第54話 古からの手紙

 兵所へと戻れば大歓声で迎えられていた。兵長の高岡甚五郎は鏡の全員へ礼を述べると、十分に身体を休めた後の食事を勧めてきたが、道忠はそれを丁重に断っていた。


「休まれる事無くお発ちに?」

「はい、二人の亡骸を一刻も早く鏡へと連れて帰りたいので」


 大地震に津波、そして死人との死闘と大事が三つも続いた直後である、事後処理もままならない今、客人をもてなしている暇などあろう訳も無い。ならば、一刻も早く立ち去るだけである。


「左様ですか」


 陸路を行くと伝えれば、道忠の気遣いに気付いた甚五郎は、必要な数の馬と荷馬車を用意してくれたのであった。徳蔵と千弦の遺体を乗せ礼を言えば、大勢に見送られ兵所を発ったところである。


 道忠が言うに、遠江と信濃を結ぶこの古道は歴史がかなり古いらしく、東山道の比ではないらしい。


「そんな大昔から、塩を運んでいただか?」

「ええ、人が生きて行くに塩は欠かせませんから、重要な道だったのです」


 信濃には北と南の二つの塩道が存在する。南の道はこの古道がそれにあたり、塩以外にも黒曜石や魚貝等も運ばれたようだ。一方、北海へ通じる街道もあり、南と同様に塩以外にも魚貝や糸魚川で採掘される翡翠などが運ばれたようだ。


「信濃からも何か運んだのですか?」

「はい、豊富なる木材を主に山の恵みなどを」

「なるほど」


 守り人達が不気味と無口である事に疑問を抱いているようで、しきりに後ろを着いて来る守り人達を気にしていた。


「紅月夜の反動故、激痛に耐えているところに。心配せずとも間もなく治まるかと」

「なるほど、そうでしたか」

「そうは言うけど、小平太様……痛え……」

「あぁ、三粒は流石に厳しいな……」

「馬は有難いが振動が……うっ……」

「ほれ、意気地ないと徳さんが笑っておるぞ」

「……違いない……」


 一行は副作用に悩まされながらも、帰路を急げば翌日の朝には大集落へと辿り着いたのである。


 十数頭に及ぶ馬の嘶きや足音に人々が集まれば、大歓声で迎えられたのであった。しかしその先頭に千弦の姿が無い事に気付けば周囲はざわめきだったのである。


「皆、聞きたい事は其々あると思うが、先ずは大厄災を治めてくれた礼を!」


 藤十郎がそう言って人々を落ち着かせれば屈託のない笑顔を見せ、小平太にすず、それに鏡の皆を出迎えたのである。


「皆、ご苦労であった、おすずちゃんも良く頑張ったな」

「千弦様は、邪神と刺し違える事が使命であった。あと、徳さんはすずを守りきってこの世を去った、誉であったろう」

「何? 徳さんも戦場に?」

「あぁ、徳さんは元は幻、最後の一人とは徳さんの事だった」

「なんと……」


 驚きながらも、心配そうにすずを見ていた。


「徳蔵さんおっかねえ程強かっただで……おら死なねえで最後までやり切れただよ……」

「そうか……おすずちゃんを助けてくれたのか……」


 悲しそうなすずを見ていれば仙吉がすずの頭を優しく撫でたのである。


「おすずちゃん、親父様はあっちで、母や長男の風太、それにきぬと楽しくやっているよ、悲しい事は無い」

「んだか……皆と楽しくやれるなら良かっただよ」

「あぁ、そうだな」


 程なくして鏡の社殿へと行き、時貞へ報告を終えれば、鏡の墓所となる地へ千弦と徳蔵の亡骸を埋葬した。


「犠牲はあったが、皆良くぞ大厄災を治めてくれた。礼を言うぞ」


 それは岡本彦左衛門であった、鏡の皆が帰って来たと聞き、社殿へと駆けつけたようだ。


「有難きお言葉」


 彦左衛門は大きく頷けば、その目にすずを捉えていた。


「すずよ、その小さな身体で良くぞ頑張ったな、大変だったであろう……それに藤十郎から聞いたが、徳蔵の死、誠残念であったな」


「うっ……」


 彦左衛門がその場にすずを抱きしめ懐に抱き込めば、最初驚いて手足をバタバタさせていたものの、彦左衛門の身に沁みる言葉に感情が抑えられなくなったのだろう、声を出し泣きだしたのである。


