その日の夜

「このボンクラ息子がァ!」


「ぐああああああああ!」


 吹場組本拠地である屋敷に大きな音が響く。組長の飛宗が息子の座虎也を殴り飛ばした音だ。

 飛宗は倒れ込んだ座虎也の胸倉をつかんだ。


「ガキ一人さらえねえってのはどういう了見だ、ええ!? 手下を何人も付けただろうが」


「お、俺だってやろうとしたさ! だが妙なことが重なって……!」


「言い訳するんじゃねえ!」


「ぐふぅっ! はあ、はあっ……」


 腹に膝蹴りを叩き込まれ悶絶する座虎也。


(くそっ、くそっ、何でこんなことに!)


 飛宗の指示で座虎也は雪人をさらって妖精の情報を吐かせようと試みた。いくら注目を浴びているとはいえ、地上において相手はただのか弱い少女。しかも自宅に大人はいない。本来なら失敗するはずのない仕事だった。


 しかし予想外の邪魔が二つ入った。


 一つは警察の見回りが当日になって急に強化されたこと。


 手下の話によれば家の住人が紙を見せながら何かを訴えていたらしいが、その内容までは座虎也にはわからない。そのせいで白川家には迂闊に近づけず予定が狂った。


 最終的には偽の通報をして警察を白川家から引きはがす手を取ったが……あの紙が自分たちを妨害したことは間違いない。


 そして何よりもう一つ、水色髪をした謎のメイドの乱入だ。


(あの女、ただものじゃねぇ……一般流通してる身体強化のマジックアイテムだけで、俺たち七人を圧倒しやがった。絶対に普通の女じゃねえ!)


 ダンジョン用スマホや配信用ドローンのように、一般に普及しているマジックアイテムがいくつかある。座虎也たちを叩きのめしたメイドはその中の一つ、身体能力が上がるアクセサリーをつけていた。


 本来の用途は力仕事を補助することで、出力は低め。

 役所に届け出ればだいたいの人が使用できる程度のもの。

 さらに座虎也たちは違法に改造した同系統のマジックアイテムをつけていた。


 だというのに、劣化版の身体強化アイテムしかつけていない相手に圧倒される。


 戦闘の技術に天と地ほどの差があったということだ。

 ヤクザとして荒事に慣れている座虎也やその手下たちと比べても。

 信じられない事態だった。


「聞いてんのか、座虎也!」


 普段は座虎也に甘い飛宗も、失敗を責める時は豹変する。


「す、すまねえ、親父……」


「手下どもはサツに捕まったらしい。白川雪姫を襲おうとしたことは吐いてねえだろうがな」


「もう一度チャンスをくれ! 次はうまくやる!」


 飛宗は溜め息を吐く。


「……探索者協会に潜入させてるやつが言うには、白川雪姫の守りが強化されたらしい。もう簡単には手を出せねえ。あのガキはしばらく様子見だ」


「そんな!」


「箱根ダンジョンの未踏破エリアの探索、“あの方”の力を借りるっつったのを覚えてるか? あの方の部下の一人がもうじきいらっしゃる。お前はその送迎係アシをやれ」


「アシ!? 俺が!?」


 運転手の仕事はヤクザの仕事の中では下っ端の役目だ。若頭である座虎也が送迎役をさせられたことなど数えることしかない。


「何だ? 文句があるのか? ああ?」


「い、いや……やるよ、わかったよ……」


(くそっ! 何で俺が……っ!)


 座虎也は屈辱を感じながら、仕方なく頷くのだった。





「はいどうぞ、お兄ちゃん。晩ごはんだよ」


「ああ、悪いな月音」


 茜が謎のメイドとともに去った後、俺たちはまだだった夕食を取ることにした。俺がやろうとしたが月音は「やりかけてたから」と言って譲らず、俺は大人しくテーブルについて待つことになった。


「今日のメニューはお兄ちゃんが大好きなハンバーグとオムライスだよ」


「それは楽しみだ」


 コトリ、と目の前に皿が置かれる。



・焼け焦げた卵が乗ったオムライス

・炭化したハンバーグ



「…………月音……?」


「や、やめてよお兄ちゃん、そんな信じられないみたいな顔しないでよ! 私だってこんなベタな失敗するなんて思ってなかったよ!」


 オムライスはともかく、ハンバーグはもはや黒々とした塊にしか見えない。

 本当にあるのか、この失敗の仕方……


「れ、レシピは見たんだよ。でもなんか、お腹減ったしちまちま焼いてるのめんどくさいし、もう強火で一気にいったれ! みたいな感じで……」


「月音ってやっぱりちょっとガーベラに似てるよな」


「ガーベラって妖精の? 私あんなにそそっかしくないよ!?」


 心外そうに言う月音だが、俺の中でその確信は深まるばかりだ。

 とりあえず食べよう。


「いただきます」


「あ、無理して食べなくても……」


 オムライスのほうは卵が焦げているものの、中身のケチャップライスは普通に美味しい。ハンバーグのほうはというと、火が入りすぎではあるが、中身が生焼けであるパターンよりはいい。

 美味しいとは言いにくいが、普通に食べられる範囲だ。


「作ってくれてありがとな、月音」


 複雑そうな顔をする月音。


「すごいコメント選ばれた感じがする……どういたしましてって言いにくい……」


「月音のぶんもあるんだろ? 早く持ってこいよ。冷める前に食べよう」


「あ、うん」


 遅い時間ではあるものの夕食を取る俺と月音。


「……」


「……」


 しばらく無言の時間が流れる。

 俺たちはこれからどうするべきだ?

