第5話
電車と乗客が通り過ぎ、わたしと久保さんだけになる。彼女は一体、わたしに何を聞きたいんだろうか。
久保さんの顔は不安に強く揺らいでいた。
「草那さんさ、昨日も加藤さんと一緒に帰ったの?」
その一言でようやく、ことの次第を察した。内緒にしていたことが久保さんにばれたのだ。駅員さんが落とし物を渡していたけど、その時に加藤さんがわたしと一緒にいたことを何かしら口にしたのだろうか。
あるいは最初から全て分かっていたのかもしれない。どちらにしても、ここで言い繕っても仕方がない。
「うん、帰ろうとしたら加藤さんが誘ってくれたの。別に隠そうとしてたわけじゃなくて……」
「そう……わたしの誘いを断ったの、草那さんと一緒に帰るためだったんだ」
「友達ができるか不安だって話したから。それで気を遣ってくれたんだと思う」
わたしは久保さんが納得できるような嘘をつく。それにあながちでたらめでもないと思う。わたしが不安そうにしていたのは本当だったから。
「入学式の時に、高校で上手くやっていけるかなと考えてたら声をかけてくれた。よく気がつくし、優しい人なんだと思う」
久保さんは曖昧に頷く。わたしの説明を理解はしたが、納得はできないといった様子だ。
「わたしもさ、結構不安だったんだけどな」
それからぽつりと自分の気持ちを口にする。
「中学のときもバレー部だったけど、チームメイトはみんな別の高校に進んじゃってさ。当時の先輩がいるから一人ってわけじゃないんだけど」
わたしは部活に熱心じゃなかったし、それで何か言われるわけでもなかったから、本当に所属しているだけの幽霊部員だった。でも久保さんは真剣に打ち込んでいたし、人間関係がその中で築かれていたのだとしたら、わたしよりも不安はずっと強いのかもしれない。
わたしも久保さんと同じだなんて、軽々しく言える空気ではなかった。
「草那さんが気を遣ってくれてるのは知ってる。でもさ、素直に受け止められなくて。こういうの嫌だなって自分でも分かってるんだけど。そもそもさ、こうやって草那さんのことを追いかけて、面倒臭く絡むのが良くないよね。スポーツマンらしくないし、暗いなって思う」
わたしも同じようなことを考えていると言ってあげたかった。でも、それでお前の悩みは軽いと返されたらどうしよう。
くよくよと悩み、何も言えないわたしを見て、久保さんは深く俯く。友達甲斐のないやつだと思っているんだろうか。
気まずくなる一方の空気をなんとかしたい。でも、何も言葉が出てこなかった。
ずっと黙っていたら、久保さんは帰ってくれるかもしれない。
でも、本当にそれで良いの?
気持ちを打ち明けてくれたクラスメイトに、友達になれるかもしれない子にしりごみして踏み込まないのはきっと正しくない。
だからわたしは自分のことを否定されてもよいと覚悟を決めて、口を開いた。
「わたしの不安と久保さんの不安は違うかもしれないけど、そんなに辛そうな顔は見ていられないっていうか……」
なんとかして言葉を絞り出すと、久保さんは徐々に顔をあげる。そして縋るような目を向けてくる。
「解決できるかどうかは分からないけどさ、わたしでよければなんでも相談してくれて良いよ。なんならメッセージでも良いし」
「なんでも、話して大丈夫なの?」
久保さんの声は先程よりもか細く暗い。それこそ本当に他人を気遣う余裕すらないみたいだ。相手の話を聞いてあげようと思える分、わたしはまだ余裕がある。
そのことを再確認すると、わたしは近くのベンチに目を向ける。少し長い話を聞かされそうだと感じたからだ。
揃ってベンチに腰掛けてからも、久保さんはすぐには口を開かなかった。電車が一本停まり、乗降客がわたしたちを横目に通り過ぎていく。
再び人気がなくなり、久保さんはようやく口を開いた。
「加藤さんってさ、綺麗だよね」
いきなりそんなことを言われて、わたしは小さく頷くことしかできなかった。
「これまでもさ、美人だなって思う人はいたけど加藤さんは次元が違うっていうか、その……」
そっと目を伏せ、黙り込んでしまう久保さんを見て、ようやく察するものがあった。加藤さんが美人だから本当に友達になって良いのかと、そういったことを気にしているに違いない。
「確かに、そう簡単には見つからないレベルだよね。加藤さんもそうだけど、石硯さんも映える容姿をしててしかも双子だから、いるだけで迫力があるし。でもさ、久保さんも十分に整ってるというか、少なくともわたしよりはずっともてるだろうなって思うけど」
だからわたしなりの言葉で、気にする必要はないと伝えることにした。それに嘘は一切、言っていない。全てが本音だった。
でも、久保さんの表情はまるで晴れなかった。見当外れのことを口にしたか、あるいは全くフォローになっていなかったのか。
「ごめん、説明が足りなかったよね。加藤さんが綺麗だから嫉妬してるとかそういうわけじゃなくて」
久保さんは大きく息をつき、肺に残った僅かな息で絞り出したような、本当に細い声を出した。
「好きになったんだ」
その意味が、最初はよく分からなかった。でも、久保さんの頬が赤くなるのを見て、どういうことなのか気付かずにはいられなかった。
「初恋の子も、中学のとき憧れていた先輩も男子だった。だから自分でも信じられなかった。でも、加藤さんが昨日、草那さんと一緒に帰るために、わたしとの予定を断ったと知ったとき、胸が痛んだの。かつて恋をしていたときと同じように。だから、自覚せずにはいられなかった」
