第10話 神島は看破する

「まあでも、そろそろ手打ちにしてもいいんじゃないか。ここまで来たら復讐って言ったって十分な気がするけど」


 彩乃の先程の発言に対し、蒼葉はまるで猛獣のたてがみをできるだけ優しく撫でるようにそう指摘する。興奮させてしまって自分の腕が食われないようにするみたいに。


 それは要するに、このへんでもういじめはやめにしておこうということだ。


 しかしやはり、ここで彩乃が肯定するような言葉を発するわけがなかった。


「何言ってんの。あのクズさ、まだ最悪な態度のままでしょ。もう何度も言ってるけどさ、あいつ、人の元彼奪っておいて平気で被害者面してたんだよ。そんで、絶対に自分の非を認めない。だからどうせ今だって自分のせいじゃないとか思いながら引きこもってんでしょ。それなら罪自覚するまで許すわけないしー」


 彩乃は半笑いで言っている。しかしそれを言っているときの彼女の声は先程よりずっと低く、怒りを含んだ声色になっていた。腹の底から湧き上がってきた怒りが煮え立っている。そんなふうに感じる。


 実は今述べられたのが、彩乃があすかをいじめ始めた原因だった。


 たかが一人の人間への執着から生まれた気持ちが引き起こした行動。それなのに、彼女はこの怒りだけで一年もあすかをいじめてきているわけである。そこから彼女の怒りがどの程度か窺い知れるなと思った。


 それこそ、機会さえあれば殺してしまってもいい。それぐらいには醸成されていると感じる。


 私はまた思い出す。机に残る『泥棒女』という文字列を。


 そう、彩乃にとってあすかは泥棒女だ。愛する人間を奪った憎むべき人間。けれどそれをあすかは認めようとしない。心からの謝罪をしない。だから罪の自覚をするまで徹底的に傷つける。


 彼女があすかをいじめるのはそういう理由だ。


 事の発端については、一年生の頃のことだろうから詳しくは知らない。彩乃が指す元彼という人間がどういう人物なのかなんて知ったこっちゃない。


 ただ、そんな嫉妬だとかのしょうもない感情の回路が出来上がったことで、彼女はそれを論理立てて正当化、もとい詭弁きべんで周りを騙すことによって、周囲を巻き込んで今日まであすかを追い詰めてきたという事実がある。今はそれだけが重要だ。


 私にはそれが、全く正義の所業には思えなかった。


「ていうか、神島もいるしもう話しちゃっていいかなあ」


 彩乃は突然、宣言するようにそう言って、面白そうに私の顔を見る。なんだ、一体。


 彼女の感情は大体透けて見える。けれど、奥底で何を企んでいるか分からない。何かは企んでいるのだろう。だが、その何かとは一体なんなのか私にはいまいち見当がつかなかった。


「なにか特別な話?」


「そう、いつも私たちばっか叱ってくるのうざいからさ、たまにはあすかにもブチ切れてきてよ」


 可笑おかしそうに言う彩乃を見て、私と蒼葉は思わず顔を見合わせる。一体何の話をするというのか。


 ただ分からないとはいえ、何か重要な話ではある気がした。


「あすかがさ、遂にやりやがったのね。もう性根腐ってる人間は違うなって思ったっていうか」


 彩乃ははっきり先を言わずに勿体ぶって言う。そこから一転して、私は話の内容をなんとなく察せたような気がした。


 彼女は恐らく、私が聞きたかったことを自分から言おうとしているのではないだろうか。私たちにだけ特別に衝撃の事実をバラすみたいにして。


 それはずばり、事故の概要、詳細の話。彼女はそれを自分から話そうとしてくれているのだ。もちろん、ありもしない事実に更にたっぷりと脚色を添えたものを。


「私が骨折した原因なんだけどさ。学校帰りだったんだけどね、私、横断歩道で信号待ってたの。そしたらさ、後ろから誰かに押されたんだよ!」


 これだけでもビックリでしょみたいに彼女は言う。だが、ここまでは想定の範囲内だ。


 やはり、彼女の言い分では自分が押された側なんだな。


「そのせいでその時ちょうど通った車に撥ねられちゃって。痛みで朦朧もうろうとしてたんだけど、でもさ、犯人の顔はちゃんと見えたんだよね。私もびっくりしたんだけどさ、あれ、絶対あすかだったんだよ」


 どう、すごいでしょ、と言いたげに彩乃は私たちの顔を交互に見てくる。壮大な自慢話を終えたあとみたいに、彼女はどこか満足気な表情だった。


「え、ほんとか!? クラスでも同じような噂が流れてたけど、やっぱそうだったんだな……」


 いや、簡単に鵜呑みにしすぎだろこいつ。純粋に驚いている蒼葉の阿呆らしさを私は俯瞰的に見つめる。


 その様子とは対照的と言うべきか、私は彩乃の発言など全く信じられなかった。むしろ、その言い草からすぐに嘘だと確信がついていた。


 何故なら、あすかが全てを喋ってくれていたから。そしてそちらこそが真実なのだと私は信じているからだ。


 だから、全くもって驚くことなどなかった。


「まじ? クラスでも噂流れてるんだ。誰か現場見てたのかな。ていうか本当にやばくない? これ、警察に通報してもいいやつだよね。神島どころの話じゃないわー」


 その、もはやわざとらしく見える演技に、私は笑いそうになる。


 なるほど、分かった。


 きっと、あの噂は最初から彩乃が流していたのだ。


 あすかが犯人。あやのが被害者。


 今回の事故を上手く使って、よりあすかが孤立するように、見舞いに来たクラスメイトにそう虚言を吐いたり、メールで手下たちに頼んだりしたのだろう。そして、嘘がクラス内で噂として流れるように彼女自身がしていたのだ。


