雪姫、泣く

「お兄ちゃん、大丈夫かなぁ……」


 白川月音は自宅でそう呟いた。


 現在兄の雪人は新宿ダンジョンでユニーク装備の試運転中のはずだ。今の雪姫は時の人と言えるくらいバズッているので、他の探索者に声をかけられているかもしれない。


「しかもお兄ちゃん、自分の魅力に微妙に無自覚だし……」


 雪姫は内面が男であるがゆえに、男から向けられる好意に鈍感である。月音からすればヒヤヒヤして仕方ない。この国にどれだけロリコンがいるのか知らないのだろうか。

 本当は月音も雪人に付き添いたかったが、今は雪人の設置した質問ボックスを中身を確認する作業が忙しい。おまけに次の配信の準備もある。残念ながら付き添いは無理だった。


「……まあ、大丈夫だよね。お兄ちゃん、何だかんだしっかりしてるし」


 自分に言い聞かせるように月音が言うのと同時、月音のスマホが振動した。


「連絡だ。……お兄ちゃんから? どうしたんだろう?」


 メッセージアプリを起動して内容を確認する。

 文面は――



白川雪人『少し帰りが遅くなる』


白川雪人『初対面の男と二人きりで話をすることになった』



「ッスゥウウ――――……」


 月音は一度アプリを落とし、目頭を押さえる。何やらおかしい文面が見えた。どうやら月音は質問ボックスに寄せられたメッセージの精査で目が疲れているようだ。


(いや、ないよね。あり得ないよ。お兄ちゃんが初対面の男とデートなんてそんなまさか)


 もう一度メッセージアプリを開く。



白川雪人『個室のあるカフェだから大丈夫だ』



「大丈夫じゃないよお兄ちゃん! 個室だよ!? 何かあっても外から見えないんだよ!? そんなところにノコノコ着いていったら大変なことになるに決まってるのに、お兄ちゃんは本物の幼女なの!?」


 今の雪人は美少女であることに加えてユニーク装備持ちの新人ダンジョン配信者。もはや何をされてもおかしくない。月音は場所を送るよう催促のメッセージを送るが、なぜか既読すらつかない。


「け、警察……警察に連絡したほうがいいかな……!?」


 月音は目を回しながらそんなことを呟くのだった。





 やべ、スマホの充電が切れた。

 昨日充電忘れてたからなあ……まあ、月音に連絡自体はできたし問題ないかな。


「ご家族に連絡はついたかい? 雪姫さん」


「あ、はい。お気遣いありがとうございます、高峰さん」


 スカルなんちゃらとかいうチンピラ探索者たちを気絶させた後、高峰さんは警察に連中を引き渡した。その際のやり取りの一部がこんな感じ。



『いつもすみません、高峰さん。一介の探索者に過ぎない方にご協力いただくことが多くて……』


『気にしないでください。ダンジョン内での治安維持に協力するのは、“白竜の牙”の方針ですから。無法な探索者を止めるのも仕事の一つです』



 白竜の牙はその戦力や探索者の素行の良さから、ダンジョン内の治安維持に協力しているという噂があったが、どうやらあの話は本当だったようだ。


 で、その後警察に何があったかを簡単に伝えると俺たちはあっさり解放された。高峰さんは俺に話があるらしく、警察とのやり取りで危険はないと判断した俺は、現在高峰さんの行きつけだというカフェに来ている。


 というのも……


「個室のカフェになんて連れ込んですまないね。雪姫さんは配信者だし、男の僕と一緒にいるのを見られるのはまずいかと思って」


「いえ、助かります」


 申し訳なさそうに言う高峰さんに俺は慌てて首を横に振る。


 月音が以前言っていたが、女性配信者の近くに男の影があると男性視聴者は嫌がるらしい。今の俺みたいな幼女にそんな心配いらない……などともはや言えない。この世界にはロリコンが大量にいるのを知ってしまったからな。だが個室なら人に見られる心配はない。

 その件はしっかり月音に伝えたので、きっと安心してくれたことだろう。


「お詫びというのもなんだけど、好きに注文してね」


「え? いや、自分で払いますよ」


「そう言わずに。……実は今日のぶん、経費で落ちるんだ。せっかくだから大量にため込んでいるうちのギルドの財布を、二人で軽くしてやろう」


 内緒話でもするように、いたずらっぽく言う高峰さん。

 真面目そうな王道美男子の、少年っぽい振る舞いというギャップ。この人絶対モテるだろうな……俺は男だから何とも思わないが。俺はフルーツタルトとアイスココアを、高峰さんはチーズケーキとアイスコーヒーを注文した。


