第12話

あの有名なアイドルさえ難易度はBだった。その上、好感度も表示された。しかし、この女は名前さえ出てこない。一体何だ。


彼女は俺が悩み続ける今この瞬間も返事を待っていた。何と言うべきだろう。Aというランクが与える驚愕さえなければ、正直すぐに断って帰っていただろう。体を売る客引き行為には関心はない。しかし、この女はそんなことをするにはあまりにもじもじしている。服装も台詞に似合わないし何か事情でもあるのだろうか。


何かのイベントのチャンスか。俺は今ゲームの中だし、イベントが行われるということも考えられなくはない。しかし逆に、罠の可能性もある。脳がしびれそうだ。ゲームの特性上、選択肢でも出てきてくれればもう少し楽なはずなのに、そういったものもない。選択肢が出てくるのにはちょうどいい状況だが。


選択1 ついていく。選択2 家へ帰る。こんな感じに。


しかし、何の選択肢も出てこない。目の前には選択肢ではなく、躊躇いながらも俺の返事を待つ女が立っていた。


遊んでみようか。やってみよう、Aという難易度。今すぐ攻略は不可能だが、いつか可能になるかもしれない。いや、いつか必ず攻略しなければならないはず。それならば予め接近しておくのも悪くはないだろう。勿論、本当に寝ようとは思っていない。


それはあまりにもゲームの思惑通りになりそうで嫌だ。嫌と言う以前に罠が発動しそうだ。


「いくらで?」


そんな考えをしながらも、とりあえず返事をしなければと思いが先立って最悪な返事をしてしまった。接近しようとするなら、彼女の提案に一旦は承諾をしなければならないのに、よし寝よう! そんな風に言うわけにはいかないので、出てきてしまった言葉だった。吐き出してみるとかなり幼稚に思える。


しかし、彼女は慣れているのか何の表情の変化もなくそれとなく指2本をみせた。2本ということはいくらを意味するのだろうか。常識的に考えると2千円ではなさそうだし。


「2万円?」


指2本に煽られてもう一度金額を聞くと女はうなずいた。当たったようだ。高いのか安いのかはよくわからない。女を買ってみたことはないし。しかし、支払えない金額ではなかった。


「わかった」


俺が承諾すると彼女は頭をこくりと下げた。


「ありがとうございます。」


胸を撫で下ろしながら安堵の一息をつく。体を売るという大胆な行動をしながらもなぜこんなに小心で優しそうに見えるのだろう。一体どういった事情があるのだろうか。


「行きつけのラブホがあるのでついて来てくれますか?」


「わかった」


うっかりそう返事をすると、彼女は後ろを振り返り歩き始める。そして、俺は後に続いた。いつの間にか繁華街のラブホ通りに着いた。風俗街が集中する場所の周辺にはクラブや居酒屋がいっぱいだ。女はなんのためらいもなく曲がり角にあるラブホへと入って行く。見たところ、行きつけのラブホがあるという言葉は事実のようだ。


後を追って中へ入ると、彼女はフロントの前で俺を待っていた。


「お会計してもらってもいいですか? ホテル代は別途なので…。」


すまない顔で言うのが少し善良にさえ思える。とりあえずはうなずいて宿泊名簿に適当に記入して部屋代を払った。鍵を受け取り彼女に近づくと、いきなり手を差し出す。


「鍵、もらってもいいですか?」


「はい」


あまりにも当然のように要求するから反射的に鍵を差し出すと、彼女はそれを受け取っては部屋番号を確認し、階段へと足を運んだ。部屋にはベッドと浴室が全てだ。こんなところは初めてだから俺は少し辺りをきょろきょろと見渡した。


「どうかしましたか?」


「いやぁ….」


その瞬間、焦ってカッコ悪く言葉を詰まらせた。女はベッドに腰掛けると隣を手でトントンと叩いた。まるで隣に来いと言っているようで、俺はそれにおとなしく従った。俺も俺だが彼女の表情もそんなに良くは見えない。そんな表情で営業していたら客があまりいなそうだ。何しろこれもサービス業ではないのか。