 今日に至るまでの全ての出来事が、一気に頭の中を駆け巡っているのだろう、すずの歳で経験するにはあまりにも壮絶な出来事に違いないのだ。


「これよりは、この地で安泰に暮らすが良い」

「有難いだでございます……だどもおら……お殿様の着物汚しただ……、……どうすんだでこれ……」

「良い良い、気にするな」


 彦左衛門の上等な着物の襟もとはすずの涙と鼻水で光っていた。


「では、これより剣を祭壇に戻して参ります。守り人の皆様も、岡本様も良かったら」

「儂も良いのか?」

「はい、見て頂く様父に言われておりました」

「左様か……では参ろう」


 森に足を踏み入れるのが始めての者達は、進む程に違和感を感じていた、圧する力が強まれば、間もなむ眼下の大穴に言葉を失うばかりである。


「これは……」

「はい。こちらが、神々池にございます」

「……なんと……これがそうだったのか……」


 道忠は剣を腰帯に結わくと、すずから勾玉を預かり柄へと括り着けていた。程なくして縄梯子を下りれば、祭壇を目の前に深呼吸をしていた。


 古文書の指示通り、剣を戻せば全てが終わるのだ、剣を手に千弦の精霊が宿っている剣を見ればその最後を思い出していた。


「父上……これにて全てが終わります……」


 祭壇にある挿し口へと剣を差し込めば、二呼吸程で大きな地鳴りが聞こえてきたのであった。


ゴゴゴゴゴゴゴ……ジジジ……ジジっ……、……ズォォォォン! ズォォォォン! 


「道忠様!」

「だ、大丈夫です!」


 少しして音が止むと、剣が発光しやがて祭壇は七色に光ったのだが、同時に端から砂と化していったのであった。 


「だ……千弦様の精霊さ消えただ……」

「何?」

「消えてなくなっただで」


 それは祭壇から始まり、やがては剣も勾玉も砂と化していったのであった。


「……これは一体……」


 砂と化してしまったそれらを手にすれば、砂鉄のような触感である、しかし道忠が疑問に思ったのは、それでは無かった。砂の中心部には皮の巻物が頭を出しているのだ。


 手にしてみれば、何か記した物に違いないのだが、違和感しかない。


「鹿皮に違いないが……」


 祭壇は五千年も前のものである。そこから出てきたと言うのに、鹿皮には年季を感じないし、墨に使ったと思われる松脂の匂いが漂っているのだ。言わば、それはつい今、書かれそこに置かれたかのような状態なのだ。


「道忠様! 何かございましたか?」

「なにぶん意味不明なるものが出て参りました……他には何もなさそうなので上に戻ります」

「承知」


 皆の元へ戻った道忠は懐より巻物を取り出せば、それを皆に見せていた。


「祭壇が砂と化した時に中からこれが」

「鹿皮……そう古くも無いし、松脂の匂いもこれ程に強いとは……」

「祭壇やその周囲には何もありませんでした、それに砂と化した祭壇の中から出てきたことは間違いありません」

「では、中身を確認致しましょう」

「はい」


 勾玉の紐と同じ植物の蔓で巻き結んであったから、古の物には間違いない。結びを解き広げれば、一同は動揺しつつも凝視していた。


「これなるは……一体……」

「やはり、今の世の文字を……しかし何故……」

「やはりとは? もしやこれ以外にも?」

「粘土板に彫られた古文書も今の世の文字だったのです」

「なんと!」


 古文書が今の世の文字であったことを知り、小平太達以外の皆は驚愕していた。


「……、……これは……もしや……」

「何か解った事でも?」

「……筆の質が酷過ぎて、一見では判りませんでしたが……間違いなく父の筆跡にございます」

「なんと!」


 煤を松脂で固め作った墨を、酷く質の悪い筆を使い書いたものに違いないが、その筆跡が千弦のものに間違いないと言う。道忠は興奮した面持ちで文面全体を把握しようとしていた。


「皆さんのお名前と感謝が、おすずちゃんへの労いも……私にも言葉が……、……鏡の謎も解けたと……、……大沢の呼吸も……全て……」


「一体どういう事だ……」

「此処では薄暗いので、社殿へと戻りましょう」

「承知」

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