第14話 神島は再訪する2
「……どういうこと?」
拍子抜けだった。蛇を警戒して
「あの、私本当は薄々そうなんじゃないかなって、この前来てくれた時から思ってたんだ。彩乃はあんなこと絶対しないし、やるとしたら神島さんかなって。この前『助けに来てくれたと思ってた』とか言って怒っちゃったでしょ。あれもさ、そう思ってたからこその当てつけっていうか」
あすかはそうやって自虐的に語り出す。私にも非はあるのに、どうしてそのように言うのだろう。
「あと、実際に死にかけたのは彩乃だしね……。まあ、あのさ、そんなに重く思わないでよ。私を助けようとしてのことだったんでしょ? むしろ私が、神島さんの行為を逆に無駄にしちゃったっていうか。あの、だから別に気にしてないよ」
「はあ?」
「えっ」
「いや、ごめん」
驚きのあまり、つい口をついて言葉が出てしまった。気にしてない? 一体どのような思考過程を辿ったら気にせずにいることができるんだ?
私には疑問でしかなかった。
私は彼女のロッカーを泥だらけにしたし、机の落書きにいたっては、日頃から聞いていた彩乃やクラスメイトの、あすかに対する罵倒を書き殴ったものだ。それであの日、彼女は心底傷ついたはずだった。
それなのにどうして彼女はこんなことが言えるのか。
「あのさあ、あすかさん優しすぎるんだよ」
罪悪感でいっぱいだった心の中にほのかに怒りが灯って、衝動的にそんな言葉を放つ。
考えてみればそうだ。彼女の優しすぎる一面はもはや欠点である。
今まであすかは臆病者なので彩乃に対抗出来ないのだと思っていたが、本当にそれだけか? 思えばあすかが彩乃の愚痴をこぼしたところを一度も見たことがない。この前だって、一時的に感情を昂らせることはありつつも、結局は自責に収束してしまっていた。
この子はほとんど内側にしか棘がないんだ。外側に棘が無いから容易に傷つけられるし、内側の棘は更に自分を責め立てる。そう思った。
なんだよそれ。あまりにも自分を大切にしていなさすぎだろ。
「そりゃあ、許してくれるならそっちの方がいいけど、なんでもかんでも簡単に許すなよ」
イライラしながら発した声は自然と大声になっていた。
なんだかよく分からなくなってきていた。私は今日、彼女に謝ろうと思って家を出てきたのに、今は彼女に対してこんなにもふつふつと湧き上がる怒りのままに話している。こんなつもりではなかったんだけど。
あすかはそんな私の様子を、困惑しながらもちょっと可笑しそうに笑って見ていた。なんだよ、馬鹿にしてんのか。
「いや、うんと、私別になんでもかんでも許すくらい優しくなんかないよ。優しいのは神島さんの方だって。だから、その、許してもいいって思えるというか」
「はぁ、私が優しい?」
あすかのその発言は謙遜のようには思えない。でも、いくらなんでもそんなことは無いだろう、としか思えなかった。自分で言うのもなんだが、私は優しい人間にカテゴライズされるような性格じゃない。もっと複雑で、きっと彼女にとっても独特であるはずだ。
なのにこの子は一体どういう感性をしてるんだ。
でも、そういえば――ふと、昔の記憶を想起する。
私は昔、今と同じようなことを言われたことがある。ああ、そういえばあいつも同じことを言っていたっけ。
全くどいつもこいつも、私の本性を知った気になって何を偉そうに。
『氷ちゃんのさ、口は悪いしやることえげつないけど、結局は優しいところが私は好きだなー』
好きってなんだよ。気持ち悪い。最初にネガティブな言葉を並べて比較対象にすることで優しさを引き立たせようとするようなその言い方もやめろ。
『でもやっぱりさ、普通の優しい人と違って、氷ちゃんには自分の優しさに甘えさせない力があるって感じがするんだー! 自立させる? っていうか、人を成長させる力があるんだよね。それってすごいことだと思う!』
褒めることしか能がないのかよ。お前は。口を開けば美化した言葉ばっか吐きやがって。
他に関わり合いのある友人だって沢山いたくせにいつも腹立たしいくらい私にばっか付き纏ってきて嫌いだったんだよ。
嫌いだった、のに、どうして事ある毎に私はお前のこと思い出しちゃうんだよ。
「ねえ、神島さん」
あすかが少し物憂げな顔になって言う。その顔には、他にも多くの感情が含まれているように見えた。
「ありがとね。こんな私に、余計なお世話を施してくれて。あ、いや、私は余計だと思ってないんだけど。……この前、そう言ってくれたよね」
彼女は物憂げでありながら笑いつつ、その表情が何かを諦めているようにも見えた。
ああ、どうして私は今、あすかとあの子を重ねて見たのだろう。あの子は容姿だってもっと華のある感じだった。こんなに卑屈でもなかった。むしろ、常に快活で気持ち悪いくらいだった。
二人は全然違うのに、どうして私はさっき、重ねて見たのだろう。
それは、考えても分からなかった。
「これからどうするつもり?」
私は少し考えたあとに、あすかにこんな問いを投げかけた。彼女にはきっと何も答えられない問いだと分かっていながら。
「私は……仕方ないよ。神島さんが助けようとしてくれてたのに、全部無駄にしちゃったし……。彩乃はいずれ学校に戻ってくるし、でも、私には勇気が無いから……どうしようもないよ」
ところどころ口ごもるあすかはもうほとんど諦めているように見える。
しかし私は言いたかった。いいや、どうしようもなくはない。確かにあなた一人の力では厳しいかもしれない。でも、私はなにも一人で頑張れなどとは言っていない。そんなふうに。
「あのさ、人の厚意を無駄にした上に勝手に諦めないで。まだやれることはあるでしょう」
あすかはそれがなんなのか分からないというように首を傾げる。そりゃあそうだ。一人ぼっちでは見えない道だったのだから。
「あなたへのいじめは必ず解決できる。それは私が保証するよ」
言うと、彼女は驚いたように目を見開いた。その瞳に浮かんでいた絶望が、ほんの少しだけ希望に染まっていた。きっとこの台詞は彼女がずっと望んできたものだ。だってこの前の訪問時、去り際に私に質問してきた時と同じ瞳の色を彼女がしていたから。
「だから、あなたも誓って欲しい」
状況を改善するには、辛い選択もしなければならない。いざという時、迷わないためにもその判断は早めに行わなければならない。
「それは、どんなこと?」
「月曜日から、最初は保健室登校でもいい。午前中に帰るのでもいい。学校に来て」
それは多分、あすかにとってとても辛い提案だ。そんなことは分かっているけれど、私は言わなければならなかった。
あすかは無言になった。希望はまだその瞳に浮かんでいる。私は話を続けた。
「そして私と一緒に、山口先生に直談判をする。信じてくれるかは分からない。まあ、信じなかったら今度こそあいつは無能以下の存在になるな」
どうなるかは分からない。ただ、やってみる価値は十分すぎるほどある。私はそれ以上話さずに、ただあすかの回答に委ねた。
あすかは少しの無言のあとに、何か言おうとしてちょっと
「いい……けど、その、朝、一緒に登校してほしい」
心細そうに言うあすかの心情はなんとなく察することが出来る。正直少し面倒だが、それで彼女が学校に来てくれるというのなら、悪くない。
「分かった。いいよ。一緒に登校しよう」
私が言った後のあすかの安心した表情には、ほんの少しだけ涙が添えてあった。
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