 頭の中をいくつもの考えが回ってだんだん混乱してくる。


「……悪い月音、ちょっと考えを整理したい。壁打ちに付き合ってくれるか」


「ん、いいよ」


 俺はまとまらない思考をひとまず吐き出してみることにした。

 そうすることでいい考えが浮かんでくるかもしれない。

 月音に向かって手をパーにして突き出す。


「今の俺たちには選択肢が五つある。一、探索者協会を頼る。二、警察を頼る。三、白竜の牙を頼る。四、茜たちと組む。五、何もせずこのまま二人で生活する」


「五つ……意外とたくさんあるね」


「だが、このうち二と五はなしだ。ヤクザに狙われてるんじゃこのまま家にいるのは危険だし、警察も実害が出るまでは見回りの強化くらいしかできないだろう。安全が確保できない」


 水鏡さん――茜の味方である女性がヤクザたちを警察に突き出してくれたそうだが、連中が本来の目的を明かすかは微妙なところだ。

 警察が本格的に動く理由にはおそらくならないだろう。


「なら、探索者協会に頼る?」


「それも俺は避けたいと思ってる。隠し事が多すぎるし……茜の話を聞いてて思ったんだが、協会が酒呑会のメンバーを処罰したって話を聞いたことがないんだよな」


「……確かに。素行が悪くていつもニュースになってるくらいなのにね」


「もしかすると、協会の中には吹場組の息がかかったやつがいるかもしれない」


 探索者協会を頼った結果、下手をすればよりヤクザたちに近付く羽目になるかもしれない。そんなことになったら最悪だ。


「白竜の牙は?」


「これも予想だけど、俺が準構成員じゃなく正規メンバーになることが必要になると思う。準構成員なんて微妙な立場のやつのために動けないだろうし」


「それって何かまずいの?」


「まず、レベルの低い俺が正規メンバーになれない可能性がある。高峰さんに口利きしてもらうなりしてそこを突破しても、俺だけでなく月音まで保護してもらえるかはわからない」


「むう……」


「さらに白竜の牙の正規メンバーは配信禁止だから、TS解除のための金策が一気にやりにくくなる。給料は出るらしいから、ちゃんと働けば金自体は入るんだろうが……」


 収入は激減してしまうのは間違いない。


「……ごめんお兄ちゃん。状況はわかってるんだけど、お兄ちゃんのチャンネルを閉鎖することを考えたらもったいなくて吐きそうになった」


「お前本当にダンジョン配信好きだな……」


 とは言うものの、俺もチャンネルは惜しい。視聴者に愛着は……まあ、多少は……極小にはあることだし。安全に替えられるものじゃないけどな。


「で、最後に茜と組む選択肢だが、正直言ってあまり信用できない」


「まあ、初対面があれだったからね。っていうかお兄ちゃん、よく考えたら年上の女性に裸見られたってことじゃ……」


「……」


「お兄ちゃん?」


「……おれはようじょだからむずかしいことはわからない」


「戻ってきてお兄ちゃん。記憶を消したいからって理性まで飛ばさないで」


 はっ!? 俺は一体何を!?


 そうだ、茜と組むかどうかという話だ。


「まあ、あの人何考えてるかわからないよね。第一、肝心なことを何も話してないよ。<完全回帰薬>の材料とか、材料があるっていうBランクダンジョンがどこかとか」


「そうなんだよなあ」


 向こうも馬鹿じゃないから、協力を約束してない俺たちには伏せている情報もある。


 ともあれ、選択肢五つについての検討はこんなところだろう。

 選べそうなのは白竜の牙か、茜と組むことか、この二択だろうか。


 だいぶ頭の中は整理されてきたが、やはり決め手には欠けるな。


「あのメイドさんなんだけどさ」


 月音が不意に口を開いた。


「メイドって……茜を迎えに来てた人か?」


「多分有名な人だよ。さかき水鏡みかがみさん。Sランク探索者」


「Sランク!?」


「前にお兄ちゃんの配信に来てくれたトーコさんって覚えてる?」


 トーコさん……って、あの人か。神保町ダンジョンの攻略配信で、“スキルを隠したほうがいい”とアドバイスしてくれた有名配信者の。


「トーコさんもSランクなんだけど、水鏡さんはそのパーティメンバーだった人だよ。トーコさんの配信でたまに名前が出てくるから知ってるんだ。珍しい名前だから間違いないと思う」


