第12話 神島は休息する
お風呂場で眼鏡をかけると、視界が曇ってしまって足元が見えないので危険だとは言うが、眼鏡をかけていなくたってどっちみち目の前が見えないのだから同じな気もする。まあ結局それでなくたって、お風呂場に眼鏡を持ってくると劣化を早めるだとか言うし、かけないで入るのだが。
そういえば、視力が悪い人は眼鏡をかけていないと、よく見えないから目を細める、という行為をするのでそのせいで目つきが悪くなるのだという。そうなのか、とこれを初めて知った幼い頃の私は素直に感心したものだが、ただ、幼いながらにこの情報は正確性が欠けているなあとも思っていた。
何故なら視力が悪い中そんなことを指摘されたって、本人は目が悪いせいでその自分の姿を見ることができなくてどんなふうなのか分からないからだ。
かく言う私も中学生の時、「氷ってなんであんなに目つき悪いんだろうね」などという悪口を、聞こえる位置で言われたことがあるが、ちょっと待て、眼鏡をかけていて目つきが悪い判定ならば眼鏡をかけていない時の私はどうなっているんだ、などと答えの分からない疑問が浮かんできて苦しめられたものである。
しかし恐らく、同じように眼鏡をかけている母さんが「別にそんなに変わんないよ。それより逆に私が変わってるか教えてほしいんだけど」なんて言って眼鏡を外してもいつもと変わらず目つきが悪かったので、私たちは親子揃って眼鏡をかけていてもかけていなくても常時同程度に目つきが悪い人間なのだろうという結論に今のところ至っている状況だ。
それにしても、目つきが悪い、か。常時目つきが悪いということは、自分が意識していない浴槽のお湯に浸かっている今この瞬間も目つきが悪いわけで、この後お風呂から上がって眼鏡をかけてパジャマを着て寝るまでの間もずっと目つきが悪いということなんだろう。もっと言うのならば、これまでずっとそうだったということで、ということはこれはそもそも私の生来の特徴で、母さんからの遺伝なのだろう。
だから、わざわざ聞こえるようにどうして目つきが悪いのかなどと悪口を言われても、生まれつきなんだけど、という回答で終わってしまう。なのにどうしてそんなものが私を傷心させるための悪口に選ばれたのだろうか。
私はこのことをたまに思い返して疑問に思うのだ。
一応、持論はある。今のところ私が思うには、自分の容姿が良いか悪いかという判断は本当は周囲に委ねるのが普通らしいのだが、私はそこがズレていて、自分の評価を第一優先とする。その違いが、認識の差に繋がっているのだろう。
普通側の人々には、周囲が自分を気に入ってくれる容姿でいなければならないという強迫観念でもあるのだろうか。他人に気に入られるための服装にして、場合によっては他人に気に入られるためのメイクもして、また場合によってはいくら何をしても他人に気に入られる容姿になれないからといって元からの自分を変えようと整形したりして。
私からすればなんでそれが普通なんだとは思う。
自分自身の姿なのに他人の評価のためにそれを変えるとかいうのは意味不明だし、別に自分がそれを好きだとか気に入っているのなら他人にとやかく言われたところでそれで良くないか。
もちろん、学校の校則などで規範が定められている場合は流石にこの限りではないが、日本中のどこを探したって目つきが悪いと生徒指導などという理不尽な校則などないだろう。そのような点からして、やはり私には『普通』への感情的な理解が及ばない。
ふと、はぁとため息が出た。
すると、その息に混じった陰鬱な気がお風呂のもわんとしたぬるい空気の中に溶けていく感じがして、少しすっきりする。お風呂は暗い気持ちを吹き飛ばすのにちょうどいい。
今日はだいぶ気疲れしたから、余計に今が至福の時間に感じられた。
考えてみると彩乃に正体がバレたことなんてどうということはない。むしろ、彼女が嘘をついていることを確定させられたのだから万々歳である。あとは、これからどうするか考えることが重要なだけだしな。
しばらくしてお風呂から上がり、私はパジャマに着替えると、ドライヤーで髪を乾かし始めた。
短い黒髪が温風になびいて、さっき使ったシャンプーの匂いがほのかに香ってくる。沢山髪をわしゃわしゃして、それで終わり。
長髪だと乾かすのにそれなりに時間をかけるらしいが、具体的にこの何倍くらい時間をかけるのだろう。いや、考えていても仕方がないか。
私は短い髪の自分が好きだ。それに、ただでさえくせ毛なのにロングにしたら寝癖が酷いことになりそうだ。だからたとえこの髪型を似合わないと言われることがあったって変える気はさらさらない。
ドライヤーを置いて、歯を磨く。それから寝室に向かうまでの過程としてリビングを通り、そこでふと思い出したように私は写真と向き合った。
久しぶりに手でも合わせておくか。そんな気持ちになったのは、多分気まぐれではなくて最近の出来事が影響しているからだろう。
背の低い棚の上に立てかけられた遺影に映る男性は、母さんが言うには私の父親らしい。ただ、私が言葉一つも発せない頃に亡くなったというので何度見ても見知らぬ男性だとしか思えない。
昔から、いくつか彼にまつわる話を母さんに聞かされてきたことはあった。その度にどうやら本当に私の父親らしいと納得感を強める一方で、やはり本当にそうなのだろうかという疑問は拭いきれなかった。
写真の中の父親は、いかにも幸せそうな顔で笑っている。そんな実の父親に対してこんなことを言うのははばかられるべきことだと思うのだが、正直言って少し気持ち悪い。もちろん、その顔が醜いとかではないし、笑顔でいるのは多分良い事だ。
でも、それが父親であると言われると、なんだか違和感を覚えてしまう。私と似ている感じがしないし、第一、母さんはどのようにしてこの人を好きになったのだろう。
そうか。考えていて気づく。あの母さんでも人を好きになったことがあるのか。母さんの性格がまるっきり遺伝したような私には、好きになるという概念どころか、友情とか、仲が良くなるということさえもよく分かっていないのに。
でも、母さんでも人を愛することが出来たのなら、いずれ私にも出来る日が来るのだろうか。
「氷ちゃんって案外優しいんだね!」
ふと、かつて聞いたその台詞がもう一度舞い込んでくるかのように頭の中に流れてきた。案外ってなんだよ、嫌味か。なんて思ったりしたあの子の台詞。
もし私があの時、あの子の手を取っていたら。そしてその後、あの子のために手を差し伸べられていたら。私は彼女に友情を感じることが出来ていたのだろうか。今頃、彼女と友人という間柄になって笑い合えていたのだろうか。
こればかりは考えても分からない。誰かに訊くこともできない。
思い返してみても、ただ、後悔の念が頭の中をいっぱいに埋め尽くして物悲しくなるだけだ。
そろそろ寝室に向かうか、と思い、リビングを出て玄関を通る。声をかけられたのはちょうどその時だった。
「氷、まだ起きてたの。早く寝なさいよ」
スマートフォンを片手に階段を登ろうとしていたら、ちょうどのタイミングで母さんが帰宅してきてそんな言葉を投げかけられた。
いやいや、こんな遅い時間にやっと仕事から帰ってきたあなたこそ早く寝たほうがいいでしょう、なんていう感想を抱きつつ「分かってるよ。おやすみ」と言って階段を上がる。そっちの方が余程疲れているだろうに、親というのは子供の前ではいつも親の役割をしていなければいけないみたいだから大変なものだなあ、と思った。
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