第52話

[やっと着いた。 疲れているだろうから、ゆっくり休んで。 後でまた連絡して。]


短めの内容だった。 おそらく氷上さんの生活パターンも俺と同じだろうから、今頃寝ているに違いない。 まずはご飯を食べてから連絡してみることにして、一旦家を出た。 せっかっくの外出、攻略対象を探しがてら、繁華街でご飯を食べることにし、バスへ乗り込んだ。


繁華街の停留所に到着した。


九空との約束場所だからか、自然と緊張してしまう場所。 自ら夜行性だと明かしていた彼女だから、今、この時間、この場所にいるはずはないだろうが。


だから、緊張する必要など全くないにもかかわらず、知らず知らず、心がそわそわする感じがしたので、急いで停留所を離れた。 しばらく歩いていくと、急に目を引く定食屋さんがあった。 何だか平凡な家庭料理が食べたくなった。 ちょうどいいと思い、ドアを開けて入ると、従業員が俺を喜んで迎え入れる。


「いらっしゃいませ。」


笑顔で挨拶する従業員に、少し惹かれた。 笑う姿に優しさを感じる。 おしとやかなお嬢さんとも言えようか? 耳にかかるショートのボブが似合っていた。 桜井や朱峰、そして氷上のような同じ美人とまでは行かないが、平凡ながらもどことなく魅力的な目鼻立ちというか。 勿論、九空は除外だ。 彼女は独歩的である。神が与えた美貌とでも言おうか。 さらに美貌のみならず、カリスマ的存在感を放つ女なのだ。


ただ、この女には誰よりも圧倒的な豊満さが目立っていた。 そうだ、単刀直入に言うと、胸が相当大きく目立っていた。


俺はこの店に選んでよかったと心の中で自賛しつつ、席を案内してもらった。 初印象通りに本当に優しいのかどうかを確かめたくて、彼女の持ってきた水差しを、わざと落としてみた。


「ああっ! ごめんなさい」


すると、むしろ彼女の方が絶えず頭を下げ、床を片付け始めた。 まあ、この程度は、働く側として当然のことかもしれないが、それでも嫌な顔一つ見せなかった。 平凡だが、優しい人。 懐かしい単語だ。 周りに平凡な女など、本当に一度も現れなかったから。 松根は、まあ平凡とは言えようが、あまりにも早く死んだため、論外だった。 それに、松根が優しいとは思えなかった。 彼氏探しにお金を費やすのが、惜しくてならない様子だったから。


そういうわけで、目の前に現われた平凡そうに見えるこの女に、俺は大いに期待して、スカウターを読み込んだ。


彩或美(さやかあるみ)

年齢:23歳

彼氏:なし

職業:フリーター

攻略難易度:C

居住地:00区00町

電話番号:現レベルでは不可

攻略情報:地方から上京して夢を実現するためにバイトをしながら暮らしている。 基本的に誠実である。 攻略のためにはとにかく誘うこと。

好感度:30


とにかく誘うことだと?

このような攻略情報は初めて見る。 誘うなんて、藪から棒も甚だしい。


いくら魅力が上がったからといっても、戸惑うしかない今の状況。 ところで、会話を交わしただけなのに好感度が30というのは、魅力が上がったおかげだろうか。 それなら、一度誘ってみるか?


「先ほどは本当にすみませんでした。」


俺はおかずを置いてくれる彼女に謝罪した。


「あ、いいえ。 謝る必要はございません。 ここは初めてでしょう?  一度も見かけたことがないような…。 あ、勿論、朝は私、ここにいませんが。」


「はい、初めてです。 でも、これから常連になりそうです。」


「本当ですか?  ホホッ。 本当に美味しい物がたくさんあるので、また来てくださいね。」


彼女は笑顔でそう言うと、再び厨房へと戻った。 クーッ。 この平凡さがどれほど良いものか。 とりあえず下手に接近せず情報を集めた上、この店の常連になり、親しくなるという戦略でいこう。 また夜にもう一度来るとするか。 とにかく彼女の目に留まるように、出入りして好感度を上げなければ、誘うこともできるだろう。


勿論、家の調査は基本だ。

その前に氷上さんの家にも行かなければならないだろうが。 急にやることが増えて忙しくなり、少しパニック状態になりかけた今だが、ご飯は美味く感じた。 だから、さらに1人前を追加した。 すごくお腹が空いていたから。 俺は2人前を全部平らげてから、やっと席から立ち上がることができた。


支払いをしようとすると、彩が厨房から出てくる。


「ご馳走様。 本当に美味しかったです。」


俺の言葉に彩は店主のごとく喜んだ。 アルバイトらしくない。


「そうでしょう? またいらしてくださいね。」


「はい。 また来ます。」


俺は彼女の笑顔を後にして外に出た。 気分が良かった。 彩の家は明日調べてみるとするか。 誘うためのヒントにもなりかねない、攻略情報に出ていた彼女の夢というものに関しても、調査をしなければならないだろうから。


今は氷上さんの家に行くという先約があった。 だから、地下鉄の駅に向かった。 連絡を入れてみたが、まだ眠っているのか応答がなかった。


地下鉄とバスを乗り継いで、氷上さんのマンションの玄関に到着した。 ここまではごく平凡な一日だった。 既に攻略対象に目星をつけておいたため、少し平穏な気持ちでエレベーターに乗った。 連絡がないのを見ると氷上さんは、未だ眠っているようだった。 驚かせようと万能キーを利用して家の中へ入った。 1DKの部屋。 こぢんまりした彼女の部屋の中は、以前来た時と何も変わらなかった。


