第15話

 事件が起きた次の日、久保さんは普通に登校してきて、言葉は少なめだったけど会話もできた。加藤さんはあんなことを言ったけど、わたしを手に入れるためにこれまで嘘をつき続けたのだから、久保さんが先輩に陰口を叩いていたのもそうだと信じていたのだ。

 その翌日、担任から加藤さんが家庭の都合で転校したことを告げられ、クラスは騒然となった。あれだけ綺麗な人が入学から一ヶ月と少しで、しかも突然いなくなるのだから様々な憶測が生まれたし、加藤さんと仲良くしていたわたしと久保さんに事情を聞こうとクラスの外からも人がやってきた。

 何も知らない久保さんは困惑するしかなかったし、わたしは知らないふりをした。心の中ではなるほど、フィクションで時折出てくるカバーストーリーってこういうものなんだなと呆れるやら感心するやらだった。

 その日の放課後、担任に話を聞きに行ったけど久保さんと同じで何も知らなかった。その顔には悲しみが刻まれ、短い話の端々から加藤さんの力になってやれなかったことへの落胆が見てとれた。

 いい先生だなと思ったし、わたしの知っていることを話せないのが申し訳なかった。とはいえ加藤さんが悪い妖怪で、同じ高校に通う先輩に退治された、などと打ち明けようものなら説教では済まなかっただろう。

 職員室を後にすると、次に文芸部の部室に向かう。加藤さんの扱いが分かったことで、入部の決意がいよいよ固まったからだ。

 加藤さんという想い人がいなくなり、悲しむ久保さんの側に少しでもいてあげたかった。だから部活帰りで一緒に帰る口実が必要になった。

 入部の意志を告げると部員はみな喜んでくれたけど、初めての活動を終えて帰宅という頃になって、部長であるキョウカ先輩に手招きされた。

 二人きりになりたいからと手を合わせて頼み込まれ、廊下に出るとキョウカ先輩は開口一番にこう言った。

『今週一杯は体験入部ってことにしておいてあげるから』

『それってどういうことですか?』

 理由を訊いてもにこにこするだけで答えてくれなかったし、下校のアナウンスが流れたからしつこくすることはできなかった。

 それに訊ねる必要もすぐになくなった。

 キョウカ先輩にさよならを言うと、わたしはバレー部のコートの近くまで久保さんを迎えに行った。

 わたしも部活に入ったから、今日からは一緒に帰ろうと言うつもりだった。

 でも、久保さんの隣にいる先輩はわたしを見て露骨に嫌そうな顔をした。久保さんは後ろめたそうな顔をしていたが、先輩に半ば強引に手を引かれていく。

 どん、と不意に肩を押され、わたしは地面に倒れる。すぐ近くにはもう一人の先輩がいて、わたしに軽蔑の眼差しを浮かべていた。

 そこまでされたらいくら鈍いわたしでも気付くしかない。

 加藤さんの言っていたことは本当だった。久保さんは先輩に嘘をつき、陰口を叩いていたのだ。かつて先輩たちがわたしに危害を加えたのは加藤さんに操られたのもあるけど、わたしへの嫌悪を元々抱えていたから。

