フェアリーガーデン3
「ところでユキヒメ、さっきフェアリーガーデンの外と連絡を取っていた板を見せてくれませんか?」
リーテルシア様と協力関係を結んだあと、リーテルシア様がそんなことを言ってきた。
板って……ダンジョン用スマホのことか?
「構いませんけど、使い方はわかりますか?」
「わかりません。ですが、ひとまずは触れてみたいのです。大丈夫、変なことはしません」
「はあ」
まあ、カメラと録音のアプリに触れさえしなければひとまず問題はないか。……ないよな? いざという時に即回収できるよう、念のためリーテルシア様の隣に寄りつつスマホを渡す。スマホの使い方わからない人に渡すのはかなり怖いな。
だがリーテルシア様はスマホに指先でわずかに触れただけだった。
直後、リーテルシア様のもう片方の手にぼんやりとした光が集まり、俺のものとそっくりのダンジョン用スマホが現れた。
え? 何で俺のスマホが二つ……?
「ありがとうございます、ユキヒメ。これは遠隔地の他者と連絡を取るためのものですね? 複製させてもらえて助かりました。今後はこれで連絡を取り合いましょう」
「何でもありですね、リーテルシア様……」
スマホのクローンを作られたらしい。フェアリーガーデン内ではリーテルシア様に不可能はほぼないと言っていただけある。
「でもそれ、ちゃんと使えるんですか?」
「試してみましょうか。ユキヒメ、使い方を教えてください」
「わかりました」
基本的な操作方法を伝えた後実際に使ってみる。まずは離れた位置に立って通話、次にメッセージの送り合いだ。リーテルシア様は知能も高いのか、最初は『こんにはち ゆききめ つかいかたは(途切れる) つかいかたはこれであっていますか』というスマホ触りたてのご老人みたいな感じだったのが、だんだん流暢な文面になってきた。に、日本語を理解してる! この短時間で!?
ただスマホのすべての機能が使えるわけではないようで、標準で備わっている通話は使えなかった。幸い俺や月音が愛用しているメッセージアプリは通話機能もついているので、音声でやり取りする際はそれを使うことに。
また、俺のスマホを複製しただけあってリーテルシア様のコピースマホに表示される各サービスのアカウントも俺のものと同一だった。そのため一度ログアウト後、改めてリーテルシア様のアカウントを作り直すことに。もろもろの作業のために二時間近くかかった。疲れた……
最初の四阿に戻ってきて、テーブルをはさんで向かい合う。
「ありがとうございます、ユキヒメ。これでユキヒメがフェアリーガーデンにいない時も連絡を取り合えますね」
「い、いえいえ……」
満足そうに言うリーテルシア様。
充電とか大丈夫なんだろうか、と聞いたところ、リーテルシア様いわくコピースマホは魔力でできているため、魔力を注げば問題ないらしい。
とりあえず今日のところはこんなところか?
「それじゃリーテルシア様、今日は一旦帰ります。妹が心配していると思うので」
「わかりました。それでは最後に……」
「え?」
リーテルシア様は椅子から立ち上がり、ゆっくりと俺の方に歩いてくる。それから俺の顔を両手で挟んだ。
え? 何? 何だ?
当惑する俺をよそにリーテルシア様は目を閉じ、ゆっくりとその美しい顔を近づけてくる。サラサラの髪が俺の頬に触れたかと思うと、
――ちゅっ。
「……っ!?!?」
流れるような動きでキスされた!? しかも唇!
思わず体をこわばらせる俺だったが、リーテルシア様は俺を解放しようとしなかった。
「んぅっ――! あ、うぁ」
唇を合わせたまま、安心させるように片手で俺の背中を撫でる。小さく柔らかい手のひらが、二度、三度とむき出しになっている俺の背を行き来するにつれて体から力が抜けていく。同時にぞくぞく、と今まで感じたことのない、けれど不快ではない感覚が俺の体を這いまわる。
やがて、合わせた唇から何かが俺の中に流れ込んできた。
「……――ッ!?」
唾液などではなく、何か温かい熱のようなものだ。それは俺の喉を滑り落ち、体の中心あたりで止まる。やがてその熱も消えていく。
リーテルシア様はようやく俺から唇を離した。
「あぅ、あっ……はあ、はあ」
「ふむ。問題なさそうですね」
荒い息を吐く俺に対してリーテルシア様は平然としていた。
「り、リーテルシア様! 今のは一体何の真似ですか!?」
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。そりゃあリーテルシア様は綺麗な女性だが、いきなりキスされて好き勝手もてあそばれたとあっては抗議せずにはいられない。
「落ち着いてください、ユキヒメ。これは必要なことです」
「ひ、必要なこと?」
「ユキヒメ、あなたは妖精ではありません。ですから自発的にフェアリーガーデンに来ることはできないのです。今回あなたがここに来られたのは、私の娘が先導して入口を開けたからです」
「……?」
急に何の話かわからず困惑する。確かに俺は妖精に案内されてここに来た。入口になっていた木のうろは、あの妖精がいなかったらフェアリーガーデンへの入口になり得なかった、ということだろうか?