「改めて、今日は誘いに応じてくれてありがとう。僕は高峰北斗。ギルド白竜の牙に所属している探索者だ」


「ええと、雪姫です。ダンジョン配信をしています」


「先日の配信は僕も見させてもらったよ。大変興味深かった。……まさかソロでダンジョンを攻略してしまう魔術師がいるとは驚いたよ。いろいろと勉強させてもらった」


「あ、ありがとうございます」


 お世辞とはわかっているが、有名探索者に褒められるとむずがゆくなるな。顔が赤くなっているような気がする。話を逸らそう。


「今更なんですが、高峰さんは私に会いにきたと言っていましたよね。どうして私の居場所がわかったんですか?」


「協会に連絡していたんだよ。雪姫さんが現れたらうちのギルドに教えてくれるようにって」


「そうなんですか?」


 うーむ、職員からは何も聞いていないような……って、もしかしてユニーク装備を試すのにわくわくしていたせいで俺は無意識に聞き逃していたんだろうか。


「一応雪姫さんのTwisterにはDМを送らせてもらったんだけど、そっちにも返信がなかったものだから」


「いえ、こちらこそすみません……今DМも大変なことになってまして……」


 スマホの充電が切れているから今は見られないが、おそらく大量のメッセージに埋もれた高峰さんからの連絡もあったんだろう。ちなみに高峰さんが協会の三階にいたのは、俺が錬金室に向かったと職員から報告されたからだそうだ。ちょうど入れ違いになったらしい。

 高峰さんは頭を下げた。


「ストーカーまがいのことをして申し訳ない。ただ、どうしても雪姫さんに早めに接触しておきたかったんだ。僕のことは信用できないかもしれないけど、話だけでも聞いてほしい」


「……わかりました」


 まあ、助けてもらったんだから話を聞くくらい構わない。身元もはっきりしている人だし。しかし丁度そのタイミングで注文していたケーキが届いた。


 ……そういえば、今日まだ昼飯食べてないな……


「……」


「食べながら話そうか、雪姫さん」


「す、すみません……」


 俺がよっぽど食べたそうな顔をしていたせいか、高峰さんがそんな提案をしてくれた。普通に恥ずかしいんだが?


「いただきます。あむっ……、――!」


 うわ、うまっ! 値段やら店構えの高級さから予想はしてたが、今まで食べたことがないくらい美味い。スイーツに詳しいわけでもない俺がわかるくらいだから相当なものだろう。


「すごく美味しいです!」


「……ふふ」


「? 何ですか?」


「ごめん、悪気はなかったんだけど……配信であんなに可愛いとコメントが流れる理由がわかった気がするよ」


「……ッ!?」


 嘘だろ。ただ感想を言っただけのはずなのに。いや違う、ただ俺の見た目とスイーツという組み合わせが変な相乗作用を生んだだけだ。決して俺の反応が女の子っぽいわけじゃない……! ここは高峰さんにもはっきり言っておかないと。


「高峰さん! 私はかっこよさを売りにしている配信者なので、可愛いと言われるのは心外です!」


「それじゃあ本題に入ろうか、雪姫さん」


 なぜスルーするんだ。俺の発言に何かおかしいところがあったかのようじゃないか。


「雪姫さん、うちのギルドに入る気はない?」


 “ギルド”というものについて簡単に説明しておくと、探索者の集団のことだ。一つのチームとして連携しながら戦う“パーティ”とは違い、ギルドの構成員は決まったチームに縛られない。構成員同士でパーティを組んだり解散したりするらしい。


 中でも白竜の牙は国内最大手の探索者ギルドとして有名だ。


「白竜の牙に、ですか? お誘いは嬉しいんですが、私はパーティには……」


「ああ、ごめん。言い方が悪かった。一応雪姫さんがソロで活動するつもりであることは察しているつもりだよ。そうでなければ、最初からパーティを組んだりギルドに入ったりしているはずだし。そうじゃなく、雪姫さんにはうちの“準構成員”になってほしいんだ」


 そう言って高峰さんは懐からあるものを取り出した。

 それは腕輪だ。白い竜が描かれている。


「準構成員、というのは?」


「うちのギルドの協力者みたいな立ち位置の人のことかな。正規メンバーと違ってギルドの方針に従う必要はないし、ノルマも特になし。……ぶっちゃけて言うと、雪姫さんみたいな人を守るためにできた制度なんだけどね」


