第6話

 夕食と家族の団らん、風呂を済ませてから自室に戻り、チャットを確認したら久保さんと加藤さんからそれぞれメッセージが届いていた。

《いきなり変なことを打ちあけてごめんね。ちゃんと聞いてくれてありがとう》

《明日の朝、△△△△駅の前で待ち合わせしない?》

 久保さんに《変なこととは思わなかったよ。気持ち、叶うといいね》と返したら、涙を浮かべたおまんじゅうみたいなキャラのスタンプが返ってきて、わたしはいいねのハートを押す。

 それから加藤さんに《何か用事でもあるの?》と素っ気なく返信する。

《帰りは久保さんと一緒になることが多そうだから、行きは草那さんと一緒がいいなってふと思ったの。面倒だったら別に良いんだけど》

《ううん、別に構わないけど。その言い方だとバレー部に入ることに決めたの?》

《帰り道で考えてみたんだけど、それが良いかなって》

 そのことを聞いたら久保さんは喜ぶだろう。恋心が叶うかどうかは別問題として。

《でもさ、運動部ってことは朝練があるんだよね? まあ、少し早く学校を出るくらいなら、わたしは問題ないけど》

《朝は弱いって言ってたのに? それともあのときの話は嘘だった?》

 嘘の一語がわたしの心をちくりと刺す。そりゃわたしは良い子じゃないし、故あれば嘘をつくなんて平気でできちゃうけど、加藤さんに嘘つきであることを指摘されたくはなかった。

《ごめんごめん、冗談よ。朝練の参加は必須じゃないの。参加したほうが部内での覚えは良くなるかもしれないけど》

《わたしのためを思ってのことなら遠慮しなくて良いと思う》

《遠慮なんてしてない。わたしはしたいと思うことしかやらないから》

 その言葉にも少しムッとしてしまった。わたしも久保さんも自分の心を押し殺しているのに加藤さんだけ思い悩むことなく平然としているのが、どうにも気に入らなかったのだ。

《それに草那さんは高校性になってから初めて、仲良くしてくれた人だから》

 そんなわたしの狭量さを嗜めるようなメッセージが加藤さんから送られてきた。

《実を言うと不安だったんだよね。同じ都内とはいえ、中学までとは別の場所で暮らすことが決まって、友達と別々の高校になって。新しい環境でも友達ができるかな、一緒に笑ったり楽しんだりしてくれるかなって》

 胸の内を語る加藤さんのメッセージを読んでいるうちに、なんと細かいことで心を乱していたのかと恥ずかしくなってきた。

 口には出さなかったけど、加藤さんのような美人なら友達なんていくらでもできるものだと恨みがましい気持ちすら抱いていた。でも、一人が怖いのはどんな人でも一緒だ。しかもわたしは加藤さんが転勤したてだってことを当の本人から聞いていた。

 それなのに自分のことにだけかまけて、相手の気持ちを知ろうとしなかった。

《わたしは、加藤さんと友達になりたいよ》

《あら、わたしはもう友達と思ってるけど》

 だから勇気を出して友達になりたいと言ったのに、加藤さんは実に軽い調子だった。でも、それで逆に気持ちが落ち着いた。

《わたしの早とちりじゃなくて良かった。お前はいつも迂闊だから、周りをもっとちゃんと見ろ、もう少しみんなと歩調を合わせるべきだって、よく言われるんだよね》

《そうなんだ、落ち着いてて大人っぽいと思ってたけど》

《周りより背が高いからそう感じるだけ。少し前にもスカウトに興味ありませんかと言われて面白そうと着いて行ったら、少しも歩かないうちに暗くて汚い路地に逸れたから慌てて逃げ出した……なんてこともあったかな》

 それは確かに迂闊かもしれないが、危機を感じてすぐに逃げたのは正解だった。わたしはグッドの絵文字を飛ばしてから続けてメッセージを送る。

《警察や家族にそのことは話したの?》

《未遂だったし、面倒が嫌だから話してない。だって悪いのは加害者のはずなのに、わたしの注意が足りないからって怒られるのは納得がいかない》

 加藤さんは美人だから、周りの人は殊更に注意を促すのだろう。わたしも加藤さんの親ならそうすると思う。でも当の加藤さんはそのことを疎ましいと感じている。

 美人が常に得するわけではないらしい。人の目を惹き、心を掴むからこそ生まれる問題もあるのだ。

《心配してくれるんだから、ありがたいと思うべきなんだけど。わたしはどうも良い子になれないみたい》

 久保さんに良い人だと言われたことを思い出し、どきりとしてしまう。加藤さんはわたしのことをどう思っているのだろうか。大人って感じがすると言われたけど、その評価は既に無効となっているに違いない。