「そのことと、今のキ……キスと、何の関係があるんですか!」
「簡単に言うと、ユキヒメが一人の時もフェアリーガーデンに来られるようにしたのです」
「え?」
「ユキヒメの体内に私の魔力の一部を根付かせました。これによってユキヒメは他の妖精と同じく自由にフェアリーガーデンに出入りできます。これは魔力体が一時的に失われても消えることはありません。しかし他者の魔力を根付かせるのは容易ではないため、唇を合わせ、じかに魔力を流し込まざるを得なかったのです」
リーテルシア様とキスしている最中に流れ込んできたあの熱は、リーテルシア様の魔力だったようだ。
「今後のために必要だと思ってのことでしたが……ご迷惑でしたか?」
リーテルシア様はむしろ困惑している様子だ。これはあれか。妖精は特にキスを恥じるような感覚がないということだろうか。
「め、迷惑では、ないですけど……でも、急にされると困ります! 人間は特別な相手としかキスはしないものなんです!」
「そうなのですね。ごめんなさい、ユキヒメ。怒っていますか?」
「……怒ってはないですけど」
「それはよかった。以後気を付けます」
申し訳なさそうに言うリーテルシア様。
……いや、まあ別に嫌だってわけじゃなかった。しかしよくない。何がよくないって、キスを“される”のに妙な快感があったことだ。強引に迫られてぞくぞくしたなんて絶対に認めたくない……ッ!
「と、とにかく、帰ります」
「ええ。今後のことは改めて“めっせーじ”で相談しましょう」
そんなやり取りを最後に俺はリーテルシア様との話し合いを終えるのだった。
▽
「――妖精と協力関係になったぁあああ!?」
帰宅後、新宿ダンジョンであったことを話すと月音が目を見開いて叫んだ。
「……やっぱり前例とかはない感じか?」
「あるわけないじゃん! そもそも妖精と意思疎通ができるなんて初めて聞いたよ!」
月音いわく、ダンジョン配信で妖精が現れることはごくまれにあった。しかしその場合配信者が狩るか逃げられるかのどちらかで終わることが多いそうだ。ドラ〇エのはぐれ〇タル的扱いなんだとか。
「しかも世界中のダンジョンから薬草を摘んできてもらえるって? おまけにお兄ちゃんまで世界中のダンジョンに行ける? 頭がおかしくなりそうだよ!」
「一応、他のダンジョンに行く時は“木が多いところ”的な制限はあるらしいけどな」
「だとしても意味わかんないから! ……あのねお兄ちゃん、ダンジョン間のゲートを使わない移動なんてほとんどないんだよ。一応中にはダンジョン同士がつながっているところもあるけど……」
「そうなのか」
「でも、それも特定の二つが双方向に行き来できる、みたいなものなの。どこでも自由に行き来できる、なんてのは反則もいいところだよ。使い方によっては密入国とか簡単にできるんじゃない?」
「……確かに」
新宿ダンジョン→フェアリーガーデン→世界のどこかのダンジョンに移動→そこのゲートから外に出る、とやれば簡単に外国に足を踏み入れることができるだろう。おそろしい話だ。
他にもどこかのダンジョンで他の探索者を襲い、アイテムを奪い、フェアリーガーデンに退避する、なんて逃げ方をしたら被害者は追いかけようがないだろう。
悪用の方法がいくらでも思いつく。
「……月音。これ、配信で言わない方がいいよな?」
「絶っっっっ対言わない方がいいでしょ。言っちゃなんだけど、神保町ダンジョンの初回攻略特典なんて目じゃないくらい問い合わせが来てDМとかМチューブのコメント欄とか大変なことになるよ。最悪家凸……この家に視聴者が押しかけてくるかも。そもそも妖精と会話できるってだけで世界中からダンジョン研究機関の人間が押し寄せてもおかしくないネタなんだからね」
「うわぁ……」
真剣な表情の月音に俺は思わず顔をしかめた。わかっていたが、とんでもない爆弾を抱えているんだなあ俺……
「でも、リーテルシア様の協力は必要だ」
「……まあね。正直、正攻法だと素材を集めるのは大変だよ。海外でしか手に入らない素材アイテムもあったりするし。だからリーテルシア様には配信外で協力してもらうのがいいんじゃないかな」
「そうだな」
「海外ダンジョンにワープして世界中のダンジョンに挑戦する、なんて絶対面白いしもったいないけど……たとえば各地のダンジョンでお兄ちゃんが中国ならチャイナドレスとかパンダ頭装備とか、ご当地っぽいコスプレをして配信するとか絶対面白いし視聴者も喜んでくれるだろうけど……ッッ!」
「そ、そんなに悔しがるなよ」
わなわなと握った拳を震わせる月音。配信準備&企画担当の月音プロデューサーからするとリーテルシア様の力を配信に使えないことが相当惜しいようだ。
というかもし使えたら俺はコスプレ姿でダンジョン配信をする羽目になっていたのだろうか。魔力体用のコスプレグッズがあるかどうかは知らないが、なんか九死に一生を得た気がする。
