小卒ピンクガール
フェアリーガーデンから新宿ダンジョンに戻った俺は、待っていた水鏡さんと合流した。
水鏡さんからは会うなり切腹寸前みたいな顔で謝られたが、気にしないでくださいと言っておいた。
物理攻撃を完全に無効化するらしいピンク髪の少女と水鏡さんでは、相性が悪すぎる。止められなかったのも仕方ないことだ。
……というか俺もピンク髪の少女には手も足も出なかったし、偉そうに言える立場じゃない。
須々木崎邸に戻り、新宿ダンジョンであったことを茜と月音に共有する。
<竜癒草>は茜に見せ、協会のサイトの鑑定機能でも確認して本物であることを確認し、地下の倉庫にある金庫に保管した。
その後料理をする気力もなく、月音が用意してくれたインスタント食品で夕食を済ませた俺たちは、それぞれの部屋で休んでいる。
……と。
コンコン。
「ん? 誰だ?」
扉を開ける。
その瞬間、トン、と額に軽い衝撃が伝わる。
扉の前にいた人物に人差し指を突き付けられたのだ。
「両手を後ろで組んで地面に伏せな、お嬢ちゃん」
「……」
「聞こえなかったのか? 両手を後ろで組んで地面に伏せるんだ。さもないと自分の額が真っ赤なトマトジュースを吹くところを見ることになるぜ」
「……月音、お前は一体何がしたいんだ」
「洋画に出てくるマフィアごっこ。タイムリーかなと思って」
「やめろお前。今日だけはそれ本当にやめろ」
「部屋入ってもいい? 今日は夜に報告会するって約束だったでしょ」
「あー、そうだったな。わかった」
月音を部屋に招き入れる。月音はベッドに腰かけ、ここに座れとばかりにぺしぺしと自分の膝を叩いた。当然俺はそれを無視して月音の隣に座る。
「それで、今日はどうだった?」
「お兄ちゃん、私の膝が空いてるよ」
「隣に座った時点でそこに座る気がないって気付いてくれ」
「ちぇー。……何事もなかったよ。何ならお兄ちゃんのことをけっこう心配してたよ、茜さん」
「怪しい行動はなかったか?」
「ずっと一緒にいたけど、私が見た感じ何もなかったね」
今日は茜たちと協力関係を結んだ初日ということで、月音に茜の行動を見張ってもらっていた。だが、特に何もなかったようだ。
「……考えすぎか」
「まあ、リーテルシア様も悪人じゃないって言ってたし、<竜癒草>があるってのも嘘じゃなかったしね」
「そうだな」
俺は今日、本物の悪人と対峙した。
あの悪意の塊みたいなピンク髪の少女と茜とではまとっている気配が違いすぎる。
念のため今日は茜の動きに注意を払っていたが……明日以降、そうする必要もないか。
「まあ、万が一何かあれば私がちゃんと報告するよ」
「わかった。頼む」
「おっけー。それじゃ寝ようかお兄ちゃん。電気消そう」
「……お前の部屋は隣だろ」
「やだ、一緒に寝る」
「やだってお前……高一になってやだってお前……」
……まあ、一日信頼できるんだかできないんだかわからないやつと一緒に過ごして疲れているのかもしれない。
なら、寝る時くらい安心させてやるのも構わないか。
「わかったよ。今日だけだぞ」
「やったー! お姉ちゃん大好き!(※一アウト) 美少女!(※二アウト) 超かわいい!(※三アウト)」
「よし、お前やっぱ出てけ」
「やだー!」
何なんだこいつ……
そんなやり取りをしていると、部屋の扉がノックされた。
今度は誰だ?