「……なるほどな。どうりでヤクザ複数人を一人で叩きのめせるわけだ」


 Sランク探索者ともなれば戦闘技術は並じゃないだろう。地上では魔力体の強さは関係ないが、マジックアイテムを使えば身体能力を上げることもできる。


「あともう一つ。この手紙見て」


 月音が差し出してきたのは一枚のコピー用紙だ。

 中には警察を呼べ、という旨のことが書いてある。


「これ、茜さんが用意したものだって言ってた。本人はうちに侵入するためのものだって言ってたけど……私に隙を作るためなら、白紙でよかったと思うんだよね。なのにこんなことを書いたのって、私たちに警戒心を持たせるためじゃないかな?」


「……俺たちを守る意図があったってことか?」


「多分……確証はないけど」


 自信なさそうに言う月音。

 茜の今までの行動が突飛すぎて、行動の理由が読み切れないようだ。気持ちはよくわかる。


「月音は茜と組むことに賛成なのか?」


「……わかんない。冷静になってみると、探索者協会とか白竜の牙とか、大きい組織を頼ったほうがいいような気もするし」


 月音は力のない声で言った。


 これは賭けのようなものだ。

 どの選択肢を選んでも何かしらのリスクはある。

 そしてそれは下手をすれば破滅に続いている可能性すらある。


「お兄ちゃん、そっち行っていい?」


「? あ、ああ」


 向かい合って座った状態から月音が俺のほうに来る。月音は四人掛けの椅子のうち俺の隣に陣取ると、ぽんぽんと自らの膝を叩く。


「カモンお兄ちゃん」


「それはもしかして俺にお前の膝に乗れって言ってるのか?」


「逆にお兄ちゃんは私が急に膝でパーカッションを始めたとでも思ってるの?」


「お前減らず口すごいな!」


「いいじゃんちょっとくらいー! お兄ちゃんを後ろからぎゅっとしたいのー!」


「……わかったよ、わかったから落ち着け」


 仕方なく自分の椅子から月音の膝の上に移る。月音は女子として平均よりやや低いくらいの体格だが、身長百三十センチほどの俺くらいなら余裕で抱えられるようだ。


「……これでいいのか?」


「うん。ふへへ、銀髪ロリが私の膝の上に……今なら触り放題……すんすん」


「ひゃあああ!? おいやめっ……嗅ぐな!」


 後ろから俺を抱きしめ、首筋の匂いを嗅いでくる月音。


 危なすぎるこいつ!


 ……まあ、仮にも兄である俺には月音がこんな奇行に走った理由はわかる。


「やっぱり不安か?」


「……わかる?」


「わかる」


 月音はぎゅっと強く俺を抱きしめた。その手は少し震えている。


「何か、最初は楽しかったんだよね。成り行きとはいえお兄ちゃんがダンジョン配信者として有名になって、私はそれをサポートして。正直、TS解除なんてできなければいいのにとか思ったりもしてたんだけど」


「お前そんなこと考えてたのか……」


「ダンジョン適正があるお兄ちゃんには私の気持ちはわからないだろうねぇ! ……だけど、お兄ちゃんがチンピラに路地裏に連れ込まれたりとか、世界中から注目されたりとか、ヤクザが目をつけてるとか……何か、だんだん怖くなってきちゃってさ」


 明るく話そうとしているようだが、月音の声はだいぶ参ってるように感じた。


 それもそうか。

 俺は日中、人の多いダンジョンにいる。

 おまけにいざとなれば地上でも魔力体になれる。


 だが月音はどうだ?

 俺の配信をサポートするために自宅のPCから離れられず、魔力体になることもできない。防犯は強化しているが、それでも確実じゃない。


 そんな状況でヤクザの話を聞かされる。

 怖くなるのは当然だ。


「ごめんねお兄ちゃん。大変なのはお兄ちゃんのほうなのに、こんなことで弱音吐いて……」


「馬鹿言え、月音のおかげで助かってる。俺一人だったら何もできなかった」


「でも、やっぱり情けないよ。私駄目だね、お兄ちゃんに甘えてばっかりで」


 自嘲するように小さく息を吐く月音。


 ……くそ、情けないのは俺の方だ。


 俺は月音の手をほどいて立ち上がった。

 それから座った状態の月音の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「お、お兄ちゃん?」


「悪かった。なんか俺、腑抜けてたみたいだ。お前のことは絶対に誰にも傷つけさせない。そんなに心配するな」


 何が正解かわからない。なら、やることは簡単だ。最善だと思える選択肢を選び、それが間違いだったとしても正解に変えてやる。月音を守り、俺の元の姿も取り戻す。


 月音は目をパチパチと瞬かせ、それから笑った。


「お姉ちゃんかっこいいー!」


「誰がお姉ちゃんだ」


 少しは調子が戻ったな。


 それじゃ明日の準備をしよう。


 俺はスマホを取り出し、ある人物にメッセージを送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る