第14話
そのパフェは二人連れからと指定されるだけのことはある、迫力満点の代物だった。写真でどういうものかは把握していたつもりだったが、実物を見るとそれだけで胸が焼けるようだった。
これは流石の先輩でも一人では無理だし、わたしが協力してあげなくてはと思ったが、限界はすぐにやってきた。アイスに果物、ホイップにシリアルとバリエーション豊富に積み上げられており、飽きが来ないよう工夫されているのだが、それにしたって限度があるというものだ。
四分の一も食べられず、あとを託さざるを得なかったのだが、サオリ先輩はその小さな体にどうやってと思うほど食べるペースが衰えず、完食しても顔色一つ変えていなかったし、冷たい水を平気で飲んでいた。わたしは体が冷えて仕方なく、熱いお茶でなんとか凌いだというのに。
比喩なく体の作りがわたしとは異なるのかもしれない。加藤さんの件があった翌日から金曜日までずっと学校を休んでいて、あれだけ傷つけば仕方がないと思ったし、待ち合わせの約束なんかして大丈夫かと心配していたのだが、姿を現したサオリ先輩はけろりとしていたし、目に見える場所に傷は一つも見当たらなかった。
わたしの記憶が確かならば顔や首筋を何度も打たれていたはずだと、目を凝らして見れば微かに痕跡はあるもののほとんど治っており、髪を短く切り揃えているのが、最も生々しい暴力の痕跡だった。
『腕の傷、大丈夫?』
まだ少しだけ痛む打ち傷を心配されたときは、口をぱくぱくさせるほかなかった。サオリ先輩のほうが重傷でしょう? というかどうして治ってるんですか? 髪の毛は再生できないんですか? 本当に大丈夫なんですか? などと様々な質問が一気に浮かび、喉の奥で詰まってしまった。サオリ先輩が物欲しげに喫茶店のほうを見るので、質問はパフェの後でと思い、全てを飲み込んだのだった。
「では、経緯を説明しようと思う。その前に一つ、謝っておく必要があって」
「謝る、ですか? サオリ先輩はわたしを加藤さんの魔の手から救ってくれたわけで、謝られることなんて何もないと思うんですが」
罠と知りながら加藤さんについていったことを叱られるのではないかと内心びくびくしていたのだが、そんな気は全くないらしかった。
「実は嘘をついてた。被害届なんてなくても良かったし、あなたを囮として利用した」
ぺこりと頭を下げるサオリ先輩をよそに、わたしは予期しないことを打ち明けられて、頭が宇宙になっていた。
「一から説明が必要?」
「ええ、すみません。何となく察したこともありますが、見当違いの考えかもしれませんし」
「分かった。まずは、加藤メグミを名乗る猫又について。彼女は尻尾泥棒の疑いがあるとして捜査の対象になっていた」
「尻尾泥棒、ですか?」
何のことか分からず鸚鵡返しに訊ねるしかなかったが、サオリ先輩は特に気にする様子もない。
「五匹の猫又から尻尾を奪い、自らの力にした。猫又にとって二本目の尻尾は力の源であり、寿命を大きく延ばすための器官でもある。それを奪うことは実質殺人、もとい殺猫に等しい」
その話を聞いて、わたしはサオリ先輩が加藤さんの尻尾を根こそぎ抜いた時のことを思い出していた。
「では、サオリ先輩は加藤さんを殺したんですか?」
「まだ死んではいない。普通の猫並みの寿命に戻っただけだからあと数年は生きられるはず。彼女は成って間もない若輩に過ぎない……だからこそ猫の掟を軽んじ、尻尾泥棒を繰り返した」
「力への欲望に逆らえなかったというわけですか?」
サオリ先輩は重々しく頷く。
「狡賢く注意深い奴だからなかなか尻尾を掴ませなかったけど、この現代で若くして台頭する妖怪というのはあまりにも怪しい。しかも高校に通い出すという奇妙な行動を取り始めた。おじいちゃんが猫社会とのコネクションを持っていること、わたしが同じ高校に通っているということから、調査を担当することになった」
そこからはわたしも概ねの事情を理解している。加藤さんはわたしを手に入れようと暗躍し、サオリ先輩はそんな彼女を牽制していたわけだ。
「注意深いと聞いていたけど、彼女の動きは散漫だった。最初はわたしを罠にかけようとしているのでは、とも考えたけど、すぐにそうじゃないと分かった。彼女は恋の成就にあまりにも夢中だっただけ」
サオリ先輩の話を聞くほどにもやもやが強まっていく。なんの取り柄もないわたしを心から好きになってくれたのに、わたしはその心を踏みにじることしかできなかったからだ。
「加藤さんは警察で尋問を受けたんですよね?」
「ええ、罪のほとんどを認めている」
加藤さんはわたしのことを恨んでいますか? 憎んでいますか?