「少しいいかい?」
「茜か」
扉を開けるとそこには黒髪の少女――茜が立っていた。昼間はドレス姿だったが、今は薄手のネグリジェを着ている。こういう人形っぽい服異様に似合うな、こいつ。
「月音君もいるのか。ちょうどいい、例のナイトバナードの少女について協会の職員から連絡があった。そのことを伝えに来たんだ」
「!」
茜の言葉に身構える。
「確か貸しのある職員を使って、ピンク髪のあいつの目撃情報を流したんだよな?」
「そうだ。まだ開拓の進んでいないダンジョンに入り、ドロップアイテムを無許可で持ち帰り売りさばいていた職員がいてね。今回はその件をちらつかせて利用させてもらった」
俺が思っていた“顔が利く”とは方向性が違いすぎるが、今回ばかりは何も言うまい。俺が茜の立場だったとしてもピンク髪の少女を捕まえるためなら手段は選ばないだろう。
「それで、あいつは捕まったのか?」
「いいや。結論から言うが……彼女はダンジョンから忽然と姿を消したそうだ」
「……は?」
「本来ならダンジョンに一度入れば、死亡したにしろ踏破したにしろ、必ずダンジョンゲートから排出される。しかしゲートからそれらしき人物は現れなかった」
「なら、まだダンジョンの中にいるんじゃないか?」
「現在も未踏破エリアの探索は進んでいる。先ほど職員によってガーディアンボスの部屋も見つかったそうだが、誰とも遭遇しなかったそうだ」
「途中で気付かないうちに職員の人たちが追い抜いちゃっただけじゃないの? ほら、箱根ダンジョンって霧がかかってて視界が悪いんでしょ?」
話が気になったようで、こっちに近付いてきた月音がそんなことを言う。
茜は首を横に振る。
「ないとは言わないが……おそらく違う」
「……?」
「彼らはダンジョン内で姿を消す。それだけじゃなく、ダンジョンに入る時もゲートを使わない。話には聞いていたが、どうやら本当だったようだね」
「そ、そんなことができるのか?」
「普通はできないはずなんだがね……噂によると、彼らの紫色のコンバートリングがそれを可能にしているらしい。私としてもその可能性は高いと思っている。でなければ、わざわざ正体がバレやすい特徴的なコンバートリングなんて着けないだろうし」
茜は考え込むような仕草をしながらそう言った。
特別な加工を施したコンバートリングで自在にダンジョンを出入りする、ってことか。
「仮にそうなら、あいつはもう箱根ダンジョンの外に出てるかもしれないのか……」
「まあ、本当に月音君が言うようにただニアミスしただけかもしれないがね。明日になっても目撃情報が上がらなければ、今回彼女を捕まえることはできないんじゃないかな」
肩をすくめる茜。
……<妖精の鎮魂杖>を取り戻しておいてよかった!
ゲートを使わずダンジョンを脱出なんてされたら待ち伏せもしようがない。
取り返しのつかない事態になるところだった。
「ね、ねえ。その子が捕まらなかったってことは、お兄ちゃんはまたナイトバナードに狙われたりとか……?」
月音が声を震わせるが、茜は「いや」と言った。
「おそらくそれはないだろう。リーテルシアが幻覚を用いて雪姫君からすべてを奪ったと錯覚させたんだろう? 盗賊である以上、奪うものがない相手をわざわざもう一度狙うことはないさ」
「そ、そうなんだ」
「まあ、仮に雪姫君とリーテルシアがナイトバナードの少女と戦って勝っていれば、悪い意味で話は違ったかもしれないが。逆恨みされて襲われるかもしれなかったからね。今の状況ならそこまで警戒する必要はないだろう」
「そっか。よかった……」
ほっとしたように月音が息を吐く。俺も同じ気持ちだ。
「話は以上だ。では、ゆっくり休んでくれ」
茜はそれだけ言うと去っていった。
▽
「んあ~~~~つっかれた~~~~」
アメリカ某所。
とある巨大ビルの一室で、ピンク髪の少女が声を上げた。
「はー、くさいくさい。早く拭かないとやってらんないよ」
一糸まとわぬ彼女の体は独特な匂いの液体で濡れている。
部屋の中にある人間が入れるサイズのカプセル。
特殊な液体で満たされたその中に彼女はさっきまで入っていた。
カプセルの効果は離れた場所にあるマジックアイテム――本体とほぼ同一の力を発揮できる人形に接続することだ。