わたしはごくりと唾を飲み込む。こんな形で他人の恋心を打ち明けられるなんて予想だにしていなかったから。
「バレー部に入って欲しいというのも本当だけど。わたしの気持ちを聞いて欲しい、受け入れて欲しいって気持ちが止まらなくて……」
赤い顔で辿々しく語る久保さんを見て、恋をしてるのだと気付かない人はいないだろう。それくらい明らかで、嘘がなくて、本気で。話を聞いているわたしのほうが恥ずかしくなってくるくらいだった。
「草那さんはわたしのこと、変だと思う?」
わたしがむずむずしてるのに気付いたのか、久保さんが震え声で訊ねてくる。わたしは慌てて首を横に振った。
「人を好きになるのってありふれたことだと思うし、全然変じゃないよ」
「でもさ、加藤さんは女子だよ」
「そう? 確かに少し珍しいことかもしれないけど」
わたしは異性愛の物語も同性愛の物語も、どちらも好きだ。ドラマの作り方は違ってくるかもしれないけど、一度好きになればやることはさして変わらない。性行為となれば流石に違ってくるかもしれないが、わたしの年齢で見ることのできる作品だとそこは詳しく描写されない。
だから同姓を好きになるのも、異性を好きになるのも、そこまで違うとは思わなかった。
「気持ち悪いって感じない?」
「どうだろ……分かんないな。恋愛ドラマが好きでよく見るんだけど、恋をしたことは一度もないんだよね」
高校生にもなって恋の一つもしたことがないだなんて、それこそ恥ずかしい話だと思うし、実際に久保さんはぽかんとした表情をしていた。
「そう、なんだ。告白されたこともないの?」
「ないない。だからさ、誰が好きとか嫌いとか、そういう話になると疎外感を覚えてばかりで」
今でこそ恋愛ドラマの鑑賞は趣味だけど、話を合わせるための材料を得るのが当初の目的だった。
「友達を作りたい気持ちはあるから何も感じないってことじゃないと思うんだけど」
久保さんに届くような言葉をわたしは持ち合わせていないのかもしれない。恋をしたこともない人が適当なことを言わないで欲しいと思われても仕方がないのだろう。
「だからさ、わたしの言うことはあてにならないかも」
急に不安になって言い繕うと、久保さんは深く息をついてから微かな笑みを浮かべる。
「そんなことないよ。草那さんがわたしの気持ちを馬鹿にしたり、気持ち悪がったりしないのは嬉しかったし、正直言うとほっとした。もしかしたらわたしのライバルになるんじゃないかって思ってたから」
「ライバルって、わたしが?」
久保さんがそんなことを考えてるだなんて、思いもよらなかった。
「うん。だから、先に仲良くなったのは草那さんなのに強引に割り込もうとしたんだと思う。本当にさ、自分でも嫌なことをしたなって後悔したもん。初恋の男子にわたしの気持ちを馬鹿にされた時も、先輩に彼女がいるって知った時もあっさりと割り切れたから、自分のことをからっとした性格だと思ってたのに」
久保さんは自分を蔑むようなことを言うけど、そんなんじゃないと思う。これまでの恋が本気ではないと言うつもりはないけど、加藤さんへの気持ちはこれまでにないほど激しいもので、わたしのような女子にも嫉妬せずにいられないほど強いものなんだろう。
「今はそうじゃないって分かったけど。草那さんがライバルだって分かったら、もっときついことを言ったり冷たい態度を取ったかもしれない」
「それはしょうがないんじゃない? だって、本気で好きならライバルは敵だし」
ライバルは敵って頭痛が痛いみたいな表現だけど、他に相応しい語句が浮かばなかった。
「わたしだって似たようなことをしたと思う。実際はそうじゃないから、たらればの話になっちゃうんだけど」
あいつが憎い、嫌い、どこかへ行って欲しいだなんて、生きていれば当然のように考える。誰も憎まず生きていけるなんて、歴史に名を残す聖人くらいじゃないだろうか。少なくともわたしにはそんな生き方はできない。
だから久保さんも気に病む必要はない。もしかしては実現しなかったのだから。
「今はそんなことないんでしょ?」
わたしの問いに久保さんは小さく頷く。
「だったら良いよ。わたし、気にしないから」
久保さんはもう一度頷いてから、わたしの手にそっと振れ、ゆっくりと握る。わたしより少しだけ暖かかった。
「草那さんって良い人だね」
「えー、そっかな。結構ネガティブ思考だし、久保さんがわたしのこと疎んでいると分かって怖かったし。一晩中くよくよしたし。悪いことも嫌なことも考えるよ」
「悪い子はそんなことを考えさせるような相手を励ましたりしない」
そんなものだろうかと思ったけど、折角褒められたのだから素直に受け取ることにした。
「ごめんね、長話に付き合わせちゃって」
久保さんは名残惜しげに手を離し、きびきびと立ち上がる。今になって照れ臭くなったようだった。
「また明日ね。その、えっと……」
「うん、また明日。学校でね」
久保さんは大きく頷くと、次の電車を待つためか線路の方に歩を進める。わたしは小さく手を振ってから、人気の少ないホームを歩き、改札をくぐる。
高校生活が始まってまだ二日しか経ってないのに、全てがあまりに目まぐるしい。
「これが、青春ってやつなのかな……」
呟いてみてどうにも空虚で、わたしは僅かに俯きながら自分の家に帰るのだった。
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