第18話 神島は一緒に登校する
月曜日、天気が良く、風も強くない朝。いつもより時間をずらして遅めに家を出ようとしたら、母さんに体調不良を疑われた。
いやいや、昨日のこともあってむしろ寝覚めもいいというのに、もしかして顔色でも悪いのだろうか。と思って登校前に鏡を見てみたが、別にいつも通り寝癖だらけの自分の顔が映っているだけだった。
まあ確かに、いつもは七時に家を出ているのに、一時間ずれて八時前まで家に残っているとなったら心配にもなるか、と思い直す。
ただもちろん、そうした理由は体調不良ではない。明日歌が登校する時間に私の方が合わせたためだ。
一昨日、月曜日は何時に一緒に登校するか、ということを明日歌と真面目に協議した。私はいつも七時に家を出る。しかし、ただでさえ学校に行くというだけで辛いであろう彼女に、朝早く起きなければいけないという条件を付けるのは流石に無慈悲すぎる。
というわけで、明日歌の要望で八時に集合することになったのだ。もちろん、私が彼女の家へ迎えに行く形になる。ちなみに、もしそこで明日歌がやっぱり無理となったら、私は引っ張り出してでも彼女を連れて行く。なにせ、今日が勝負どころなのだ。
ふと、私はもう一度周りを見渡す。そして、いつもの時間帯との差に再び気圧される。
普段は犬の散歩をしている人とかジョギングしているお爺さんとたまにすれ違うくらいなのに、この時間帯はこんなにも高校生の密度が高いのか、と驚いているのだ。見渡せば、道の端から端までぎっしり、私の高校だけでなく別の高校の制服を着ている人もごちゃ混ぜに列になって歩道を占領していた。
登校するのにちょうど良い時間とはいえ、どうしてこんなに大勢の人がいるのだろう、と考えて思い出す。そうか、この近くに駅があるからだ。
駅から降りた学生たちは、大体みんなここの大通りを歩いていく。しかも、駅から同じ方角に私の通うところも含めて三つほど高校があるものだから、全員同じ方角に向かってぞろぞろと歩いていくというわけだ。
行政はこれを野放しにして一体何をやってるんだよ、などと心の中で思わず突っ込みつつ、そろそろ明日歌の家がある住宅街も近づいてきたことを確認し、避難するように横に延びる路地に駆け込んだ。
やはり思った通り、大通りよりも学生の数が少ない。
当たり前だが、もしもこの辺りの人通りが多かったとしたら、彩乃が殺人を決行しようと思うはずがなかった。今は朝だから人数が多くてこの道を通る者もいるが、帰りは部活などもあって一度に多くの学生が集まっていることもないから、もっと少なかったのだろう。
しばらく歩いて、そろそろ明日歌の家に近づいてきた頃になると、玄関前に紫のヘアピンで前髪を留めて、紺色のブレザーを着た、私よりも一回り小柄な少女がそこに佇んでいるのが見えた。まさか、家の外で待っているとは。
まあ、インターホンを押す手間が省けて楽ではあるのでいいか、と思いつつ、更に近づいて声をかけようとする。しかし、突然に先客が現れ、私の行動を遮った。
「あれ? 白谷じゃん。久しぶりー。ってか、制服着てるじゃん! 今日は学校来るのー?」
少しヘラヘラしたような話し方。
その姿と話し方には覚えがあった。同じクラスの、噂を一番騒ぎ立てて話していた女子。彩乃の手下ではないが、私が好まないタイプの人間である。
彼女の言い方に、明確な悪意が含まれているかは微妙なところだった。ただそれでも、今の明日歌を十分怯えさせてしまう言い方だった。
「……あ、うん。今日は、ちょっとだけ……」
「ちょっと? 何それ、一日ずっとは居ないってこと? 彩乃居ないのに?」
また、面白がったような言い方。やっぱり前言撤回。悪意はありそうだった。
「で、でも、ちょっと、まだ……厳しいっていうか……」
「明日歌さん。おはよう」
彼女の言葉をわざと遮るように話す。会話に困る相手にわざわざ付き合ってやる必要もないだろう。
「あ、あぁ、神島さん」
明日歌は私が来たことに気づくと、安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。その様子から察するに、どうやらこの女子よりは私のことを信用してくれているようだ。
女子も振り返って私がいることに気づいたが、先程の態度から一転、少し不服そうな顔になった。
「なんだ、神島さんと待ち合わせしてたんだ。おはよう、神島さん」
敵意を向けてきているわけではない。ただ、つまらないものを見るように私の顔を見て言うものだから、気に食わないやつだなと思った。
「おはよう」
本当は無視しても良かったが、最低限のマナーくらいは守るかと思って返す。すると女子は私と私の横に立つ明日歌を交互に見て、それからまた思い立ったように面白そうな表情で話し出した。
「ってか、神島さんと白谷って仲良かったんだ。なんか意外だわー。気とか絶対合わなそうだけどなー」
一々気に障る言い方をするやつだなあと思う。
彼女は笑いながら、私に質問するように言った。
「そういえばこの前さ、白谷のこと訊いたのに神島さん答えてくれなかったよね。あれ、本当は知ってたのに知らないフリしてたってこと?」
「そんなことあったっけ」
「はあ? あったよ」
私がシラをきっているとでも思っているのか、女子はイラついたように声を出した。
ただ、私からすると本当に憶えていない事なわけで、そんなふうに声を荒げられても思い出すわけでもない。第一、私の記憶にない時点で別に憶えておくべきことでもなかったんじゃないか。
「さあね、忘れた。そんなことどうでもいいでしょ」
よくわからないが多分、憶えていないということは私にとっては記憶の容量の無駄になるくらいどうでもいいことだったということだ。
私は明日歌の手を引いて、不満そうに顔を顰める女子に「それじゃあ、私たちもう学校行くから」と言って歩き出す。
途中まで明日歌を引っ張って来てから手を離すと、彼女はなんだか満足気な表情でいた。
「なんかさ、神島さんってかっこいいよね」
真面目な顔で恥ずかしげもなくそんなことを言い出すので、思わず鼻で笑ってしまう。
「そう思うなら、明日歌さんもあれぐらい自分で言えるようにならないと」
腰が低いのと物腰が柔らかいのとでは全然違う。気が弱いというのは基本的にデメリットでしかない。
明日歌にもいつか、不満に思うことは正直に言い返すくらいのことは覚えてもらわなくては。
「そういえば、この近くに自販機なかったっけ? ついでに何か買っていこう。喉渇いた」
「あ、ごめん。私今日お金持ってなくて」
「じゃあ貸すよ」
そう言うと、明日歌はびっくりしたように目をしばたたかせる。
「……いいの?」
「いや、別にいいけど。でもちゃんと返してね」
言いながら財布を取り出して小銭入れを確認した。
明日歌は遠慮したがっているようにこちらを見ていたが、やがて観念したように声を発する。
「……ありがとう」
ちょっと嬉しそうでもあるその声を聞きながら、私は思い出そうとする。
あそこの自販機にカフェオレってあったっけ。そんなしょうもないことを、明日歌と並んで歩きながら。
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