第17話 神島は殺そうとする2

 私もすぐに右手を伸ばす。ほんの僅かの間、ナースコールを掴み取る過程で彩乃の手に触れた。結局、彼女のあがきは無駄。取ったのは私だった。


「惜しかったね。どちらが早く取るか、ハラハラしたよ」


「あんた、クソみたいな性格だな!」


 苛つきに半分恐怖も混じっているような声色で彩乃は叫んだ。


「包丁持ってる相手にそんなこと言っていいの?」


 彼女はまた包丁に目を向ける。その瞳にはもう、怯えが宿り始めていた。


「自分でも分かってるよ。これはすぐに私が犯人だとバレるような、明らかな殺人だ。でも、それで別にいいんだよ。隠そうとしてないんだから。確かに、未成年といえど、十年くらいは檻に入ってなきゃいけないかもしれない。でも、たかがそれだけだろ」


「頭おかしいんじゃないのか、あんた……」


「そうだな。完全犯罪を目指したお前には私の気持ちが分からないだろうな」


 元々彼女に、高校生で何が殺人だ。子供の戯言だろう。などと馬鹿にするような思考はない。それはやはり、自分もやろうとしていたことだからだ。そこに関しては冷静である。


 だから彼女が私に狂気を感じる部分があるとするならば、それは彼女には理解出来ないであろう、他人に殺人がバレることも厭わないような態度と、精神力だ。


 殺人を誰にもバレないようにしなければならないという考えが私に全く感じられない。彼女に恐怖を感じさせることが出来るのはそういう部分なのだ。


 有無を言わせない形で、自分は殺される。私は彼女にそう思わせる。最後の瞬間までたっぷりと彼女に恐怖を与えるために。


「でも少なくとも、お前も明日歌を殺そうとしただろう。それから、性懲りも無く私にも殺意を向けていた。それなら、自業自得じゃないのか。他人に殺意を向けたんだ。自分にも殺意が返ってくることを、考えておくべきだった」


「はあ!? なんなのそれ! ただの感情論じゃん!」


 気丈に振る舞おうとする彩乃は、とても哀れだった。瞳にはうっすらと絶望の色を浮かべている。もう諦めればいいのに。


 それだというのに流石と言うべきか、ここまで来てもまだ彼女は私への殺意を消していない。ただ、同時に自分の怯えを隠そうともしないようになっていた。


 彩乃の瞳を、今一度黙ってじっと見る。


 やはりだ。


 彼女はその奥に大きな闇を隠している。一体何なのだろう。気にはなるが、今の私にはそれを知る余裕はない。


 ただ、それはきっと誰にも悟られたくないものなのだろう。


 ふと、瞳の中をじっと見ているとその水晶の中に私の赤い眼鏡が映っているのが見えた。不穏な空気の中で、それは鮮血のように赤く見えた。


 そしてその更に奥には私の冷徹な目が映っている。その目は、とても悪辣だった。


 今、私は彼女の瞳を介して悪辣な少女と目を合わせていた。私自身ではない誰かに思える私。


 私は時々、私自身でも驚くぐらい冷静になれる時がある。そして同じように、私は時々、私自身でも恐れるくらい冷酷になれる時がある。


 結局、彩乃よりずっと私の方が悪人顔なんだよな、なんて思って少しおかしな気分になった。


「彩乃、いじめを始めたその裏にどんな事情があろうとも、私からすれば全部お前が悪い。お前を殺そうと思った理由は、お前が明日歌に言っていたのと同じ。自分の罪を認めようとしないからだ。罪を罪とも思っていない。だから、最後に自分がどれだけ非情なことをしてきたか思い返しながら死ね」


 私は包丁を振りかぶる。すると、彩乃は慌てて上体を起こした。どうやら、最後まで足掻くつもりでいるらしい。


 だが、その身体で一体何が出来るというのか。


「や、やめて! ふざっけんな!」


 肩を掴んでベッドの上に強引にねじ伏せたあと、強気な割にはやはり女体らしい華奢な身体の上に馬乗りになる。随分と弱々しい身体だ。


 全ての準備が整い、あとは喉元に包丁を突き刺すだけだった。


「謝る! 謝るから! 私が悪かったよ! ねえ、頼むからやめて!」


「……へえ、今更命乞いなんて無様だね。諦めればいいのに」


「たっ、確かに私は明日歌をいじめてた! それに、殺そうともしたよ!」


 私はあと数ミリでも動かせば首に刃が通るところまで包丁を近づけた。彩乃が必死に首を引っ込めようとする。


 だが、私は包丁の動きを止めて少しの思案のあと、尋ねた。


「具体的に、自分でも酷かったと思う仕打ちは?」


 私の問いに、彩乃は少し困惑したように固まったが、急いで答えなければ是非を問わずに殺されるとでも思ったのか、静かに息を呑んでから答える。


「……一年の時、真冬に校舎裏で素っ裸にさせたことがあって……授業一時間ぶん、そこにいさせた。……あと、便器の水で顔を洗えって言って、しゃがんだ所を見計らって後ろから顔を押さえた……こともある」