世界各地で暗躍する盗賊組織、ナイトバナードの抱える重大な秘密の一つ。
このカプセルによってピンク髪の少女は国外でも自在に力を振るうことができるのだ。
お気に入りのパンク風ファッションに少女が身を包んだところで、部屋の扉が開いた。
「おかえり、テレシア。首尾はどうだい?」
一人の男が入ってくる。
堂々とした立ち姿の、いかにも経営者という雰囲気の壮年の男だ。
「あー、ボス。楽勝だったよ。まあこのアタシにかかれば当然だけど♡」
「君がそうやって上機嫌な時は何かミスをしているんじゃないかと心配になるんだがねえ」
「大丈夫大丈夫、今回はアタシほんと完璧だから。何一つミスも見落としもしてないから」
ドヤ顔を披露しつつもピンク髪の少女は続ける。
「ドロップアイテムをくれてやったらスイバ組の連中も喜んでた。でも、本当によかったの? ガーディアンボスの初回攻略特典まであげちゃって」
「構わないさ。初回攻略特典くらい他のダンジョンで獲ればいい。吹場組は私の計画にとって重要なピースだ、彼らと良好な関係を維持するためなら惜しくもなんともないよ」
「計画ねえ……まあ、ボスがいいならいいけどさ」
それからピンク髪の少女――テレシアは思い出したように言う。
「あ、でもキーボスの報酬にはケチつけられたな」
「ケチ?」
「うちの研究員が、あのダンジョンのキーボスからは<竜癒草>がドロップする可能性が高いって言ってたじゃん? でもそれなかったんだよね。鍵とか案内用アイテムとか、他の素材アイテムは見つけたんだけど」
「ふむ……まあ、予想も確実なものではないからね。あれが確実にできるのは亡き須々木崎教授くらいのものだろう」
「ススキザキ? って誰?」
「……君はもう少しダンジョンのことを勉強したほうがいいかもしれないな」
「お、何かなーボス? もしかしてアタシの学歴バカにした?」
「そんなつもりはないさ」
地雷を踏み抜きかけたことを察して男は話題を変える。
「まあ、<竜癒草>については残念だが仕方ない。吹場組に前もって予測を伝えていた以上は難癖をつけられるかもしれないが、どうとでもフォローできるしね。他に何か変わったことはあったかい?」
「変わったこと……あ、ひひ、あったあった。いけ好かねーガキをとっちめてやったよ。あの惨めな顔、今思い出しても笑える~♡」
底意地の悪い笑みを浮かべるテレシア。
男は彼女に絡まれた顔も知らない人物に同情を送った。
テレシアの様子からして相当手ひどくやられたようだ。
下手をすれば大切なマジックアイテムを目の前で粉々にされるくらいのことはあったかもしれない。
「とにかく、ご苦労だったねテレシア」
「誠意は金額で見せて♡」
「もう口座に振り込んであるよ」
「ひゃっはー! ショッピングの時間だァ!」
テレシアは上機嫌で部屋を出て行った。
男は苦笑しながら部屋を出て、テレシアが向かったのとは別方向にあるエレベーターに乗り込む。
そして複数のボタンをはたから見れば理解不能な順番で押し、移動する。
着いた先は男が表向きの肩書で呼ばれる場所だ。
エレベーターを出て男がビルの中を移動していくと、前方からやってきたスーツの男に腕を掴まれる。
「社長、どこに行っていたんですか!」
スーツの男は壮年の男の秘書である。
「ケビン、どうしたんだいそんなに慌てて」
「慌てるに決まっているでしょう! 今日のあなたに自由な時間なんてないんですよ! 山積みの書類のチェック、研究所の視察、それが済んだら政府関係者との会食! 予定が詰まりに詰まっているんですから!」
「……人間が人間でいるためにはまとまった時間が必要だ。特に海が見えるリゾート地で過ごす時間だとなおいい。君もそうは思わないかね?」
「残念ながらあなたは普通の人間ではありません――ダンジョン関連製品で世界一のシェアを誇る大企業の主なのですから。向こう二十年はビジネスに捧げていただきます」
壮年の男はがっくりとうなだれた。
「私も東京に行きたい……」
「は? トーキョー? 残念ながら行くのは執務室ですよ。さあこちらに」
「わかったよ、わかったって」
壮年の男は秘書にビルの中を引きずられていった。
▽
