第31話 忍びの武術

 湯屋へと戻れば、皆がすずの父親を温かく迎え入れていた。これまで大人に混じり懸命に働いて来たすずだが、こうして父親と居れば未だ甘えていても、何らおかしくない子供に違いない。


 荷物を湯屋に置けば、そのまま社へと向かった。


「突然の事にさぞや驚かれた事でしょう、良くぞ御決心下さった。すず殿も父御が居れば心強い」

「孫兵衛だで、よろしくお願いしますだ」


 社の警護に数名の兵が居る事で孫兵衛は身構えているようだが、その兵とすずが気軽に話をしている事で少しは安心した様子である。


「小平太殿、孫兵衛さんに説明は?」

「まだ何も」

「うむ」


 千弦は柔らかな表情のままで、固唾を飲み構える孫兵衛を見つめると、同じく柔らかな口調で今日に至った事の経緯を語った。


「だ、だ、だ、とんでもねえ……ほんとだでか?」

「いかにも」

「おとうたまげてるだな」

「無理も無い」

「孫兵衛さんも聞いただけでは、信じられまい。ならばすず殿の力をその目に確かめて頂こう」

「んだな、それが早いだよ」


 社殿より剣を手に戻ると、剣先をすずの前へと差し出した。間もなくすずの指先が光れば剣が光りを帯び、刀身の模様が緑色に光った。


 千弦の身体からは闘気に似た滾りが弾ければ、孫兵衛は驚き地面へと尻をついたのであった。


「な! な! 何だで!」

「すず殿の力を得た剣で精霊を呼び戻し、邪神を根絶させることがこの世を救う唯一の策」

「とんでもねえ……すずにそっただ力さあっただか……確かに生まれつき普通の人には見えねえものさ見えてた見てえだが……まさか、この世を救うだなんて……」


 小平太や守り人の皆の使命も説明すれば、孫兵衛は目を白黒させるばかりである。理解が追い付かないのだろう。


「意図せずとも、運命が我らを引き寄せたのだろう」

「これらは間違いなく神々の采配、日の本を救うに必要な巡り合わせをしてくれたのだよ」

「おら夢さ見てる見てえだ……」


 鹿肉を炭火で香ばしく焼き上げれば、刻んだ大葉と味噌を薬味とする。良質な赤身は守り人達の血肉をつくるのに重要となり、味噌の栄養と大葉の爽やかさが食を進めるのに役に立つ。

 

 膳には他にも、にらの汁に麦飯、山菜の塩漬けときゅうりの味噌和え、それと豆の茹で溢しが並んだ。


 水沢では長老の家でも見た事も無い程の御馳走である。しかもそれらの料理をすずが中心となり作ったと言うのだから驚くのも当然である。


「だ……だ……とんでもねえ……すずが、すずでねえ……どうなってんだ?」

「努力の証だよ、大人に混じって毎日頑張ったんだ」


 大台所で追加の肉を焼いていたすずの誇らしげな笑顔は眩しいほどであった。


 二日の後、彦左衛門の屋敷へと招かれた小平太達は、前庭にて片膝をついていた。間もなく彦左衛門と千弦が姿を現せば、藤十郎の指示のもと、薙刀と打刀がその場に運び込まれた。


「大厄災を治めるに必要となる武器がようやく届いた故、手に取り扱いの程を確かめて頂きたい」


 見れば安物の数打ちとは違い、実戦向きの高価な物である。其々が刀を腰に差し、抜いて具合の程を確かめれば、名品に間違いはない。次いで薙刀も試せば皆は頷いて、必要に充分である事を伝えた。


 守り人が戦う相手は武器、武具を有した数多くの兵である。ならば槍を持った相手の首を落すには薙刀の間合いが都合が良い、打刀は予備武器として用意してくれたようだ。


「これ程の品々、用意頂くとは有難き事」

「すべてはこの世の為、存分にお使い頂きたい」

「では皆、大沢流武術を」

「承知」


 其々が距離をとり、薙刀を構えれば恐ろしく素早い動きで薙刀を扱って見せたのである。


「なんと! これは驚いた!」

「凄いな……、……」

「なんと見事な……」


 彦左衛門も千弦も藤十郎も、その場にいた武人たちも、薙刀を素振る守り人達の動きに驚愕していた。一振りが力強い武人の技と違い、身軽で動きが早く刃道が恐ろしく美しい、しかも長物を扱っているとは思えない身体の動きに唯々見とれていた。