「すぐに始めますか?」


女はいきなり服を脱ぎ始めた。来ていたパーカーを脱ぐと顔と体つきが露わになった。肩までおりてくる黒いストレートの髪の毛。そして何か冷たい印象。さらにブラジャーの下に見える胸は意外と大きい。Cカップは超えているように見え、俺の視線は自然と胸の方に集中する。目が合ってしまい慌てて顔を背けた。そして、彼女の腕に大きな火傷の痕があるのが目に入った。


俺の視線に気づいた女は急いで腕の火傷の痕を隠した。そのおかげで、背中を向けた拍子に、背中にも細かい傷跡があるのが見えた。殴られてできた傷跡のようにも見えるため、急に息が詰まりそうな気分だ。


やはり事情のある女だった。何となく体を売るような女ではなかった。どんな秘密があるからとAというランクがつけられたのだろうか。


「み、見ましたか?」


傷跡のことか。見られたくなかったら、電気を消して服を脱げよな。こんなに明るいところで服を脱いだのに、腕にあるその大きな火傷の痕が見えないわけないだろ。少し間抜けなところまである女だった。俺がうなずくと彼女は大きくため息を吐き出した。


「不快でしょう?」


「え?」


俺が返事をためらうと彼女は仕方ないというかのように眉間にしわをよせながら指を1本あげてみせる。意味がわからずきょとんとしていると、


「半額にしてあげます。こんな傷跡があると嫌がる人もいるけど、サービスは上手いですよ。常連も多いですから。」


よくあることなのか、急に値段を下げだした。まだ何も言っていないのに。しかし、不快かとの質問に対する俺の答えはノーだった。俺も学生時代にできた傷跡がある。それは苦労して生きてきた証だ。不快だなんてことはないと思う。だから、首を激しく横に振った。彼女はそれが拒絶を表すように見えたのか、急に脱いだ服を一枚一枚着始める。


「あ、その、別に不快じゃないけど。」


パーカーを下していた女は俺の返事が意外だったのか目を丸くした。なぜかその姿が少し可愛い。


「はい? 今なんて?」


「火傷や傷跡が不快でないと。たかがケガした傷じゃないですか。辛かった瞬間の記憶でもあり。思い出とまでとはいかなくても生きてきた証なのに不快なわけがある?」


俺の言葉に彼女は黙りこみ、しばらく沈黙が流れた。俺をまじまじと凝視する。睨みつけられているような気にもなる。


「その、今まで他のおじさんたちもみんなそうでした。」


そうして、再び服を脱ぎ始めた。俺の言葉をどうでもいいからセックスをしようという言葉に理解したようだ。


-ランクA

-出てこない選択肢

-寝ようと誘ってくる彼女

-それに似合わずもじもじしている様子と、何か事情があるように見える身なり

-そして美貌とスタイル

-さらに傷跡


元からやるつもりもなく見れば見るほど罠という確信がわいた。タダで与えられるものにまともな物はそうまれである。もしここでセックスをしたら、相当な不利益を受けるかもしれない。ゲームの罠。そこで、俺は断固として口を開いた。元々、このように女を買う行為は好きではない。そうでなかったら、すでに童貞を卒業していただろう。


「いいよ、服は脱がなくて」


「はい?」


そう言いながら、服を脱ごうとする彼女の腕を優しく掴んだ。すると、理解ができないというような顔で俺を見つめる。


「気が変わったのですか? さっきは不快じゃないって…。」


「そうじゃなくて、とりあえずこれ」


俺は財布から抜いておいた現金から1万札2枚を彼女の手の平に乗せ、説明を始めた。


「君とやる気はない。だからと言って誤解はするなよ。傷跡のせいじゃないから。その、むしろスタイルはいいと思うし…。」


「おじさん…。もしかして。E?D?」


彼女はうっすら眉をつりあげながら尋ねる。俺の行動が全く理解できないというような顔だ。

俺はその言葉の意味をしばらく考えると、一瞬慌てて


「いや、性機能には問題ないけど? むしろ性欲がすごくて大変なくらいだよ。」


「じゃあなぜお金だけくれるのですか?」


俺に再びお金を突き出すとベッドから起き上がる。


「体を売る女だからと同情するなら要りません。」


半額にしてくれるとまで言っておきながら、お金を必要とする姿をみせていた彼女だった。ところが、同情してのお金は受け取らないという。プライドが高いのか。話をすればするほど不思議な女だ。改めて、何百万というお金に殺人もいとわない桜井が頭をよぎった。