須々木崎邸の地下室で、榊水鏡は瞑想を行う。
思い出すのはピンク髪の少女――ナイトバナードの一員に対して無力だった自分の醜態。
あんなことが二度あってはならない。
次は必ず討ち取る。
その思いとともに記憶の中のピンク髪の少女と戦い、次の遭遇に備える。
そうしていると、不意にスマホが鳴った。
電話のようだ。瞑想を中断し、画面を確認した水鏡はそこに表示された名前を見てわずかに顔をしかめた。
出ないわけにもいかないので応答ボタンをタップする。
「……もしもし」
『みかみーこんばんは! 今ちょっといい?』
「誰がみかみーですか」
声は水鏡の知人である女性のものだった。
『ちょうど時間ができてさ。例のもの、明日持ってってもいい? 今確か茜ちゃんのとこに住み込みなんだよね?』
「例のもの……<アンブロシアの実>ですか」
『そうそう。いるって言ってたでしょ? 二個くれなんて言われて吐きそうだけど、今からでも一個にまけてくれたりしない?』
「あなたにいくつ貸しがあると思っているんですか。まけませんよ」
『おえ゛え゛え゛え゛え゛ん、あと二個しかないのにぃいいいいいい』
「電話口で吐かないでください。演技だとしても気分が悪いです」
『ちょっと待ってみかみー、テーブル拭くから(ガタッガタッ)』
「…………演技じゃないんですか……?」
『真面目な話、二個ともあげるのはちょっと困るんだよね。実はもう一人あげたい人がいて』
その言葉に水鏡の表情がわずかに険しくなる。<完全回帰薬>は茜と雪姫のぶんで二つ必要な以上、素材である<アンブロシアの実>も二つ必要だ。
「……あげるというのは、どなたにですか?」
『みかみー知ってるかなー……雪姫ちゃんってダンジョン配信者』
「えっ」
『ほら、<アンブロシアの実>ってすごい回復アイテムの素材になるって噂があるでしょ? 雪姫ちゃん、何かのマジックアイテムのせいで体がおかしくなっちゃった友達を治そうとしてるらしくてさー。<アンブロシアの実>をあげたら喜んでくれるかなって』
「……」
『みかみー? 聞こえてる?』
「聞こえています。ただ、こう、世間は狭いと思っているだけで」
『???』
「あなたが<アンブロシアの実>を渡そうとしている理由は……ああ、例のダンジョンを攻略するための布石ですか。引き換えに協力を頼もうと?」
『それが半分。もう半分は雪姫ちゃんがあまりにも可愛すぎてお手伝いしたいから! 健気な美少女は報われろって古事記にも書いてある!』
「そんな古事記は存在しません」
『で、どう? やっぱりどうしても二個ほしい?』
「……説明するのも長くなりますが、そうですね。ただ、あなたにとってもいい話です。なぜなら私が<アンブロシアの実>を二つ要求していたのは、そのうち片方を雪姫様に渡すためですから」
『え? どういうこと!? もしかしてみかみー雪姫ちゃんと知り合いなの!? 会ったことあるの!?』
「食いつく部分が妙におかしい気もしますが、まあ、そういうことになりますね」
『……私も会いたい』
「はい?」
『私も雪姫ちゃんに会いたいー! みかみーばっかりずるい! どうせ<アンブロシアの実>を渡すなら私が直接雪姫ちゃんに渡してもいいでしょ!? お願いみかみー、セッティングして! っていうかむしろしてくれなかったら<アンブロシアの実>はあげない! あげないから!』
「ええ……」
『お願いだよみかみー! 頼むよぉ゛お゛お゛お゛!』
「……チッ」
『え、うっそマジ? みかみー今舌打ちした? そ、そんなに怒る?』
「……はあ。雪姫様の了承を取れなかった場合、諦めてもらいますからね」
『おっけー! みかみー大好き!』
「私はあなたと友人になったことを時々後悔しますが。それでは後ほど連絡します、刀子」
『はーい! ぐっへへへへへ雪姫ちゃんと会えるかもリアル雪姫ちゃんとウェッヘヘヘヘ』
ピッ。
あまりに醜悪な笑い声だったため聞くに堪えず水鏡は通話を終了させた。
「あれを雪姫様に会わせていいものか……いえ、まずはお嬢様と雪姫様に伝えることが優先ですね」
溜め息交じりに水鏡はそう呟くのだった。
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