第22話 神島は危惧する

『もうすぐ退院なんだよ。だから、少しだけでもちゃんと会って話をしてみる気はないか? クラスの皆にも聞いてもらう場を用意しよう。本当に何かあったなら意見も聞けるしな』


 聞いた時耳を疑ったその言葉を、もう一度頭の中で反芻する。あの人は多分正気ではない。


 明日歌を登校させ始めてから今日で大体二週間が経った。私的にはいじめが解決するまではそうしっかり登校して来なくてもいいという考えだったのだが、彼女は意外にも頑張っていて、特にここ二日くらいから教室で一日間を過ごすようにもなった。ほとんど復帰と言ってもいいだろう。


 とはいえ、それで彼女への扱いが良くなるかと言われるとそんなに甘くはない。正直、男子たちはそこまで興味が無さそうに振舞っているが、女子たちが彼女を煙たがる様子なんかあからさまで、特にミナなんか油断しているとすぐ嫌がらせを仕掛けようとする。


 だから私は、最近明日歌の護衛を徹底していた。一人だと心もとないので蒼葉にも協力してもらう形で監視に力を入れている。その甲斐もあって今までほとんど何も起きることなく日々が過ぎていっていたのだが、しばらくすると予想だにしない所からある問題が現れた。


「ねね、明日歌。一緒にお昼食べよ。うわ、なにそれ美味しそうだねえ! お母さんが作ったの?」


「……あ、う、うん。そうだよ」


「彩り豊かだねえ。私なんてハンバーグとか唐揚げばっかで茶一色だよ。しかも全部冷凍食品だしね。あ、でも不味いって言ってるわけじゃないんだよ。ちょっと食べてみる?」


「……っううん。大丈夫」


 せっかくの昼休みだというのに隣でこんなことを繰り広げられていたら食事に集中出来るわけがない。


 私はフレンチトーストをかじるのをやめて、やかましい横の状況を眺めた。


 隣の席に座るのは明日歌。そしてそこへユイが自分の席の椅子を持ち寄ってにこにこしながら弁当を広げている。どうしてこんなことになってしまったのか。


 私は立ち上がって男子数人の集団の中で食事中だった蒼葉を廊下に連れ出した。


「ちょっ、いきなりなんだよ。食べてる途中だったのに」


 蒼葉は口を尖らせて文句を言う。


 なんて呑気なやつなんだ。私は彼の頭を掴んで強引に明日歌たちの方を見せると、息巻いて話始めた。


「そんなことより、あれを見て。なにあれ一体どういう状況なの?」


 蒼葉はじっと二人の方を眺めて、それから言う。


「多分だけど、お前に信用されたいんじゃないのか。あと明日歌にも」


 彼は平然とそう言って、ついでに私の手から逃れた。


 そんなことは、以前から知っている。ユイは私に協力したいと明言してきたあの日から約二週間、毎日毎日周囲の目なんか気にせずに明日歌に馴れ馴れしく接するようになった。それは完全に彩乃やミナやその他明日歌を避けている奴らとの決別という解釈をすれば、ある程度は理解できる。


 だが、それにしたってあれは馴れ馴れしすぎではないだろうか。


「だからってあそこまでのことする?」


 私はもう一度明日歌たちの方を指さした。


 そこには、明日歌が嫌がっているのに強引に自分の弁当の唐揚げを食べさせようとするユイの姿がある。


「ね、食べてよー。これ本当に美味しいから!」


「い、いや、だ、大丈夫だって」


「遠慮しないでほらほら!」


「ほんとにいいってば……」


「えー、じゃあじゃんけんしようよ! 私が勝ったら明日歌は唐揚げを食べる。明日歌が勝ったらその芽キャベツ美味しそうだから食べさせて!」


「えぇっ! なんでそうなるの!?」


「っ隙あり! 最初はグー! じゃんけんぽんっ! ああああああぁぁぁ負けたぁぁぁぁ!」


 突然の不意打ちに対応出来ずグーを出した明日歌に対して何故かチョキを出し、ユイが敗北する。


 何をやってるんだあいつは。ていうかなんで廊下まで聞こえてくるんだ。大声すぎるだろ。


「まあ、いいんじゃないか。見たところ悪意があるわけでもなさそうだ。信用してもいい気がするけど」


 蒼葉が微笑ましいものを見る目でそう言う。


 そりゃあ、とっくのとうに彼女は本気で彩乃を裏切ろうとしているのだろうということは分かっていた。むしろ、その上で早めにこちらに引き入れなければユイの身が危ないのではないかと危ぶんでもいた。裏切り者に裁きが下るのは世の常である。もしそんなことが起きて彼女が提供してくれると言ってくれたあのグループチャット等が証拠として利用出来なくなったら大打撃だ。


 ただ、それはそれとして、明日歌の気持ちの面もある。明日歌がユイを信用出来ないと言うのなら、私だって信用しない。それは単純に、私よりも明日歌の方がユイという人間のことを余程知っているからだ。