「そうじゃないよ。では、こういうのはどうかな?」


「なんですか?」


無理な頼み事でもされると思ったのか、彼女は顔をしかめる。やっぱりそうかと思っている様子が目に見える。そこで、その予想を覆してやろうととんでもない提案をした。


「今から外で一緒にご飯でも食べてくれる?しばらく誰かと一緒にご飯を食べてなくてさ、君のようなきれいな子が一緒にご飯を食べてくれるだけでもそのくらいすると思うし。」


お金が必要そうに見える彼女に口実を作るかたがた、 そしてある程度本心も混ざっている提案。ただ、少しいたたまれなくなり急いで部屋から出てフロントへと向かった。入口の方で立って待っていると、彼女が階段を下りてくる。


「返事も聞かずに出て行ってしまうなんて。」


「部屋に置いてきたお金は持ってきた?」


「はい、とりあえずは持ってきましたけど…。」


「じゃあお金を受け取ったのも同然だから、代償は払ってもらわないと。食堂に行きましょうか。」


そう言ってはラブホから出てきた。女は仕方がないというように俺の後ろをついてくる。さっきとは真逆の状況だった。ラブホに向かう彼女に俺がついていっていた状況とは。


風俗街だから食堂はあちこちに見える。しかし、女とたった2人でご飯を食べた歴史がない俺。どこに行けばいいのか全くわからない。


「何か食べたいものでもある?」


「はい? しゃあ…。あそこ!」


彼女は何故か俺よりも慌てていた。周囲を見渡すと指である看板を指した。


「じゃあ、あそこのラーメン!とかいう…」


ラーメン!と吐き出した時は何かそれとなく目が輝いたような気がしたが、再びまた声が小さくなった。いやしかし、たかがラーメン?


いくら女と付き合ったことがない俺でも、デートでラーメンはちょっと違うのではと思った。頭の中には高級料理店の映像だけが浮かんでくる。


しかし、考えてみると別にデートをしようとは言っていない。しかもすでに彼女はラーメン屋さんに向かって歩いていた。そして、その素朴な提案に従うことにして食堂に入り、テーブルの席についた。


「お金は本当に返さなくていいのですか? ご飯を一緒に食べるだけで2万円をもらうなんて、そんなの聞いたこともないです。」


「まあそんなこともあればこんなこともあるさ…。お金の話はやめよう。」


彼女は俺をじっと見つめると負けたと言うかのように首をうなずかせた。ただ、未だに眼差しには疑問にみちているようだ。


「おじさんみたいな人、初めてです。火傷の痕を見てもなんともなく、セックスもやらずにお金までくれるなんて。ただ一緒にご飯を食べてくれだなんて、何かおかしい…。」


「いやそれより、俺おじさんじゃないって。まだ25歳なのに。」


俺が味噌ラーメンを2杯注文しながら言うと彼女は驚いたような顔で聞き返す。


「25歳? ええぇっ?」


「なんだよ」


「30代かと…。」


ずばり言う彼女のおかげで、水を注いでいた手が怒りでぶるぶると震えた。童顔ではないが、あまりにも率直すぎじゃないか。水が方々に飛び散ってテーブルの上にこぼれる。


「あ、冗談ですよ。でも私とは6歳も離れているからおじさんでいいでしょ。」


彼女はしまったという顔で言い直した。しかし、もう遅い。彼女に対する俺の好感度があったら今ので–1000だと言ってやりたい。


俺は諦めた。すると、特に話すことが思いつかない。そこで名前を尋ねてみた。名前すら出てこなかったこの女、スカウターに出てこないなら尋ねてみるしかない。


「名前は?」


「名前ですか?」


彼女は少し悩んでいるようだ。教えるか教えないか考えているのだろうか。やはり女とは名前1つ聞き出すのが大変な生物だ。彼女のように魅力がある女なら尚更。1人で挫折しかけていると彼女が急に口を開いた。


「九空(くそら) 揺愛(ゆれあ)」

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