ピリオド3 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後  4 止まっていた時

ピリオド3 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後

         

昭和五十八年、智子の失踪から二十年が経過。

突然掛かった奇妙な電話によって、稔は「あの約束」を思い出した。

「二十年後の今日、この時間ピッタリに、あの岩の前にいて欲しい」

そんな約束を実行する為、彼は二十年ぶりにあの林に向かうのだった。 


  4 止まっていた時

     

 それからしばらくして、二人は離れにある一室にいた。大きい座卓に向かい合い、それぞれ緊張の面持ちを見せ合っている。

 あの時、驚いた顔で振り返った智子へ、稔はここぞとばかりに言い切ったのだ。

「怪しい者じゃない」と必死に告げて、こうなった経緯を説明すると彼女を離れに招き入れた。

 きっと「稔に会いたい」というよりも、「知っている」という事実が効いたのだ。

 それからの智子は黙って後に付いてきて、差し出した座布団の上にチョコンと座った。

「実は、あなたを迎えにいって欲しいと頼まれたんです。今日、あなたがこの場所に現れるからと、ある方に……」

そんなふうに告げながら、稔は智子の前に淹れたてのお茶を差し出した。

「実はあれから、少し時間が経っていて、この場所も、実はあの林とおんなじところなんですよ……」

 そう声にした途端、智子はいきなり立ち上がり、和室に面した窓へと駆け寄った。それから窓ガラスに顔を擦りつけるようにして、外の景色に目を向けるのだ。

 しかし納得いかないのだろう。

 釈然としない顔で振り返り、それでもしっかり核心だけは突いてきた。

「さっき、わたしが入っていたのって、あそこに、なんとなく見えている、あれ、ですよね? あれっていったい、なんなんですか?」

 なんとなく見えている――とは、まさに〝言い得て妙〟というところだろう。

 近くからではまずわからない。緩やかなスロープもいつの間にか消え失せていて、一見何も存在してないように映るのだ。

 ところが距離を取ってから眺めると、そこに丸みを帯びた何かがある……という印象を微かに受ける。きっとそんなのも、ついさっきの経験がなかったならば、目の錯覚くらいにしか思えなかったに違いない。

 しかし実際、彼とて何も知っちゃいないから、正直にあれが何かは分からないと打ち明ける。そうしてから、ずっと気になっていた疑問を彼女に向けて声にした。

「あなたはあれに、どうやって入ったんですか?」

 そんな言葉でやっと稔の方に向き直り、智子は驚いたような顔をした。

「それっておかしくないですか? だって、わたしがここに来るって、あなたは知っていたんですよね? なのに、あれがいったいなんなのか、どうやって入ったかも知らないなんて……じゃあ、頼んだ人って誰なんです? それにそもそも、あなたこそ、いったい誰なんですか?」

