第7話 野伏せり征伐

 大沢の忍びには特別な装束は無い。その時々に周囲に溶け込める目立たぬ恰好が一番優れているからだ。夜間の密偵であれば闇に紛れるよう暗めの色を選ぶも全身黒尽くめにする事も無い。また頭巾を使わないのは目立つ上に著しく五感を鈍らせる為である。大沢の忍びは洗うだけで落とせる工夫がされた竹炭の粉を顔や露出した部位に塗るだけなのだ。


「本当に一人で行ってしまわれたな」

「大丈夫なのでしょうか……返り討ちに遭わねば良いのですが」

「大丈夫だで、心配いらねえだよ。小平太様さおっかねえ程強いんだ。おらの村襲った盗賊さ、ぜーんぶ一人でやっつけたんだで、二十人以上は居ただよ」

「しかし今回は全員が武人……しかも相当な手練れ」

「……、……も、問題ねえ……はずだで……たぶん……」


 流石のすずも心配になったのだろう、その不安が表情に出ているのだが、不謹慎にも笑ってしまうような風変りなものであった。


「……これは済まない、要らぬ心配をさせてしまったな」


 小平太が戻らなければ残毒を治す事が不可能となる、ならばすずの寿命は良くて残り数年となってしまうのだ。住職もそれを聞いていただけに己の不徳を深く詫びていた。


「和尚様……おら平気だで……ちっとも気にしてねえだよ……だから和尚様も気にする事ねえだ……おら全然気にしてねえもの……」


 野伏せりは十五人いると言う、息を深く吐けば敵の動きが手に取る様に把握できていた。それは足音や微かな空気の流動、匂いなど様々な情報を基にするからである。

 見張りが六人、槍を肩に掛け適当にふらついているのは、昼間の光景と何ら変わりは無かった。続いて賑やかな声のする家へと近づき中を確かめれば、外の見張り以外の者九人全員がそこで酒を呑んでいた。続いてもう一軒を確かめれば若い女が十三人そこに捕らわれている。


 先ずは見張り全員を静かに始末し、屋内の者は身を隠し吹き矢を使えば、難も無く始末が出来る。全てが済めば女たちを解放してやり、寺に引き取って貰えば良い。頭の中で計画がまとまれば早速狙いを定めた。


 尋常に立合えばそれなりに腕の立つ者でも、闇の中で音も無く後ろから襲われれば気づく間もなく息絶える事となる。一人二人と風の如く近づいては瞬殺し、見張り全員を始末すれば家屋の裏へと移動した。


「おおい、誰か手を貸してくれ」


 見張りの一人の声を真似ていた、間もなくして一人の男がやって来れば、瞬く間に顔が背中へと向き、事切れてその場に転がった。


「おおい、もう一人頼む」

「なんだ? 足りねえってか、しょうがねえ伊佐治行ってやれ、それにしても権蔵のやつ暗がりで何してんだ」

「さあ」


 同じように仕留めれば残りは七人となる、これ以上の呼び出しは警戒されるから、吹き矢を手に明り取りの柵より狙い連続して三人を始末した。強毒が塗られているから、三呼吸も無く息絶える事となる。手にしていた酒を捨て狼狽えている四人のうち三人を始末すれば、小平太は家屋の中へと入り、その姿を晒したのである。


「くそっ! おまえ何者だ!」


 夕方の男を最後に残したのは偶然ではない。小平太のいたずら心である。男は尻をついたまま後ずさり、刀を手にすると警戒しつつ立ち上がった。構えを見れば、少しは出来る様だ。


「飛騨より水を汲みに来た、四つの息子が病弱でな」

「て! お、お前……夕方の猫背じゃねえか!」

「記憶が良いな、褒めてやろう」

「ふざけやがって! 何のつもりだ!」

「見ての通り、悪党を退治に来た」

「くそっ!」


 男の太刀筋をゆとりで避ければ、凄まじい速さで間合いを詰め、心の臓を一突きにしたのだ。


 囚われて居た女たちと共に寺へと戻れば、住職をはじめ全員が目を丸くしていた。


「良かっただ、無事に帰って来ただよ……おらほんとは心配だっただ」

「小平太様……まさか、こんな僅かな時であの者達全員を?」

「奇襲ゆえ、難も無く」

「なんと……」

「だから言っただよ、小平太様さおっかねえ程強いんだって」

「誠、その通りであったな」


 小平太ではなく、すずの方が誇らしげな表情であった。


 囚われて居た女たちは何れもこの近隣の村から連れて来られたようだ、しばらくは寺で休養し、元気になったら村へと帰すらしい。


「野伏せり達は無縁仏として此処に埋葬いたしましょう」

「ならば、村人も助かります」


 小平太の帰りを待つ間にすずは風呂に入れさせてもらったようだ、こざっぱりしており、笑顔である。小平太も勧められ湯場へと行けば、何日ぶりの湯だろうか、長旅の汚れと疲れを洗い流したのである。


 夕餉の後、その晩はむしろではなく、上等な夜具が用意された。すずは初めて見るそれに大層驚き、しばらくは興奮状態であったが、横になれば瞬く間に寝息を立てていた。余程に疲れていたに違いない。


 朝となり、旅支度を整えていれば、間もなくして小僧が案内の元、板の間へ通された。その場にて朝餉を貰い、昼の握り飯まで持たされれば、さらには同じ宗派の寺であればどこでも泊まれると、その内容を記した書状さえ貰う事となったのだ。住職をはじめ寺の皆に見送られれば、すずは何度も振り返り大きく手を振っていた。


「良き人たちに出合えたな、この先も野宿せずに済みそうだ」

「小平太様が良い人だからだで、お天道さまがいつも見てんだって、おとうが言ってただよ。その通りだで」

「これは偉く褒められたな」


 此処は飛騨より南下した地で美濃国である。この先をしばらく行けば信濃国へと入るのだが、この道中で最も厳しい難所となる峠へと差し掛かる。それは小平太にとっては問題ないが、この小さな娘にとっては過酷でしかない。何せ何もない山道だから、身体を休める場所など無いのだ。


 しかし、この地の僧なら土地にも明るい。すずを心配した小柄な僧が言うに、東山道を少し反れる事となるが、途中に大取村と言う山村があるらしく、そこであれば寺の宿所があると言う。すずの体力を考えれば、そこに一泊し鋭気を養う事を薦められたのだ。

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