虚霊少女

 箱根ダンジョン未踏破エリアの一角で、榊水鏡はスマホを持っていた手をだらりと下ろす。


「情けない……ッ、これでは雪姫様に面目が立ちません……!」


 水鏡は影のような真っ黒な剣により、木に縫い留められていた。


 剣に触れることはできるが、強力な能力値ダウン効果が付与されているようで、水鏡には剣を抜くことができない。


 そのデバフがなかったところで今の水鏡では剣を引き抜けなかっただろう。

 さっきの戦闘によって片腕を切り落とされているからだ。

 武器も離れた場所に転がっており手が届かない。


 今の水鏡にできるのは、レッグホルスターに入れておいたスマホで雪人に警告を送ることだけだった。


(さっきの少女……私の攻撃が一切通じなかった)


 水鏡の頭にあるのは自分を蹂躙したピンク髪の少女のこと。


 水鏡は先に【索敵】スキルによって先にピンク髪の少女を発見した。申し訳ないと思いつつも、霧に紛れて麻痺の効果が付与された針を投擲した。



 しかし、針は少女の体を

 魔力体を貫通したのではなく、何の抵抗もなくすり抜けたのだ。



 少女は水鏡の存在に気付き、戦闘となった。水鏡は相手の動きを阻害するための攻撃を次々仕掛けたが、最初の麻痺針のように一切手ごたえがなかった。


 まるで実体のない幻と戦っているように。


『お姉さん強いね~! ステータスだけならアタシより高いかも? でもアタシ物理そういうの効かないんだよね♡ ごめんね~!』


 水鏡は今回、いくつかの条件を抱えて戦っていた。

 それを満たしながら少女を止めるのは……不可能だった。


 やがて水鏡は少女の繰り出す魔術に対処しきれず敗北し、キー部屋に向かっていく少女を見送る羽目になる。


 相性が最悪だった点を除いても、少女の実力は本物だった。


 明らかにSランク以上の探索者。

 さらに特徴的な紫色のコンバートリング。


 水鏡は少女の正体に心当たりがあった。ナイトバナード――アメリカを拠点とする、悪名高い盗賊団の一員だろう。今の雪人では勝ち目がない。


「お嬢様にも、お伝えしなくては……」


 水鏡は力の入らない手でスマホを操作した。





「ああ、あああ」


 ガーベラが死んだ。

 妖精は探索者と違って死んだら二度と戻らない。


「あああああああああああああ……!」


 膝から力が抜けて俺はその場に座り込んだ。ガーベラが消えた場所に手を伸ばすが、そこにはぬかるんだ地面しかない。


『どうした雪姫君、何があった!?』


 インカムから茜の声が聞こえてくるが返事をする余裕がない。

 何でだよ。

 意味がわからない。

 どうしてこんなことになる?


「え……w ちょっとちょっと何叫んでんの? こわいんだけどww 妖精見つけたら普通殺すでしょ?」


 半笑いでピンク髪の少女が言う。


「……何だって?」


「だからぁ、妖精なんて探索者のエサでしょ? 喋ってようが見た目がかわいかろーがモンスターと一緒。探索者協会は妖精狩りを禁止したらしいけどー、そんなのアタシには関係ないし♡」


「黙れ……」


「さっきの妖精も喜んでると思うよ? アタシみたいなつよーい探索者の一部になれて嬉しいですぅー、って」


 カッと脳の奥が焼けるような感覚がした。<妖精の鎮魂杖>を前方に向ける。


「お前――――!」


 そこで俺は気付いた。


 <妖精の鎮魂杖>が光っている。


 何だこの光? 普段はこんなふうになってないのに……

 それにこの光、見覚えがあるぞ。

 新宿ダンジョンのガーディアンボス戦で見た<妖精の鱗粉>にそっくりだ。


「――ぁ」


 思い出した。


 <妖精の鎮魂杖>は妖精の魂を保存する、とリーテルシア様が言っていた。フィリア様を倒し、その魂を回収するためのアイテムだからこその機能がこの杖にはある。


 おそらくガーベラの魂は今<妖精の鎮魂杖>の中にある。

 ということは……リーテルシア様なら、ガーベラを生き返らせられるかもしれない。


「……何、その杖? それにその光……ねえ、質問なんだけど。その杖って妖精と何か関係ある?」


 怪訝そうな顔でピンク髪の少女が尋ねてくる。


「っていうか何かおかしかったんだよね。普通なら妖精を倒したら探索者の体が光って強化される。でも、今はその光がなかった。代わりによく似た光がアンタの杖にまとわりついてる……ねえ、これってどういうことかなぁ?」


「……」


 キー部屋さえ出られれば木を出入り口にフェアリーガーデンに退避できる。

 あの少女と戦って勝つ必要はない。ガーベラを攻撃したことは許せないが……今はこの場を離れることのほうが重要だ。


 真横に向かって走り出す。

 数十メートル走り切れば――!


 ザンッ!