《そういえば、今の話で思い出したんだけど。宗教勧誘をしてくる変な人がいるらしいって知ってる?》

 かと思いきや、加藤さんは全く別の話を振ってきた。

《宗教勧誘って、よく駅前にいるようなの?》

 世界平和や救済がどうだのと口にしながら、道行く人にビラを配っているのをたまに見かけることがある。

《バレー部の先輩に聞いたんだけど、うちの生徒にそういうことをしている人がいるらしいの。幽霊や妖怪の存在をちらつかせて、妙なグッズを押しつけるみたい》

 加藤さんのメッセージを読んで、謎の生徒のことを思いだす。あらゆることが鮮烈で、忘れようにも忘れることのできない人だった。

《わたし、その人に会ったかもしれない》

《だったら二度と話をしちゃダメ。あれこれと理由をつけて高いものを売りつけようとしてくるらしいから》

《お札みたいなのを受け取ったんだけど、お金を払えって言ってくるのかな?》 

《多分そうだと思う。返そうとしても受け取ってくれないみたいだから、捨てちゃって知らんぷりするのが一番なんだって》

《そうなんだ……悪い人には見えなかったけどな》

 妙なことばかりを口にする人だったけど、曰くつきのスポットに足を運んだことを見抜いていたし、自称や偽物のような自分のことを熱心に語ったり売り込んだりといった素振りもなかった。

《わたしに声をかけてきた男性も悪人面じゃなかった。悪いことする人ってさ、表面だけじゃ分からないんだよ》

 加藤さんの言うことはもっともだし、考えてみれば何かが憑いているだなんて宗教勧誘の常套句であり、怪しいにも程がある。

《分かった、お札は捨てることにする》

 加藤さんからいいねのリアクションが返ってくる。それから少ししてメッセージも送られてきた。

《話が脱線しちゃったけど、明日の朝の待ち合わせはオッケーってことで大丈夫?》

《良いよ。でも、朝練に参加したいってことになったらちゃんと言ってね》

《うん、ちゃんと話すよ》

 今度はわたしがいいねのリアクションを返し、おやすみの挨拶を交わしあう。

 わたしはスマホを置き、ノートパソコンを起ちあげるとネットの散策を始める。推しの配信をチェックしたり、次の配信のネタを探しているうちに時間はどんどんと過ぎていき、気付けばもうすぐ日が変わろうとしていた。

 わたしは眠気を堪えながら鞄を開け、今日の授業で使った教科書とノートを鞄から取り出すと、次に例のお札を慎重につかみ、割れ物のようにそっと机の上に置く。加藤さんは捨てろと言ったけど、引き出しの中にしまっておくことにした。後になってお金を払えと言われるとき熨斗のしをつけて返せるように、現物は取っておいたほうが良いと思ったからだ。

 今日習ったことを軽くなぞり、明日の準備を整えると、もうすぐ一時になろうとしていた。音を立てないようにそっと洗面台に向かい、急いで歯を磨いて寝自宅を整えるとスマホを充電モードにしてベッドに入る。

 悩みがなくなったお陰か眠気はすぐにやってきて、昨日みたく遅刻しないように、七時に起きると心の中で何度か唱える。

 目を瞑ると意識はあっという間に遠ざかっていった。



 それからの一ヶ月、学校で波乱は起きなかった。加藤さんがバレー部に入り、久保さんと行動することが多くなったため、仲の拗れる要因がなくなったからだ。

 朝は一緒に登校しようという加藤さんの提案を久保さんに打ち明けたときは少し緊張したけど、久保さんは特に不安がる様子もなく「良いんじゃない?」と言った。駅のホームでお互いの気持ちを打ち明けあったことがプラスに働いたようで、加藤さんと二人になるチャンスがあってもわたしを気遣っていつも誘ってくれた。

《恋も大事だけど、友情も大事だから》

 そのメッセージを受け取ったとき、わたしは本当に嬉しかったし、今度こそ長く付き合える友達に出会えたのかもしれないと思えるようになった。

 加藤さんも初日や二日目のような距離の詰め方はしなくなり、気安い距離を考えてくれるようになった。一つだけちょっと困るなあと思ったのは、通学のときに手を繋いでくることだ。少し子供っぽい気がするなあとやんわり断ってみたけど、曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。

 とはいえ加藤さんの態度はわたしだけじゃなくて、久保さんにも同じような接し方をするから、加藤さんなりの親しさの示し方なのだと思う。彼女ほどの美人が気軽にスキンシップを取るというのは一種の暴力に近く、小学や中学の友人たちはどうやってその猛攻を凌いできたのだろうと疑問に感じるほどだった。

 そうして四月ももうすぐ終わりという頃になり、久保さんから予想だにしない提案があった。

「実は観たい映画があるんだけど、家族はみな他に予定があってさ。一人で観に行くのは寂しいなと思ってたんだ。都合が良いなら付き合って欲しいんだけど」

 学校の外で遊ぼうと誘われるなんて、いつぶりだろう。あまりに久々で、なんと返せば良いかが分からなかった。辛うじて頷くことができたのはファインプレイとしか言いようがなかった。