「彼女はいつ、わたしのことを好きになったんですか?」
その代わりにありきたりな質問が口をつく。
「猫になりきって自分についてくるあなたが愛しい、
その話はわたしにとって、鈍器で頭を殴られたように衝撃的だった。あの日、何気なくついていったあの猫が加藤さんだったなんて。
でも、それでいくつかの疑問が解ける。加藤さんはわたしを古い知り合いのように語り、痛みに弱いことを当然のことのように言ってのけた。わたしが骨を折り、酷く痛がるのを見ていたとしたらそう考えるのも理解できる。
「まだ成り立ての彼女は塀から落ちたときの痛みを僅かに和らげること、激しく鳴いて人を呼ぶことしかできなかった。それでつくづく思い知らされたの、今のままではあの子を番として迎えることなんてできないと」
「それで尻尾泥棒を始めたんですか?」
サオリ先輩は小さく頷く。わたしは話の続きを聞こうとして、慌てて遮った。恐ろしい事実に気付いたからだ。
「じゃあ、加藤さんが尻尾泥棒に及んだのはわたしのせいってことじゃないですか!」
わたしのために力を求めたのだとしたら、加藤さんだけじゃなくわたしもまた、五匹の猫が尻尾を奪われた罪を償わなければいけないのではないか。
サオリ先輩はわたしの意見に同意すると思ったが、首を強く横に振る。
「共犯者でもないのに他人の罪を被るのは不健全と言わざるを得ない」
「でも、加藤さんはわたしのために……」
「大切な人のため、家族のためだと言って罪を犯すものはいくらでもいる。でも、犯罪の理由にされた人たちが罪に問われることはない」
法律上はそうかもしれないが、これは気持ちの問題だ。解放された五匹の猫は加藤さんを打ったが、本当はわたしが打たれるべきだった。
「思い悩むことが悪いとは言わない。でも、他人の罪を肩代わりできると考えるならそれは傲慢というもの」
そんな思いを傲慢とまで言いきられ、思わずサオリ先輩を睨みつける。
「わたしなんて、何の取り柄もない人間ですよ。傲慢になんてなれるはずがありません」
自分に少しでも誇れるところがあれば、友達ができるかどうかで毎年くよくよ悩むこともなかった。そんなわたしを傲慢だなんてあまりにも的外れだ。
「分かった、なら考えなしとでも訂正しとく」
それならばまだ受け入れられるものがあったから小さく頷いたのだが、サオリ先輩は深く息をついた。
「加藤メグミは自然と仲を深めることに拘っていたけど、あなたと喧嘩をしてから急に強硬な手段を取り始めた。このままでは危ないと思ったから、わざと不完全な結界を張り、偽の予定を聞かせ、手を出すように仕向けた。全てをコントロールできる状況で対処したかったから」
その説明でようやく囮の意味が分かった。そして加藤さんはサオリ先輩の策略にまんまと引っかかり、わたしに危害を加えてしまったわけだ。
「猫の社会でも現行犯なら私人逮捕が認められる。あとは加藤メグミを死なない程度に叩きのめせば良かった」
その一部始終はわたしが先日目撃した通りだ。
「圧倒的でしたよね。ああいうの慣れてるんですか?」
「慣れてはいるけど圧倒的ではなかった。借り物の力とはいえ七尾の猫又、まともに挑んで勝てるはずがない。油断させ、不意をつき、物量で押す。このどれか一つでも欠けていたらわたしはきっと命を落としていた」
サオリ先輩の表情も語り口も至って真面目で、嘘をついていないことがはっきり伝わってきた。
「紙も布も染料も大量に生産できる現代だからこそとれる戦法。あとは猫の秘密道具も役に立ってくれた」
「猫の秘密道具、ですか?」
「妖猫の隠し穴という呪具で、あそこに大量のアイテムを保存しておいた」
サオリ先輩が何もない所からものを取り出すのを何度か目撃していたが、あれは妖怪の所有物だったのか。道具を沢山しまっておける猫の道具ということでドラえもんの四次元ポケットを連想したのだが、それは口にしないでおいた。
「勝てない場合はあなたを隠し穴に入れて脱兎のように逃げるつもりだった。荒波に飲まれそうな小舟程度には揺れるから、胃の中身を吐き出すことになったはず」
さらりと怖いことを言われ、わたしは思わず胃の辺りをさする。
「でも、今回は運良く勝ちの目を拾えた。加藤メグミがあなたを悩ませることはもうない」
サオリ先輩はそう断言してから表情を曇らせる。まだ何か問題が残っているのだろうか。
「ただ、一つだけ解決できないことがある」
わたしが問う前にサオリ先輩はスマホの画面をこちらに向ける。ベッドと小さな本棚、机以外は何もないその部屋の中で明らかに異質なものがあった。
壁に写真が貼り付けられており、その全てに大小様々な釘が打ち付けられていたのだ。
そのうちの一枚を拡大すると、写っているのが中二のときの友達だと分かった。
「これ、なんですか?」
震えを隠しながら訊ねると、サオリ先輩は指で線を描く仕草をする。
「縁切りの呪い。加藤メグミの隠れ家で見つかったのだけど、見覚えのある子だった?」
「ええ、昔の友達で……じゃあ、他の写真も?」
壁に貼り付けられた別の写真を拡大すると中三のときの、また別の写真を拡大すると中一のときの友達が表示される。
「友達だけじゃない。加藤メグミはあなたと仲良くする全ての人を憎み、縁を切ろうとした」
サオリ先輩の言う通りだった。写真の中には友達だけでなく、かつてわたしに少しだけ親切にしてくれた男子もいた。学校の担任も何人かいたし、家族でよく通うラーメン店の主人に、あとは全く覚えのない人もいた。
わたしが少しでも関係した人を見境なく呪い、縁を切ろうとしたのだろう。
その中でも念入りに釘を打たれている写真が三枚あった。
そのうちの二枚はわたしの両親、あとの一枚は久保さんだった。
わたしはスマホを操作し、久保さんとのやり取りをしているページを表示させ。
そして彼女からの最後のメッセージを見る。
《友達でいられなくて、ごめんね》
わたしと久保さんはもう友達同士ではない。数日前に絶交されてしまったからだ。
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