北極人魚と悪魔のおにぎり

あやしななせ

【読み切り】北極人魚と悪魔のおにぎり

 一升炊きの炊飯器を開けば、湯気とともに炊き立ての白米の匂いが台所中に広がった。

 ご飯の匂いが髪に移りそう。と男は思いながらしゃもじでご飯をほぐす。底のお焦げはお煎餅に似た味がして美味しいので、ついつまみ食いする。

 炊きムラがないことを確認すると弁当に使う分をボールに分けた。あら塩を手になじませ、熱々のご飯を素手ですくいとる。

 火傷しそうな程熱い米に我慢しながら、準備しておいたツナマヨと細かく刻んだタクアンを中心に乗せた。そのまま「ぎゅ、ぎゅ」と具材が溢れないよう包み込んでリズミカルに握っていく。

 綺麗な正三角形になるように握るのがこの男のこだわりであり、矜持であり、流儀である。綺麗に三角結びされたおにぎりは手で持ちやすいし、ご飯粒がばらけて落ちるという粗相を引き起こさない。

 粒が揃った米でできるおにぎりの白い輝きはまるで真珠だ。たっぷりと水を含んでふっくら炊き上がったご飯は一粒一粒がピカピカと輝きを放つ。

 男は見事な出来栄えにふふんと得意げになっていた。


「飯村、北極も人魚がおるねんて。知っとる?」


 しかし途中で邪魔が入った。同僚の山中が台所に顔を出したのだ。

 おにぎりを握っていた飯村太嗣いいむらふとしは、いつもの根拠のない話に大きなため息が出そうになった。


「あぁーそれは嘘だと思っとる顔やな?北極の言い伝えでな。おんねんて。この辺にも」


 この2人は夏の北極に駐在している私設北極観測隊の研究員である。

 地球温暖化の影響で北極の氷が溶けると、環境にどのような影響を及ぼすのか、というのを研究するために遠くはるばる日本から派遣されてきた。

 飯村は研究員兼主計士としての命も受けており、男だらけの基地で料理を担当している。


 山中が出来上がったばかりのツナマヨのおにぎりに手を伸ばしたので、飯村はすかさずその手を叩いて牽制した。山下は「けち村」と小さく飯村を貶した。


「でも、俺たちが知ってるとのはまた別人魚らしいねん」

「何がちゃうの」

「クァルパリクっていう人魚で、人魚やけど手足があるねんて。……あ、今日の具、好きなやつばっかや」


 山中は飯村に言われたわけでもなく自然な流れで飯をすくうと、おにぎりを握り始めた。


「足があるならそれは人魚なんか?」

「アラスカのイヌイットに伝わる正真正銘の人魚らしい」

「人魚ねぇ……」

「てか、あぢ、あぢあぢ。よく真顔でこんな熱いもん握れるな飯村」


 山中が作るおにぎりは飯村の物より二回りほど大きい。不揃いなおにぎりが皿に増え始めた。


「俺はそういう化け物の類は信じへん」

「えー。でも、女の人魚なんやって。めっちゃええやん」

「女を化け物で補おうとするなや。寂しいなら美恵ちゃん奥さんに電話したらええやん」

「……美恵っち、最近電話してもそっけなくてな」

「…………なんかごめん」


 本日は5月某日。初夏だが北極は氷点下を下回る日が多く、今日は暖かい方だが摂氏5℃しかない。

 明るいうちに仕事を終えたい飯村は手早くおにぎりを弁当に包むと、傷心中の親友の尻を叩いて仕事の準備をする。

 金のない観測隊なので主計である飯村も率先してフィールドワークに向かわなければならない。オレンジ色の派手な防寒具を着込み、仕事道具と弁当を持ったら、北極の氷の大地へと足を踏みいれた。


 外に一歩出ると、目に映るのは真っ白な氷と目の覚めるような青空のみの世界だった。

 360度どこを見渡しても氷、氷、氷の世界。今日は晴天だから視界良好。

 飯村と山中はスノーモービルを2台前後に並べてくず氷を散らしながら走った。荷台の研究道具が崩れたり壊れたりしないように気を遣いながら走らないといけないのに、山中は遠慮なくスピードを出す。流氷の厚みが十分に足りているエリアを選んで走っているとはいえ、後続の飯村は少しひやひやしていた。


