第49話

「うん。 ここへはどうやって来たの?」


氷上さんは俺が車まで走って行くと、俺の頭を撫でながら心配そうに声をかけた。 氷上さんのこういった行動はいつも温かい。


「あの紋様を調査しているうちに本拠地を突き止めたから、攻め込もうとしてあなたに連絡をしたけど、繋がらなくて・・・。 悪い予感がしたから、駆けつけて来たの。 あの時の会話が盗聴されていたら、私やあなたに接触してくると思ったけど、やっぱりここにいたのね。 一体どうして電話には出なかったの?」


その言葉に俺は携帯電話を取り出して確認してみた。 すると、不在着信がたくさんあった。 受けられる状況ではない時に限って携帯電話が鳴ったようだ。 着信が鳴るのを聞いた覚えはない。


「緊縛した状況だったから、電話の音が聞こえなかったみたい。 でも、まあ、うまく片付いたからよし。 ここは既に掃討済だよ。」


「え? あなた一人で?」


氷上さんは俺の話に驚いて目を丸くすると、運動場にあるヘリが目に入ったのか話を変えた。


「あれ、あそこのいるのはお嬢さまでは?」


「うん。九空がここを片付けた。」


「お嬢さまが? どうして?」


氷上さんは納得のいかないという表情だった。 まあ、詳しい状況を知らないわけだから、当然な反応だ。


「また帰りながらでも詳しく話すよ。 東京まで送ってもらえるよね?」


「ん? うん。 あっ! ちょ…ちょっと待って。」


氷上さんは素早く車のドアを開けるとバックミラーにかかっていた何かを素早くポケットの中にしまい込んだ。 それが何なのかはこちらには全く知ることができなかった。


「よし! さあ乗って。帰ろう。」


何事もなかったかのように、先の行動に対する質問は受け付けないというように、物凄い勢いで車に乗せようとする氷上さん。 俺はつい首をうなずいた。 聞くなということなら聞かないでおこう。 助手席へ行ってドアを開けようとしたちょうどその時、後ろから九空の声が聞こえてきた。 驚いて振り向くと、ヘリで帰ったと思った彼女がいつの間にか俺らの前に立っていたのだ。


俺はびっくりして後ずさりした。 そして、彼女の意図を探るため表情を窺ったが、笑顔でも怒った顔でもない無表情だった。


「あら、お嬢さま。こんにちは。」


氷上さんは車に乗りかけたが、また出て来て、九空に90度頭を下げた。 しかし、彼女はそれを受け入れずに俺に向かって言う。


「おじちゃん、今その車に乗るつもり?」


「ん? そうだけど? どこかの誰かさんが送ってくれないって言うものだから、どうやって一人で帰れるのかとお先真っ暗だったけど、すごく助かったよ。」


「ダメ。」


「何?」


突然戻ってきて、拒否権の行使だなんて何だよ。 今回は本当に何を考えているのかがわからなくて、顔をじっと凝視してみたが、相変わらず彼女の顔は無表情だ。


「ついて来て。 気が変わったわ。 私が送るわ。」


そして、拒否は容認しないというかのように返事も聞かず、後ろを振り返りヘリの方へと歩いて行ってしまった。 俺は呆然とそれを見ていたが、氷上さんに言った。


「あの女は、一体何だ?」


しかし、氷上さんの目付きも少し怖い。 先は90度で挨拶をしていたのに、背を向けて歩いていく九空を睨みつけていたのだ。 しかし、すぐに仕方ないというかのようにため息をつく。


「ヘリで帰りなよ。 あのお嬢さんに逆らっても良いことはないから。 代わりに、東京へ着いたら私の家に来て。」


「わかった。 では、俺はここで。 氷上さん。」


一度九空を屈服させたからといって、彼女に勝ち続けられるという錯覚に陥っては、命が何個あっても足りない。 だが、先は一人で帰れと言ったくせに、今はヘリに乗れだなんて全く理解不能だ。


俺はとぼとぼとヘリへ駆けつけた。 ヘリだなんて、まさに資本家の象徴ではないか。 実際にヘリに乗ると思うと、突然浮き立ってきた。 それも、小型ヘリではなく大型ヘリだ。


座席に座ったまま、俺がヘリに乗り込もうとするのを見た彼女は黙って窓の外へと顔をそむけた。 扉の中に入ると座席がいくつかあり、彼女は一番後ろの座席に座っていた。 邪魔と言われるのではと、空いている前の椅子へと向かうが警護員がそれを阻止した。 手で彼女が座っている後部座席を指した。 ヘリの主がそういうならと仕方なく九空の横へ行き、座った。 彼女は依然として窓の外を眺めるだけで、こちらを見ようとしない。 沈黙が続き、間もなくヘリが飛び上がった。


外に見える風景は素晴らしい。 世界を見下している気分とでもいおうか。 彼女はいつもこんなふうに世界を見下しながら生きているのだろうか? 急に傍若無人な九空の性格を理解できるような気もした。


