第19話

「はい、まあ似たような薬を…。」


さっき明らかにそう話していた。


「実は、あの薬は私が独自に調合して作ったものなので長谷川さんが取扱えるはずがないです。」


「はい? あ、あれを?」


俺は驚いた。急に、さっき俺が薬について話をした時に、ほんの一瞬彼女の表情がおかしかったのが今よみがえる。


でも、どうしてあの時に話さないで今になって?

何かがおかしい。


-ブオォォオン


その時、かなりのスピードで後ろから車が接近してきた。いや、それに気づいた時には俺は既に車に轢かれていた。


-バキバキッッ


骨が砕ける音。

それと同時に俺は車の上に乗り上げられ地面に転がり落ちた。そして止まった車。車の中から誰かが降りてくるのがわかった。ぼんやりした視野で確認すると朱峰の姿が見える。隣にはスーツを着た男が立っているようだった。彼女は俺に近づいてきて座り込むと俺の顎をつかんでぐいっと持ち上げた。


「長谷川さん? 私たちの裏を探るには100年はやいわよ。」


朱峰はそう言うと手をはたきながら体を起こした。視野がぼんやりしてあまり見えなかったが、隣の男と会話を始めたのか話し声が聞こえてきた。


「その先生は一体何だ?」


「なんか怪しい感じもします。こんなやつを紹介してくるなんて、もしかして裏切ろうとしているのでは? あんなにお金をたくさん次ぎこんだのに、政治家というやつらは、まったく…。」


「繁道さん、あいつはどうしますか?」


「アスファルトの材料に埋め込んでしまえばいいさ。」


恐ろしい会話をする2人。


「あら、それ見てみたいわ。ふふっ。」


そうして、その男と腕を組む朱峰。


俺はひどい苦痛の中でも笑ってしまった。どうりであまりにも簡単に進むと思った。慎重にいこうと思ってはいたものの、この女をずいぶん見くびってしまったようだ。よく調べもせずに薬について話したのが間違いだった。俺は何とか手を動かしたが、腕が震えてうまく動かなかった。それでも生きるために何とか最後の力を振り絞り、辛うじてロードウインドウにタッチした。


[ロードしますか?]


「何だこいつ」


まさにその瞬間、俺は手を踏みにじられてしまった。おかげで片方の手が動かせなくなった。 それを見ていた朱峰は鼻で笑いながら言った。


「もがく姿を見るとなんだかうっとりしません? ここはあなたの部下たちに任せて私たちはそろそろ行きましょう。人が死んでいくのを見るとまた興奮するわ。」


嬌態を帯びた声。

朱峰はうっとりした表情で腰を振った。俺はその言葉のおかげでなんとか気を取り戻した。消えかけていた意識が怒りによって息を吹き返したのだった。幸いなことに、ロードウインドウは消えてはいなかった。もう片方の手を動かす。しかし、力がうまく入らない。ぷるぷると震える手で何度か試みた末、何とかウインドウをタッチできた。すると、すぐに視界が白く変わり始めた。


戻って来た[ロード]の時点は[変身薬]を使用する直前だった。


「はあ…。」


ひどい苦痛が未だに脳の中に残っていた。

しかし幸いにも[ロード]は体が受けたダメージを全て無効化にしてくれた。

内臓が裂けたようにずっと血が逆流するその状態で[ロード]されたら結局死んでしまうから。


安堵の一息をつきながら首を横に振った。

彼女は今このカフェにいるだろう。


選ぶ言葉を間違えたがために狂ってしまった現在の状況。

[ゲームsystem]を確認してみるとすでに[変身薬]は消えていた。

[ロード]は一度使用したアイテムを元に戻してはくれない。


再購入するべきか?


