第2話

 部活動のプレゼンテーションが終わり、教室に戻ると早々に帰宅の準備を始める。クラスメイトに「草那さんは部活に入らないの?」と訊かれ、上手く返せる自信がなかったからだ。

 配られたプリントを鞄にしまい、教室を出ようとしたらよりにもよって加藤さんと鉢合わせしてしまった。彼女は僅かに息を切らしており、急いで戻ってきたことが察せられた。

「久保さんとバレー部を見に行ったんじゃなかったの?」

 久保さんに袖を引かれていくのを目にしていたから、いまここにいるのが不思議だった。

「もう少し考えたいと言って断ったの。草那さんはこれから帰り?」

「うん、入りたい部活はなかったから」

 部活動一覧にパソコン研究部があって少しだけ興味を持ったのだが、男ばかりの上にホモソーシャル全開の空気を発していて、これは難しいなあという結論になった。相談相手がいれば楽になることも多いけど、これまでも独学でなんとかなったし、これからもなんとかなるだろう。

「なら、一緒に帰りましょうか?」

 そう自分に言い聞かせていたら、加藤さんが当然のように訊いてきた。

「部活、見て回らなくて良いの?」

 わたしを気遣ってのことだったら自由にして良いのだと言いたかった。

「わたしたち、仲良くなれると思っているのだけど。草那さんはそうじゃないの?」

 加藤さんはそう言ってわたしに微笑みかける。一緒にいるのが楽しいと言わんばかりに。

「ううん、その……仲良く、なりたいなって、思ったよ」

 いきなりのことが続き、上手く喋ることすらできなかった。台本外のことが起きたわたしはかくも無惨な生き物に成り下がる。

「わたしの最寄りは○○駅だけど、草那さんは?」

「えっと、×××駅のほうだから反対」

「じゃあ、△△△△駅の前までかな」

 高校の最寄り駅の名前を出され、わたしは小さく頷く。加藤さんは先に教室を出ると、ドアの所からひょっこりと顔を出して手招きする。なんだか少し猫らしい仕草だな、と思った。



 △△△△駅までの道のりを十分ほどかけて歩く間に、少しだけお互いのこれまでを話した。加藤さんは中学まで都心の学校に通っており、両親が一軒家を購入したことをきっかけにして今の高校を選んだとのことだ。

「程々に近くて気軽に通える所ならどこでも良かったんだけど」

 それで今の高校を選んだのなら、加藤さんは少なくともわたしよりは頭が良いのだろう。わたしは結構頑張ってぎりぎりだったから。

 一軒家というのもグレードが高い。うちは中古のマンションで、両親との三人住まいだから狭いと感じることはないんだけど、暮らしの自由度みたいなものはどうしても制限される。

「じゃあ、今度遊びに来ればいいよ」

 軽い不満を口にしたわたしに加藤さんは軽い調子で返してくる。人を家に誘うなんて慣れたものなんだろう。

「考えとく」

 やんわりかわすと加藤さんはわたしの手に軽く触れる。滑らかでひんやりとした手触りに、わたしはつい肩を震わせてしまった。

「うん、考えておいてね」

 手のひらは一瞬で離れ、わたしは小さく息をつく。加藤さんは美人だし、親切だし、何故かわたしのことを気に入ってくれている。でも、その期待に応え続ける自信がなかった。学業も運動も中の下で、上手くぶってはいるけど本当は明るく振る舞うのだって得意じゃない。

 だから会話のパターンを予め用意しておく。今日の自己紹介で得られた情報をもとにクラスメートを観察し、不興を買わないで当たり障りなく接するにはどうすれば良いかを頭の中で何回も何回もシミュレートする。それでようやく外面を繕うことができる。

 初日だとデータが足りないから、下手なことを口にするかもしれない。だから加藤さんの気持ちは嬉しいのに、ちゃんと答えることができなかった。



 家に帰り、アバターの調整をしていたらいつのまにか日が暮れていた。

 画面の中にあるのは十代前半を意識した、金髪で大きな瞳がきらきらと眩い少女だ。色合いは全体に明るく、ホラーやオカルトの話題を中心とする配信用のアバターとは思えない垢抜け方をしている。

