第21話 神島は密会をする

 昼休み、私は三階への階段を気だるく歩いていた。全く、空き教室と言ったってわざわざ別校舎のこんな遠くでなくても良いのに。大体、こっちは別の問題解決で疲れたあとなんだぞ。その上昼ご飯を食べる時間まで削られるなんてたまったもんじゃない。


 そんなことを恨みがましく思いながらも、私は寂れた教室へ辿り着く。閑散とした教室は、そこにいる一人の少女の存在をより際立たせていた。複数人で待ち構えている可能性を考慮していたが、どうやら本当に二人きりらしい。


「ほら、ちゃんと言われた通り来たよ」


 おっとり女子、ユイは私が声をかけると窓の外を眺めていたところから振り返って返事をした。


「あ、氷さん。よく来たね。明日歌のことはもう大丈夫なの?」


「まあ一応。あの子はもう家帰ったし。ていうか、大丈夫? って聞かれても。あなたが呼んだんでしょ」


 そうやって文句を言うと、ユイはにっこり笑って視線を窓の外に戻した。


「山口先生もおかしな人だよねえ。どう考えてもこれまで彩乃に怪しいところは沢山あったのに全然気づかないんだもの。察し悪いよね」


 ユイは呆れたような言い方とは裏腹にすこし面白そうな表情で語る。私も、その意見に関しては同感だった。


「とりあえず、いじめのことに関してはきっちり報告して来た。明日歌本人もいるのに、それでも所々信じられないって感じだったけど。でも、彩乃にも電話して聞いてみるとは言ってた」


「ええっ、そんなの百パー嘘言うに決まってるじゃんっ」


「私もそう思う」


 言うと、彼女は意地悪い笑みをこちらに向けて、それからまた外の景色を眺める。


 私は疑問に思った。彼女は今までずっと彩乃の手下だったはずだ。それなのに、今は彩乃の悪口を言って笑っている。もしや手下たちの中では彩乃に対しても陰口を叩いているのか、とも思ったが、例えばミナなどは彩乃を慕っているような行動を見せていたし、そう考えるとユイだけが異端のように思えた。


「ねえ、二人きりで話したいことって一体なんなの」


 質問してもユイはこちらを顧みないので、警戒しながらも私は窓辺に近づいていく。


「氷さんって彩乃のこと嫌いだよね?」


 横に立つと、ユイは確認を取るように言ってきた。


「まあ、殺す寸前までいくくらいには」


「私も聞いたよ。凄い胆力だねほんと」


 彼女は感心したように言う。


 しかしさっきから話が見えない。ユイは一体、何の話をしようとしているのだろうか。


「ねえ、氷さんは明日歌へのいじめを明るみにしようとしているわけだよね。それならさ、ついでに私の目標も達成してくれるわけだ」


「その目標って?」


 訊くと彼女はさっきよりも意地悪い笑顔で語った。


「私はね、彩乃の信頼を地に落としたいんだよ。偉ぶってるあの子が嫌いなの。だから氷さんと私の利害、すごく一致してるでしょ?」


 言いながら、ユイはブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。


「つまりね、私が言いたいのは、私も氷さんに協力したいってこと。ね、これ見て」


 ユイは少し操作したあと画面を私に向けた。


 そこに映っていたのはメッセージの履歴。何人かで構成されているグループチャットみたいなもののようだった。


「これ、彩乃とかミナとか他にも何人か入ってるグループなんだけどね、明日歌の悪口とかいっぱい残ってるから凄い証拠になると思うんだ。だから、もしいじめられてた証拠が必要になったら使って欲しい」


 彼女は得意げにふふんと鼻を鳴らす。


 確かに、これは凄い。本当に彼女が提供してくれると言うのなら、これで有無を言わせず一発で明日歌へのいじめが証明出来ることになるかもしれない。


 しかし、私は少し唸った。


 こんな上手い話、本当に信じてもいいのだろうか。ユイが彩乃を裏切り、こちらに情報を提供してくれると言っている。簡単に言えば、内通者が得られるというわけだ。ただ、だからと言ってそう易々と信じていいものでもない気がする。


