第21話 旅の子供

 峠を越え上野国へと入れば、目指す故郷までもう僅かとなる。安中より高崎、そして最後の宿坊である桐生を発てば、やがて見慣れた景色が広がった。


「もうすぐだ」

「おっかねえ程遠かっただな……あ! あの山!」

「水沢の山と似ているだろ」

「そっくりだよ」


 こうして故郷となる平山を遠くから見ていれば、遠い昔の事を思い出す事となった。下野の大沢が故郷としている小平太だが、実際の故郷は此処よりさらに東となる常陸国は筑波山の麓にある小さな村であった。二つの頂が連なるその山姿は美しく小平太の記憶にも深く刻まれている。


 しかし、長閑で美しい故郷であったとしても、食うに困ればそこに生きてゆく事は難しい。小平太の新たな故郷が下野の大沢となったのは、慢性的な飢饉の最中であった。五男三女の末っ子で小平太が六つになった年の事である。


「今年もこんなんじゃあ、いよいよ食っていけねえな……」


 これから育つはずの稲や野菜が日照りでやられ、凡そ七割が枯れてしまったのだ。


「どうすんだおとう」

「ほんとに困ったな……」


 父親の困り果てた表情に次男の竹が決意を決めたようだ。


「おとう、おれらの食い扶ち減れば何とかやっていけんでねえか」


 この家は何れ長男の留蔵が継ぐ事となる、ならばいずれ自分たちはこの家を出なければならないのだ、竹は以前からそのことを弟たちに言い聞かせていたから、小平太にはあまり驚きと言うものは無かった。


「何言ってんだ?」

「俺と彦治に弥介、それに小平太が家を出る」

「家出てどうすんだ?」

「古賀ってところに行けば子供にだって仕事があんだって聞いたんだ、弟たちは三人ともすげえ身体能力持ってんだ、心配いんめえよ」


 竹は弟たちが、自分や長男とは違い何か特別な力があるのだと常日頃言っていた、故にこれを機会に寂れた農村から連れ出したかったのかもしれない。


「他人のいう事なんて、まともに聞いてんでねえ! おめえらなんか、あっという間におっ死んじまうに違いねえんだ!」


 決して父親が不甲斐ない訳ではない、父親は大の働き者であったし、子煩悩でもあった。長引く日照りと戦がこの家を不幸に陥れたのだ。


「んじゃ、この先どうやって食ってくんだよ、このままじゃ皆死んじまうじゃねえか」

「おめえが心配する事でねえ!」


 厳しい現実を子供に突き付けられた事でカッとなってしまったのだろう、竹は頬を打たれて転がったが、流れ出た鼻血を手鼻で出し切れば、少し悲しげな表情を見せた後、気を取り直して負けん気を見せた。


「そっか、じゃあしゃあねえ、本当の事言うからな。俺たちはこんなところで野垂れ死にたくねえって言ってんだ!」

「そんなら、おめえ一人で出てけ!」


 今にして思えば竹は子供とは思えぬほどに考えがしっかりしていたと思う。十三歳でありながらも現実を直視し、どうすれば良いのか分析さえ出来たのだ。


「そうはいかねえ、三人にはこんなところで死んで欲しくねえんだ」

「この、ごじゃっぺが!」


 父親の手がもう一度上がったが、それが振り下ろされる事は無かった。父親も現状を把握しているし、家族思いな竹の本音を知っているからだ。


「彦治、弥介、小平太行くぞ」

「う、うん」

「竹!」


 母親の悲痛な呼び止めは今も耳に残っている。


「おっかあ、もういい……しかたねえ……」


 持ち物など有る訳もない、着の身着のままに家を出れば一町(百九メートル)ほど行ったところで、母親が走りやって来たのであった。


「竹、彦治、弥介、小平太……すまねえ……本当にすまねえ」


 両親が悪い訳では無い事は小平太でも理解は出来ている。


「何言ってんだおっかあ、俺たちは食えねえで死ぬのが嫌なだけだ、勝手言って家出る事許してくれ」

「おめえが、誰よりも優しいのはおとうも、おらも知ってる……おめえが家族助けるために、考えたんだぺ……これはおとうからだ」


 そう言って渡してきたのは貴重な食料であった、麻の袋に入れたそれを差し出されたが竹は受け取らなかった。


「これは貴重な食い物だ、勝手に家出た俺らが貰うわけにはいかねえ」

「竹、おめえ」

「心配いらねえって、何とでもなる、弟たちの事は心配いらねえからな、俺が責任もって必ず守る、おとうにもそう伝えてくれ。じゃあ達者でなおっかあ」


 母親の前では気丈に振舞っていた竹だが、歩きだせば振り返りもせず、口さえ利かなかった。小平太を含め皆が泣いていたのである。これが今生の別れとなる事は誰しも分っていたのだ。


 小平太は、母親がいつまでも皆の名を呼んでいた事を今も忘れていない。


 歩き疲れと言うよりも、空腹に悩まされれば一行は無人の社の軒下で体を休めた。間もなく日も暮れる頃合いであった。


「あぁ、腹減ったな」

「彦治、蛇を獲るぞ」

「んだな弥介、火を起こしておけよ」

「わがった」


 空腹を凌ぎ、軒下で朝を迎え再び歩き始めた。やがて人の往来も増えてくれば一行はその人々に導かれる様に更に進んだ。しかし、どれほど歩いたのだろうか、町など一向に見えてこないばかりか、空腹と疲労が切実である。やがて得も言えぬ不安に襲われるのは仕方も無い事であった。


「これ本当に古賀に向かってんのか?」

「方角はあってる」

「あと、どの位で着くんだ?」

「わかんね」

「あ? わかんねって……竹……」

「聞けばいいんでねえの?」

「子供だけで旅してるってばれっぺな」

「そっか」


 人さらいが横行している今の世ならば、自ら危険を招くようなことはするべきではない。竹は行商の男からそうした話も聞いていたから、常に周囲には目を配り警戒していた。四人は不安と戦いながら更に歩き続ければ、やがて賑わいのある町へ辿り着いた。


「やっと着いたか」

「此処が古賀か……すげえな、人がこんなに」

「おい、お前たち」

「!」


 四人の表情に緊張が走った、あろう事か見知らぬ大人に声を掛けられてしまったのだ。ぎょっとして振り返れば籠を背負った旅人と思わしき男が立っていた。


「此処は古賀では無いぞ。下野の佐野だ」

「さの?」

「ところでお前たち何処から来た?」

「あ、いや……その」

「筑波!」

「馬鹿! 弥助黙れ」

「何をいまさら隠す。それ程にきょろきょろしていれば、お前たちが旅の子供だと、誰でも気づくぞ」

「え?」


 古賀へは随分と前に通り過ぎた分岐を左へと行かねばならなかったようだ。


「兄弟の様だが何故旅を?」

「仕事を探しに……」

「なるほどな、家が食うに困ったか、ならば仕事を探すのは古賀でなくても良かろう、此処で探せばよい、手伝うか?」

「いや、大丈夫……です」


 見知らぬ人を信用する事は無い、竹は弟たちを己の背にし一歩後ずされば気を引き締めて警戒した。旅の男はそれに気づくと微笑んで見せた。


「そうか、ならば気をつけてな」

「うん、ありがとう」






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