第11話 神島は真相に辿り着く

 彩乃はあんなことしない。あんな、証拠が残ってしまって教職員にバレるきっかけを作ってしまうようないじめはしない。やったのは彩乃以外の人間だ。


 そして、それは私だ。


 最初のうち、彩乃はそれを知らなかっただろう。


 一体誰がやったのか。彩乃はあの日、そうやって疑問に思ったはずだ。だって、自分がやった覚えなどないのだから。


 そしてすぐに、これはきっと自分の所業を教職員たちにバラそうとしている人間のやったことだと思ったはずだ。だって、わざと証拠に残すような意図が感じられるものだったから。


 ただ、いくらなんでも具体的に誰かまでは分からない。一体誰なのか、全員を疑い疑心暗鬼になって、少しの間目くらましになれば、彩乃の行動の妨げになる。私はそうなるだろうと思っていた。そう思っていたからやった。


 なのに、そうはならなかった。


 どうやら、私が不用心すぎたらしい。


 あすかの家へ訪問した日、彼女が言っていた。突き飛ばされる直前、彩乃から言われたことがあったと。


「お前、朝のやつなんなんだよ。自演しやがっただろっ!」


 あすかに向かって、怒り狂ったようにそう言っていたらしい。


 つまり、彩乃は撹乱かくらんなどしなかった。あの日、彩乃は真っ先にあすかを疑って殺そうとしたのだ。それが事故の原因であり真相だった。


 そしてそれは、巡り巡って私の行動があすかを殺すことに繋がりそうだったということでもある。


 これだ。これがまさに私が知ろうとしていたことだった。


 私が事故の真相を介して知りたかったことは二つ。


 一つは、あすかが本当に殺人を企てるような悪人であったのか、ということ。


 そしてもう一つは、今回の殺人未遂は私の行動がきっかけとなって起こったことなのか、ということだった。


 最初からずっと、私が噂の真偽を確かめようと行動していた理由はそれだった。


 あすかの家に訪問して事故の概要を訊こうと思ったのも、彩乃があすかの証言に対してどのような嘘で対応してくるか確かめようと思ったのも、それが理由。


 事故と不登校が重なったのが偶然の一致だったなら、私に責任はない。けれど、もし偶然の一致ではなかったら? なんらかのトラブルがあったとしたら? もし、そのなんらかのトラブルが、私の行動から引き起こされたものだとしたら? そんなことがあったとなれば、流石の私も動揺くらいする。


 だから、私にとって噂の真偽は重要だったのだ。


 噂は、結局嘘の内容だった。けれど、私の行動はあすかの死に繋がりかけていた。


 もちろん結果として、彩乃が負傷することになりはした。その代わりに彩乃が撥ねられるのを目の前で見てしまったあすかが不登校にもなってしまったが。


 そこで彩乃は思ったのだろう。あれをやったのはあすかではなかったのか。それなら、あれは一体誰だ。


 そこで、候補に上がる人間は沢山いただろう。


 そうだ、彩乃が噂を流したのは、自分がやったことを隠すためだけじゃなかったのだ。私はどうして気づくことができなかったのだろう。


 彩乃は、私を炙り出すために噂を流していたに違いない。あれをやったやつは絶対に噂の流れには乗らない。そう踏んでいたから。


 そしてそれは見事成功し、私を探し当てた。怪しいやつの態度や普段の生活を手下たちに監視させ、私に辿り着いたのだろう。


 あれをやったのは神島氷だ。ほとんどそういうふうに目星は着いていただろう。ただ、それが真実である確証はない。それを知るためにはどうすればいいか。次に彩乃はそう考えたはず。


 そしてその方法はとても簡単だ。私があすかにして、また彼女にもやろうとしていたことと同じことをする。つまり、本人に直接訊けばいいのだ。


 ただ、それは本当は、彩乃が退院してからの予定だったのかもしれない。今日こうなる予定ではなかったのかもしれない。


 けれど、私は今日訪れてきてしまった。だから今日、彩乃は私にカマをかけてきたのだ。私と同じで不確かなことの真偽を確かめるために。


 すべてはきっと、そういうことだったのだ。


 とにかく、バレてしまったなら仕方ない。どうせ、これからは隠れて行動など出来ないはずだ。それなら、影でコソコソせずに正々堂々向き合ってやる。


「どうしてあんなことをしたの?」


 彩乃は異常な物を見る目で私を見ている。蒼葉は物も言わずにただこの状況を見届けようとしているようだった。きっと、ビビっているだけだからだろうが、今はそれでいい。それが助かる。