 とぼとぼと帰宅し、祈るようにスマホを見たけど久保さんからの連絡はなく。

 メッセージが送られてきたのは夜の十時を少し過ぎた頃だった。

《ごめんね、酷いことして》

《ううん、いいよ。わたしは怒ってないし、久保さんをずっと苦しめてたんだよね。わたしこそごめんね》

 わたしは祈るような気持ちでメッセージを送る。久保さんからのメッセージは数分して返ってきた。

《草那さんってほんと、良い子だよね》

 そんなことはない、わたしは他人を羨んでばかりの人間で、悪いことだって考えるし、好きって言ってくれた相手の心を踏みにじることだってできる。

 わたしは良い子なんかじゃないんだよ。

 胸の中にある気持ちをどう文章にしようか迷っていると、加藤さんからメッセージが次々と送られてきた。

《それがわたしには辛いの》

《わたしは悪い子だから加藤さんが草那さんのことばかり見てるの、嫌で嫌でたまらなかった》

《仲良くなりたいのに、憎たらしくて。友達でいたいのに、加藤さんをわたしから奪っていくのが許せなかった》

 胸のうちを吐露する久保さんのメッセージを、わたしはただ眺めていることしかできなくて。

《だから、すぐバレる嘘なのに止められなかった。先輩にお前は悪くない、悪いのはその草那ってやつだと言われて。少し信じてしまいそうだったのが本当に嫌で……》

 もう見たくなかった。やめて欲しかった。でも、目を逸らしてはいけない。気持ちを受け止めなければいけない。

 だって、わたしは傷つけた側なのだから。

《草那さんは悪くない。でも、もう友達じゃいられないの。勝手言ってごめん》

 わたしは久保さんになんて返せばよかったんだろう。そんなこと気にしないし、全部許すし、これからも友達でいたいと返すべきだったんだろうか。

 でも、わたしは何もできなかった。だからこの話はこれでおしまいで。

《友達でいられなくて、ごめんね》

 そして二人の友情もこのとき終わった。

 いや、友情なんてものはどこにもなかったのかもしれない。わたしだけが勝手にそう思って、馴れ馴れしくして、余計に久保さんを傷つけてしまったのかもしれない。

 次の日、加藤さんは別のグループに入って楽しそうに話していた。その中にはバレー部の同輩がいたから、きっと彼女に誘われたのだろう。

 その子はわたしをちらと見て、蔑むような表情を浮かべた。バレー部の先輩を通して、わたしが悪い子であると伝わったのだ。

 この誤解は多分解けないだろう。今更嘘だったと言えるわけないし、久保さんの言うことが嘘だと証言してくれる唯一の存在は悪い妖怪として退治されてしまった。

 全てが解決したのに、わたしはクラスでたった一人きりになってしまったのだ。



「これは加藤さんの呪いなんでしょうか?」

 久保さんのことを辿々しく話すと、サオリ先輩に問いかける。

 いずれ両親との縁も切れてしまい、学校だけでなく家庭でも一人になってしまうのだとしたら、一人で生きる覚悟を決めなければいけない。早いうちに答えを知っておけば対処に使う時間も増えると思ってのことだった。

 サオリ先輩はわたしの問いに即答せず、熱いお茶にスティックシュガーを二本分入れてからぐいっと飲み干す。

 それから深く俯き、一分ほど考えてから頭をあげた。

「影響はあったと思う。でも、それが全てではない」

 その答えにひとまずはほっとしたが、救いのある答えでもなかった。

「わたしの行いに悪いところがあった、と言いたんですね?」

「そうではない。誰も悪くなくても、悪い結果に辿り着くことはある。今回の場合、久保さんに少しだけ悪意があったけど」

「その悪意はわたしがいたからこそ生まれたもので、久保さんは悪くないです」

 サオリ先輩は深いため息をつく。その考えは大間違いとでも言いたげに。

「あなたは自分の責任にして相手を許し過ぎる。ある程度までは美徳だけど、行き過ぎるのはよくない」

 わたしは全てを許しているわけではない。ダメなことはきちんと言うし、嫌なことがあったら拒否することもある。ただ、わたしが悪いと思うこともあるだけで……。

「喧嘩をしない、衝突がないのは良いことのように思えるかもしれない。でも、それは感情がぶつかり合わないということでもある」

「そういう、ものなんでしょうか?」

「手応えのない相手と仲良くするのは難しいし、許されることに慣れれば甘えてしまう。そして対等な関係から少しずつ離れていく」

 そう、なのだろうか。わたしはずっと、久保さんだけでなく他の子にも友達甲斐のない態度を取り続けていて、だから距離を取られたのだとしたら。

「友達付き合いが長く続かないのは、それが原因だったということでしょうか? 呪いは最後の一押しでしかなくて……」

 サオリ先輩はまず首を横に振り、そして小さく頷く。

「呪いは最後の一押しでしかないというのは正しい。でも、友達付き合いが長く続かないのはそれだけが原因ではない。一因ではあるけれど」

 サオリ先輩の指摘にわたしは黙っていることしかできなかった。

「一から説明が必要?」

「はい。わたしに悪いところがあるなら変えたいと思いますから」

「かなり耳の痛いことを言うけどいい?」

 一瞬だけ躊躇ったけど、次には大きく頷いていた。

「わたし、頭が回らないほうですからはっきり言われなきゃ分からないと思います」

 差し障りのない発言に、サオリ先輩はびしりと指をつきつけてきた。

「それがまずダメ。前にも言ったけど、うちの高校に通えてる時点で頭が悪いなんてことはないし、クリエイティブな趣味をものにしていることは堂々と誇って良い。自分のことを取り柄のない人間だと思ってるようだけど、それは言い換えればなんでもそつなくこなせるということでもある。それとも特別に苦手なことがあるの?」

