第20話 神島は根回しを受ける2

「ふざけんなよ……いった……」


 ミナは痛みに喘ぎながらも立ち上がって言った。


「そう。人を殴るのは初めてだからしっかり出来ていたか不安だったんだけど、痛かったのなら良かった。というか、案外殴る側も手が痛いもんなんだね」


「あんた、煽ってんの?」


 ミナとは違う女子が声を荒げて言った。いや、そりゃそうだろう。気に食わなかったやつが目の前でこんな滑稽な姿を見せていたら煽らずにいられるだろうか。少なくとも私には無理だ。


「そうだけど。そんなことより、あなたたちこれからどうするの? このまま何も出来ないくせに睨み合いでも続けるつもり?」


 ミナがお腹を抑えながら無言で睨みを利かせてくる。ただ、彩乃よりは迫力が無いなあと思った。


 しばらくお互いに見合うだけの時間が続いた。ここまで来ると観衆のような人たちも現れてきていて、数人ほど私たちの様子を遠巻きにして見物しているやつらがいる。


 全く、こんなことをしているのは明らかに時間の無駄なのに。そう思ってミナや他のやつらを無視して歩いていこうかとも思ったが、その行動が怒りを買って今度は周囲の目なんて気にせずに彼女らの誰かが実力行使に出てくるという可能性も無いとは言えないので迂闊に動くわけにもいかなかった。


 もちろん今考えたのは最悪の場合で、彼女たちが恥も外聞も捨ててなりふり構わず殴ってくるような愚かな勇気があるとは微塵も思っていないけれども、僅かな可能性がある以上は彼女たちから諦めて退いてくれるまでここから動かない方がいい。


 それからしばらくの睨み合いのあとだった。思わぬ助け舟がまた訪れたのは。


「なあ、お前ら何やってるんだよ」


 校門側から出てきた蒼葉は、この光景を困惑したように見ながら言った。


「は? 真島?」


「あのさあミナ、何やってるのか知らないけど、学校の中でちょっと噂になってるからもうやめた方が――


 言いかけているところで蒼葉と私の目が合う。すると途端に彼は言い止めてなんだか納得したように眉をひそめた。


「なんなのよ。先にこいつが殴りかかってきたのよ。だから私は抵抗してただけ!」


 ミナは私を前にしながら平気で虚言を吐く。いや、見方を変えれば事実でもあるが、とんでもない偏向報道だ。


 蒼葉は一瞬、私の後ろに明日歌がいるのを発見すると、ある程度状況を察したようにミナに言い返した。


「どういう事情があったにせよ、このままじゃあお前らだって生徒指導になるぞ。一旦ほとぼりが冷めてから改めて話し合うのでもいいじゃないか」


 私とミナを交互に見ながら、蒼葉は諭すように話す。それは彩乃の時にも見た姿と同じだった。


 いや、もっと言うと彼は一年生の時からこんなふうに喧嘩等のトラブルを仲裁することが多かった。しかも特段、私が関わっているやつだ。


 私はトラブルの内側に入って解決を試みる。それに対して彼は外から解決を試みる。私と彼の方針の違いだ。


 だから一年生の時、まあまあ対立した。二年生になってから彼が学級委員長に立候補したのも多分そのせいだ。もっと穏便に済ませた方がとかなんとか、そういう主張をしてくるのでうざい。


 ただ、今回ばかりは流石に感謝しなければならないか、と思った。彼のおかげで、この面倒くさい状況を脱せそうだ。


 彼女たちはやっと諦めたようだった。まだ執心はあるのだろうが 悔しそうな顔をしながら私の顔を一瞥すると、捨て台詞も吐かずに集団で校内に去っていった。


 しばらくして明日歌が安堵の息を吐くのが聞こえた。


「はあ、全く。神島、お前はもうちょっとくらい血の気を抑えてくれないか。……あ。あと、おはよう白谷さん」


 蒼葉が近づいてきてそう言う。が、明日歌は彼にも怯えるようにして口を開かなかった。


 彼に対しては特に因縁は無いと思うが、余程ミナが怖かったかでその恐怖が後を引いているのだろう。


「明日歌さん、蒼葉はあなたに味方してくれる側の人間だよ。多分」


「多分ってなんだよ」


 せっかく安心させてやろうとそう言ったのに、蒼葉は不満そうに口を尖らせる。


「生憎、あなたのやり方はそこまで信用してないの」


「俺もだよ」


「気が合うね」


「そうだな」


「否定してよ」


「ええ……せっかく乗ってやったのに」


 こいつは皮肉というものを知らないのだろうか。全く、実直な人間はこれだから困る。ちょいとムカついて嫌味を吐いても普通にキャッチされてしまうので煽りがいがないのだ。


「お、おはようございます。……真島くん」


 恥ずかしがりながらも意を決したように明日歌が突然言った。


「うん。久しぶり、ちゃんと学校来れたの偉いよ」


 蒼葉は優しく笑いながら言う。まるで小さな妹を見守る年の離れた兄みたいだ。


 それでもまた私の顔に目を戻した時にはちょっぴり険しい顔つきになる。


「それでだ。神島、具体的にミナに何をした」


 蒼葉はそうやって一部始終を見てもいなかったくせに、既に私が何かをしたこと前提で話を訊いてくる。こうやって、何故か私の行動を知り尽くしているのも彼の気持ち悪いところだ。