「へえ、その時も殺そうとしたの?」


「その時は違う!」


 必死に答える姿はとても滑稽だった。


「ゆ、許してよ! 本当にごめんなさい! 私が悪かったって認めるから!」


 そして、死ぬほど惨めだった。


 私は包丁の位置をそのままに、口を開いた。


「本来なら、お前に復讐するのは明日歌のはずだった。それでも、実際にここに来たのは私だ。私はあの子の復讐の代理人なんだよ。だから、こんなことを私から語るべきではないかもしれない。でも、お前には知る義務がある」


 彩乃は何も言わない。ただ、息も絶え絶えに包丁の刃先を見つめている。


「よく、復讐からは何も生まれないと言う。だけど、そんなことはない。高揚と優越感が得られるし、相手に自分の大切な物を奪われたことによって出来た寂しさの穴も、復讐で簡単に埋まる。恨みつらみなどの暗い感情を明るい感情に置き換えることも出来る。それは、お前もよく分かっているはずだろう。元彼がどうとか詳しい事情は知らないが、明日歌をいじめ続けている理由はなんだという質問があれば、その答えは衝動的に始めたはずの復讐が、埋まらない寂しさを満たし続けてくれたからだろう。違うのか?」


 また、彩乃は何も言わない。死の間際に意味の分からない説教を聞かされて、もうどうでもよくなったのかもしれない。


「それと、対人関係における復讐についてはよく、復讐する側が失った大切な人のことを指して、彼、彼女はそんなこと望んでない、などと言うこともある。ただこれも、復讐への抑止力にはならない。なぜなら、大切な人にそれを望まれていないことなんてどうでもいいからだ。復讐は元から自分の望むことであって、他人にお願いされてするものではない。復讐なんて自己満足だからだ。お前も周りに、元彼君はそんなこと望んでないよ、などと言われたってやっていたに決まってる。復讐とは自制の効かないものだから」


 もう、彼女の状態は諦めに近かった。身体の全身の力が抜けている。目線は未だ包丁に向いているが、感情が恐怖を通り越しているのか、ただ、ぼうっと眺めているようにも見えた。


 いい気味だ。この出来事を人生最大の恥として背負いやがれ。


「ただ、だからといって復讐をした事が仕方ないと言って片付けていい事なわけではない。私は、過度な復讐はやってはいけない行為なのだということを、お前に教えておかなければいけない」


 私は包丁を取り下げて、彩乃の上から退く。鞄に元通りに包丁をしまい彼女の様子を見ると、私の方を見て呆然としていた。


 放心状態にでもなったか。


「そんな目で見るなよ。私だってお前を殺したい気持ちでいっぱいだ。だけど、お前と同じレベルに成り下がるのもそれはそれで気に食わない」


 それに、単純に殺人はしたくない。彩乃はこんなんでも一応人間だ。


 私は自分の正義を信じる。そして、私の正義によれば、人を殺すことはダメなことだ。


 彩乃を殺したい。でも、人は殺してはいけない。だから殺さない。それは、最初から決めていた。


 私の目標は、あすかへのいじめをなくすこと。そして、彩乃に文字通り死ぬほど惨めな思いをさせて二度とこのようなことを起こさぬよう徹底的に糾弾すること。


 死ぬほど惨めな思いはこれで体験させられた。糾弾するための用意も着々と進んでいる。


 あとは、徹底的にいじめの解決に尽力するだけだ。


「……それじゃあね。彩乃さん」


 背を向けて彼女の方を顧みずに言う。


 前回と違って、彼女はもう私を引き止めない。


 それに乗じて扉を開き、閉める。一件落着だなと思い、病室を出て一息ついた。


 しかし直後に、背後からガシャンと大きな音がした。


 聞き覚えのある音。これは、食器をうっかり落としてしまった時と同じような音だ。陶器の音。


 そういえば、窓辺に綺麗な白い花の生けてある花瓶があったのを思い出した。


 ……あいつ、私の背中を狙って投げたな。


 結局、彼女は全く反省していないようである。元々信用なんかしていなかった。そして、やはり全くもって本心から出てくる謝罪ではなかったらしい。


 だが、まあそれでもいい。色々と自白してもらった。それに、あんなに面白いものが見れたのだ。


 あとは明日、彩乃は絶対に私に対して何か仕返しをしようと計画を練るだろう。明日歌も登校する学校で、一体何をしでかそうとするのか見ものである。

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