第18話

「おい」


自然に見下しながら朱峰が座っているところまで歩いていき肩をトンと叩いた。すると朱峰が俺を見上げる。当然、その顔には慌てた様子が歴然だった。彼女の目には財布に入っていた名刺の張本人であるあの有名な政治家が映っているはず。


俺が現れた時は椅子からお尻を持ち上げようともしなかった朱峰だったが、今は羽毛のように起き上がり、頭を下げてお辞儀をする。無力なその姿にすでに屈服させた気分だった。


「せ、先生がどうしてここへ?」


言葉までどもっているさまがとても滑稽だった。疑問に満ちた表情に俺は傲慢に振舞いながらテーブルの椅子に座った。


「まあ君も座りたまえ。」


朱峰は顔を伏せて音を立てないように静かに椅子を引き、席に座った。礼儀正しい姿は初めてだ。傲慢の塊のような女が。相手によって態度が天と地の差。典型的な悪女だ、悪女。


「俺が忙しい人というのはわかっているな?」


「それは当然わかっています。だからいつもいらっしゃる日を待っておりました。もしかして、私が何か間違いでも?」


そうか。やはりこの政治家を選んだのは最高の選択肢だった。ここで別れても、以前有賀の名前を使った時のように本人に確認の電話をするような雰囲気ではなかった。ところで、政治家にも人脈を紹介して紹介費を巻き上げると言っていたはずだが。今、俺が変身した政治家はあまりに大物すぎて論外だということなのだろうか。


まあそれはいいことだ。当分ばれることはないということだろうから。


「では単刀直入に言おうか。」


「はい、先生。」


「君、長谷川という人は知っているね?」


「はい?」


朱峰はびっくりした表情をしばし見せたが、瞬く間に再びポーカーフェイスに戻った。驚くほど自分のコントロールに優れている。


「実は私が彼を推薦したのだよ。同業の商売をする者同士、シナジー効果を出せるようにとね。それなのに、君は彼に薬を飲ませたなんて?」


「そ、その、申し訳ございません! まさか先生の推薦だとは夢にも思いませんでした…。」


彼女はどきっとしたのか、すぐにテーブルに頭を打ち付けながら身をかがめる。


「俺が直接面倒をみるにはここのところ俺に向けられる視線が多すぎる。だから代わりに君に送ったのに…。」


「申し訳ございません! 二度とこのようなことがないように致します。その方にも謝罪し、全身全霊で手助け致します。」


頭を上げることもできずにやたら低姿勢に出る朱峰の姿に既に復習が成功したような痛快な気分だが、この政治家は俺ではない。ゆえに意味がない。


「ところで同業の商売というのはどういった…。」


「おい、君はもう私に口答えまでするようになったのか?」


「いえ、申し訳ございません。私が身の程もわきまえずに。」


「まあ、君のやっている商売からすると薬と関連がある。」


「そ、そうですか。」


「面接の時に少しそんな話をしたような…、先生との関係だけでも話してくれていれば…。」


俺は彼女の言葉にわざと眉をぴくりと動かした。そして怒った顔を演じながら言った。


「それをむやみに口外するわけにはいかないだろう。」


「これはまた失礼致しました。申し訳ございません!」


朱峰は再びテーブルに頭を打ち付けながらぐうの音も出せず口を閉じた。これくらいにしておくか。これ以上話しているうちにぼろが出て正体でもばれたら最悪だ。知らない話題を切り出されたら困ることになる。


「上手く世渡りしたまえ。俺はそろそろこの辺で。すぐに長谷川をここへ来させるから2人で話してみるがいい。」


「はい、もちろんのことで。心配なさらないでください。 失礼のないおもてなしを致しますので。」


俺はその言葉を聞いてはむくっと立ち上がり出口に向かって歩き始めた。すると朱峰は俺を見送ろうと後をついてくる。しかしそうされては俺が困る。


「人の目もあるから、もうこの辺でいい。」


「あ、はい。で、ではお気をつけて! 先生。」


くるりと後ろを振り返ると、忠実そうにも俺の言葉、いや、政治家の言葉に従って元の席に戻り座る。これくらいなら成功とも言えるだろう。そして急いでカフェから脱け出し[所持アイテム]を読み込んだ。それから、[変身薬]をタッチすると次のようなウインドウが現れる。


[変身薬を解除しますか? 一度解除すると再度使用することはできません。]


何の迷いもなく、すぐにウインドウをタッチした。するとまた別のウインドウが現れた。


[変身薬が解除されました。]