最大限に音を殺して、部屋のドアを開けてみた。 ベッドが見えた。 彼女は布団を蹴飛ばし、お腹をさらけ出した、何の憚りのない姿で寝ていた。 ホットパンツの下に彼女の滑らかな足が無防備にも露出されていた。 お腹の上にジャㅡジがめくり上がった姿が少し面白かった。 手には携帯電話を握っており、枕元には剣が置かれていた。 俺の連絡を待ちながら眠ってしまったのだろうか? 俺の思い違いかもしれないが、もしそうだとすれば、可愛いな。 しかし、そう思いつつも、俺は少しずつ後ずさりした。


枕元に置かれている剣が、理性を取り戻してくれたのだ。

どうやって入ってきたのかと追究には、答えられる術がない、それなのに、俺は何をやっているんだと、急に我に返り再び家の外へと出てきてしまった。 そして、再び電話をかける。


「ティリリリリ」


呼出音が鳴った。 熟睡しているようだったから、出ないのか。 そう思ったが、すぐに声が聞こえてきた。


「もしもし…。」


消え入る声が聞こえた。 寝ぼけた声。 どのような状態で電話に出たのかが、想像できたがゆえに笑いが出そうになったが、何とか我慢した。


「氷上さん、俺だけど。」


「ん? 長谷川さん…? ごめん、少し眠っちゃった。」


「今、家の前だけど、寝ていたなら帰ろうか?」


「私の家? 待って! すぐ開けるから…!」


何だか、ドン、バタンと音が聞こえると電話が切れた。 そしてすぐさまドアが開く。


「どうぞ!」


あくびをしながらドアを開けて俺を迎えた。 それから、すぐに冷蔵庫を開けて牛乳を取り出した。 そして、パックごと一気に飲み始めた。 ゴクゴクと牛乳を飲み込みながら、牛乳パックをもう一つ取り出すと俺に差し出した。


「いや、俺は今、お腹いっぱい。」


当然拒絶した。 ご飯を2人前も食べたのに、さらに牛乳だなんて惨たらしい。 氷上さんは残念そうな表情で差し出した牛乳を再び冷蔵庫の中へ戻し、自分の飲み干した空の牛乳パックはシンクの方へ放り投げた。 俺はそれを見ながらテーブルの椅子を引いて座った。


「氷上さん、どうして牛乳だけ飲んでるわけ? お腹空かない? ご飯は?」


「牛乳で充分。」


「え? 牛乳がご飯? それじゃ、まさか普段ご飯は食べないのか?」


俺が驚いてそう尋ねると、彼女はなぜそれほど驚いているのかというような顔で答えた。


「家では牛乳だけを飲んで、ご飯は仕事の時に外で食べたるか、道場へ行って食べるかだけど。」


幸いにも普通の答えが返ってきた。 ふぅ。 まさか一日三食を牛乳で済ませると言い出すのかと思い、ハラハラししていた。 こんなことでドキドキするなんて。


確かに牛乳だけを飲んで生きるというのは有り得ない。 普通に考えれば当然のことだが、牛乳に対する氷上さんの執着を見ているうちに、自ずと変なことを考えてしまたのだ。 それで、俺はこの気まずさに耐えかねて、つい余計な言葉を付け加えてしまった。 これは明白な失敗だった。


「家でも食べなきゃ。 料理はあまりしないの?」


「………。」


氷上さんは急に沈黙を貫いた。 額に汗をにじみ出始め、落ち着かないような様子で俺の前に椅子をひいて座った。


「料、料理できないはずがないじゃない。 何なら今見せてあげようか? 何が食べたいのか、い、言ってみて!」


おいおい。 非常に言葉を詰まらせていらっしゃいますが。 それに、冷蔵庫に牛乳しかない人に何の料理が作れると言うのだ。 牛乳を温めるだけでは、料理とは言えないじゃないか。


「せ、せっかくだけど、今お腹がいっぱいで…。 ハハッ」


手をぷるぷると震わせながら自分の女子力を披露しようとした彼女に、俺は平和を取り戻してあげるげく、断った。 すると、少し明るい表情が戻って彼女が答えた。


「そ、そう? それなら仕方がないわね。 今度必ず作ってあげるから…。」


それは勘弁してくれと思った。 額に滲み出ている汗を見せてあげたい。 料理をさせたらきっと、焼き物も煮物も派手に焦がして、まともな料理は期待できないだろう。


「ハハハッ。 そうだな。」


だからと言って、嫌だと言えなかったため、俺はやむを得ず適当に答えた。 心からその日が来ないことを願いながら。 氷上さんは平常心を取り戻したのか、額の汗をぬぐった後、テーブルの方に体を乗り出し、少し真剣な表情になって聞いてきた。


「さて、お嬢さんは一体、どうしてあそこに現れたの?」


氷上さんはどうもそれが一番気になるようだった。 後で説明すると言ったため、俺は事情を話し始めた。 しかし、俺の話を聞いていた氷上さんが急に怒り始めた。

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