 去年の夏から作り始め、三ヶ月ほど時間をかけてようやく完成した3Dモデルだ。

 有名な無料ソフトだから使い方を説明してくれる動画サイトは沢山あったけど、パソコンを使って作業をした経験がこれまでになく、創作行為も初挑戦だったから苦労の連続だった。

 もっと簡単にアバターを用意する方法もあったけど、自分の手で一から十まで自由に使えるものが欲しかったから頑張って作った。音楽は流石に自前で用意するのは無理だったから、著作権フリーのものを使わせてもらっている。背景素材はこれもフリー素材を使ったり、休日に少し遠出して雰囲気のありそうなところをスマホで撮影して用意した。

 お金のない学生が少しだけ努力して得られる成果物を使い、週に一度の配信を行っている。高校受験が終わるまではそちら優先で、先月になってようやく始めることができた、わたしの最新の趣味だ。

 人付き合いに苦手意識のあるわたしがどうしてこんなことを始めたかといえば、わたしの現実を知らない人たちとならもう少しだけ楽な人間関係を築けるかもしれないと思ったからだ。あとはアバター配信の華やかなりし世界に憧れがないと言ったら嘘になる。

 始めたばかりだから人はあまりいないけど、好きな話題で思う存分盛り上がることができるのはとても楽しい。門限があるから夜のオカルトスポットを訪ねるなんてことはできないが、お気に入りのホラー作品を語ったり、ネットに転がっている洒落怖を朗読したり、視聴者の心霊体験を取り上げたりでそこそこは盛り上がってくれる。変声器で甲高い声にしているから怖い話を朗読しても迫力はさっぱりないけど、それがチャンネルの売りといっても良い。

 配信用の台本も軽く作ったし、ネットは現実と比べてお約束重視のところがあるから普段の会話と比べてあまり考えずに進められるのも良いところだ。声も素性もろくに分からないリスナーだから地雷を踏みつけることもあるかもしれないけど、学校の人間関係と違ってそのことが致命的になることはない。これは配信だけじゃなくネットでの人間関係全般に言える。

 嫌な気持ちになったらお互いに距離を置いて、それでおしまいになる。炎上するような過激さだけ控えれば良いから、現実に比べると多少は楽に感じる。それでもしばらくは罪悪感を引きずってしまうけど。

 こういうのもきっと人それぞれなんだろう。現実で上手くやっていける人なら、ネットでの関係なんてきっとごましお程度のものに過ぎない。でも、わたしは駄目だ。和気藹々わきあいあいとした楽しい空間が一瞬で、わたしの言葉によって歪んでしまうと考えるだけで怖くてたまらなくなる。

 この性分を変えたくて色々と努力してるけど、考えれば考えるほど深みにはまってしまう。加藤さんとも仲良くなるにはどうしよう、明日はどんな話をすれば良いかと考えるたびに久保さんの嫌そうな顔が浮かんでしまう。わたしは貝のように口を閉ざし、二人の会話をただ聞くだけ、相槌を打つだけのほうが良いのでは。そもそも二人から距離を置くべきではないかと、くよくよ考えてしまう。

 自己嫌悪を紛らわせるため、ぼんやりとネット散策をしていたら母が呼びに来たので慌ててロックをかけ、ダイニングに向かう。食卓にわたしの好物だけ並んでいるのは、入学祝いってことなんだろう。父もすぐにやってきて三人が揃い、手を合わせてから夕食に手を付ける。

「高校はどうだった? 上手くやっていけそう?」

 食事の最中に母から心配そうに訊かれ、わたしは大丈夫と明るい調子で答える。

「電車も思ったより混んでなかったし、担任も優しそうな人だった。それに早速、友達ができそうだし」

 友達の一言に母の顔がぱっと華やぐ。これは今日だけのことじゃなくて、クラス替えがあるたびにいつも訊かれる。正直なところ割とプレッシャーなんだけど、余計なお世話と返すのも面倒なことになる。母の心配性は割と尾を引きがちだから。