 私が彼女の問いに答えるのはとても簡単だった。だって、私の行動は単純な一つの感情から引き起こされたものだったから。


「何があっても、いじめは許されるべきじゃないと私は思ってる。それに、沢山の吐瀉物を煮詰めてゴミ収集所から拾ってきた汚い空き瓶にそれを瓶詰めしたような性格をしてるお前ごときがいじめをしてる事実が反吐が出そうなほど気に食わなかった。お前が大嫌いで大嫌いで、だから正義感に燃えたの」


 それ以上でもそれ以下でもない。


 あすかが可哀想だとか、助けてあげたいだとか、そんなことを思って行動していたのなら、きっと私はあの子にとっての正義のヒーローになれていただろう。


 でも私は違う。私はあすかに同情できるような豊かな感性は持ち合わせていない。私は、あの子の気持ちを論理的に理解することしかできない。


 ただ、いじめというものは、例えどのような理由があろうとも、私の正義に反する。それと、私は野田彩乃という人間が大嫌いだ。それを慕うようなクラス内の風潮も、いじめが悪いものだと分かっていながら知らぬ存ぜぬ我関せずなどと振る舞う人間も、私は大嫌いだ。


 そして、私自身がそれらに嫌悪感を持っていながら、何も行動を起こさないというのは、あの頃と同じ過ちを繰り返すということになる。そうなってしまったら、今度こそ私は私自身を大嫌いになりそうだ。


 だから私は行動している。いじめを解決しようとしている。ただそれだけの話。


「なんだそれきっしょ。神島、あんた救世主にでもなったつもりかよ。いつも自分以外の人間を全員軽蔑してるような目で見てさ、余裕ぶってるのキモいんだよ」


 そんなこと知っている。


「あんたは善人なんかじゃない。あすかを助けたいんじゃなくて、あすかを助けようとしてる自分が好きなだけだろ」


 それも、きっとそうなのだろう。


 でも、それのどこが悪いことなのか。


「私をどれだけ罵ろうと、あなたが私よりずっとクズであることに変わりはないと思うんだけど」


「は?」


 病室内が不穏な空気になる。


 彩乃から溢れ出す負の感情が部屋中を覆い尽くしているように感じる。


 彩乃がその感情に任せて何かを喚こうとしたその時だった。


「ちょっ、本当に二人とも一旦落ち着こう! ここで言い合いしてても解決することじゃないし!」


 突然、蒼葉が私と彩乃の睨み合いの間に入りそう言う。だいぶ焦ったような顔をしていた。


「なあ、今日のところは一旦帰ろう。お互い言いたいことがあるにしても、病院で喧嘩するのは迷惑だからさあ」


 意を決したようにそう言ってくれたことで、不穏な空気がさっぱりと消えていく。蒼葉は懇願するように私と、それから彩乃の顔を交互に見て訴えた。


 あのまま、彩乃の言葉を聞いていたらどうなっていたのだろう。多分、死ねとか殺すとか、そういう暴言を吐かれたんだろう。


 それなら、私もそろそろ潮時かと思った。


 蒼葉は、もう目的は達成したんだから良いだろ、というような目配せをしてきている。いや、実際はどうなのかという確証はないが。


 一旦ここは退くべきか。


「わかった。帰ることにする」


 そう言うと、彼は安堵のため息を吐いて、私たちの間からゆっくり動いた。まだ若干腰を低くして怯えるように歩きながら。


 彩乃は、さっきの場所から視線を動かしていなかったようで、私のことをまだ睨んでいた。本当ならその両目に割り箸を突き刺してやりたいぐらいの気持ちだが、仕方ない。


「じゃあね、彩乃さん」


 帰り際に彩乃の方を一瞥してそう言っても、何も反応はなかった。


 しかし、背を向けた瞬間に言われた。


「逃げるんだね。神島」


 それは、心底馬鹿にしたような口調だった。


 さっきから思っていたが、どうしてこいつは相手のことを自分よりも弱いものだと捉えたがるのだろう。いつも自分を慕うような人間や、あすかばっかりと接してきて自分に反抗してくる人間などいるはずがないと思っているからだろうか。


「逃げるっていうか、真面目に相手にするだけ馬鹿馬鹿しいかもって思い直しただけだよ」


 もしそうなのだとしたら、それはとんだ勘違いだ。


 そんなことを思いながら、私は病室を出た。

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