第16話 神島は殺そうとする

 人から人への憎悪の念の果てに行きつく行動とはなにか。これは、一瞬で答えられる問題だ。


 答えは、殺人。


 憎悪の念は相手でなく自分をも苦しめる。そこから解放されたい。そう願うたびに殺意が湧き上がる。殺人とは、そんな自分を苦しめる憎悪の念を解き放つための行為である。


 日曜日、病院はやっていないかと思っていたが、面会は普通に出来るらしい。私は金曜日と同じようにエレベーターに乗って上の階に上がり、微妙に長い通路を歩いて彩乃の病室へと向かった。


 今日は一人だ。それに、質問をしに来たわけでもないのだから、わざわざ丁寧にコミュニケーションを取る必要もない。つまり、一切煩わしいことは無し。ただ、二言三言、あいつから言質を取るだけで十分だ。


 私は躊躇なく扉をスライドさせて、病室に突入する。


 不在の場合はどうしようか、などと考えてもいたがそんなことは杞憂で、彩乃はこの前と同じようにベッドに横たわっており、すぐにこちらにも気がついたようだった。


「二日ぶりだね。彩乃」


「……はあ、急だね。事前の知らせはなかったけど」


 そんなことを言う割には、彼女は冷静で落ち着き払った声だった。


「っていうか、ねえ。あんたって、いつから私の名前呼び捨てするようになったっけ」


「今のが初めてだよ」


 この前と同じだ。彩乃は殺意のこもった目で私を睨んできている。まるで、前回の続きを行おうとしているようだった。


 そんな彼女の様子を見て、また、前回と同じような疑問が浮かんだ。


 足を骨折していて身体的には圧倒的不利な状況のはずなのに、彼女はどうしてそこまで高圧的な態度が取れるのだろう。やはり、自分に反抗してくる人間などいないと思っているからだろうか。


 だとしたら、この前も同じことを思ったが、そんなのは勘違いも甚だしい。私のようにこうやって危害を加えるために訪問する人間もいるというのに。


「今日はなんの用があってここに来たの?」


 彩乃が低い声で訊いてくる。こちらを見下しつつ、警戒も怠っていないような態度。


 それに対し、私はきっぱりと言った。


「お前を殺しに来た」


 彩乃は目を細めて、私の顔を見定めるように見つめてくる。どうやら、すぐに怯え出したりすることはないらしい。肝の座っているやつだ。


 ただ、そんなことをして一体なんの意味があるというのか。どうせその身体では抵抗なんか出来ないだろうに。


「確かに、覚悟を決めている感じがするね。でも、あんたに私は殺せないよ」


 私のことをひとしきり眺めたあと、確信めいた声で彩乃が言った。余程、私を見くびっており自分を過大評価しているようだ。


 彼女が話している間に持ってきた鞄から包丁を取り出し左手に持つ。家から持ってきた、今まで料理に使っていただけの包丁を。


 何故包丁を持ってきたのか。理由は、毒殺よりも絞殺よりも、目の前で見せつけた時により明確に死へのイメージができ、最大限の恐怖が与えられる凶器だからだ。


「どうしてそう思うの?」


 彩乃の方に刃先を向けながら私はそう質問した。

「い、いや、ちょっと待って。いくらなんでもそれは、なんというか派手すぎない?」


「それのどこがダメなの?」


 彼女は少しだけ焦った口調で話しながら、包丁を見て、それから私の顔を見る。


 しばらくしてから彼女は、少し納得したように息を吐いた。


「……はぁ、証拠が残る殺人になってもいいってこと?」


 信じられないという表情で、彩乃は私に言った。


 そう、これはそれくらいなりふり構わない行動なのだ。彼女を出来るだけ深く恐怖のどん底に陥れるための。


 しかし、それで言えばまだだ。まだ私は彼女に恐怖を感じさせられていない。まだ彼女は、私には殺すことが出来ないと思っている。もっと彼女に、トラウマになるほどの恐怖を植え付けなければならない。


「でも、いいのかな? これは明らかに故意な殺人だ。あんたが犯人だと確実にバレるようなことをしてるんだよ。十六歳以上の未成年が殺人を犯した場合、行くのは少年院じゃない。少年刑務所だ。そこじゃ、刑罰だって成人と同じように下される。あんたは絶対にそうなってしまうよ」


「そうなんだ。やけに詳しいんだね」


「明日歌の殺人が万が一バレた後のリスクを私が考えていなかったと思う?」


 確かにそうだ。野田彩乃とはそういう人間だった。


 だが、それだからといってどうしてこんなふうにご丁寧に説明をしてくれるのかは謎である。


 もしかすると、私を怖気づかせたいからだろうか? もし仮にそうだとするのならば、無駄な行為である。


 なんと言われようとも、今の私はもう何も聞き入れない。


「それに、単純に信頼が地に落ちるんじゃない? あんたの友達も、親も、仲が良かった人、全員離れてくだろうね」


「まあ、そうだろうけど」


 どうしてそんな文句が私に通用すると思ったのだろう。こいつは、私のことを知らなすぎる。


「でも、友人とか信頼とか、それって殺人の引き合いに出すものなわけ? そんなの気にして生きてきたことないからさ、どうでもいいんだよね。お前みたいに周りの評価が全てで、そのためにずっと自分を偽ってるようなハリボテとはちげえんだよ」


 彩乃の舐め腐ったような態度を見ていると、つい苛ついて語気が強くなってしまう。


 私が言うと、彼女は少し冷静な目つきに変わって、僅かに緊張してきたような様子になった。


「そうだった。あんたって、そういう人間だったね。とことん冷たいやつ」


 彼女は私に包丁を突きつけられているにも関わらず、そんな台詞をどこか上の空で語る。


 こいつ、注意が別の何かに向いているな。私を欺くための何かだ。ああ、でも私は最初からそれが何かを知っている。


「あのさ、ちなみにだけど、ナースコールを押す機会うかがってるの、バレてるからね」


 彩乃の顔が一瞬引き攣った。


 馬鹿、私がそれを見逃すわけないだろう。お前が考える打開策は全部私も考えてるんだから、とは思ったものの、意外に彼女の判断も素早いものだった。


 彼女が動き出したのは、私にバレていると悟った瞬間だった。つまり、言い終わる少し前から、ナースコールという言葉を口にした瞬間から、彼女は後ろ手でナースコールのボタンを掴もうとしていた。


 やはり、彼女は侮れない。

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