「そんなことしたら、彩乃を完全に裏切ることになる。あなたはそれでもいいの?」


 訊いてみると、ユイは笑って答えた。


「私って狡猾な女だからねえ。彩乃より氷さんの方が頭良さそうだし、それなら転覆しそうな船からは早めに降りといた方がいいなって思ったわけ。別に裏切りに何の躊躇も無いかな」


 平気そうに語る彼女の横顔を見て思う。こいつはとてもずる賢いやつだ。


 とにかく、今の回答だけじゃなんとも言えない。

実はこれこそが彩乃の本当の根回しで、こちらに取り入って二重スパイのように行動させようとユイに指示を出したんじゃないか。なんて考えることだって出来る。彼女だって例外ではなく明日歌に怖がられていたわけだし、私にはやはりまだ信じることは出来なかった。


「……やっぱり申し訳ないけど、まだ私はあなたを信用することは出来ない。あなたが自称するように狡猾な女なのなら、それこそ警戒するし」


 そう言うと、ユイは少し残念そうな表情をしてから言った。


「……そっか。まあ、それなら仕方ないね。考えてみたら、そう簡単に信用されるわけが無いもの」


 ユイは少し落ち込んだような声色で言いながら、ゆっくり扉まで歩いていく。


「でも、もし信用したくなったらいつでも言ってよ。全力で手伝ってあげるから」


 彼女は冗談めかしてそう言って、去って行こうとした。ただ、その振る舞いとは裏腹にその瞳に憂いがたっぷり含まれているように見えて、だから私は思わず呼び止めてしまった。


「ねえ、ユイさん」


「え、なに?」


「あなたは、どうして彩乃のことが嫌いになったの」


 少しだけ気になっていた。嫌いになったから私に鞍替えする。それなら、その嫌いになった理由はなんなのだろう。


 ユイはその質問に驚いたように表情を変え、少しの間言い淀む。


「……あー、それ聞くんだ。いや、単純に偉そうにしてるのが気に食わなくなってきてさー」


「凄く嘘っぽい」


 私が突っ込むと、彼女は動揺したように目線を躍らせる。まるで、いつかの明日歌を想起させるような様子だ。


 なんだこいつ、ずる賢いと言う割には嘘下手じゃないか。


「……はーあ、かっこつけたくてあんまり言いたくなかったんだけどね。……あのね、彩乃ってさ、昔はもっと優しい子だったんだよ」


 ユイは今度もにわかには信じ難いことを語り出すが、今度は真剣な口調のため遮らずに聞いてみる。


「私、小学校の頃からあの子とずっと一緒の学校なんだけどね、中学生の頃までは誰の悪口も言わないような子だったんだよ。むしろ、病弱で気弱だったのもあってさ、あの子がいじめられる側って感じで。まあ、実際にいじめられはしなかったんだけど」


 彼女は悲しそうな表情でありながら淡々と語る。


「でも、私はその時の優しい彩乃が好きだった。高一の時からかな。失恋しておかしくなったのは。だから私は、今のおかしい彩乃が嫌い。だから私は、あの子の目を覚まさせてあげたい。……本当はそれだけなんだ」


「正直、信じられないんだけど」


 そう言うと、ユイは小さく笑った。


「そうだよね。私も、未だにあの子があんなになっちゃったのが信じられない」


 憂いを含んだ声はか細いまま消えていく。


 彼女は改めてと言うように私に手を振ると、言った。


「じゃあ、ごめんね。わざわざお昼ご飯を食べる時間削ってまでここに来させちゃって。また、気が変わったら言って欲しい。本当に私、手伝う気あるから」


 ユイは言い終わると、こちらを顧みずに教室を出て行く。長い黒髪が、走っていくのに合わせて綺麗になびいていた。


 全く、検討しなければいけないことを一つ増やされた。彼女を信じるべきか。罠だと考えて避けておくべきか。どうも、これは結構悩まなければいけなさそうなことらしかった。

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