「おじちゃん。」


しばらく黙っていたが、沈黙を破って彼女が俺を呼んだ。 窓の外の風景を見物していた俺は振り返って返事をした。


「ん? 何?」


「解決師さんとはいつ再会したの? あの日、明らかに2人を切り離したはずだけど?」


あ、やはりあれはわざとなのか。


「まあ、どういうわけか同業者同士は必ずどこかで会うことになってるというか? フフッ。」


俺が少し知性的に見えようとうんちくのようなものを言い述べ始めたのに対して、彼女は何かむかつくと言わんばかりに俺を睨みつけると、非常に荒唐無稽な発言を切り出した。


「おじちゃん、あのさ。 私、急に空からパラシュートもなしに落ちる人を見たくなっちゃった。」


「へぇええっ…?」


俺が驚いてそう叫ぶと、いきなりヘリのドアを開けられてしまった。 頗る風が入ってきた。 警護員2人が急に俺に近づいてきて両腕を掴み、扉の外へずるずると引きずっていった。 腕を掴まれてしまったがために[アイテム]を読み込むことも困難だった。 しかし、彼女の表情はなぜか冷淡なままである。 正気かよ、この女。


「生かしてあげようか?」


何をどうすべきか頭を捻っていると、彼女は返事を催促する。


「早く答えて。生かしてほしい?」


「当たり前だろ。」


すると、九空はゆっくりと警護員に合図を開始した。 すると、ようやくヘリの扉が閉まった。 俺を捕まえていた警護員は再び俺を後部座席へ座らせては、今まで拘束していた腕を放してくれた。


「一度だけ、見逃してあげる。」


彼女はそう言いながら俺のそばに寄ってきた。 そして、俺の上に乗り上げて、向かい合って座わると、俺のあごを持ち上げた。


「でも、本当に最後だよ。 さっきの全然面白くなかったわ。 私の感情、逆なでしないで。 まだ、キスなんかに、本当に私がそんなことに執着しているなんて思っていないでしょうね?」


すると、彼女は返事する隙も与ええないまま、すぐに俺の唇に自分の唇を重ねた。 唇の柔らかさが感じられた。 しばらく静寂が流れ、彼女はそのまま唇を離した。 舌さえ絡めていない軽いキスだったが、何だか妙な気分だった。 しかし、彼女は唇を離しては平然と俺の唇の上に人差し指を当てる。


「ほらね? キスなんて、私には何の意味も持たない。」


そのわりには、少し顔が赤くなったように見えた。 目の錯覚だろうか? 今、夕日が沈んでいるのか? それが夕日のせいなのか、本当に赤くなっていたのかは、敢えて不問に付した。 また空に人を放り投げようとしたら困るからだ。 俺はそっと唇に手を持っていった。 呆然とした気分だ。


再び風景を鑑賞することもできず、魂の抜けた抜け殻状態でいると、ヘリはいつの間にか多くのビルが密集している、我らのテリトリー、東京へと入っていた。

外伝

牛乳物語


剣を阻止した。 いや、止めたと思った。 しかし、鋭い刃は氷上の太ももを傷つけた。 とっさに倒れかかった体は剣を支えにして耐えていた。


「まだまだね! ツッツッツッ」


「確かに阻止したと思ったのに、一体…。」


「これが不細工なあなたとキレイな私の違いよ。」


「クッ…。」


氷上は悔しくて身を震わせた。 剣の道を追求する上で、美貌がどう関係してくるのかは分からないが、いつも負ける立場からは、その言葉を信じるしかなかった。 彼女の先輩たちは、いつもこうやって氷上を不細工だと貶した。 幼い頃から耳にたこができるほど聞いてきた言葉だから、もう免疫がついたと思っていたが、また体が震えてくる。


「もう一度お願いします。」


「ダメよ。 師匠のお言葉が覚えていないの? 負けた人が薪割りをすることにしたでしょ。 さっさと行って薪仕事でもしなさい。 男みたいなあなたにはぴったりな仕事ね。 ホホッ」


氷上が先輩と呼んだ女。

阿野悦智子(あのえちこ)はそう笑って道場を後にした。 氷上はそれを悔しそうに眺め、足を引きずりながら道場の隅に置かれている包帯で太ももの傷を縛った。 いつも遊び呆けている先輩たちとは違う。 彼女たちと比較すれば、自分の練習量は絶対的だった。


それでもいつも負けてしまうのが全く理解出来なかった。 こういうのを、生まれつきの才能と言うのだろうか。 それとも本当に美貌の差なのか。


幼い頃から変な洗脳を受けてきた氷上は、道場の片隅にある鏡の前に立った。


「そんなに不細工かな?」


勿論、そうではなかった。 彼女を不細工と呼んでいた阿野よりも、圧倒的に氷上の美貌の方が優れていた。 しかし、阿野をはじめとする道場の先輩たちは、幼い頃から卓越した彼女の美貌を頭から貶した。 嫉妬という感情から。 おかげで、氷上は先輩たちの言葉をそのまま受け止めるしかなかった。


そして、解決師として社会に出てから、その考えは固まってしまった。 剣を振り回しながら解決師の仕事をする氷上の姿を、男たちはまるで怪物を見ているかのような目で眺めたから。


それで氷上は自然と先輩たちの嘘を信じるようになった。 そして、少しでもきれいになろうと習慣のように牛乳を飲むようになったのだ。


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