「そう? だったら良いんだけど」

「それより父さんったら、入学式のときわたしが手を振ったの気付いてなかったよね?」

 少し強引だが話題を替え、父をわざとらしく責める。

「え、そうだったのか? 全然気づかなかったな」

 父が申し訳無さそうに頭をかき、母は可笑しそうな顔をする。

「娘の晴れ舞台かと思うと緊張してしまってね。周りに気を配ってる余裕がなかった」

 わたしはしょうがないなあと軽く息をつく。ちょっと演技臭かったけど、父も母も気付いた様子はなかった。

 それから入学式、その後のオリエンテーションのことを軽く話して夕食は終わりになった。加藤さんが美人であること、久保さんとの軽い確執のことは話さなかった。どちらも妙に騒ぎ立てられるのは目に見えていたから。

 後片付けを手伝ってから部屋に戻り、配信の準備を整えると開始時刻は間近に迫っていて、わたしは慌ててマイクとカメラの準備をする。修正を入れた箇所とVRソフトの相性が悪く、調整に手間取っていたからだ。少しは慣れてきたと思ったけど、わたしはまだまだ新米配信者から抜け出せてはいないらしい。

 準備中のテロップを出してからの数分遅れでなんとか間に合い、オープニングのカットインとともにアバターを表示する。SNSでアバターの新バージョンを公開すると大袈裟に宣伝していたためか、いつもより少しだけ人の集まりが良かった。

 変更点が分かるようにアバターを動かしてみると上々の反応が得られ、思わずほっとする。マイナーチェンジといっても顔が少し変わるだけで、見る側は結構気にする。わたしはまだ個人勢の駆け出しだから許されているところがあるけれど、企業のもっと有名なアバターだと僅かな変更で賛否が巻き起こることもあったりする。

 これはまあ、変な話ではあるんだよね。3Dに限らずアバターって現実の顔から解き放たれるためのもので、いわばルッキズムの緩和を目的にしている。そのアバターがむしろルッキズムを助長する形となってしまう。こういうのを本末転倒って言うんだっけ。

 そんなことをぼんやりと考えながら視聴者のコメントを拾い、雑談を十分ほど交わした後で先週末のオカルトスポット遠征記を語っていく。門限があるから昼の間に訪ねただけで、少し薄暗いだけのトンネルや建物はそんなに怖くない。雰囲気があるような構図を心掛けたけど、それも素人では流石に限界がある。

「いつか門限を気にしないで良くなったら、夜に訪ねてみても良いかもね」

 みんなだって怖がるはずもないので、呑気な台詞で緩く締める。オカルトスポット好きな友達ができると良いんだけどねー、なんて軽くこぼしたら、そういう趣味って難しいよねといくつか声があがる。たまに肝試しをするのとはまた意味合いが違うから、誘い辛いというのはある。

《なにそれ、バカみたい》

 そんな話題で盛り上がっていたら、和やかな流れを断ち切るきつい言葉が投稿され、思わず笑みが引きつりそうになった。

《新規のオカルトチャンネルってことで少し覗いてみたけど、怖くもなんともない話ばかり。ちゃんとやってる人たちのこと、バカにしてるの?》

 辛辣なコメントが続き、わたしは薄目でコメントの左側に表示されているハンドルを見る。Alex……これはアレックスと読むのだろうか。英語の名前だけど流暢な日本語だし、こんな場末の配信に海外の人が来るはずもないから日本人なんだろう。

《来て損した。ほんとバカバカしい》

《みんなもさ、他のチャンネル探したほうが良いよ》

《ほんと頭悪い、最悪》

 詰まらなかったらさっさと退室すれば良いのに、ネチネチとした発言を繰り返して場を荒らすばかり。いい加減、蹴り出しても良いのかなとも思ったけど、そうするとわたしがちゃんとやってない人だと認めるようで踏ん切りがつかない。