「なぁ〜!飯村!」


 観測地点までの移動は慣れたもので2人とも迷うこともなく道を進んだ。スノーモービルの運転中、山中が緊張感もなくインカム越しに話しかけてくるので、飯村も彼の暇つぶしに渋々付き合ってやる。


「何?」

「人魚がほんまにおったらどうする?」


 こいつほんまにあほやな。と飯村は思った。


「……俺なら生体サンプル採取させてもらう。鱗とか血とかの成分が気になる。痛いのがあかんのなら、せめて写真撮らせてほしい」

「まじめやな〜」

「だいたいそのクァルなんとかはどういう人魚なんよ」

「言うことを聞かん子供を、海に引き摺り込むらしいで」

「北極版ナマハゲみたいなもんかぁ」

「肌は緑やって」

「河童やん」

「そんで、フンフンフン♫ってハミングするらしいぞ」

「そこは人魚っぽいなぁ」

「いいなぁ。女の子の鼻歌ならいやされる……フンフン、フフフ〜ン♫」


 飯村はおじさんの鼻歌なんて聞きたくないのでインカムを切った。

 飯村はイヤホンを外すと北極の冷たい空気へと耳を傾ける。夏の間に繁殖する鳥たちが、ぎえ、ぎえと鳴いていた。

 フンフンフン♩という鼻歌を聴きながら飯村は自然で生き抜く生き物たちへと思いを馳せる。彼らは獲物を捕ったらすぐに巣で餌を待ち侘びる子どもへの元へ餌を届ける。それを何度も繰り返すのだ。

 北極は暖かい土地と違って餌になる物が少ない。それでもここに住む動物たちは、突き刺すような冷たい水やひもじさ、不条理な自然の猛威にも負けずに命を繋ぎ続けている。

 地球温暖化を緩徐する研究は野生動物の役に立つはずだ。と飯村は強く信じている。


 ――俺は、この美しい景色を息子に繋いでいくための仕事をしているんだ。


 どんなに寒さが厳しい日だろうと、飯村はどんなに厳しい労働だろうとそう思えばへっちゃらに思えるのだ。


 飯村が感動をしている間にも、フンフンフン♩とご機嫌なハミングが聞こえてきていた。

 今日は寒いとはいえ天候に恵まれた上に仕事も順調だ。山中の気分が良くなるのも分かる。

 けれど、仕事中なのだから山中は歌なんて歌わず身を引き締めてほしい。と飯村は考え始めていた。


「山中、そろそろ目的地に着くから大概にしーや」


 だから飯村はインカムで前を走る山中へと声をかける。

 ざざ、というノイズの後に「なにー?」と間の抜けた返事があった。


「仕事中なんやから、それ止めろ言うとるんや」

「何が〜?」


 山中は仕事中だろうが休憩中だろうが飯村にはよくふざけた態度を取る。つまらないジョークを言ったり、目があっただけで謎のダンスを踊ったりするなんてことは珍しいことではない。だからこの返答もおふざけの1つだと思った飯村は少し声を強めた。


「鼻歌止めろ言うてるねん!仕事中なんやから!」

「はぁ〜?歌ぉてないんやけど」


 だがしかし、山中は冤罪をかけるなと抗議するように怒鳴った。

 飯村と山中人間以外なんて存在しない氷の大地の上で彼は不機嫌を露わにし、「変な薬でも飲んだんか」と飯村を馬鹿にする。


 だが飯村はその煽りをまともに受け取ることができなかった。

 突然の出来事に、反射的にスノーモービルのブレーキをかけ、Gに耐えながら体がぶっ飛ばされないようにハンドルにしがみ付いたからだ。

 十分な厚みがあるはずの氷の大地が地割れを起こしたかのように割れ、先を行っていた山中がその隙間に落ちた。彼は、声をあげて助けを求める隙も無く、スノーモービルに跨ったまま、真っ黒な海へと引きずり込まれるように落下したのだ。

 フンフンフン♩のハミングとともに、山中は深い海の底へと沈んでいった。


「山中!」


 飯村は荷台からライフジャケットと浮き輪を急いで取り出した。

 パニックになりつつも飯村は仲間を助けるために無意識に動き続けていた。心臓マッサージや仲間への連絡、どれを優先にすべきかを迷いつつも、まず海に落ちた山中を救い出して、状況に合った対応をすぐに判断しなければならない。