「まあ、安全には代えられないよね……あ、そうだ。お兄ちゃん、私にもリーテルシア様の連絡先教えてくれない? いざという時に連絡取れたほうがいいだろうし」
「わかった。教えていいか聞いてみる」
スマホのメッセージアプリを開いて月音に連絡先を教えていいか尋ねると、すぐにリーテルシア様から“OK”のスタンプが返ってきた。使いこなすの早っ。
「OKらしい。今送る」
「ん、ありがと」
というわけでリーテルシア様と月音の間に連絡ルートが確立された。どうでもいいけど、リーテルシア様のスマホって俺のやつのコピーなんだよな。通信費とかってどうなるんだろうか。……いや、必要経費だからいいんだけどさ。
などと考えていると、月音がこんなことを言った。
「お兄ちゃん、とりあえず動画撮ろう。Twisterには“雪姫”アカウントでログインして無事だって呟きをしてあるけど、お兄ちゃんの声でちゃんと伝えるほうがいいだろうし」
「それもそうだな。わかった」
というわけで、自己紹介配信の時と同じように動画を撮る。映像のブラックアウトについては、配信用ドローンの故障ということにしておいた。配信用ドローンは頑丈なのでそうそう壊れたりしないが、フェアリーガーデンについてバラすことができない以上これで押し通すしかない。
「投稿っと。……うお、もうコメントついた」
Twisterに生存報告動画を投稿すると、ものの数秒で視聴者からだろうコメントがついた。俺の無事を安心する内容で、よほど心配をかけていたことがわかる。DМ欄にも俺を案じるコメントがいくつか届いていた。
「……ん?」
ちょうど新しいDМが届いた。見覚えのあるアカウントだ。
“あかね”――以前『俺の友人の体の戻し方を知っている』とDМを送ってきた人物だ。前のDМは無視したというのに、また送ってくるとはしつこいというか、根性があるというか。TwisterのDМは既読もつかないので、開くだけ開いてみる。
まったく、今回は一体どんなイタズラを……
うちの住所が送られてきていた。
「…………………………、」
「どうしたのお兄ちゃん。ものすごい怖いものを見た人の顔をしてるけど」
怖いものを……見たかもしれない……
「……すまん、月音。尾行されたかもしれない」
「は? 尾行って何の――うちの住所が割れてるぅ!?」
俺が画面を見せると月音は悲鳴を上げた。妥当なリアクションだろう。
TwisterのDМ欄は魔境であり、特に俺のところに来るものはかなりアレなものもある。明らかに男性のものからのラブコール、あるいは事実無根の誹謗中傷コメント、さらには男性の……その、モザイクなしでナニが大写しになった写真や動画など。
そんなネットの闇も見慣れつつあった俺ではあるが、住所がバレるというのはそれとは違った恐怖心がある。
“あかね”はさらに明日の正午までに連絡をしろと、以前と同じようなことを要求していた。用件がわからないのがさらに怖い。
というかこいつは何がしたいんだ?
こんなやり方で俺がほいほい出ていくと本気で思っているんだろうか。
もしくは他に何か狙いがあるのか……?
……わからん。
「これ、さすがに警察に相談したほうがいいよな……?」
「したほうがいいと思うよ。何があるかわからないし」
というわけで、即警察に電話。最寄りの警察署から二人組の警官がうちまで来てくれて、俺から話を聞いた後にそろって難しい顔をした。ストーキングされた疑いが濃厚とはいえ、さすがにDМだけではそこまで大きな動き方――たとえば覆面警察をうちの前に何日も張りこませる――などはできないらしい。
ひとまずパトロールを増やして対応、ということになった。
不審者がうちの近くに現れなかったか聞き込みもしてくれるらしい。
そこまで決まった後、今後さらに何かあれば改めて連絡を、と言い残して警察は去っていった。
実際に俺がストーカーを見たわけでもないし、何か直接的な被害を受けたわけではない以上、警察の対応はこんなものだろう。むしろ大人が同居していないからと親身に話を聞いてくれた気がする。
「とりあえず、しばらくお兄ちゃんはタクシーで移動したほうがいいね」
「金はかかるけど、仕方ないな。安全のほうが大事だ」
「それにしても、ストーカーかぁ……お兄ちゃんもダンジョン配信ロリアイドルとして、来るところまで来ている感じがするね」
「ロリアイドルになった覚えはないが、名前が売れているのは感じるな……嫌な実感の仕方だけど……」
俺は溜め息を吐いた。
なんというか、どっと疲れた……
今日は色んなことがあり過ぎた。できればしばらくは、何事もなく日々を送らせてほしいものだ。
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