なる海と異国の地さえも見えていた。


「これは驚いた……」


 更に上昇すれば想像と違い周囲の景色が暗くなり、やがては青々とした球体が眼下にあった。人々が生きるこの世は球体であり、しかも宙に浮いている事を知れば、その驚きは言葉にもならなかった。


 暗闇の空間にはいくつもの球体が浮いており、夜空に見える星々がそれである事を知れば、神々が脳へと語り掛けた。


 この暗闇の空間には、数え切れないほどの球体が存在すると言う、その中には生物が存在しないものもあれば、この青々とした球体のように多くの生物が住む球体も数多くある様だ。神々はこの広大な空間を想像を超える速度で移動し、日の本へとやって来たようだ。つまり今千弦が居るこの大きな存在は神々ではなく、神々の移動手段であったのだ。


「我々で言うと、船や馬と言ったところか……、……しかし、何故神々は儂にこれをみせたのか……」


 千弦の問いに答える様に、足元に日の本が迫れば、それは黄金の光に輝いていた。


「これが精霊か……なんと言う美しさ……」


 この広大な空間に存在するすべての生命の誕生には、精霊が深く関わりを持つと言う、しかし現在において精霊を宿した球体は一つとなってしまい、この青々とした我々の住む日の本だけだと言う。


 やがて、日の本から光りが溢れ球体全体を包み、さらには球体から溢れ出た光はこの広大な暗闇へと広がっていった。


「日の本から溢れたこの光が、他の球体にも生命力を与えているのか……」


 超古代には多くの球体に精霊は存在したようだ、しかし大厄災と同様にそれらは邪神によって滅ぼされたしまったらしい。


 故に神々は危機感を持って邪神を調べつくし、対策を練った上で気が遠くなるほどに遠く離れた日の本へとやって来たと言う。


「そもそも邪神は何故存在するのか……」


 表があれば裏が存在する、生命を生む精霊が表であれば、死を生む邪神が裏となる。故に精霊が存在する地には必ず裏となる邪神が存在する事となる様だ。


 邪神は今、遠江の海底深くに埋もれているのだが、千弦が知っての通り、遠い先の世に起こる大地震によって地上へと現れ、この世を死に追い込もうとする、それを阻止しなければ、この広大なる空間の均衡は崩れこの世は消えてなくなると言う。


「しかし遠い先の世まで待たずとも、今のうちに邪神を討つ事は不可能なのだろうか」


 邪神を討つには自然発生を待たなければならない、そして並外れた霊力を持つ人間が必須となる、神々はそれを考慮した上で最善となる策をとったようだ、それがこの鏡であったのだ。

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