 しかし、飯村の足元、正確には分厚い氷の下で何かの影がすーっと動いた。

 まるで大きな魚とか、大蛇のように滑らかな動きのようなものが、分厚くて半透明な氷の下を、すーっと泳いでいた。

 人間のように見えた。

 熱帯魚が長い尾びれを優雅に揺らして泳ぐように、それは黒い髪を揺らしていた。そしてあぶくも残さず、音も立てずに一度沈んだ。


「山中か⁉」


 飯村は肺が破裂しそうな程たっぷりと息を吸い込んだ。そして、氷の淵を両手でがっつりつかむと海に顔をつけた。全身鳥肌が立つほど冷たい水だったけれど、必死で目を開いた。


「『あ」』


 そして目が合う。

 沈んだはずのスノーモービルと気絶した山中を引っ張りながら、仄暗い海底から地上へと上昇しようとしていたモノと、泡と氷の粒の渦の中で飯村は目があった。

 海の下から海面まで一気に上昇するところだった。そして数秒もたたぬうちにザバッと水しぶきを上げながら氷岸へと這いあがる。そのままぬいぐるみのように、重いはずのスノーモービルを飯村の足元にどすんと投げた。


『返した』


 それが使う言語は人間のものではなかったが、飯村にはなぜか理解ができた。

 姿は人間によく似ていた。手足があり、艶やかで長い黒髪を持つそれは細身の人間の女に似ていた。

 しかし、それの皮膚は緑色だった。全身が薄い苔のような色をしていて、手足には鱗が隙間無く生え揃っている。瞼がないのか、あっても瞬きをする必要がほとんどないからなのか、魚のように丸くて黄金色の目玉がぎょろりとこちらを向いている。

 恐怖で動けない飯村をよそにその異常な生き物は、水かきのついた鋭い爪先をスノーモービルの方へ向けると、海底まで響くような声で話し始めた。


『そのうるさい乗り物、引っ張ってきて、返してやった。だから、その代わりに、この人間ちょうだい』


 たどたどしく話す。カタコトで話す外国人や、幼い子供のような話し方なのに、身毛がよだつ内容に背筋が凍る。


『プカクのご飯にする』


 その何かは気絶している山中をつかみ上げた


 しかし化物の雰囲気に飯村は違和感を覚える。なんとなく、声に力が入っていないと感じたのだ。

 それと、腹が減っている時の息子の顔とそっくりだと思った。


「ま、ままま、待ってくれ……」


 腰が引けてまともに呂律が回らなかったが、彼にはこれが山中の言っていた「クァルパリク」だと直感的に分かった。

 飯村は普段、幽霊や伝説の生き物なんて信じない。けれども数百キロあるスノーモービルをぬいぐるみのように投げたり、異質な肌の色と目は、人非ざるモノであることは間違いがない。


「そ、そいつは、奥さんと子供がおるんです、連れて帰らんでやってくれ……」

『うるさい』


 思わず日本語で懇願してしまったけれど、クァルパリクも飯村の言葉が理解できるらしく反論した。

 自身を「プカク」と呼んだクァルパリクは飯村の必死の懇願に冷淡だ。プカクは山中を持ち直すと、足をつかんで干物のように逆さにした。彼の伸びっぱなしの髪の毛が真下に垂れて揺れている。

 プカクは山中を氷に叩きつける気なのだと飯村にはすぐ分かった。

 この化け物は頭を氷に打ち付けて山中を殺す気なのだ。さっきまで鼻歌を歌ってご機嫌だったこの男を、食料にする気なのだ。


「食いもんならやる!」


 飯村が悲鳴にも似た声をあげる。すると、プカクの手の動きが止まった。


『食いもん?』

 

 小さな子供のように首を傾げる。

 

「お腹すいとるんやろ!?やる!お、俺らの食いもんでいいなら全部やる!」

『……見せて』


 飯村はプカクの言葉に従い、急いでスノーモービルの荷台から弁当を取り出した。


「お、おにぎりや……」


 飯村は震えながらプカクへ近付いた。プカクは品定めをするようにぎろりと黄金の目で今朝握ったばかりのおにぎりを見た。しかし見慣れていないからか疑うような視線であった。