 言い終わった時、智子の顔は強張って、その目は鋭く稔の方を向いている。

 言われてみれば当然だった。いきなり彼女の前に現れ――少なくとも智子はそう思ってる――なんの説明もしないまま、こっちばかりが教えてくれでは無理がある。

「分かりました……」

 そう返した時には腹は決まって、稔は静かに告げたのだった。

「先ずは、座ってください。ちゃんと、説明しますから……」

 すると鋭い目付きはそのままに、それでも智子は元いたところに腰を下ろした。

「実は、智子さん、あなたと一緒にいた男の人から頼まれたんです。今日という日に、必ずあなたが現れるからと……」

「あの人は、今、どこにいるんですか?」

「残念ながら、もう生きていません」

「どうして……あの怪我のせいですか?」

「どうしてか、ご存知ないんですか?」

「はい、確かに大怪我していましたけど……まさか、死ぬなんて……」

 そう言ってから、彼女は再び窓の方に視線を向けた。

 男の死因を知らないってことは、殺された時にはあれに乗っていたのだろう。

 そんなことをチャチャっと思い、稔はところどころを誤魔化しながら大凡の真実を説明していった。

 もちろん稔の逮捕や、二十年も経っていることなんかは耳に入れない。

 それでも一緒だった男が殺されたってことには、彼女はショックを受けたようだ。

「だから、あれがいったいなんであるのか? 君がどうして、こんなことに巻き込まれてしまったのかを、僕はちゃんと調べたいと思ってまして……」

 だからあの日、何が起きたのかを教えてほしい……そう言って稔が頭を下げてから、彼女はしばらく下を向き、何かを考えているようだった。

 そうして一分くらいが経った頃、智子は突然姿勢を正し、静かな声を上げたのだ。

「わたしの為に、色々とありがとうございます。わたしが話せることって、そう大してないんですけど……」

 そんな前置きをしてから、彼女はあの日のことを話し始めた。

「確か、二時半頃だったと思うんですけど、母に買い物を頼まれて、卵を買いに行く途中だったです。それでちょうど急坂の手前……あ、うちの近所に急な坂があるんですけど、その手前辺りに、すごく背の高い、変な男の人がいて……」

 きっと、そのすぐ後に、稔は二人の姿を目にしている。

「病院へって言ったんです。でも、どうしても行きたいところがあるから、その後になら病院に行くって、どうしてもそうしたいって……」

それから男を必死に支え、彼の言葉に従い林の中に入っていった。

 そうして岩の間近に到達した時、突然、男の様子がおかしくなった。

「急にソワソワし出したと思ったら、逃げろって、早く逃げろっていきなり……でもね、辺りには誰もいなかったし、だから嫌だって言ったんです。そうしたら、どこにそんな力が残ってたのってくらい一気にわたしの身体を抱き上げて……」

 それから〝あれよあれよ〟という間に運ばれて、気付けば部屋のような空間にいたらしい。

「最初は暗くて、でも、すぐに電気が点いたみたいに明るくなったんです。それからフワッとした椅子に座らされて……」

 きっとさっきの階段を上がっていけば、そんな空間に行き着くのだろう。

座るところが一つしかなくて、あとはどこもかしこも銀色の壁……そんな空間で智子に背を向け、男はコソコソ何かをしていたらしい。

「なんだかすごく慌てていて、こっちを向いたと思ったら、さっさとそこから出て行ってしまったんです」

 ――大丈夫……あっという間だからね。

 こう告げた後、男の姿は消え失せた。

「だからわたしも、後を追いかけようとしたんですけど、その時にはもう、出口がどこにあるのかわからない。部屋の明かりもおかしくなって、だからちょっと大袈裟ですけど、ああ、わたしここで死ぬんだなって、本当にそう思いました。でもその後、キーンって耳鳴りがして、急に気持ちが悪くなったんです……」

 身体が押し付けられるような感じがして、なんとも居心地の悪さを感じたらしい。

「でも、一、二、三って数えたくらいで、今度は逆に身体がフッと軽くなって、パッと明かりが元に戻ったんです。消えちゃった出口も気付いたらあったから、だからわたし、急いで外に出ようと思って……」

 慌てて外の景色に目を向けて、その変わりように驚き、智子は暫し動けなくなった。

 ――うそ! 林は……どこにいっちゃったのよ!?

 それでも顔を恐々突き出して、そうなって稔も智子の姿に気が付いた。

 なんにせよ、智子の話をそのまま受ければ、やはり彼女にとって二十年という月日はないにも等しいことになる。

 本人さえ気付かぬうちに、冷凍状態にでもされたのか?

 もしかすると、ものすごい速度で宇宙の果てまで行ってきたのかもしれない。

 速度が光より速ければ、地球での二十年くらいは数日程度になるらしいから、彼女もそうであるなら、庭に現れた物体こそが宇宙船だということになる。

 その時、彼女は身体が重くなって、急に気分が悪くなったと言った。

 それからすぐに、今度は反対に軽く感じて、消え去っていた出口が知らぬ間に開いた。

 それはまるで、昔のエレベーターそのものだろう。

 今はそんなのに出会うことも少なくなったが、あの時代のエレベーターとはそもそも気分のいい乗り物じゃない。今とは比べ物にならない唐突さで動き出すから、小さい頃はしょっちゅう気分の悪さを覚えたものだ。

 ――やっぱりあれが、智子を乗せて浮き上がったんだ……。

 智子を自分の星に連れ去ろうとして、何か、不都合が起きてしまった。

 それが何かは分からないが、結果男は死ぬことになり、智子だけが二十年間どこかへ行ったままとなる。

 ――その間、智子はずっと睡眠状態だったのか……?