「長距離走は嫌ですし、勉強だと英語は少し苦手かも」

「長距離走のタイムは極端に遅いの? 英語が苦手と言うけど赤点を取るほど?」

 わたしは少し考えてから大きく首を横に振る。

「あなたは自己評価を本来の能力より低く見積もるクセがある。そしてもう一つのダメなところ。とかく人間をスペックで判断しようとする傾向がある」

「そんなことはないと思いますが、他の人が自分より優れていると羨ましいなって感じることはあります」

「そのたびに自分を卑下し、自己評価を低くしていく。自己評価が低いと他人のスペックが気になって仕方がなくなる」

「悪循環ってことですか? では他人と比較することなく自分らしく生きれば、くよくよ悩まなくても友達ができるんですか?」

 多分に嫌味の効いた問いかけだった。耳が痛いことだと予め聞かされてたのに、サオリ先輩への反発を止められない。

 もし肯定されたらわたしはいよいよ腹を立てていたかもしれない。けど、サオリ先輩は小さく首を横に振る。

「自己評価が低いのはダメと言ったけど、己を省みることができるのは美徳でもある。人を品定めするのも、他人に対する深い洞察に繋がる。でも、あなたにとってそれらはダメなほうに働いている」

「じゃあ、どうしてダメになるんですか?」

「それはあなたが諦めたから」

「諦めたってなにを?」

「自分よりもスペックが高いと思った子と、友達になることを。あなたは自分と同じくらいのスペックだと思った子としか友達にならなかった。違う?」

 そんなことはないと、言い返したかった。でもサオリ先輩の指摘はあまりにも、わたしの中学時代を射抜いていた。

「友達のことを侮っていたのが原因だと言いたいんですか?」

 確かにコンプレックスなく付き合えそうな子を選んだかもしれないが、馬鹿にしたことは一度もない。頑張って結果を出したら心の底から凄いと言えたし、みんな何かしらの取り柄を持っていて、そうした一面を見るたびに目映さを感じていた。

「侮っていたわけじゃない。むしろその逆」

 過去を急いで振り返るわたしに、サオリ先輩は訳の分からないことを言った。

「侮るの逆は敬うですよね。相手を尊重するのが悪いことなんですか?」

「基本的には良いことだと思う。でも、あなたは自己卑下で歪んだ物差しを持っていた。自分と同じくらいという目測で選んだ子たちは、あなたが当然と思うことを満足にできず、苦しんでいたかもしれない。それを苦もなくやり遂げ、いつも自分は大したことないと振る舞っていたならば。相手はどう感じたと思う?」

 サオリ先輩に問われたけど、答えられる状態ではなかった。これまで思いも寄らないことを突きつけられ、咀嚼するので精一杯だったからだ。

 わたしは何の取り柄もない、普通の人間だと思っていた。コンプレックスを与えられることはあっても、与える側になるなんて考えの端にも浮かばなかった。

「わたし、勉強も運動も褒められたことなんてなかったのに」

「突出していないけど、当然のようにできることをあまり褒めることはない。真面目な子が褒められず、いつも悪いことをしている子が良いことをしたら褒められるのと同じ」

「可愛いと言ってもらえたこともありません」

「そこまではフォローしきれないけど、多分別の言葉で伝えようとしたはず。明るいとか一緒にいると楽しいとか、そんな褒め言葉をもらったことはない?」

「それはあります、けど……」

「自分を卑下することに慣れていると、褒められても気付けないことが多々ある。本当はもっと認められていたのに、そうと理解できなかったかもしれない」

 その指摘にも思い当たる節がいくつかあった。褒められてるような気がするけど、多分違うよねと自分で否定して、記憶の隅っこに追い払っていた。いますぐに思い出せないものはその何倍もあるのかもしれない。

「最低ですね、わたしって」

 思わずそう口にしていた。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

 自分の勝手で友達を選び、見当違いな劣等感を振りかざし、褒めてくれても気付くことなく知らんぷり。

 その結果として友達を傷つけていたならば、傲慢にもほどがある。

 サオリ先輩に言われたときは必死に否定したけど、その評価は当を得ていたのだ。

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