『この辺の人間、そんな物食ってない。みんな、アザラシの肉とか、魚、食ってる』

「お、俺たちは、もっと東の海から来た人間です。これは、おにぎりという食いもんです!」

『……白い。三角。これ氷?』

「違う。これはお米。こん中に、ツナマヨとタクアンが入っとるんです」

『ツナマヨ?何?うまい?』


 興味を持ったのか、プカクの言葉尻が少し跳ねた。


「う、うまい!めっちゃうまい」

『これ全部、ツナマヨ?』

「こっちには、たらこ、タラの卵が入ってる!これもめっちゃうまい!」

『タラ?これは?』

「これには焼いた鮭が入ってます」

『……鮭?』


 プカクがオウム返しした瞬間、おにぎりの具が全部海鮮だったことに気付いた。


 飯村は内臓が冷えたような気持ちになった。クァルパリクは人魚だ。

 人魚ということは、海で暮らす生き物ということだ。それなら海の幸を食う生き物を敵とみなす可能性だってある。

 どうして今日に限っておにぎりの具を海鮮中心にしてしまったのかと自分を責める。つばを飲み込む音が自分の耳の中で響いた。無意識に呼吸が荒くなっていく。


『プカク、鮭好き』


 しかし、飯村の心配をよそにプカクは彼を歓迎するように笑った。そして飯村からおにぎりを受け取り一口でそれを頬張る。

 咀嚼するたびに鋭い牙と緑色の舌が見え隠れした。緑の頬が膨み、もちゃもちゃと音を立てておにぎりを味わっている。


『うまい』


 にっと笑い、プカクは鼻歌を奏でながらおにぎりを味わった。フンフンフン♩と歌って左右に揺れる。人を食おうとした化け物であるはずなのに、飯村にはプカクが機嫌の良い子供に見えた。


『プカク鮭好き。だけど今年、食ってない。久しぶり。うまい』

「ふ、不作なんですか?」


 プカクは返事をせず、真顔のままおにぎりを飲み込んだ。そしてすぐタラコのおにぎりへと手を伸ばす。それもうまいうまいと言って食べる。

 しかし山中はプカクの足元に置かれたままだ。プカクの気分次第で山中の命運が決まる状況であることは言うまでもない。


『……もっとうまいのある?』


 そして飯村を試すかのように、意味深に呟いた。


『おにぎりはうまい。でも、鮭も、タラも、海潜ればいる。これならプカク、普段も食ってる。なら人間の肉の方が膨れる』


 指先の米粒を舐めとりながら、プカクは水かきのある足で山中を蹴った。人間によく似ているのにプカクには瞼がないから、感情がとても読み取りづらい。


「ま、まだあります。まだ、ちょ、ちょっと待って……」


 飯村はまだ開けていない弁当箱を取り出した。

 新しい弁当箱に入っているのはまたしてもおにぎりだったが、表面がほのかに緑色をしていた。所々焦げた黄色い塊が不規則に練り込まれている。


「悪魔のおにぎりっちゅう食いもんです」


 北極観測隊に伝わる【母の味】的なおにぎりだ。


 炊き立てのご飯に、天かす、青のりを投入する。好みにより、ひじきや塩昆布、白胡麻なんかを入れても良い。

 コツは、青のりはケチらずにたっぷりと入れることだ。


 ――――父ちゃんお腹すいたぁ。はよ食べたい


 青のりの香りがふわっと広がった瞬間、飯村はまだ日本にいた日に、大阪の自宅でおにぎりを作った日のことを思い出した。

 出来上がっていくおにぎりを見て、歯が抜けたばかりの小さな口で息子のたけるは笑った。

「父ちゃんは寒いとこに行くんやから、ぼくもこんぐらい着なあかんな」と言って、飯村の真似をして家の中で厚着するかわいい子供だった。1年のほとんどを家の外で過ごす酷い父親なのに、父親の仕事を理解して尊敬してくれている賢い子供だ。

 同僚の生死がかかっているタイミングだというのに飯村は思い出した。愛しい息子の姿を。


「……こ、これには、青のりと、手作りの天かすが入ってます。天かすというのは、天ぷらという火を使う料理をするときにしかとれない貴重な食材です。それを、日本に帰らないと手に入らない、麺つゆという貴重な出汁で味付けをしてあります」