 つい昨日まで、こんなことを考えるなんて想像さえしていなかった。

 結局、智子から知り得た情報はこのくらいで、後は明日、あの物体を調べてみるしかないだろう。

 そして残された大問題は、智子のこれからのことだった。

 智子は最初、稔に向かって尋ねてきたのだ。

 きっと両親が心配している。だからできるだけ早く帰りたい。そんな感じを遠慮しいしい口にして、「わたし、家に帰れますか?」と恐る恐る稔に聞いた。

 智子なりにきっと、この事態が普通じゃないと感じているのだろう。

 しかし実際、二十年という月日は長過ぎた。

 智子の父、霧島勇蔵はあの事件の後、たった数年で亡くなっている。

 母、沙智の方もどこかの施設で他界したと聞いていて、その後すぐにあの大きかった屋敷は新築マンションに変わってしまった。だから当然、彼女の帰るべき家などないし、そもそも戸籍の方だってどうなっているか……?

「どうでしょう。今夜はとりあえず、僕のうちに来ませんか? タクシーを呼べば、ここから十五分くらいで着いちゃいますから……」

 もちろんすんなり行くとは思っていない。

「あの……ここがあの林のあったところなら、わたしの家はすぐ近くなんですけど、このまま帰っちゃダメなんですか?」

 などと、当然であろう答えが返ってくる。

 ここで強い否定を声にすれば、不審に思うに違いない。だからさっさとタクシーを呼んで、家があった場所を見せてしまおうと考えた。

 そうなればきっと、智子はショックを受けるから……、

「大丈夫、ご両親の引っ越し先は、わたしが責任持って調べますから……」

 だから今夜はとりあえず……などと、考えた通りに事はまったく進まなかった。


 二人してタクシーに乗り込んでから一分か二分くらいした頃だった。

 いきなり驚くような顔を稔に向けて、きっと何かを言い掛けたのだ。しかしすぐに戸惑ったような表情になり、彼女はそのまま何も告げずに車窓の方を向いてしまった。

 その後は何を聞いても言葉は返らず、智子はただただ車窓を向いたまま。

 そうしてあっという間に、タクシーは最初の目的地に到着する。

スッとドアが開いて、稔は表に出ようと身構えた。

 ところが智子が動かない。

 ウインドウに顔を向け、身動き一つしないのだ。

「着いたんだよ? 降りなくて、いいの?」

 だから智子に向けてそう声にする。

 何も解っちゃいなかったのだ。だからこそ、こんなお気楽が言葉にできた。

 ちゃんと考えれば予想できただろうし、三十五にもなって情けないくらいどうにかしている。

 稔の声で、智子がいきなりこっちを向いた。

 その顔はクシャクシャ、涙が頬を伝って幾つも筋を作っている。

 思えばだ、十六歳の少女がよくぞここまで堪えていた……と考えるべきだろう。

 彼女にしてみれば、あの事件から数時間しか経ってはいない。となれば、二十年掛かって変貌していったすべてが、一瞬にして姿を変えたも同然なのだ。

家があったりなかったり、もしかしたらそこに友人の自宅があったかもしれない。

 そもそもこの辺りの道は、今やほとんどコンクリートかアスファルトで覆われている。

 ところが智子のいた時代なら土剥き出しの道ばかりで、砂利の敷き詰められたところも多かったように思う。

 ――そりゃあ、驚くわな……。

 これが真っ昼間であったなら、彼女の驚きはさらなるものになっていたはずだ。

 そこら中にあった畑や田んぼは住宅地に変貌し、そんな家々から漏れる明かりを智子は何を思って見ていたろうか?

 そうしてさらに、タクシーが停車したところにあったはずの屋敷がない。

 そんな光景を目の前にして、智子は濡れた頰を両手で拭い、そうして稔を見据えて言ったのだった。

「これっていったい……なんなんですか?」

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