「……ッ!?」


「逃げなくてもいいじゃん」


 さっきのガーベラ同様いきなり現れた黒い刃によって俺の腕が切断される。


 魔力体なので痛みはない。

 ダメージも一部にとどまったからか魔力体そのものがなくなることもない。


 だが、握っていた<妖精の鎮魂杖>が放り出された。しかもよりによってピンク髪の少女がいるほうに。俺が駆け出す間もなくピンク髪の少女は<妖精の鎮魂杖>を拾い上げた。


「見たことないアイテムだなー。アタシこれでも結構たくさん杖見てきたんだけど、素材が何かもわからないや。……これをへし折ったら、さっきの妖精のぶんのステータスアップができたりするのかな?」


「か、返せ!」


「返さないよ。っていうか他のアイテムも根こそぎ奪うから」


「……ッ」


 ピンク髪の少女の視線は俺を人間だと思っていないかのようだった。

 くじ引きでもするような、何が入っているかわからない宝箱を見ているような……そんな目だ。


『雪姫君、そちらで何が起こっている?』


 インカムから茜の声が聞こえる。

 ピンク髪の少女から視線を切らさないようにしつつ手短に答える。


「ピンク色の髪をした女の子がキー部屋に入ってきて、いきなりガーベラを攻撃してきた。ガーベラは……やられて、<妖精の鎮魂杖>の中だ。杖を持ってキー部屋を出ようとしたら攻撃されて腕ごと杖を奪われた」


『その少女のコンバートリングの色は?』


「え? ……紫だ」


『……そうか。さっき水鏡から連絡が来た。結論から言うが、雪姫君。一度離脱しろ。今日一度目の魔力体喪失なら、自死してもアイテムドロップのペナルティはない』


「ふざけるな! 言っただろ、ガーベラの魂が入ったアイテムが奪われたんだよ! あれを取り戻さないと帰れない!」


『ナイトバナード、という単語に聞き覚えは?』


「……? 何だよそれ」


 いつもより早口で茜が説明する。


『アメリカを拠点に活動する盗賊団だ。構成員全員がSランク以上の力を持つ探索者で、活動を始めて数年で百万ドルの懸賞金がかけられた。特殊な加工が施された紫色のコンバートリングは彼らのトレードマークのようなものだ。……その少女には水鏡でも手も足も出なかった。雪姫君ではどうにもならない』


「――!」


 水鏡さんがやられたのか。

 連絡をもらった時はまさかと思ったが……


『もちろんガーベラ君を放置はしない。匿名でナイトバナードの目撃証言を流し、箱根ダンジョン内に協会職員を大勢送り込む。彼らに<妖精の鎮魂杖>を回収させればいい』


 フェアリーガーデンのような例外を除けば、ダンジョンはガーディアンボスを倒さない限り袋小路だ。いくらピンク髪の少女が強くても大勢で取り囲めば倒せるだろう。


 うまくやれば<妖精の鎮魂杖>を取り戻せる。


『だが、雪姫君がその場に残っていては水鏡以外の人間を送り込めない。君が箱根ダンジョンにいるのを見られたら、フェアリーガーデンを経由する転移が大勢に知られてしまう。そうなれば取り返しがつかない』


 俺がこの場から消えさえすれば<妖精の鎮魂杖>を取り戻せる可能性が生まれる。

 茜の言っていることは正しい。

 頭ではわかっている。

 だが――


「……あいつは<妖精の鎮魂杖>を『へし折ったらどうなるかな』なんて言ってた」


「……!」


「<妖精の鎮魂杖>が折られたらガーベラの魂は無事で済むのか? 仮に生き返らせることができても、魂が欠損して不完全な姿になってしまうんじゃないのか?」


『それは……』


「ごめん、茜。お前が言ってることは正しいのかもしれないけど……できない。このままあいつから目を離して、その間にガーベラが本当の意味で殺されたら……俺は自分を許せなくなる……」


 合理的に考えるなら茜の案を採用すべきなのかもしれない。

 だが、どうしてもできない。

 俺はガーベラにまだ本当のことを話していない。


 危険を承知で一緒に戦ってくれていたガーベラの信頼に報いていないのだ。


「――五分くれ。<妖精の鎮魂杖>を取り戻してみる」


 ポーチから<初心の杖>を取り出し構える。

 勝てなかったとしても、何もしないまま逃げ出すことはできない。


「かっこい~。いいよ、ボコボコにしてそのかわいー顔歪ませてあげる♡」


 ピンク髪の少女はニタニタと笑いながらそんなことを言う。


『……時間の無駄だ。相手は水鏡すら一蹴したんだぞ。雪姫君一人で何ができる?』



「では、一人でなければどうでしょうか」



 ……ん?


 ゴバッ!! という音を立ててピンク髪の少女の背後からこげ茶色の壁が出現した。

 あれは……大量の植物の根?


「え、何これ――」


 ピンク髪の少女が後ろを振り返って呟いた途端、一本一本が電柱ほどもある木の根の群れが殺到した。ドガガガガガガッッ!! と激しい掘削音を立てて少女のいた場所が抉れていく。


 え?

 ……え?


 ふわり、と俺の横に誰かが舞い降りる。


「ガーベラの視点が途絶えたので、緊急事態だと思いやってきました。ユキヒメ、無事ですか?」


「リーテルシア様ァ!?」


 この人フェアリーガーデンの外に出られたのか!?

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