第6話 神島は告白を聞く2

 あすかは悔しそうに泣いていた。そして、またなにか反論したげに口を開いたが上手く言葉が思いつかないようだった。


 我慢しても垂れてくる鼻水をすすりながら、しきりにしゃくり上げる。頬を伝った涙がフローリングの床に落ちていく。


 私はそれに乗じて言葉を続ける。


「あのね知らないのも無理はないけど、私、始業式の日にあすかさんがいじめられてると知ってからすぐに山口先生には報告したの」


 そう言うと、あすかは探していた言葉を失った様子になり、呆然とした顔で私を見つめた。


「え、じゃあなんで……」


「私にも分からない。何故か、あの無能はなんの対応もしなかった」


 私はあすかの絶望混じりのその問いに明確な理由を返答することはできない。


 今度こそぶつける怒りがどこにも無くなったように、もうどうしようも無くなったというように、あすかは何も言わない。


「まあ、去年も学級委員長やってたのが裏目に出たのかもしれない。神島は正義感が強すぎるところがあるとかなんとか言われたし、白谷は一年生の時からああいう子だしちょっといじられてるだけなんじゃないか、とかなんとか訳分からない御託を諭すように並べ立てて終わりやがった。あの無能担任は信じてくれなかったよ」


 加熱していた部屋全体の空気が一気に冷却されていくようだった。あすかの怒りが果てしない悲しみに変わったようだった。


「だからあの日私は、あすかさんに言ったの。山口に言ったらって」


 脳内で、ロッカーの前でただ困ったようにだんまりを続けていたあすかの姿が思い返される。


「無能の山口でも本人から言われれば流石に信じるはずだと思ったから。それに、あの日、あなたにはいじめを受けている証拠にできるものがいくつもあったから」


 ロッカーに詰まった泥、おびただしい量の机の落書き、見せるだけで流石にあすかは変人だからというような言い分では説明できない現場は揃っていた。あの日は彼女がいじめを証明し、解消できるかもしれない日だった。それなのに彼女はその機会を棒に振ったのだ。


 気づくと、あすかの涙は枯れていた。あすかは、びしょびしょの顔面をパジャマの袖で拭うと、またゆっくりベッドの上に腰掛けた。


「……ごめん。私、ちょっと感情的になりすぎた」


 その変わりように私は少し感心する。やっぱり、あすかは感情に振り回されてしまう人間だ。自分でも怖いほど冷静でいられてしまうことの方が多い私からすればそれは僅かに羨ましくもあった。


「はあ、神島さんの言う通りだね。……私は、勇気が出ないだけの無力な弱虫だ。私、いじめを告白したら、その報復とか復讐があるかもしれない、ってそう思うと怖かった。だから無理だった。いや、無理って思うようにしてた」


 無理、という言葉があの日の記憶と重なる。


 ずっと同じことを思いながら呆れていたことなのに、あすか本人の口からそれを語られることでちょっぴり可哀想にも思える。


「私ってやっぱ駄目人間だなあ。どうしようもないや。こんな目に遭っても仕方ないやつなのにさ、なんで言い訳なんかしてるんだろう」


 まだ頬を伝っていく涙の残滓と対照的に、彼女は少し笑う。


 それを見てまた思った。やっぱり彼女は悪人じゃない。大丈夫だ。


「あすかさん、ねえ、質問の答えを正直に言うって約束して。私は、あなたのことを信じてるからここに来たの。決してあなたを説教したかったわけじゃない」


 そう、私はこんなことをしに来たかったわけじゃない。彼女を泣かせるつもりも無かった。ただ訊きたかった。


「弱虫で、意気地なしで、臆病者だって思ってるのは本当だけど、でも私はあなたのこと嫌いじゃないの。私は、あなたが駄目人間だとは思ってないから。だから正直に答えて」


 あすかが私の言い様にびっくりしたように、俯いていた顔を上げてこちらを見つめる。視線を向けてくるその瞳が、わずかにきらりと光ったような感じがした。


 元々、少しきつい言葉を投げかけた後に同情してやればすぐに心を許してくれて何でも話してくれるようになるだろうなどという魂胆ではあった。けれど、こんな風になるとは思っていなかったから、少々心は痛めたし、罪悪感も湧いた。