「これは驚いたな……」

「未だ、握った早々にて自分の物に出来ていない、扱い慣れれば更に驚く事となりましょう」


 予備武器となる打刀の扱いにおいても、その素早さと美しさに閉口していた。剣術を相当に磨いた者でさえ足元にも及ばぬ有様なのだ。


「一体どのような鍛錬をされてきたのか……」


「想像を遥かに超えたものかと……信じられん……」


 当然佐助とかすみにはその能力は無い、故に初めて見るその素早さと実践的な身体の熟しに唖然とするばかりであった。


「おいおい、すげえぞ……」

「やっぱり、とんでもない人たちだったんだね……」

「頑張って、追いつかねえとな」

「うん」


 二人に関しては、これより徹底して鍛錬させるのだが、短期間で習得しようとしてもそれには無理がある。これらの武術は幼少の頃より死ぬほど励み会得した技なのだ、形だけ覚えて実戦に向かえば必ずや命を無駄にすることとなる。


 ならば、この二人には後方にて千弦親子とすずの警護に専念して貰う方が理にかなっている。


 武器を手に実践的な鍛錬が続けば間もなく本格的な秋となった。大集落では連日収穫に追われて大忙しである。すずと孫兵衛も目が回る程に働いていた。やがて湯屋の食料庫も満たされて行けば。漬物を仕込む季節となった。


「今日もいい天気だで、お日様さ入れるだよ……だぁぁ、お山がきれいだな! 皆もおはようさんだで」


 大台所の戸を開けたところで、守り人の皆も其々に動き始めた。水を汲みにいく者、野菜を獲りにいく者なの役割があるのだ。


「どれ湯さ沸かすだ……へぇっ……へぇぇっ……へぇっ……へっぐしゅ! ぶっは! げほっ! げほっ! ……朝からとんでもねえ……」


 火を起こす為、種火を吹き盛大に灰を被ったところで漁師の五作が顔をのぞかせた。


「おすずちゃん居んのか? おや、何処かへ出かけたか?」

「だぁ、此処に居るだよ。いま目が合ったで見えてるはずだ」

「おや、おすずちゃんだったか、てっきり灰の化身かと思ったよ。朝から流石だな」

「……とんでもねえ」

「ほら、今朝は蜆がたくさん獲れたんだ、朝の汁に使ってな」

「だぁぁ、ありがてえだな、いつも済まねえだよ五作さん」

「良いんだよ。おすずちゃんと会うとこうして元気が貰えんだ。さて今日も頑張るか」

「……何だで……褒められてねえ気がするだな……」


 本来の教えでは任務遂行の為なら命は惜しまず。と言うものであったが、小平太は今回、任務遂行の為に死なぬ事を明言した。故に過酷な訓練は死なない為のものである。


「皆良いな、死なぬために今一度基礎からやり直す」

「承知!」


 大沢に伝わる呼吸法で以て身体の隅々まで活性化させると、体幹を養い身体の可動域が広がる。無駄な力は必要なく一瞬にして最大の力を発生させる事が可能となる。故に基礎となるこの呼吸法を磨く事で体術はより進化するのだ。


 仙吉に仁平、それに山人は理想的に仕上がって来ていた、大沢の郷であれば間違いなく幻と成れる程にである。故にこの三人の素早さについて行く事は他の者にとって至難の業となる。良い手本であり、目標となれば、大厄災までには驚く程に成長しているに違いない。


 その頃すずは孫兵衛と共に漬物の仕込みに没頭していた。数日掛けて干した大根を大きな樽に並べては塩を振り、柿の皮を足しながら重ねていくのだ。


「塩が足らねえだな」

「んだか、おら大集落さ行って分けて貰ってくるだ」

「すまねえな、おとう助かるだよ」

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