第10話 犬>メガネデビュー
「でも、あたしの場合さ……」
「うん?」
「もし早い段階で、お前の気持ちを察したとしても……『いやいや、そんなことはないだろう!』とか『アホか、あたしは! 自意識過剰、乙~』とか思っちゃっていただろうね」
「……ああ~、確かに……」
「あー、やっぱり分かる? あたしが自分のことを好きではないから、どっちみち、お前の気持ちを理解することは不可能だったと思うよ」
「……そうだな」
メガネ女子と幼馴染みの男子は、また笑い合った。帰りたくないな、一緒にいたいな、と思いながら二人は幸せそうに下校している。
「お前……もしかして、あたしがメガネを掛け始めた日から、あたしのことが好きだった?」
「へっ?」
「それか、あたしがメガネを掛ける前から既に好きだった? あっ! もしくは、一目惚れ?」
「どうして、そう思うんだよ?」
「だって、あの日……。ああ、今は二人きりだから、話しても大丈夫だよな?」
一応確認をするメガネ女子に、幼馴染みの男子は頷いた。
「あっ、メガネ掛けてるぅーっ!」
「一体どうしたの~?」
「見せて見せてーっ!」
今は朝だってのに……。
あたしに対して「おはよう」って挨拶もしないで、早速それかい。
メガネ女子がメガネを掛け始めたのは、小学二年生のときである。初めてメガネを掛けて登校した彼女は、教室に入るなりクラスの注目の的となった。
「えっ……あっ……えと……」
心の中ではイライラを言葉にしていたが、内弁慶なメガネ女子は、その気持ちを外に吐き出せなかった。言葉を詰まらせ、頬を赤く染めるだけしかできずにいたメガネ女子。真っ赤な顔は、ちょっぴり下向きの状態である。
どうしてメガネを掛けただけで、こんなにワーワー言われなきゃ、いけないの?
あたし、スターでも何でもないのに……。
というか、めちゃめちゃ悪いことをした人にでもなった気分……。
悪いことなんて、していないのに。
注目なんて、されたくないのに。
あたしは、ただ黒板の字が見えづらくなったから、メガネを掛け始めただけだよ。
本当に、たったそれだけなんだから。
こいつら全員、いつも大してあたしのことを相手にしていないんだから、そっとしておいてよ。
そんな緊張しているメガネ女子を気にすることなく、たくさんのクラスメートは、そのメガネデビューについて騒いでいる。
「目が悪かったんだねーっ!」
「よく見えるの? それーっ!」
「これからは、あなたのことをメガネちゃんって呼ぶからねっ♪︎」
……は?
何なの、その呼び方……。
「うわあ~っ! お前が変な提案しちまったから、泣いちゃったじゃんかよ!」
朝から困惑していたメガネ女子にトドメを刺したのは「メガネちゃん」という、悪意から作られたニックネームであった。それはメガネ女子が泣き出したきっかけではあるが、彼女を傷付けたものは、その意地悪な呼び方だけではない。
「ご、ごめんね!」
「ごめんごめん!」
「マジごめんって!」
「ごめんねごめんね!」
あたしが泣かなきゃ……お前らはあたしの気持ち、一生分かんねーのかよ。
始まった「ごめん」の嵐を聞いて、ますますメガネ女子は気分が悪くなった模様。彼女にとって、自分を囲んでいるクラスメートたちは、みんな悪魔のように見えている。謝っている子たちから「頼むから先生には言わないでね! 怒られたくない!」という思いが、一気に伝わってきたのだろう。
「うっ……ううっ……」
こんな奴ら、許すもんか。そのような決心をしたメガネ女子は、たくさんの「ごめん」に、一言も返事をせずに泣き続けた。彼女が「ごめん」の嵐に傷付けられていると……。
「おーい! おーいっ! この学校に、でっけぇ犬が入ってきたらしいぞーっ!」
メガネ女子にとって、めちゃめちゃ馴染みがあるけれど、いつもよりボリュームの増した声が聞こえてきた。
「えっ! マジ?」
「どこどこ?」
「わーいっ! ワンちゃんだー♪︎」
廊下から聞こえてきた情報に、あれだけ謝罪をしていた子たちの表情がパアァッ……と明るくなった。やはりメガネ女子は、そういうことを見抜いていたのである。
「早く行かなきゃ~!」
「ワンコ、見たいなぁ~!」
「待っててねぇー♪︎」
さっきまで、あんなにメガネ女子に注目していたクラスメートたちは、次から次へと教室から廊下に移動してしまった。
……マジで何なの、あいつら……。
その場に残されていたメガネ女子の涙は、もう乾いてしまっていた。彼女が呆れていると、
「あっ、あのっ……!」
「 ……?」
一人のクラスメートがメガネ女子に話し掛けてきた。笑いながら「メガネちゃん」という呼び方を提案した、あの子である。
うわ、こいつ残ってんのかよ……。
お前、早く行けよ!
あたし……あいつら全員が嫌いだけど、一番ムカついたのは、お前だからな!
「そのっ……本当に、ごめんなさい!」
「……は?」
何だよ、こいつ……。
これじゃあ、あたしがバカみたいじゃんかよ!
涙目で謝罪し、きちんと頭を下げているクラスメートを見て、メガネ女子は困惑している。どうやら、この子の本質だけは見抜けなかったようである。
「……別に、もう良いよ……」
「あ、ありがと……」
ここで許さなかったら、めんどくさくなりそうだもんね。
あたしが悪者になるのは、もっと嫌だしな。
きちんとメガネ女子に謝ったクラスメートは、ハンカチで涙を拭きながら退室した。
いや結局は、お前も犬が見たいんかーいっ!
やはり、その子にも犬が見たいという気持ちはあったのだ。しかし、メガネ女子を囲んだ人間の中で唯一、犬ではなく正式な謝罪を優先した者だったのである。
「……おーい。大丈夫かー?」
「ふぇっ! お、お前! いつの間に教室に入った……?」
ポカンとしていたメガネ女子を驚かせたのは、幼馴染みの男子だった。廊下で叫んでいた彼は、ほとんどのクラスメートを教室から出した直後、静かに速やかに入室していたのである。
「ごめんね、助けられなくて……」
「すごく大変だったね……」
幼馴染みの男子に続いて、友達数人がメガネ女子の元へ来た。彼女の友人である女子たちは、みんな優しいけれど大人しい子だ。
「良いって、あんなの、怖いに決まっているもんね……」
メガネ女子は、すぐに仲良しグループのみんなを許した。彼女には、友人たちの気持ちが分かるからである。
「あっ、そうだ。ありがとう……」
「い、いや……おれは、ただ嘘を吐いただけだって……」
ハッとしたメガネ女子に感謝されると、幼馴染みの男子は照れていた。でも喜んでいた。そんな彼らの様子を見て、メガネ女子の友人たちはニヤニヤしていた……ということを約二名は全く知らない。
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