「お腹を一発殴った。それだけ」


「それだけってなあ……。場合によっちゃ退学だっていうのに。実際に殴った事実はあるし、見てた人だっていくらでもいる。少しくらい大袈裟に報告されても反論の余地が無いんじゃないか」


 心配そうな目つきで蒼葉が私を見る。しかも明日歌も同じように、というか彼女に関してはもはや自分のせいだと言わんばかりに申し訳なさそうに私を見ていた。


 そこまで心配することだろうか。


「明日歌さん。私って規則を破るような人間に見える?」


 訊くと明日歌はちょっと動揺してから答えた。


「……え? あ、えっと、そういうのには凄く厳しそうな人だなって……思う」


「そっか。じゃあ蒼葉は?」


「お前、ちょっと廊下走っただけでボロクソにキレるじゃん」


「それは当たり前でしょ。小学校の頃から言われることなのに守れないやつらが悪い」


「ええ……」


 蒼葉が困惑したように声を上げた。


 でも、そうか。周囲からしてやはり私はそういう人間に見えているわけだ。


「まあ二人がそういう認識なら多分大丈夫だよ。そもそも、どうして私がルールや規則に厳格なんだと思う?」


「お得意の正義感じゃないのか」


「まあそれが一番の理由ではある。でも、いざという時に破っても疑われない状況を作るためっていう理由もあるんだよ。私は今まで普通の人間の何倍も厳しく規則を守ってきた。そうとなれば、そこで積み上げてきた信頼は簡単には揺るがないでしょ」


 日々を生きていて、どうしてもという時、いざという時は往々にしてある。それらが訪れた時の保身のためにも、私は規則に厳しい学級委員長をやっているのだ。


「なるほどねえ。まあ結局どうなるかは分からないが……。とりあえず、俺はもう教室に戻るよ」


「ちょっと待って」


 蒼葉が校内へ歩き出そうとするのを遮って、私は訊いた。さっきから気になっていることがあったのだ。


「蒼葉、少し気になったんだけど、本当にでここに駆けつけてきたの?」


 考えてみると、それは少し偶然過ぎる気がした。もちろん、有り得ないわけではない。


 でも、彼はここに駆けつけた時私を見て驚いていた。それはつまり私が関わっていることをそれまで知らなかったというわけで、その噂はトラブルの渦中にいる人たちを名指ししてはいなかったことを意味する。


 それなら尚更、どうしてわざわざここに駆けつけてきたのか疑問だ。よく分からない噂をちょっぴり聞いただけ、それもそこまで行動力があるタチでもないくせに。


「……あれ、いい理由だと思ったんだけどなあ。いや、考えてみればそんなすぐに噂になるわけもないしな。そうだ、俺は噂を聞いたからとかじゃない。頼まれたんだよ。ユイに」


 蒼葉は観念したというように全てを吐き出す。


 明日歌がその名前を聞いて少し不安そうな顔になった。


 ただ私は誰のことを指しているのだか分からなかった。


「言われたのは、ミナが良くないことをしようとしてるから止めてきて、って程度なんだけど」


「待って、ユイって誰?」


 蒼葉は私の顔を見て呆れたように息を吐くと答えた。


「ほら、金曜日に彩乃のとこ行って病室入る時に出てきてすれ違ったやつだよ。憶えてないか?」


 そんなことあったっけ、なんて思いながら一応思い出してみようと記憶を探る。すると意外にもすんなりその人物の顔が思い浮かんだ。


「ああ、おっとり女子か」


「おっとり女子って。お前なあ……」


 蒼葉がまた呆れたように言い、今度は明日歌がふふっと笑った。


 そうか、あのおっとり女子のおかげか。いや、しかし彼女は彩乃の手下の一人だったはずだ。どうして私と明日歌を助けるようなそんな行動をしたのだろう。


 そんなことを疑問に思っていた時だった。答えは自ずとこちらに近づいてきていた。


「おはよー。お、もう一件落着した感じかな?」


 声をかけてきたのはおっとり女子だった。彼女はこちらに手を振りながらゆっくり歩いてくる。


 不意に、明日歌に袖をぎゅっと掴まれた。


「お、ユイじゃん。ちょうどお前の話してたところだったんだよ」


「ふうん。それは良いタイミングだったねえ」


 彼女は蒼葉に返事をしながらも舐めるように私と明日歌を見る。明日歌が、先程ミナがいた時と同じように怯えているのが袖を掴む手の震えから伝わった。


 私は警戒していた。おっとり女子が何を言おうとしているのか、何をしようとしているのか。


「氷さん。私、あなたに用があって来たんだ」


 とろんとした目が私を確かに見据える。


「なに? その用というのは」


 彼女はまったりした声で言った。


「その話はここでは出来ないよ。私とあなた、二人きりで話をさせてくれる時間が欲しい。その時に言うよ。もちろん、今からじゃなくてもいいからね」

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