丸眼鏡絶望帳

猿川西瓜

お題「めがね」

 先日、五年以上迷い続けたが、退職を機会に、もう一度「丸眼鏡」に挑戦しようと思った。

 ついでに眼科も行ってきた。視力検査日本一の眼科だった。最強の診断書が出来た。

 眼鏡屋へ行き、診断書を見せると衝撃の一言があった。


「このでかい丸眼鏡をつけたけりゃ、伊達眼鏡やで」


え?


「自分の眼鏡をよく見てください。レンズの厚み、一定じゃないんです。外側に行くほど、分厚くなっているでしょ? つまり、デカい丸眼鏡に、度のあるレンズつけると、輪郭が歪むんだな」


え?


「だから、デカい丸眼鏡かけたいんなら、コンタクトつけて丸眼鏡が鉄板。どうしてもデカい丸眼鏡でやりたいんなら、このあたりにある、(と、店員はでかい丸眼鏡のあるコーナーの隣のコーナーを指さして)六角形の眼鏡とか、大きい四角い眼鏡とか、このちょっとデカめの普通眼鏡を選んでや。この、ファッションドデカ丸眼鏡は、普通はでいくもんやで」


 青天の霹靂だった。


 というか、あのデカい丸眼鏡かけて、!!


 ショックだった。

 俺(おじさん)も、丸眼鏡女子に……あんな風になりたい。

 そう思っていたが、この年齢で伊達眼鏡はきついものがあった。


 折衷案として、やはり、まあまあデカいけど、度のある眼鏡を探すしかないようだった。

 でも、レンズが分厚くなるし、結局はデカい眼鏡でレンズが分厚いと、いかにも老人感が出てしまう。『デカレンズ分厚い眼鏡』なんて、それただの、おじいさんの眼鏡やん!


 じゃあやっぱり、ここは、コンタクトで乗り切ろうかしら。

 そしたら、丸眼鏡も買ったらええやん。

 いやしかし、この年齢で伊達眼鏡っていうのもなあ……。


――


 こうして眼鏡思考回路は永遠とわにまわり続けて、結論がでないのである。

 ジムに筋トレに通おうと思い続けて、十五年経過したのと同じ現象である。

 そういうときはどうすればいいか。


 のである。

 似合う伊達眼鏡を探し、もうのである。

 買えばもう、コンタクトを購入するしかなくなる。

 やってしまえば、やるしかなくなる。これが大事なのである。


 例えば、家の床に積み上げている本。いつか本棚にしまいたいなぁ……ではない。

 本棚を買って、本をしまってしまうのである。本棚のスペースなんか、あとで探すのである。

 どうにかする前に、迷っているものは買う。買ってから、その「物」に合わせて生活を、ファッションを変える。それが肝要なのである。


 三万の、ワイシャツ風パーカーを私は買いたいと思っている。

 しかし、迷ってる。

 どうしようかなあ、服、十分にあるしなあ。

 そう思っていたら、捨てようと思う服も捨てない。捨てられない。いつまで経っても同じ服だ。

 しかし、三万の服を買ってしまえば、もう着ない服は捨てられる。捨てて、スペースを確保するしかなくなるのである。


 買え! 買うんだ!

 買ってしまえば、その「物」に自分はついていこうとするのだ。

 「物」は常に自分を先行しているものである。


 もちろん失敗する買い物というのはある。

 むかし、音楽用キーボードを買って、何も使いこなせなくて失敗したことがある。

 そういう、ギターとか、フィットネス用のマットとか、筋トレの道具とか、それはたいてい失敗する。


 しかし、丸眼鏡とか、オシャレ系は、買って損することはないと思う。いや、損する確率は少ないと言うべきか。

 その「物」が要求することに合わせて、自分を変化させやすいからだと思う。

 フィットネスや楽器は、自分を変えるのに時間がかかるので、失敗の買い物になりやすい。服は、実行に移しやすいし、結果もすぐに出る。


――


 よし、明日こそ、明日こそ、丸眼鏡を買おう。さすがに、一部分だけ髪の色変えたり、髪の裏側だけ髪の色変えたりする憧れはもうしない。しかし丸眼鏡は買って良いはずだ。


――


 でもなあ、この年齢で伊達眼鏡っていうのもなあ……それなら、度数のある、大きめの眼鏡で似合うのを探した方が、ええんかなあ。でも、いまかけてる縁なし眼鏡が一番似合ってるし、わざわざ買い物行かなくてもいいのかなあ。でも丸眼鏡って一度はかけて歩きたいよなあ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

丸眼鏡絶望帳 猿川西瓜 @cube3d

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