ピリオド4 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後 1 二十年前「ミヨさん」

ピリオド4 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後

     

岩倉家の庭園に姿を現した不思議な物体。そしてなんとそこから、二十年間

行方知れずとなっていた……昔となんら変わらぬ霧島智子が現れた。



 1 二十年前「ミヨさん」


 ハッキリ言って、あれからの数年間が、人生で一番辛い時期だったと思う。

 もちろん事件のことが大きかったが、それ以外にも辛い出来事が続いて起きた。

 事件の翌年、父、三郎が亡くなった。その後は母、美代子が店を一人で切り盛りしたが、そうそう三郎のようには上手くいかない。

 数ヶ月で美代子の奮闘は限界を超え、とうとう過労で入院してしまう。

 そんな中、それでも高校を辞めずに済んだのは、美代子が頑として首を縦に振らなかったことと、摩訶不思議な援助が続いてくれたせいなのだ。

 あの殺人事件が起きて、そうは経っていない頃だった。

 こともあろうに児玉亭の店内で、稔は三郎と大喧嘩をしてしまう。原因はまったく覚えていないが、精神的に追い込まれていたせいだろう。

 とにかく稔は拳を振り上げ、店先で三郎の背中に突進したのだ。

 ちょうどその時、たまたまか……まさか三郎を守ろうとしたせいなのか、男が突然、稔の前に躍り出る。

 稔の拳は男の側頭部を直撃。

 二人の間に割って入った人物は、潰れた蛙のような声を上げ、勢いよく空のテーブル席に突っ込んでしまう。

 ガチャンという音がして、稔の目にもチラッと男の顔が映り込んだ。

 その瞬間、心の底からマズイ! と思った。身体が勝手に出口を向いて、と同時にほかの客たちが男のもとに駆け寄った。

「こら! 稔! なんてことしやがるんだ!」

 そんな三郎の声を、彼はこの時すでに引き戸の外で聞いている。

 夕刻、開店と同時に現れて、気前よく飲み食いをしてくれる客。

 それもほぼ毎日だ。昼も夜もって日がけっこうあるから、なんにしたってありがたい客には違いない。

 三郎も時折、男に向かって感謝の言葉を口にしていた。ところがどうにも無口な男で、照れた顔してほんの少し頷くか、場合によってはそれさえしない。

 それでもたった一度だけ、三郎が男をどう呼んだらいいかと尋ねた時だ。

「ミヨ……とでも、呼んでください」

 戸惑ったような声を出し、彼はぎこちない笑顔を初めて見せた。

 それから彼を「ミヨさん」と呼ぶうちに、ほかの常連客にもミヨちゃんミヨちゃんと呼ばれるようになる。

 彼らと違って騒ぐこともなく、一、二時間静かに呑んで帰っていくのだ。そんなありがたい客が来なくなったら……そう考えるとなかなか家に帰れなかった。

 それでも日がとっぷり暮れて、さらに数時間がたった頃、とうとう空腹に耐えきれなくなって稔はとうとう帰宅を決める。

 もちろん玄関からではなくて、閉店後、灯りの点いたままの店の方からだ。

 きっと美代子が残って洗い物でもしているのだろう……などと想像し、恐る恐る店の開き戸を開けたのだった。

 するとガランとした店内に、三郎が一人、背中を向けて座っている。

「おやじ……」

 思わず、声になっていた。そんな声に応えるように、ゆっくり稔の方を振り返り、三郎は静かな声でポツリと言った。

「遅かったな……」

 その顔は優しげで、予期していたものとはぜんぜん違う。

「そこに、母さんがこしらえた握り飯が置いてあるから、まずは座ってゆっくり食え……それからな……」

 そこで一旦言葉を止めて、隣のテーブルから椅子を一つだけ引き出した。それから〝ここに座れ〟と言わんばかりに、ポンポンと台座部分を叩いてみせる。

 そうして稔が腰掛けるのを見届けてから、

「食べながら、聞いてくれ……」

 そう告げた後、三郎は驚くような事実を打ち明けるのだ。

「いいか? あのミヨさんにはな、おまえが逮捕されちまった日に知り合って、それからいろいろと世話になってる。ちょっとおまえには言いにくくてな、これまでずっと言えないでいたんだが……実は今、この店がやっていけてるのは、あの人のおかげなんだ。だから稔、明日、ミヨさんが店に来たら、きちっと心から詫びてくれ……わかったな……」

「見代」なのか「御代」か、もしかしたら、「三好」なのかもしれない。

とにかく「ミヨさん」と呼ばれる彼は、驚くほどの大金を三郎に預けていたらしい。

「どういうわけかは知らないが、あいつ、住む家もないってんで、安アパートを紹介したりさ、最初はこちとらが世話してやってた感じだったのよ。それがある日、まあさ、店がかなり厳しくなってた頃だ。いきなり大金を持ち込んで、アパートに置いとくのは物騒だからってな……預かってくれって言い出したんだ。もちろんよ、こんな大金預かれないって、一度はきっぱり断った。そしたらな……」

 そこからのくだりは、普段の稔だったらきっと信じちゃいないだろう。

「もしもだ、俺と出会ってなかったら、今頃どうなっていたかわからない。だから、そのお礼だって、店のためにどんどん使ってくれってさ、あいつ、頭まで下げるんだ。ホント、わけわからねえって、心の底から思ったさ。でもな、これがありゃあ、店もなんとかなるなって、正直、こっちの方でちゃっかり思ったりしてさ……」

 三郎はそう言いながら、人差し指でこめかみの上辺りをチョコンと叩いた。

 その時ミヨさんは、押し黙ってしまった三郎に向かって、二度目となる笑顔を見せて告げたのそうだ。

 大儲けできたら、その時は、倍にして返してもらうから覚悟しろと声にして、

「もう、この話はお終いだって、さっさとビールを持ってこいって言いやがった……」

 大金を持っているのに、なぜか……三郎のようなやきとり屋の世話になる。

 これだけはどう考えても、変な話だとしか言いようがなかった。

 ただ、その金のおかげもあってだろうが、その後の一年以上、店はそこそこ順調だったと思う。だからこそ、少しでも金を返そうとするのだが、ミヨさんは一切受け取ろうとはしなかった。

 他からの借金すべて返し終わってからでいいと言い、毎日のように手ぶらで現れ、手ぶらのままで帰っていった。

 しかし結局、金がミヨさんへ返ることはない。

 あの事件から、二回目となる秋の日。それは日本で初めてのオリンピックが開催されてすぐだった。三郎が突然、仕込み中に脳梗塞で倒れて他界する。

 そして通夜にも告別式にも、ミヨさんが姿を見せることはない。母、美代子が店を開けるようになっても、彼は児玉亭に二度と姿を見せなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る