第19話 神島は根回しを受ける

「ねえ、神島さん。先生、私が言うこと信じてくれるかな……」


 そろそろ学校も近づいてきたころに、まだキャップを開けないままにしてりんごジュースを両手で大事そうに持った明日歌が言った。


 そう言われれば、私も確かに少し心配ではある。九割大丈夫だろうとは思っているが、ほんの少しだ。


 例えば、山口が単純に信じない場合も一応考えられる。『あの野田さんがいじめ? いやあ、それはないでしょ』とか言って。


 ただまあ、流石にこれはないと思っている。数日休んだ生徒が久しぶりに登校してきていじめられてたんですと辛そうに訴えてきたとして、それを一蹴するとかどんなサイコパスだよ。そんなことをされたら、真面目に教育委員会に報告することも視野に入れなきゃいけない。


「大丈夫だと思うよ」


 私は学校に近づくにつれて段々足取り重そうに歩きだした明日歌の気持ちを少しでも紛らわせようとそんな言葉をかけながら、私自身にも湧き上がってくる不安について考えた。


 彩乃が私にも想像がつかないような根回しをしていたらどうしよう。そういう不安だ。


 何故そんな不安が湧き上がるのかというと、彩乃からすれば、私たちがこれからやろうとしていることの予測をするのはとても簡単だからである。自分が入院して学校にいない間に神島が明日歌を学校に引き連れて担任に告訴しに行くかもしれないなんてこと、彩乃が思いつかないはずがない。


 だから、少なくともそれへの対策で彩乃に何か根回しをされているのは確定だ。昨日こちらから派手に仕掛けたのもあって、絶対に今日何かを仕返しにしてくるはず。そう思ってもちろん警戒はしているが、警戒は対策とイコールではない。


 結局私は、既に起こるべきことに対しての対処を迫られている段階なのである。根回しをされているであろうことなど重々承知で、だから私は彩乃が私の想像もつかないような根回しをしているんじゃないかということを恐れているのだ。


 片手にぶら下げていたカフェオレの缶に口をつける。缶は嫌いだ。蓋が無いからこぼさないように気をつけていなきゃならないし、好きなペースで飲みたいという気持ちよりも面倒だから早く飲み干してしまおうという気持ちの方が勝ってしまう。


 でも、今回限りは買ってよかったと思った。飲んでいるといくらか気分が落ち着く。明日歌も、早くりんごジュースを飲めばいいのに。


 そんなことを考えていた時だった。私たちがそろそろ校門前まで来たというその時に、目の前の一角を見慣れた集団が陣取っているのが見えた。


 彼女らは私たち二人に気がつくと少し意地悪い顔をして近づいてくる。私は咄嗟に身構えた。


「ふふっ、久しぶり明日歌。やっと来たのね」


 喋っているのはよく彩乃と一緒にいるチャラ女子だ。その後ろに四人ほど同じようなつらをしたやつらもいる。


 隣に立つ明日歌の顔がどんどん引き攣っていくのが横目に見えた。そうか、こいつら全員いじめに加担してた彩乃の手下か。


「ねえミナ、まだユイ来てないけどいいの?」


「はあ? 別にいいわよ。あの子最近付き合い悪いし。なんか彩乃と喧嘩もしたらしいしさ。どうせ来ても、めんどくさそうにしてるだけでしょ? 正直な話、私あの子のこと嫌いなのよね」


 そんなことを言いながらそのミナとかいう女子は笑う。


 こいつら、仲間内でも陰口言ってるのかよ。などとそんなことを思いつつ、私は明日歌を後ろに残して自ら彼女たちの方へ歩いた。


「ねえ、私たちに何の用なの」


 とりあえず彼女らのペースに乗せられるのは面倒だ。そう思って私たちに話しかけてきたくせに急に始めた彼女らの談笑を遮って尋ねてみる。するとまた、ミナが口を開いた。


「ああ、氷。ごめんごめん。そういえば私たちあんたに用事があるんだったわ」


 ミナは私の後方に下がっていて怯えた様子の明日歌を一瞬睨んでから私の顔を見た。


「結局さ、あれ。あんたがやったってことでいいのよね?」


 彼女は鼻で笑うようにして訊いてくる。私は最初『あれ』という言葉が何を指しているのか分からなかった。考えて、ロッカーと落書きのことか、と行き着くまでに数秒の間をかけてから返事をする。