「っていうか神島、自分の心配はしなくていいのかよ。ミナを殴ったあの件に関しては、結局お咎め無しなのか?」


「はあ? そんなの適当に山口を言いくるめて終わったけど。そんなことより――


「彩乃の退院の方が問題か?」


 蒼葉が私の台詞を先読みしたように言った。


「そう。そっちの方が今は悩ましい」


 言いながら、私は昨日山口に言われた文言をもう一度思い返す。


『もうすぐ退院なんだよ。だから、少しだけでもちゃんと会って話をしてみる気はないか? クラスの皆にも聞いてもらう場を用意しよう。本当に何かあったなら意見も聞けるしな』


 何回思い返しても信じられない。今日の朝、明日歌本人と、それから学級委員長の二人には事前に伝えておこうかと思うんだけど、とか言われて私と蒼葉も呼ばれて提案されたことだ。


 話し合いの場を設けたいというのはまだ分かる。というか、私もそこが決着の場だと思っていた。けれども、クラス皆の前でという部分には全くもって賛同出来ない。


 これは、そもそもクラスが一丸となってお前にバレないよう隠してきたいじめだ。今更そんな場を設けて明日歌に、実は私はいじめを受けていました、なんて公表させて一体何になるのか。


 いじめについて何か知っていたやつはいないかなんて訊いたところで誰も答えはしないだろうし、そんな圧倒的アウェーな状況の中で、やはりいじめと呼ぶほど大袈裟なことでもないんじゃないかなどと思われでもしたらその認識を覆すのはとうとう困難になる。


 彩乃は絶対に嘘を貫き通すだろうし、彼女からボロを出すこともないだろう。クラス全員の前での話し合いの場は、あまりにも彩乃がやり過ごすのに有利すぎるのだ。


 そんなことには絶対になってはならない。もしもやり過ごされてしまったら、待っているのは悲惨な結末である。


 明日歌が被害妄想の激しい変人であるという剥がれ難いレッテルが貼られるのは確定だろう。その上、明日歌は一度殺されそうになったのだ。もしもやり過ごされたせいで次の機会が来たらなんてこと、想像したくもない。


「なあ、いじめ、確実に証明は出来ないのかな」


 不意に、蒼葉が心配そうに明日歌の方を見ながら言った。


「一応、色々考えてはいる。まあ、色々と言ったって、証拠になりそうなものは二つしかないんだけど。あとはやりよう次第だね」


 とにかく、嘆いていたって時間は過ぎていく。来週の学活の時間までが猶予。それまでに私は彼女を徹底的に糾弾するための策を練らなければならない。


 ただ、この機会は一応かなり無理やりではあるがチャンスと捉えることだって出来る。何故なら大勢の前で彼女を糾弾し、惨めな思いをさせる展開に持っていける可能性だってあるわけだ。かなり上手く立ち回れば、という前提条件のもとではあるが。


「まあ、俺も出来る限り協力するからさ。何かやれることがあったら言ってくれ」


 蒼葉は神妙な面持ちでそう言うと、私の頭に手を伸ばす。そして、まるで犬猫でも撫でるみたいに私の髪を撫で回した。


 わしわしとした撫で方をしてくるのが本当に気持ち悪い。


「おいやめろ。急になんだ」


 彼の腕をはたきおとして訊くと、彼はびっくりしたような顔をして答えた。


「っおぉ、怖っ。い、いや、何となくお前一人に任せっきりな気がして、申し訳ないなと思ってたらつい」


 ついで人の頭を撫でるやつがいるか。これがもし成人同士だったら普通にセクハラで警察に突き出してたぞ。


「まあとにかく、無理するなよってことだ! じゃっ、昼飯に戻るから!」


 蒼葉は気まずそうに言って、私が呼び止める前に教室の中へ戻って行ってしまう。


 本当になんなんだあいつ。友人関係にある相手に対して頭を撫でるのは普通のことなのか? 今までそういったことが無いから分からないものの、あれだけ驚いていたのだから多分そうなのだろう。全く、私は彼と友人になったつもりは無いというのに。


 いや――くそ、そういえば既に一度頭を撫でられたことがあったか。全く、なんであの子はいつも定期的に私の頭の中に顔を出してくるのだろう。


 後悔していないと言えば嘘になる。それでも、とびきりどうでもいい思い出だ。どうでもいいと思うようにしてきた、とびきり嫌な思い出だ。本当なら、あまり思い出したくはない。それでも、記憶の中の彼女はやはり私の頭の中に現れてくる。……私は、本当はあの時彼女のことをどうでもいいとは思っていなかったんだろうな。


 まあ、今はそんなことはどうでもいいか。それよりも私には、もっと悩ましい問題がある。それを解決するのが最優先。


 彩乃をどのように堕落させ、明日歌をどのように救い出すか。当分の間、私が考えるべきはそのことだけだ。

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