 俺は腕輪をまじまじと見る。


「これを身に着けていれば、白竜の牙の準構成員――関係者と見なされる。だから悪意ある人も簡単に手出しできなくなる、ということですか?」


「そういうこと。正面切ってうちと対立しようなんて探索者はそうそういないからね」


 それはそうだろう。白竜の牙は最大手ギルドだ。おまけに白竜の牙はダンジョン内の治安維持も請け負っており、協会との関係も深い。そんな組織に敵対すればどうなるかなんて考えればすぐにわかる。


「……本当にノルマはないんですか? たとえば他の準構成員の方と組んでダンジョンから素材を持ってくる、というような」


「ないよ。さっきも言ったけど、これは雪姫さんみたいな立ち位置の人を保護するための仕組みだ。白竜の牙の運営にかかわる必要はまったくない」


「なぜ白竜の牙はそんなことを? メリットがないような気がするんですが」


「そうでもない。もともとこの仕組みは協会に依頼されて始まった話だからね。見返りはそっちからもらっているよ」


 協会からの見返りとなると普通に金か、あるいはダンジョンがらみの情報なんかだろうか。そういうことなら納得できる。


 これ……かなりいい話じゃないか? ソロで活動しながら後ろ盾を得られるのは理想的だ。本当にノルマがなく、白竜の牙の人間とパーティを組む必要もないならの話だが。


「ありがたいお話だと思います。身内も交えて検討したいのですが、構いませんか?」


「そうだね。ご家族と相談して、よく考えて返事をしてほしい」


「助かります。準構成員の制度について、詳しい規則なんかが書かれた資料があれば確認したいんですが」


「あ、ああ。もちろん持ってきてるけど……雪姫さん、しっかりしてるね」


 高峰さんから書類を受け取る。さらっと見た感じ、特に俺のリスクにあるようなことはなさそうだが……この場で返事をするより、家で月音に相談しながら決めたほうがいいだろう。ついでに高峰さんは名刺を渡してきた。


「これ、僕の連絡先。返事が決まったら連絡してほしい」


「わかりました」


「それから、何か相談があれば遠慮なく頼ってほしい。……配信を見たよ。友人の体を元に戻すのが目的なんだろう? 僕にできることなんてたかがしれているけど、力になるよ」


 まっすぐ俺の目を見て言ってくれる高峰さん。その目は俺がこの姿になってからさらされ続けたロリコンや変質者のものとは違って澄み切っていた。


 そうか――この人、ロリコンじゃないんだ……!


「あ、ありがとうございます……ううっ……」


「え? ちょ、ちょっと待って雪姫さん。どうして泣いてるの?」


「いえ……ちょっと最近心が折れそうになることばかりで、人の純粋な優しさに触れたのが久しぶりだったというか……」


「く、苦労してるんだね」


「みんな私のことを“可愛い”とか“連れ去りたい”とか“舐めまわしたい”とかそんなことばっかり……さっきも路地裏に連れ込まれて裸にされそうになるし……ぐすっ……うええ」


「……プライベートなことでも構わないから、遠慮せずに困ったら相談してね」


「ありがどうございまず……」


 高峰さん……なんていい人なんだ。


 ここのところ穢れた視聴者に変な目でばかり見られていたせいで、久しぶりに見たまともな人が眩しい。世界は終わってなかったんだな……





「早く警察に連絡しないと……でもそれがきっかけでお兄ちゃんが銀髪ロリ男子高校生だってバレるかも……あわあわあわあわ……」


 家に戻ると、月音がスマホを片手にそわそわしていた。

 何してんのこいつ。

 俺が戻ってきたのに気づいた月音は電話を切って俺に飛びついてきた。


「お兄ちゃ――――ん! なんでスマホ見てくれないの!?」


「ごめん、充電切れてたんだ」


「大丈夫!? 何もされてない!?」


 まったく、こいつは一体何を言っているんだか。

 心配をかけてしまったようだし、安心させてやるとしよう。


「大丈夫だよ。――たくさん慰めてもらったから」


「…………え……?」


 月音は顔を青ざめさせた。


「な、慰めてもらった……?」


「ああ。今日知り合ったばかりの人だったけど、優しくしてもらったぞ。それに俺のことをずっと守るって言ってくれたんだ。怖い思いもしたけど、今は平気だ」


「……ッッ!?」


「どうした月音? 何か気になることでもあったか?」


「さ、」


「さ?」


「産婦人科に行こうお兄ちゃん! やっぱりアフターフォローは大事だと思うし!」


「は!?」


 その後俺は月音が冷静になるまで、十五分かけて今日あったことを説明することになった。

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