《あのさ、みんなはここのチャンネルの空気を分かって来てるわけ》

 対応に悩んでいると、リスナーの一人がAlexにきつめの言葉を投げつけた。

《かまってちゃんをやりたかったら他のところに行ったら?》

 対するAlexの反応は見るに耐えない罵詈雑言ばりぞうごんの数々であり、わたしはここでようやく悪質なユーザーとして蹴り出すしかないと思い、大急ぎで操作する。

 嵐が去り、誰もがすぐには何もできなかった。わたしはこの場を宥める適切なまとめを口にするべきだったが、舌に紐が絡みついたようで、何も言えなかった。

《気にすることないよ、ああいうのは》

 そうフォローしてくれたのは先程Alexに注意してくれたリスナーだった。Erwinというハンドルで、国民的巨人アニメの好きなキャラクターの名前を借りたと以前に言っていたのを思い出す。

 わたしがチャンネルを立ち上げてすぐの頃から視聴してくれていた人で、始めたばかりのたどたどしい語りにも辛抱強く付き合ってくれた。

 視聴者が増えるごとにコメントが減っていき、遠慮させてるのかな、上手く話を振ってあげられたら良いのだけど、でも特定の人を贔屓しちゃいけないかな、なんてことを考えていた。

「ごめんなさい、嫌なことを言わせてしまって。わたしがすぐ対応するべきだったのに」

 だから喧嘩させてしまったことが余計に申し訳なく、慌てて謝罪の言葉を口にする。

《謝ることなんてないよ》

 Erwinの返答は実に素っ気なかった。

《こっちこそごめん、大人げなく喧嘩をふっかけたりして》

「そんなことないよ、助かった」

《そうそう、スカっとした》

 わたしがフォローすると、視聴者の一人がそう続けてくれた。

《ああいう言ったもん勝ちみたいなの、どこにでも湧いて来るんだよな。面倒臭い》

《うん。だから気にしなくて良いと思う》

 そう言われてわたしはようやく気を取り直し、配信を本筋に引き戻す。

 それからはいつもの空気で、ネットの怖い話や最近のホラー作品で面白いものを勧めあって、約一時間の配信はお開きになった。

 最後にエンディングテーマを流し、高評価のお願いを読み上げてから配信を停止する。

 わたしは大きく息をつき、目をぎゅっと瞑る。今更ながらに早鐘のような鼓動を感じ、何度も深呼吸を繰り返した。

 効果があったかは分からないが、一分ほど繰り返すと鼓動も心も少しずつ落ち着いてきた。

「ああいうの、あることは知ってたけど」

 わたしみたいな場末の配信者には無縁のものと思っていた。でも、そうじゃなかった。場末であるというのはあくまでも目に止まりにくいというだけで、文句をつけたがる人はどこにでもいる。インターネットを生活の一部としている以上は、決して逃れることができない。

 視聴者の人も、ああいうのはどこにでも湧いて来ると言っていた。つまりは今後も似たような人に絡まれるかもしれないということだ。

 それから、より考えたくない可能性がある。チャンネルから蹴り出したAlexが新規アカウントを取得して、同じことを繰り返すかもしれない。

 顔が見えないとカジュアルに他人を否定して、攻撃を仕掛けてくるのだろうか。だとしたら、配信をしばらくやめてほとぼりが冷めるのを待つべきなのだろうか。

 わたしの中にふっと浮かんだのは加藤さんとの間に割り込んできた久保さんのことだ。顔が見えても気にくわない相手なら、不機嫌を隠さず牽制されることだってある。

 顔が見えなければ敷居は下がるかもしれない。でも、それだけだ。

 嫌な人にはいなくなって欲しい。

 気にくわないことはなくなって欲しい。

 そう思って、すぐに行動できる人はどこにだっている。そんな人たちにいちいち配慮していたら何もできなくなる。

 どこかで線を引き、開き直らないといけない。でも、それで良いのかという思いがきつく心にまとわりついてくる。

 もっと丸く揉め事を収めることはできないのか。わたしの要領が悪いから相手を不快に思わせてしまうのではないか。

 パソコンの電源を落とし、寝支度を整えてからベッドの中でずっと考えてみたけど、満足するような答えは出てこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る