メガネを取ったら

くにすらのに

メガネを取ったら

 メガネを取ったら目がねえ。


 小学生の定番ダジャレだ。メガネを外した途端に目がなくなるなんて意味がわからないし、元から目がなくてメガネに目を描いているのだとしたら最初かわ違和感があって仕方がない。


 布団が吹っ飛ぶことは世界中を探せば何年かに一度くらいはあるみたいだけど、メガネを取ったら目がねえは絶対に発生しない。そう思っていた。


「わっ! すみません」


 遅刻しそうだったので小走りで角を曲がったのがよくなかった。朝の忙しい時間帯。自分と同じように急いでいる人がいるということが頭から抜け落ちていた。


 駅から学校に向かう俺と、反対に駅へと向かう人。スピードを落とさずに曲がればぶつかるのは当然。その拍子に相手の人を突き飛ばす形になってしまった。


 相手も同じように急いでいて不注意だった側面があるとしても、その辺はお互い様ということでどっちが良いとか悪いとかじゃない。


 こっちだってぶつかって痛かったし、一言謝ってその場を済ませようと考えたのにそれどころではなくなってしまった。


「こちらこそすみません。ええとメガネメガネ」


 二十代半ばくらいのスーツを着た男性はメガネを探している。グレーのフレームはアスファルトと同化して見つけるのは難しそうだ。


「あの……これですか?」


「そうですそうです。ありがとうございます」


 俺達がぶつかった拍子にメガネは地面に落ちて、その落ちた衝撃で遠くまで飛んでいってしまっていた。

 メガネがなくて周りがよく見えない状態でこれを見つけ出すのは至難の業だろう。


「…………」


 男性はメガネを掛けると頭をぺこりと下げて駅の方向を目掛けて走っていった。


「見間違いじゃないよな」


 メガネを落として周りが見えにくいどころの話じゃない。目がなかった。そして、メガネを掛けるとちゃんと目があった。レンズに描かれてるとかじゃない。ちゃんと顔のパーツとして目が存在していた。


「めちゃくちゃ目が細かったんだ。うん。きっとそうだ」


 メガネを取ったら目がないなんて妖怪だ。朝から妖怪に遭遇して無事だなんて信じられない。遅刻しそうという心理状態が生んだ幻に違いない。


 ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると今からどんなに急いでも遅刻は確定の時間になっていた。どうせ遅れて怒られるならキリのいいタイミングで登校した方が自分にとっても先生にとっても良いはずだ。


 授業の途中にガラガラとドアを開けるなんて不届き者のすること。一時間目が終わったタイミングで教室に入ることで授業を中断させずに俺は注意を受けることができる。


 ぶつかった相手のメガネを見つけて、さらにクラスに配慮もできる。俺はなんて立派な人間なんだ。


「さて」


 見られてしまったのは俺もだ。メガネを掛けた途端に顔が青ざめてすごい勢いで走っていったからな。写真は撮られていないだろうけど、不安要素は排除しないといけない。


 アスファルトの上でも目立つミントグリーンのフレームのメガネを拾って駅に目掛けて猛ダッシュする。


 少しフレームが歪んでしまったのか走る度にカチャカチャと揺れるのが気になる。人の多いところでメガネを落とすのは勘弁だ。落とさないまでも目が露わになるくらいズレるのも困る。


 メガネを取ったら目がねえ妖怪なんてあり得ない。メガネを取ったら目が根。人間の体にうまく寄生しているのにどうもこの部分だけは隠しきれていない。この先の課題だ。


 先程の男性を見つけてメガネをクイっと人差し指で直す。共存するためには必要な犠牲なんだ。レンズを通して見る世界はほんの少し暗かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

メガネを取ったら くにすらのに @knsrnn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