 なにしろ、今の私は見せかけでなく本当に彼女を可哀想には思っていたから。


「……わかった。けど何を?」


 あすかは決意したように言う。


「さっきの質問。あなた、本当に、あやのの事故について何も知らなかった? 全く関与してないって断言できる?」


 あすかは私の言葉を聞くと躊躇うように、少し悩む時間を欲するように唸る。私だったら眼鏡を眺めている状況だ。


 それなら大丈夫、きっと答えてくれる。


 やがて、あすかは口にした。


 悲しそうに、苦しそうに。


 そして、あすかの口から語り終えられた真実は、クラスメイト達が求めているようなものではなく、また、彼女自身が求めるようなものでもなかったことが明らかにされた。


 しばらく私は質疑をし、しばし気になる点について聞き取りを続ける。


 そして訪れた束の間の静寂のあと、私はプリントが入った紙袋をあすかに受け渡した。私の目標は達成することができた。


 これで、この場に用は無くなったわけだ。


 それから帰ろうとその場から立ち上がると、待ってとあすかに呼び止められた。


「ねえ、神島さんって何をしようとしてるの」


 それは、やはり当然の疑問だった。


 私は扉の取っ手を下ろしたところだった。


「教えてよ。質問しに来て真偽を確かめに来たとか、多分……それだけじゃないんだよね」


 あすかのその声は、確信を持っているというよりは願望を言葉にしているようだった。僅かな希望がそこにあると信じたくて発した言葉のようだった。


 しかしその通り、それだけのことが気になって私はここまで来たわけじゃない。


「余計なお世話だよ」


「あ、ごめん。でもやっぱり気になるっていうか」


 さっきの長ったらしい会話はなんだったのか、本心を打ち明けたくせに初対面に戻ったみたいにまた気まずそうに話すあすかを見ると、嫌いでは無いが、やはりこの子には呆れさせられると思った。


「違う。私がやろうとしてることがあなたにとっては余計なお世話だろうって意味だよ。わかるでしょ」


 周りのことを気にしてちゃなにも始まらない。私のやり方はあくまで独善的で、周囲の人間に迷惑がかかることなんて全く気にしていなくて、褒められたものではないかもしれない。けれど、そんなもん知るか。自由にやらせろ。


 それから、よく意味がわかっていなさそうなあすかに別れを告げて部屋から出ると、待ってましたと言わんばかりに階段の途中から母親の顔が現れた。


 あすかが随分騒がしかったからもしかすると聞き耳を立ててたかもしれないな、と思う。というかその方が自然だ、と思った。そして、聞かれていたら面倒だ。とも思った。


 しかし、心配そうな様子でありながら全然頭を下げて感謝されたので、なるほど、あすかの裏目に出るくらいの真面目さは母親譲りだったのか、と感心した。


 二人きりで話をさせてほしいとは言ったがそこまで忠実に守らなくてもバチは当たらないだろうに。


 ただまあそんなことは終わったことだからどうでもいいのだ。


 またここに来る機会はあるかもしれない。だから私は丁寧な口調に戻って、母親と少し会話してから家を出た。


 さて、明日は木曜か。


 どうせ病院は定休日だ。学校終わりにすることも無いし、その間にどう会話を展開するか、計画を練っておく時間にあてるのもありだろう。


 あすかよりも聞き出す難易度は数段も上がるかもしれない。あやのはお見舞いに来た私を見てどのような反応をするのだろう。いつも口うるさい学級委員長が来たというのでちょっとくらい嫌な顔をするのは想像がつく。だが、不審に思われるかどうかは別問題だ。


 いや、今考えても意味は無いか。


 起こるべきことは嫌でも起こるんだから不安に思っている暇はない。


 とりあえず私がまた気負わなければいけないのは明後日の学校帰り。今日は適当に本読むか動画サイトでも見て暇を潰してから寝ることにする。

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