『日本だけ?この辺の人間持ってない?』

「は、はい。日本でのみ手に入ります」


 嘘は言っていない。ちょっと大げさにこれらの価値が上がる伝わり方をしただけだ。


「さ、さらにごま油で風味付けしてるんです。これも日本でしか取れない貴重な種からとれる油です。ほ、ほら嗅いでみてください。めっちゃいい匂いやから……」


 飯村が家族を愛しく想うように、山中には美恵ちゃんと生まれたばかりの娘がいる。生存率を少しでも上げるためにはプカクを餌付けするしかない。

 思惑通り、プカクは飯村の話をじっと聞いてから無言で青のりのおにぎりを取ると口に頬り投げた。もちゃもちゃと音を立てて、緑色の舌の上で転がしながら味わう。


『……この緑、うま~い』


 そしてまたプカクは嬉しそうに笑った。


『プカク悪魔知ってる。あいつら嫌な奴。でもこれはうまい』

「うまいでしょ?悪魔が誘惑してくるくらいうまいから、悪魔のおにぎりって言うんです。ほら、弁当箱に入ってる奴は全部あげます。だから、その人間を返してください」


 そして飯村は土下座し「お願いします」と必死に頼んだ。

 黄金の瞳をぎょろりと動かして、プカクは飯村の行動をじっと見る。唇の端っこについた米粒を長い舌でペロリと舐めとる。


『分かった、返す』


 プカクは続けて言った。


『悪魔うまい。プカク気に入った。こいつ食うの止める。返す』


 プカクは承諾するように、にっと友好的な笑みを見せたあと、山中の首元をつかみ、無邪気な笑みでぽいっと飯村の方へと投げた。

 物のようにぶん投げられたせいで鈍い音が響いたが、山中は気絶しているだけだった。安心すると飯村の体の緊張が一気に和らいでいく。


『プカク以外のクァルパリクに気をつけて』

「え?」


 プカクは胡坐をかいて2個目のおにぎりを食い始めていたが、話し方は先ほどよりも硬く、警告するように切り出した。

 飯村は山中の治療を行いながら、プカクの言葉に耳を傾ける。


『プカクまだ子供。狩り下手。だから何でも食べるしかない。でも大人のプカク、狩り上手。自分の好きなものしか食わない』

「そ、そうなん?」

『この辺、人間が好きなやつの狩場。氷割れたの、多分罠のせい。そいつにはプカクが壊したって言う。プカク、子供だから許される』


 淡々とプカクは注意を続ける。


『だから、この辺もう来ない方がいい。危ない』

「……プカク。いいやつやな」

『へへ』


 プカクは照れくさそうに笑うが、同時に名残惜しそうな顔をしていた。


『お前もいいやつ。プカク人間の食いもん気に入った。プカクは、大人になっても色んなもん食いたい。だからプカク、人間食わないようにする。でも、大人のせいで、プカクきっと人間に嫌われる。きっと人間の食いもんもう食えない……』

「人間に優しくしていたら、きっとまた色々食えますよ」

『ほんと!?』


 飯村はまるで自分の息子に笑いかけるように、自然にプカクへとほほ笑んだ。子供のクァルパリクの純粋な言葉が、息子の歯の抜けた笑顔と重なったのだ。

 プカクはおにぎりを全部食べると、ぺたぺたと氷の淵まで歩いてぼちゃんと海へと飛び込んだ。そして氷面から顔を出し、『ご飯ありがと』と礼を言った。


『お前なんて名前?』

「い、飯村です」

『イームラ!また会ったら、プカクに悪魔、食わせてね』


 プカクは笑顔で手を振ると、そのまま海の中へと消えていった。

 フンフンフン♩という鼻歌が聞こえなくころには、周囲には氷が溶けていく音と、野生動物たちの鳴き声だけが木霊していた。


 =========

 

「いやー!食わんでくれ!俺は食ってもうまないで!弁当やるから!な!?」


 二十数年後。とある地球の端っこで尻餅をついて怯えている男がいた。

 男は鼻水と涙を垂らしながら、父親の教えの通りリュックからラップに包んだ大量の緑色に輝くおにぎりを取り出す。


「悪魔のおにぎりっちゅう、我が家に伝わる伝説の飯です!これで許してください!」


 男は命乞いするように差し出して土下座する。緑色の艶肌の生き物は思い出に再び出会った時のように『あ』と呟いた。


『ひさしぶりだな!イームラ!お腹すいたぞ!』


 飯村尊いいむらたけるに、子供のクァルパリクは「にっ」とほほ笑んだ。

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北極人魚と悪魔のおにぎり あやしななせ @ayashichan

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