第13話 神島は再訪する

 休日に入れた予定のためにわざわざ外出することなんて、もうどれぐらいぶりだか分からない。


 天気の良い土曜日。晴天ではあるが風が強く、もう五月にもなっているというのに、気温が低めなので、生粋の寒がりである私には少々辛いところがあった。氷とかいう寒さの申し子みたいな名前をしているのに、どうしてそれに矛盾したような体質なのだろう。


 目的地までそう距離は無いが、喉が渇いたし、ついでに何か買っていこうという思いもあって、私は休憩がてら道中のコンビニに寄ることにした。


 買うのなら温かい物の方がいい。そう思って、温かいカフェオレと、加えてツナマヨおにぎりを手に取る。どちらも私の好きなものだ。実はおにぎりは辛子明太子とも迷ったが、今日は気分でもないのでツナマヨにさせていただく。


 そんなこんなで会計を済ませてから早速、私はイートインスペースの椅子に座り、おにぎりの包装を開いてかぶりついた。そして食べながら、今の私の状況について少し考察を巡らせることにした。


 さて、昨日をもって私の小さな計画は、少し想定外のことはあったものの、無事に全て遂行された。小さな計画とはもちろん、事故の真相を知るために練ったもののことである。


 この小さな計画において、あすかは決して殺人を企てるような真似をしていないこと。その代わり私の行動が彩乃の殺人未遂を引き起こしていたことが分かったわけだが、正直言って、やる意味があったのか、今考えてみるとなんだか怪しく思えてくる。


 結局、私の本命の目標は、あすかへのいじめをなくすこと。そして、彩乃に文字通り死ぬほど惨めな思いをさせて二度とこのようなことを起こさぬよう徹底的に糾弾きゅうだんすることだ。


 だからそう考えると、今回の行動はいじめの解決に関しては繋がりが薄く、あまり有意義なことをしていたとは言えない気がしてきた。


 私と、あとおまけで蒼葉も、事故の真相を知ることができたとはいえ、クラス内で、あの噂は嘘で真実はこれだ、などと語っても信じられるはずがない。だから、彩乃に惨めな思いをさせられるという点も望み薄になってくる。


 例えば、たまたま事故現場の交差点の映像を全て映したカメラがあったとしてそれの映像が手に入ったりすれば話は別だが、私も蒼葉も犯人からの自白をこの耳で聞いただけで記録に残っているわけでもないし――


 そう考えて、少し後悔の念がよぎる。ああ、私は何故昨日、彩乃の発言を録音するという発想が思いつかなかったのだろう。


 今更気がついてハッとした。あんなに丁寧な自白をしてくれていたのだ。確かにあの状況でスマートフォンを出していたら不審がられていただろうが、もしそうだとしてもなんとかしてあれは録音するべきだったじゃないか。


 いや、自責しても今更もう遅いか。一旦落ち着きを取り戻すためカフェオレのペットボトルのキャップを開き一口飲む。


 とにかく、事実として私はあまり有意義ではない計画の遂行に時間を費やしてしまったわけだ。


 勿体ないことをした、と僅かに悔しい気持ちも湧いてくるが、しかしもちろん、全てが終わってから突然それに気づいたわけでもない。


 本当は病院へ面会に行く前から、薄々気づいてはいた。こんな方法は全然効率的じゃない。本来ならあすかの家へ訪問したあの日、質問なんかそっちのけで学校に来なさいと説教していればよかった。そして彩乃が入院している期間を有効に使って、今度こそいじめられていることを担任に告白するように強要でもすれば、それで今頃は全てが終わっているはずだった。


 そんなことは薄々気づいていた。それなのにどうして私は、こんな回りくどいことをしたのだろう。どうして私はあの日、あすかと対話してやることを選んだのだろう。


 よく分からない。よく分からないけれど、多分。


 私は、あすかに謝りたかったのだ。


 効率なんてかなぐり捨てて、自分だけが満足するような強引なやり方は控えて、知っても特段意味のない真相を知ることに奔走した。それは多分、彼女に謝りたい気持ちがあったから。


 でもどうしてかと問われると、私にもどうしてか分からない。答えはどこだろう。今からそれが見つかったりはするのだろうか。


 おにぎりを食べ終えてからコンビニを出て、カフェオレ片手に、また少しの間強い風に吹かれながら歩く。街路樹たちがざわめく音を聞きながら、いつも通る見慣れた道から外れて路地を通った。辿りついた先は至って普通と言える住宅街。


 私の家から目的地まではどうやらそれなりに近いらしいということを実感しつつ、私はインターホンの前に立った。その上には白谷家という表札がかかっている。


 私はほんの少し躊躇して、それからええいどうにでもなれなんて思いでインターホンを押した。



           ●



「水曜日ぶりね。あすかさん」


「あ、うん。そうだね」


 あすかの部屋には三日前よりもスムーズに入れてもらうことができた。


 私はあの日と同じようにローテーブルの傍に正座していて、あすかはあの日と違ってベッドの上ではなくテーブルの向かい側に座っている。


 心なしか前回よりも彼女に警戒されていないように感じた。どういうことだろう。学校帰りに制服で来られるよりは、休日に私服で来られる方が精神的に楽だったりするのだろうか。


「あの、神島さん。今日は何をしに来たの?」


 あすかは少し気まずそうに言う。前回と同じで、突然の訪問なのだからそれは当然の疑問だった。ただ、何をしに来たのかと訊かれると今回は上手く答えられなかった。答えがないわけではないのだ。


 ただ、喉の奥から言葉が出てこない。今からこの言葉を言うことが、私にはとても恥ずかしく感じられる。話すのに勇気が必要だったのだ。こんなことは珍しい。


 どうして私はこんなにも緊張しているのだろう。


「……あの、神島さん?」


「あのね、あすかさん。私、あなたに……謝らなければいけないことがあって。だから、今日はあなたに謝罪しに来たの」


 ようやく言えたその言葉に対して、あすかはあまり困惑していない様子だった。


 ただ、あすかは何も言わなかった。表情も変えない。まっすぐ私の顔を見つめてきていた。


 私は続けて言葉を発した。


「ごめんなさい。あなたが不登校になる前日のあの日。昇降口のロッカーに泥を詰めたのは私だったの。机に落書きをしたのも、私だった。それを……隠すつもりはなかったんだけど。まあ、言わなかったんだから同じか……」


 まだ、あすかは何も言わない。返答に困り果てているのかもしれないと思った。


「あすかさんが危うく死にかけたのは私のせい。だから、本当にごめんなさい」


 そこまで言うと、あすかは何か気づきを得たような顔をする。正直言って、今の私は彼女がどんな返事をするか、怒り出すのか、泣き出してしまうのか、そんなことをとても恐れていた。


 謝ったところで許されるとは思っていない。多分私の謝罪は彼女の感情をぐちゃぐちゃにかき乱してしまうだろう。そう思うと申し訳ないという気持ちがこみ上げてきた。


 だが、ようやっと口を開いてくれた彼女は私の予想と反して、とても穏やかに話を進める。


「そっか。やっぱりそうだったんだね」


 あすかはちょっと安心したように、いや、それどころか嬉しそうに笑って、逆に暗澹あんたんたる表情をしているであろう私の顔を不思議そうに見つめてきた。

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