第48話
「たった一度?」
「一度だと?」
「私がおじちゃんを殺そうとして生かしてあげたのが、大体10回は超えてると思うけど? そもそも数字が比較にもならないような。」
「ああ…。そうですか。」
もうやめておこう。 感謝の言葉を期待したわけではないが、本当に彼女らしい計算法だった。 隣では、肋骨が折れたのかまともに体を支えられていない警護員が無線を通じて支援を要請していた。 すると、すぐに多くの警護員が戻り始めた。
「それで、この代償はどう払おうか?」
しかし、九空は彼らに視線すら与えなかった。 来ようが来まいが何の関係がないという様子だった。 もっぱら俺だけに集中していた。 執拗な女だと思いながら俺はついかっとなってしまった。 死ぬ姿は見たくなくて助けてやったのに、ちょっと酷過ぎないか? 俺は腹いせをするつもりで、彼女の体を再び抱え込んでしまった。 突き放せないように背中を思いっきり強く抱きかかえて引き寄せた。 そして、片手で彼女の頭の後ろを押して俺の胸板に葬った。
すると、警護員が拳銃を抜き取り、俺を狙い始めた。 しかし、その状況で発砲したところで、体が完全に密着されている九空にも銃弾が貫通するのが確実だったため、下手に引き金を引けず、次第に包囲網を狭めてきた。
まあ引き金を引いたとしても[無形剣]を解除しなかったため、俺が死ぬことはなかった。 無形剣は厳然としてゲームアイテムである。 右手に握られているという感触はあるが、結局は自動的に防御作用が発動するアイテムだ。 特に振り回したりする必要はない。
先の状況で[無形剣]の防衛機能を利用して彼女を助けるには、ある程度距離があった。 俺が走って行くより先に、彼女の体に銃弾が貫通する危険があったため、頭の中で思い浮かべるだけでいい[無形の剣刃]を使用したのだ。
俺の胸に無理やりに抱かれてしまった九空は状況が荒唐無稽だったのか、肩を小刻みに震わせているのが感じられた。 まさか泣いているわけのではないだろう? ありえない想像をしながらそっと彼女の顔を押し付けていた手を放して首を自由にしてやると、その瞬間大きな笑い声が響き渡った。
「プッハッハッハ」
「本当に予想の難しい人だわ。 跪いて大目にみて欲しいと哀願するかと思いきや、むしろまた私の体に手を出すとは?」
「代償をどうするのかと聞いていたのは君だよ? 君を救った見返りを抱擁でしてもらおうと思っただけだけど? さっきのは抱いたといえない姿勢だったからさ。」
彼女の表情を見るために抱えた腕を背中から腰に移動して、下半身を動けないように固定した。 彼女は腰をまとった俺の腕を見て、周りで銃を向けている警護員らの姿が今になって目に入ったのか、警護員たちに言った。
「いいから銃を下して。」
「どうせ銃は発砲できないよ。 俺を撃ったら君にも当たるだろうから。 だからと言って、俺に襲いかかるのも際どいだろうし。 なぜなら、今、俺と君はとても近いから。 今、判断を間違えたら、大変なことになるからね。」
初めて彼女に対して優位に立った気分で少し脅迫してみたが、彼女の笑う顔に変化はなかった。 そうすればそうするほど、さらに堂々としている。
「それで、何をどうするつもり? 今、おじちゃんの手が私のお尻に触れていることをわかってるの? まさかおじちゃん変態?」
「あっ、ごめん。」
俺はびっくりして再び手の位置を調整した。 どうりでとても柔らかかった。 それでも離しはしなかった。 こんな行動力があるとは。 自分にとても驚いた。
「とにかく交渉だ。 さっきのことについて、これ以上は代償とか償いとか言わないのが条件。 当然、今君を抱いたのも含めて。」
「嫌だといったら? 私を殺しすつもり? そうすれば、おじちゃんも確実に死ぬのに? しかも私、今まで、そんなに不利な交渉に応じた覚えはないわ。」
「殺しは…しない。 さっき、君を助けたのを見ればわかるだろ。 殺すつもりがあったら、あの時あのまま放置していたよ。」
俺の言葉に、彼女は再び笑みを浮かべた。 機嫌がいいのか軽く鼻声まで出している。
「そう? 私を殺すというつまらない条件を口にしていたら、おじちゃんはそのままアウトだったはずけど、やっぱりよく通り抜けるわね。 わかった、条件を言ってみて。 それで、何を持って交渉しようと?」
「交渉を受け入れてくれなければ、そのままに君の唇を奪う。 ファーストキスはまだだろ? 女は初めての経験より、むしろファーストキスを気にする人が多いそうだ。 こんな所でファーストキスだなんて確実に後悔するだろ?」
今この瞬間だけは俺が彼女より優位に立っているという確信があったため、かけられる条件だった。 こんなに人目の多い中、彼女のような偉い女が俺みたいなやつに唇を奪われてしまうところを見られたくはないはずだ。 俺はそこにかけた。
「え? キス? たかがそんなもので私が動揺するとでも?」