しかし失策は薬について知っているふりをしたことだけではなかった。


朱峰とあの男。

明らかにヤクザであるあの男と朱峰はとても親しく見えた。

仲違いしているようには見えなかった。

もしくはさっきのあのヤクザとは別に他のヤクザが存在するのだろうか。


どうあれ今こんな情報だけでは[変身薬]を使うのは無理があった。

俺はとりあえず約束を破り家へ帰ってきた。約束なんてまた[変身薬]で政治家に変身して命令すれば挽回できる。


家に戻った理由は、[変身薬]の使用をもう少し情報を得てからにしようと思ったから。人をアスファルトに埋めるなんてことを言っている奴らだから、あまり安易に接近するのは危ない。既に痛感した。過って[ロード]もできずに即死したら全てが終わりだ。


生死の境をさまよったあの記憶が膨張する。

一体、どう反撃すべきだろうか。

持っている武器は[睡眠スプレー]のみ。

もう少し決定的なカードは何があるだろうか。


俺は少しでも情報を得ようと朱峰の財布を再び開いた。そして全ての名刺をベッドの上に並べ始めた。運転免許証と一緒に挿してあった名刺まで全てを。財布の中身を全て取出したのは初めてだった。


もう少し大物はいないかと名刺を漁ってみたが先ほど変身した政治家が断トツだった。彼よりも大物の名前は見あたらなかった。


ヤクザと親しいなら議員に変身して関わるなとでも言おうか。

俺が面倒を見てやると言って?


何か微妙だ。決定的なカードではない。

元もとこの[変身薬]の計画は朱峰がヤクザと仲が良くないという前提の元で成立する。


表向きは媚びても、実際のところは仲が良くないのではと考えてみたが、結局情報が不十分だ。名刺を投げつけ、俺はふと、朱峰の運転免許証を手に取った。


写真はやはり清純だ。

清純なこの外見から人を殺すと興奮するだなんていう言葉が出てくるとは。

くそ女としか言いようがない。その清純さがもったいない。


「お?」


運転免許証の写真だけ注目していた俺の目にとんでもない違和感を覚えた。

それはもう、かなりの違和感。


氏名が違った。


氏名 木元(きもと) 莉里咲(りりさ)

住所 鳥取県鳥取市東町×××


顔は同じだ。

顔は間違いなく彼女だった。

名刺と一緒に挿してあったため特に気にならなかった免許証の名前の部分。それは俺の知ってる名前と違った。木元(きもと)? 彼女は朱峰だろ? 急に恐怖が押し寄せ背筋に冷汗が流れる。なんだか、相手にしてはいけない人を相手にしてしまったようで気が遠くなる。


確認しておく必要があると判断した俺は携帯電話を取り出した。ポケットを漁って九空揺愛にもらった紙を広げた。紙に書かれた彼女の家の電話番号を入力し、すぐに通話ボタンを押した。


「ティリリリリ」


どうか出てくれ。頼む。

俺は声を張り上げながらどうか電話がつながることを祈った。しかし無心にもずっと呼び出し音だけが鳴り響いた。


「ティリリリリリ」


鳴りっぱなしの呼び出し音が俺を焦らせた。まさか、存在しない番号だとかもしくは他の番号を教えてきたのか? 腹が立って壁に携帯電話を投げつけようとした途端、幸いにも声が聞こえてきた。


俺は再び携帯電話を耳に当てた。


「もしもし?」


「もしもし」


何だか声がかれたように聞こえてきた。九空揺愛なのか違う人なのか確信が持てなかった。


「あの…九空さん?」


確認しようとそう尋ねると、かれた声が受話器を超えて聞こえてきた。


「おじさん?」


「そう、俺。」


いつもはあんなに腹が立つ呼び方が今この瞬間はとても嬉しく感じた。彼女は朱峰にあまり関わるなと言っていた。勿論、間違った情報をくれたが。


「どうかしましたか? なんだか元気がないようですが?」


俺の様子まで見抜いて気遣う彼女何故か涙が出そうだった。それくらい、朱峰にくらった精神的なダメージは大きかった。


「ああ、大丈夫。一つ聞きたいことがあって。」


「何ですか?」


「あの女さ、社交パーティーの主催者。君が気をつけろと言ったあの女。」


「はい、代表が何か?」


「君、もしかしてあの女の名前を知っている?」


「はい、知っていますよ。ちょっと待ってくださいね。思い出すので・・・. うーん、おそらく・・・.たしか・・・.木元(きもと)さんだったかな?」


九空揺愛の知る名前も木元(きもと)だった。そこで再びまた疑問が爆風を巻き起こす。

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