 きっと今だって私たちを騙そうとしている。噂だけでは現実味がないから、そこへ自分が登場し同じ証言をすることで、確実に信じさせようとしているのだ。


 それもこれも、流石に自分の立場が危うくなってしまいそうな事実を隠蔽するため。本当は、自分が加害者であることを隠すため。


 はあ、何が元彼奪って被害者面だよ。お前も同じことしてるじゃねえか。そんなことを思いながら、私はこみ上げてくる笑みをこらえて話した。


「ねえ、本当は嘘でしょそれ」


「ん?」


 彩乃があすかの酷さについて蒼葉に力説しているところを遮るように言うと、彼女はゆっくりと私の方へ顔を向けた。


 もう、全て指摘してしまおう。今、私は彼女に悔しそうな顔をさせる自信があった。


 真実を暴いて、それで終わりだ。


「あすかさんに訊いたの。本当はあの日、彩乃さんがあすかさんを押そうとしたんだって。さっきのは嘘で、あなたがあすかさんを道路側に押し出そうとしたんでしょ。でも、あの子はギリギリで後ろから迫る存在に気づいて避けることができた。対してあなたは勢いをつけていたのでそのまま道路に飛び出してしまった。だから、滑稽にも車に撥ねられた。それが本当の話なんでしょう。クラスで噂が流れていたのを知らないように振舞っていたのも嘘。本当はあなたが流し始めた噂のはずだよね」


 そう、本当は立場が逆だったのだ。


 彩乃があすかを車道側に突き飛ばそうとした。あすかが本来、後ろから突き飛ばされる側だった。少なくともそれが、あすかから聞いた、私の信じる真相だ。


 蒼葉が横で息を呑んだのが分かった。彩乃が今までの笑顔をさっぱり消して私を睨んでいた。


 その表情から察することが出来る。やったのだ。私は答えを出したのだ。看破したのだ。彼女の思惑を。そして、これで終わった。








 そう、思って油断していた。


「へえ、そう」


 彩乃の私を見る目つきに先程よりも更にたっぷりの殺気が含まれている。そしてその声は、彩乃があすかを罵倒する時と同じ。冷ややかで、同時に憎しみがこもっていて、いつもより何段も低い声だ。


「神島、神島こおり。やっぱり、んだ。元々、あんたは嗅ぎ回るのが上手いって聞いてたんだよ。それに、その冷たい態度が気に食わないからずっと疑ってた。ミナも言ってたけど、やっぱ正解じゃんかよ」


 私には、彼女が何を言っているのか分からなかった。私は、正解を言ったんじゃないのか。私が探し当てたんじゃないのか。なんで、私が探し当てられたみたいに彩乃は言っているんだ。


「かっこよかった。推理してる探偵みたいだったね。それにしてはちょっと内容薄かったけど。でも、さっきので全部あってるよ。確かに、私はあすかを殺そうとした」


 どうして、彩乃はこうも淡々と話すことが出来る。開き直っただけ、ただそれだけだろうか。


 いや違う。彼女は明らかに私のことを見下して話している。今、自分が優位に立っているという口ぶりで話している。何か、私が間違えたのだろうか。


「でも、殺すのに失敗したんだよ。そのせいで私だけがこんな目に遭っちゃって。で、まあもちろんあいつは死んで当然の人間だと私は思ってるけどさ、殺そうとしたなんて言ったら流石に皆もびっくりするでしょ。だから噂が流れるようにしたの。あすかが私を殺そうとしたんだって。うん、だから私が流し始めた噂だって推理も当たってる。本当はでもあったんだけどね」


 彩乃の不気味なくらいの真顔が、怖いくらいの笑顔に彩られていく。


「ありがとう。そうやって正解を見つけてくれて。これであんただって確信がついたよ」


 しかしその声色は相変わらず鋭く冷たく、それでいて核心とともに私の脳天もろとも貫こうとしているんじゃないかというものだった。


「ねえ、訊きたいんだけどさ、あの日ロッカーに泥詰めたのと机に落書きしたの、?」


 そう訊かれて悟った。


 そうか、彩乃の目的は最初からこれだったんだ。私が看破する前、最初からずっと、実は私が彼女の手のひらの上にいたんだ。


 私が彼女を罠にはめたと思っていた。でも違う。私が彼女の罠にはめられていたのだ。ずっと誘導されていたのだ。


 どうしてあの時気づかなかったのだろう。最初に殺気立った視線を向けられた時、何か企んでるかもしれないって思ったはずだ。そして、実際あの時から彼女は企んでいたはずだったのに。


 いや、そんな過去を省みたってキリがない。今は目の前のことに集中しろ。


 私は、彩乃が向けてくる睨みを利かせた視線から一切目を逸らさない。そして答える。


「全部バレてたか。そうだね、どっちもやったのは私だよ」 

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