第53話
「はあ?指輪? お嬢さまに指輪をあげたってこと…?」
「あ…。」
やらかした。 何だか誤解をしてしまったようだった。
「いや、それは、指輪に何か意味があるわけではなくて、その場を何とか凌ぐために仕方なく…。」
しかし、氷上さんは俺の話には聞く耳の持たずに頬を膨らませると、椅子から立ち上がりソファーへ行った。 それから、クッションを抱き締めては俺から背を向けた。 戸惑った俺はどう状況を打開するかを悩んだ。 さらには、ロードまで考えてみたが、ちょうどその時、ズボンのポケットに指輪がもう一つあることを思い出した。 急いでポケットの中を漁った。 幸いにも、そのままポケットの中に入っていた。 松根から買った髑髏の指輪が。 九空にあげた指輪もこの指輪も、正直、女性にあげるような指輪ではなかったが、あの不満そうな態度に、これでも渡して慰めなければと思い、氷上さんに近づいた。
「氷上さん、九空には、成り行きで渡してしまつただけなんだ。 そして、これはもともと氷上さんにあげようと思って買ったもので…。」
勿論嘘だが、時と場合によっては、嘘も方便なのだ。 氷上さんはその言葉にそっと振り返って俺の手の平を見つめた。 それが指輪だということを確認しては素早く奪っていった。 女性の好みのものとはかけ離れているため、投げ返されたらどうしようかと心配していたが、氷上はそれを指にはめると満面の笑みを浮かべた。意外と指が太いのか、男用の指輪でもサイズが合う様子だった。
「私が髑髏好きだということ、どうして分かったの?」
氷上さんはいつの間に機嫌を戻したのか、突然俺を抱きしめると頭を撫でながらささやいた。 急にテンションが頗る上がった。 勿論、髑髏好きだとは、知らなかった。 どう考えても運が良いとしか思えない。 そう言えば、彼女の外出用の服は、いつも黒色系だった。 少し、ハード系が好きなのか?
すると、唇をそっと突き出してみせた。
「ご挨拶は? いや、私がしてあげるわ。 可愛い弟、いや長谷川さん!」
すると、何といきなり唇を重ねて来た。 あの日適当にごまかしで使っていた言い訳が、未だに有効なようだ。
彼女はキスというものを、恋人にではなく、自分の弟への欲求を表現するものとして使用しているようだった。
しかし、ただのキスではなかった。 すぐに舌を入れてきた。 あの時は汚いと言っていたが、むしろ、より楽しんでいるように見えた。 ところが、このような状況で、急に九空のことが思い浮かんできた。 彼女の唇が。 どうしてだ? 俺が動揺するのとほぼ同時に、ちょうど電話が鳴った。
氷上さんの携帯電話。 彼女は眉をひそめた。 俺から離れようとしなかった。 すぐに電話が切れたかと思うと、再び引き続き鳴り始めた。 頭の中が混乱してきた上に、電話のせいでキスに集中できる状況でもなかったため、俺は彼女を突き放して聞いた。 唇が唾液で濡れていた彼女は、残念そうな表情で俺の唇を見つめ続けた。
「氷上さん、電話に出ないの?」
「いいの。」
「出てみたらどうだ? 電話が終わってから、また続ければいいじゃないか。」
「そう? じゃあ、出る…。」
氷上さんは渋々ソファーの上にある携帯電話を拾い上げて、鳴り続ける電話に出た。 しかし、番号を見て急に緊張した様子に変わった。
「師匠様? あ! すみません。 今他のことをしていて。 はい、はい?」
「今ですか? しかし…。」
彼女はそう答えたが、急に体をすくめた。 口答えにお叱りを受けたようだ。 すると、結局、彼女は肩を落としてしゅんとした様子で返事をした。
「はい、今すぐ伺います。 はい! では、失礼します。」
電話を切って力のないしょんぼりした顔で、俺に再び抱かれてきた。そして、また頭を撫でた。
「ごめんね。 行かなきゃ。 急用ができたの…。」
「そっか。 もちろん仕事が先だろう。 わかった。」
氷上さんとの関係は、ゲームとは別に、続けていきたいから。
急ぐ必要はなかった。 何故か頭の中で何度も、氷上さんより他の女がちらつくのが気になったが。
氷上さんは俺の頭を撫でた後、起き上がり、部屋に入って行ってしまった。 しばらくして、服を着替えて剣を持って現れた。
「ここで待ってる? いつ帰れるかは分からないけど…。」
「いや、俺もやることがあるから、家に戻ったら連絡して」
「わかった。 じゃあ、一緒に出ようか?」
氷上さんの言葉に俺はうなずいて体を起こし、玄関へ向かった。 すると、彼女が急に俺の顔をじっと凝視しては首をかしげた。
「どうして前よりもっと可愛く見えるのかしら? 私の目がおかしくなったのかな?」
それはまあ魅力値を上げたからだろう。 氷上さんは既に2回も魅力値の変化に気づいていた。 何だか危険な予感がしたため、そのまま再び彼女の唇に突進した。 しばらくキスを交わした後、唇を離して答えた。
「何となくそう見えるのではないか? 情がさらに深まったとか?」
「そうかな? フフッ…。 いやだわ。」
氷上さんは恥ずかしげに言うと、玄関のドアを開けて飛び出してしまった。 幸いにも、怪しんでいるようには見えなかった。
氷上さんは急いでいるのか、アクセルを容赦なく踏みながら駐車場を走り去った。