「あー……うん、そう」


「ふうん。それでさ、それがバレたのが気に食わなかったからって昨日彩乃を殺しかけたって聞いたんだけど。それも本当?」


 この質問、わざわざしてくる意味はあるのだろうか。どうせ内心では確信しているのだろうに。それなのにわざわざ確認を取ってくるあたり、本当に意地悪いやつだなと思った。


 くそ、昨日のことについて明日歌に話すのはまだ先にしようと思っていたのに。


「それも本当だよ」


 言うと、明日歌がびっくりしてほんの少し声を上げたのが後ろから聞こえた。


「で、これは何? 彩乃があなたたちに昨日の復讐をしてくれって頼んだの?」


 同じように訊いてみたが、多分そうなのだろう。ミナは返事をせずに、ただただ睨みを利かせて私の顔を見た。


 彩乃め、私があれだけ演技をしてまで復讐はするなと伝えたというのに学ばなすぎではないだろうか。そもそも言うことを聞くとは思っていなかったけれども。


 一旦私は周囲を確認する。当たり前だが、ここは校門前で他にも多くの生徒がいる。まさかこんな場所で複数人で私たちを取り囲み暴力沙汰を起こそうとするほど馬鹿でもないだろうが、それならどうするつもりだろうか。


 警戒していると、ミナがまた口を開いた。


「まあ、今日は明日歌はいいや。氷、あんたは体育館裏についてきなさい。嫌だとは言わせないわよ」


 ミナが言っている間に他のやつらはゆっくりと私を取り囲むように陣形を作る。体育館裏に来い? どう考えても素直についていってしまったら集団リンチ確定だ。そんな提案に素直に乗るわけないだろう。


 本当にこれは彩乃が出した指示なのか? などと疑問に思ったが、しかし考えてみると、つまりは昨日のことが私に仕返しをすることしか考えられなくなるくらいに屈辱的だったのかもしれない。大方、神島を半殺しにしてこいとか、そういう指示でも出ているのだろうと想像はついた。


「か、神島さん……」


 既に半泣きくらいの声で、明日歌が心配そうに声をかけてきている。多分『私のせいで』とか考えているのだろう。今はそんな暗い言葉よりもおかしな陣形に取り囲まれた私のために明るい応援を送ってきて欲しいのだが。


「ほら、早く来なさいよ。怖いの?」


 ミナが私の目の前まで近づいて訊いてくる。


 いや、怖いとかではないが嫌ではあるに決まっている。


 神島は挑発でもすれば受けて立つだろうとかいう魂胆なのか挑発するような口調で言ってきているが、生憎、私はそこまで想像してしまった上で相手の思惑通りに動くことを嫌う性分なので、受けて立つようなことはしないぞ。


「なんで何も言わないのよ。早く来いって言ってるでしょ」


 ミナは痺れを切らして私の肩を掴もうとする。実力行使にしては随分と舐め腐った動きだった。


 私は伸ばしてきた彼女の腕を掴んで逆にぐいと引っ張る。そしてもう片方の腕に握り拳を作る。


 それをちょっと振りかぶってから、私は力を込めて思いっきり彼女の腹を殴った。


「うぐっ……いっ、たい……あぁ……」


 痛みにお腹を抑えて、ミナは地面にうずくまった。瞬時に周囲の視線が集まる。


 他の手下たちからも驚きの声が上がった。


「私がこうしたところで、あなたたちは反撃出来ないでしょう」


 言いながら、私は私を囲んでいるやつらの顔を順に見た。こいつらだって分かっているはずだ。生徒同士で暴力沙汰を起こせばもちろん生徒指導。場合によっては退学だって有り得ない話ではない。


 それをしかも、集団で一人を囲い込みおこなうなんてもってのほかだ。しかし私は対して一人。


 周囲に見られていたって私は気にしなくていい。だって私は、集団に囲まれたのでちょっぴり抵抗しただけである。


 この状況は、恥も外聞も気にしているこいつらには不利でしかない。私がこうしたところでこいつらは反撃が出来ないのだ。

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