「へえ、面白そう。どんな映画なの?」

「別にべったべただよ。マーベルの新作」

 加藤さんが興味津々といった様子で訊くと、久保さんは照れ臭そうに答える。スマホで調べてみると五月四日に公開される作品があって、マントを身につけた美形の男性がどーんと構えていた。

「主演の俳優が好きで、前作も観に行ったんだけど」

「あー、確かに良いよね。シャーロックは全部観た」

 母に付き合わされてのことだったが、普段はミステリを読まないわたしでも楽しめたのを覚えている。

「二人がお勧めするなら間違いなさそうね」

 加藤さんはわたしと久保さんが語り合うのを楽しそうに見ており、途端に気恥ずかしさが湧いてきた。

「五月四日公開か。初日に観に行きたいの?」

「できれば。でも都合が悪ければ合わせるよ」

 今年のゴールデンウィークは平日が邪魔臭く挟まっているから旅行の算段は立てず、ゆっくりしようという方針だったから予定の面では問題なかったし、このタイミングで映画を観にいけるのはわたしにとって利点があった。

 実は両親からも映画を観に行こうと誘われていたのだ。でも、行きたくなかった。親と一緒が恥ずかしいわけではなく、単純に観たくない作品だったからだ。

 高校生にもなってウルトラマンを観に行くのは恥ずかしいし、その後のオタク談義に巻き込まれるのも真っ平御免だった。だから、高校生になったし映画は友達と観に行くアピールをして諦めてもらうつもりだ。

「わたしもその日なら大丈夫かな」

 スマホと睨めっこしていた加藤さんが予定の合うことを伝えると、久保さんは安堵と喜びの混じった複雑な表情を浮かべる。映画を観ることも大事だけど、加藤さんを誘えるかどうかが一番大切なことだったんだろう。

「じゃあ、決まりね。待ち合わせは映画館の前で、チケットはわたしがまとめ買いして、後から代金をもらうって形で良い?」

 それなら前払いでもと言いたかったけど、月末でお小遣いが心許ないから小さく頷くしかなかった。

「それからの予定は?」

 加藤さんが訊ねると、久保さんは「んー」と声を立てながら視線を上に向ける。どうやらノープランだったらしい。

「まあ、当日決めれば良いか。お昼をどこかで食べて、あとはショッピングとかゲーセンとか適当に見繕う」

「ゲーセンってダメじゃなかったっけ。校則とかあった気がする」

 久保さんが真面目なことを口にしてから、慌てて手で閉じる。加藤さんが折角色々と考えてくれたのに、水を差すようなことをしたと思ったのだろう。

「学校帰りがダメなだけだったと思うけど、一応確認しとこうか」

 加藤さんはスマホを取り出し、開いたページをわたしと久保さんに見えるようにする。うちの高校のサイトで、校則のページがちゃんと用意してある。願書出願や受験会場確認のために何度かアクセスしたサイトなのだが、その時はあまり受かる気がしなかったし、乗り気でもなかったから必要な情報以外は読み飛ばしていたのだろう。

「へえ、うちって校則をネットで公開してるんだ。手帳に書いてあるのは目を通したけど」

「以前にブラック校則とか問題になったし、その影響かもね」

 久保さんのちょっとした驚きを、加藤さんが冷静に分析する。わたしは二人とも校則をちゃんと読んでるんだ、偉いなあと感心するだけだった。

 加藤さんは該当の校則を、穏やかな抑揚とともに読み上げる。

「登下校時にゲームセンター、カラオケボックス、その他遊戯場に立ち寄らないこと。また、同施設の夜間(十八時以降)立ち寄りは終日厳禁とし、昼間の立ち寄りは保護者随伴を推奨、か。堅苦しいけど妥当な規則ってとこかな」

 厳つい表現だけど学校側からすれば問題の起きやすい場所だからできるだけ立ち寄って欲しくはないだろうし、節度を守っての利用は構わないと読めないこともない。

「明るくてクレーンゲームが並んでいるような所なら大丈夫だと思う。どうかな?」

「うん、良いと思う。あの、なんだか水を差すようなこと言ってごめんね」

 久保さんが申し訳なさそうに言うと、加藤さんはむしろ機嫌よく笑ってみせた。

「折角楽しんだのに、校則を破ったからってあとで先生に怒られるのは嫌だもの。事前の確認は大事だし、疑問に感じたら丁寧に確認するのは良いことよ。まあ、昔から親に散々言われてることなんだけど」

 加藤さんはそう締めくくり、照れ臭そうに頬をかく。自分の欠点を告白する時でさえ可愛らしく見えるというのはやっぱり狡いなあと思ってしまった。

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