俺は思わずこぶしを握りファイトと叫びながらカフェへと上って行った。カフェのアルバイト生は再び現れた俺を変な目で見つめた。変身薬が一人だけに効果があるのだから当然だ。アルバイト生の目にはまた俺が来たように見えているだろう。


俺はそんなアルバイト生を無視して、そのまま朱峰の前へと行った。


「こんにちは」


その言葉に俺を見上げた朱峰は席から起き上がるとにっこりと笑う。この場面。彼女を初めて見た人だったらこの清純な笑みに即惚れてしまっていただろう。昨日は一度も笑みを見せずにまるで取り調べをしているかのような扱いをしておいて、政治家とこねがあるといったから媚びるのか。


「長谷川さん! あの方と関係があるなら言ってくだされば良かったのに。昨日は大変失礼しました。」


「まあ、いいです。遺憾ではありましたが忘れることにします。」


「本当にごめんなさい。さておき、長谷川さんも私と同じような商売をされているとお聞きしましたが」


「はい、最初にもお話したと思いますが。」


俺の言葉に彼女は揉み手をしながら申し訳なさそうな顔をする。


「ごめんなさい…。あまり気を悪くしないでください。ね? ご機嫌直してくれますよね」


ついに愛嬌を振りまき始めた。凄まじいとしか言いようがなかった。全てを知っている俺でもあんな愛嬌を見ると胸がときめきそうになるが、普通の男たちならどうだろうか。俺は気を確かに持ちながら計画を進行させた。


「わかりました。それより、私と事業をやってみる考えはお持ちではないですか? これはあの方の意思でもあります。」


「その話も聞いてはいるのですが…。主にどんなものを取扱っていらっしゃるのですか?」


専門的な質問が始まった。どんなものを取扱っているのかって? 知らない。そんなの。急に戸惑った。わからない時に曖昧に答えるのが一番。


「大体のものは全て取扱っています。昨日飲み損ねた薬も私が取扱っている薬の1つですよ。」


「え?」


朱峰は俺の言葉にうっすら顔をしかめながら聞き返したが、すぐに表情が変わった。何か怪しかったのか? まあ自分も取扱っている薬なのにそれを飲みかけたとは可笑しくはある。


「あ、もちろん当然どんな薬なのか察知したので密かに吐き出して薬を飲んだふりをしたのですよ。先生の名前を明かすわけにもいかないので無事に脱け出すために。」


「ふふっ、そうですか。」


俺の言い訳に彼女はついに笑ってくれた。この程度なら言い訳になっただろうか。


「では私と取引きしませんか? その前に、もう少し詳しいお話しをしたいので場所を変えましょう。私のビルへ。お話もして身体での対話もして、どうです? ふふっ。」


やはり政治家の息がかかると話がはやかった。ついて行って契約を結び、本来取引していたヤクザに情報を流して泥仕合を仕込めば自分らで争うだろう。仲違いになった今がまさに適時である。


大物議員の後ろ盾を信じて俺に近寄ってきたところで何もない。そして、そうした後に取引を通じて得た証拠を新聞社にばら撒けば、社交パーティーは瓦解するだろう。ふははっ。完璧な計画ではないか。


薬のことを世間にばれてしまえば、むしろ彼女のバッグにいる政治家らは手を切ろうとするだろう。まさにトカゲの尻尾切りだ。問題を起こしているのに、ずっと面倒をみる政治家でもないだろう。そうなれば俺の復讐は達成できる。そしておそらく朱峰の攻略も。


俺を信用させることは全て、俺が変身したあの大物政治家の力にかかっていた。


「そうしましょうか。」


俺は席から立ち上がった。お会計をする間、彼女はトイレへ行ってくると席を外した。そしてしばらくして俺たちは昨日のあのビルへと移動した。彼女の車はB社の高級外車。

ビルの地下に車を止めると彼女は先に車を降りた。そして俺も続いて降りる。


「行きましょう。」


「はい。」


彼女はうっすら鼻歌を歌いながら駐車場を歩く。ご機嫌のようだ。俺のおかげか? 可笑しい女だ。それが破滅を呼び起こすとも知らずに笑っているなんて。


彼女と俺は並んで歩いた。目の前にビルのエレベーターが見える。朱峰はその瞬間後ろを振り返ると俺に話しかけた。


「ところで長谷川さん?」


「はい?」


いつの間にか彼女の表情が変わっていた。鼻歌も終わり、鋭い目つきは全体的に清純な彼女の顔には似合わない。


「どうされました?」


「長谷川さんが私の薬を取扱っているですって?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る