それから、俺もバスに乗るために足を運んだ。 時刻は9時を向かえようとしていた。 もう自由になったから、彩の家の中を調べに行こうかと思ったが、彼女が家にいる時に強いて侵入する必要はなかった。 地方から上京してアルバイトをしている、おそらく一人暮らしだろう。 だからバイトに行っている時間帯に侵入し、誰もいない家を余裕を持って探った方が良いだろう。 今は、おそらくバイトが終わる時間だろうから、適していない。 変に出くわして睡眠スプレーを使い、またロードまでする必要はないのだ。 余計なお金の浪費はしたくなかった。
それで、今はとりあえず、彼女が働いている食堂に向かうことにした。 飲食店ならそろそろ閉まるのが普通だろう。 だからバイトを終えて出てくるのを待って、デートに誘い出すか。 予想と違ってまだお店が営業中なら、ご飯をさらに食べて、彼女にもう一度俺の印象を植え付けるつもりだった。
彩の働いている繁華街に着くと、時刻は10時になっていた。 目的通りに食堂に向かうと、営業は既に終わっていたようで後片付けをしていた。 少し待てば出てきそうだったため、俺はその辺を一周しながら待っていた。
「では、お先に失礼します。」
「お疲れ様。」
すると、ちょうど彩が店主に挨拶をして出てくるところだった。 そこで、俺は偶然を装って、近づいて行った。 とりあえず、ここでセーブ。
「お!こんばんは。」
「はい? あ! こんばんわ。」
彩は勢いでつい挨拶にこたえてくれてくれたものの、首をかしげた。
表情を見ると、最初は覚えていないようだったが、遅れて思い出した様子だった。 俺はセーブを信じてナンパを試みることにした。 攻略情報に誘ってみるべきだと出てきたわけだから、挑んでみることにした。
最近は、あまりにも多様な女を相手にしてきたため、いつの間にか免疫がついたようで、厚かましいことも何の躊躇いもなく、すらすらと口にすることができた。 現実世界では、想像だにしなかったことだが。
「あの、さっきはあまりにも美味しかったので…すみませんが、よろしければ簡単でいいので、お店のレシピを教えて頂けますか? 突然一人暮らしをすることになって、いろいろ困っていて。」
俺がそう言いだすと、彩は非常に困った様子で答えた。
「え? その…。 急にそう言われても困ります。 そもそも私は調理スタッフでもありませんし。」
それはそうだ。 考えてみると、彩が調理スタッフでもなく、ホールで働くバイトなのに、レシピ云々は何事だ。 しまった! しかし、[ロード]前にもう一度、粘ってみようと思い、さらに口を開いた。 もし面倒そうな表情に見えたら、すぐさま[ロード]だ。
「俺がコーヒーをご馳走するので、何とかなりませんか? この先に、人の多いコーヒー専門店、ご存知ですよね? あんな場所なら変なこともできないだろうし。 いかがですか。 えっと、お料理が相当上手に見えますが、少しだけ教えてもらえませんか?」
言い出してみると、これもまた無理矢理な気がした。 それでも、いざやらかした以上、手を合わせてお願いしてみることにした。 すると、彩はしばらく眉間を狭めて時計を見たが、再び俺を見上げた。 俺は緊張していることを悟られないように何とか耐えながら、返事を待った。
「困りましたね…。 あー、そんなに可哀想な目で見つめられても…。 わかりました! でしたら、私の知っている簡単なレシピをいくつか教えましょう。 でも、あまり期待はしないでください。」
有難いことに、返ってきた承諾の言葉。 初めて見た時から、かなり優しそうだった。 良かった。 さらに、本当に嫌なのに無理に承諾したような表情でもなかった。 ありのままの自然な表情。 確かに、告白されたわけではなく、料理のレシピを教えてほしいと言うのに、冷たく拒絶することはないだろう。 勿論、あまりにも突拍子もないことには間違いないが。
俺は何とか接点を作ったことに喜びながらも、怪しい人に思われないようにと、先頭に立って喫茶店へ歩いて行った。
注文を済ませて彼女が座っているテーブルへと戻った。 以前の魅力値だったら、女性をここまで連れてくることすら、おそらく絶対に不可能だったはずだ。 魅力を上げたことが、相当役立っていると思うと、急に誇らしい気持ちが湧いてきた。 なぜならば、ナンパはしたこともない上に、ゆえに、当然成功したことも初めてだからだ。
一人で喜んでいると、彩は鞄からメモ帳とペンを取り出して、しばらく何かを書き始めた。 見るからにして、おそらくお願いしたレシピのようだった。
「料理はどの程度されますか?」
「できない方ではないです。 作れる料理の種類が少ないのが問題ですが。」
「そうですか。 でしたら、ここに書いた料理なら簡単に作れると思います。」
彼女は作成したメモ用紙を手渡した。 受け取ってみると、きれいな字で何種類かの料理のレシピが詳しく書かれている。 それを読んでいるとコーヒーが出てきた。 一つは彼女に渡して、俺もすぐコーヒーを口にした。 緊張していたせいで喉が乾いていたのか、やっとすっきりした。
「あの食堂でのアルバイトはもう長いですか?」
「そんなに長くはないです。 何故ですか?」
「いや、なんとなく。」
そう、何となく切り出した言葉だった。 それから、再び気まずい空気が漂う。 このままではいけないと思い、何とか頭をひねった末、最も基本的に、名前を話題としてあげた。
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