「そっか。 じゃあ、キスしようか? 後悔するなよ。」
俺は顔を彼女の唇の近くまで近づけた。 すると彼女は俺の顔を避けて首を横にしてしまった。 そして、何だか恨めしそうな眼差しで俺を凝視すると、周りの警護員らを見渡した。
すると、やはりこんなところで唇を奪われたくないのか、急に弱々しい姿を見せてささやくように呟いた。
「どいて…。」
「何? だから交渉を…。」
しかし、俺は最後まで言葉を続けることができなかった。 怒っているようではなかったが、彼女はもう笑っていなかった。 そのまま顔を下に向けると、今度は俺にはっきりと聞こえるくらいの大きい声で口を開く。
「分かったから、手をどけて…。 おじちゃんのそのつまらない交渉に応じてあげるから。」
「本当に?」
俺が聞き返すと、彼女は下を向いた状態でうなずいた。 それで、俺は腰を抱きかかえていた腕を放して自由にしてやった。 解放された彼女は俺から少し後ずさりして距離をあけると、未だ銃を向けている警護員たちに言う。
「もう見物はおしまいっ。 その銃を下して。 それより、教祖はまだ? 私、怒るよ?」
九空は八つ当たりで怒りを発散させると、再び俺に視線を向けた。
「こんな所でキスなんかする気分じゃなかったから、見逃してあげただけ。 その程度の唇に私の唇が触れる行為なんて、私には何の意味もないから。 誤解はしないでほしいわ。」
果たしてそうだろうか? 絶対に容赦などない女が、不合理な交渉を受け入れてくれたというだけでも、その程度のキスとは思えなかったが、とにかく、初めて彼女に勝ったのだ。 そのゆえに、より深く追及するつもりはなかった。 何事も度を越えてはならないという名言があったような。
今はただ勝った。 あの女に勝ったから、それで良いのだ。
嬉しさのあまり外に出て叫びまわりたい、この気持ちを誰かわかってくれるだろうか。
九空は俺に、一瞬だけど、屈服したのが悔しそうだったが、意外に、あと腐れはなかった。 約束は守るタイプのようだ。 そんな中、ついに教団の制圧が完了したのか、幹部らが相次いで連れて来られた。 一番後ろには、未だ眠ったまま両腕をつかまれてずるずると引きずられている教祖の姿も見えた。 俺がロープで縛っておいた状態のままだった。 俺の足に殴られた顔がむくんでいた。
「お嬢さま、教祖を連れてきました。」
九空はざっと彼らに視線を渡したが、興味がなくなってしまったというかのように、始末するようにと手で合図をした。
「今、気分がイマイチだわ。 その汚い顔面は見たくもない。 警察に引き渡すなり殺すなりして処理して。 ただし、この教団は完全に潰しちゃって。 建物も買い取って撤去して、この世に存在していたという痕跡さえも残さないように。 信者たちも精神病院に放り込むか、拘束するか、殺すか、とにかく一人も漏らさず処理するようにして。」
すると、後ろを振り返り入口を出ていってしまった。 先ほどは、30分以内に連れて来いと暴れていたのに、急に完全に興醒めてしまったという態度を見せられると、警護員らは空ろな表情を浮かべる。 教祖と幹部たちを捕まえてきた警護員らとは違って、先ほど俺に銃を向けていた直属の警護員らは、出て行った彼女の後を追って入口から出て行ってしまった。
とにかく教団はもう崩壊したのと同然だ。 彼女の目に誤ってついてしまった以上は、全ては終わりだ。 再建などは考えられないほど、徹底的に崩壊するだろう。
俺も帰るつもりで外へ出ると、駐車場の前に作られた運動場にヘリが降りてきていた。 そこへ向かう九空を追いかけて叫んだ。
「俺も連れてってくれないと! ここが一体どこなのかも分からないのに。」
俺が少し図々しくそう言うと、彼女は歩くのを止めて振り向いて、俺を見た。 俺がキスで脅して顔で迫っていた時から笑いを失っていた顔が、突然不気味な笑みを浮かべた。
「嫌。」
「そんなこと言わずにさ。 それか、ここがどこなのかだけでも、教えてくれるとか。」
「罰だよ、おじちゃん。 一人で歩いて帰るか、飛んで帰るか、ま、どうぞ一人で頑張ってみて。」
容赦なくそう言うと再び後ろを振り返り、ヘリの方へと歩いて行った。 先のことを気にしているのか慈悲は全くなかった。 あと腐れがないというのは取り消しだ。 畜生、心の中で文句を言いながら、駐車場にある車でも盗もうかと考えているたが、急に遠くから車一台が滑るように疾走して入ってきた。
「キィーーッ」
そして、俺の前で急ブレーキをかけるとタイヤの跡を鮮明に残しながら止まる。 その車からドアを豪胆に開けて出て来た人物は、俺があまりによく知る人だった。
「氷上さん?」
俺は車に向かって駆けつけた。 幸い、氷上さんは俺のような襲撃を受けていないのか、もしくは襲撃を退けたのか、元気な姿だった。
「長谷川さん! 大丈夫?」
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