5、ぱれっと

「これ、どうやって曲変えるんですか?」

『ぱれっと』の店内にあるジュークボックスに向かって、小林遙人――コバルトはつぶやいた。

「ボタンがあるだろ」

 現在の『ぱれっと』のマスター、橋本は喫煙スペースに閉じ込められていた。コバルトの手下のブルーズが二人、スペースの出口に立っている。


「古い機械って変に触ると壊れそうじゃないですか」

 おっかなびっくり、という手つきで、コバルトはスイッチを操作した。いくつかの曲を切り替える。曲調は様々だったが、彼の耳にはどれも同じ『古くてダサい音楽』に聞こえた。

「お前、リューマに何かしたのか? あいつがキレるとどうなるか……」

「うるさいな。すぐ終わりますよ」

 もう話すつもりはない、と示すために、コバルトはジュークボックスの音量を最大にした。甲高いファルセットが大音量で流れ出した。『ライオンは寝ている』だ。


「……!」

 橋本が何か言っているようだが、もう聞こえなかった。少しは気が晴れたが、おかげで周囲の騒ぎも聞こえなくなった。

「ケンカが強いって話だったけど、ボコボコにされたらどんな顔するか楽しみだな」

 テーブルの上に座って足を組み、コバルトはニヤリと微笑んだ。

「ブルーズはオレのものなんだ。OBが出しゃばってこないようにきっちりやらないとな」


 大音量の音楽のスキマに、時おり叫び越えや、シャッターに何かが打ち付けられる音が遠く聞こえた。気分がせいせいして、コバルトは目を閉じた。

 やがて音は静かになり、音楽が途切れた。くり返しリピートするまでのわずかな合間に、コツ、という足音が聞こえた。

 コツ、コツ。足音が階段を登ってくる。


「……うん?」

 コバルトは何か異様なものを感じた。ブルーズがリューマをたたきのめしたなら、ガヤガヤと騒がしく登ってくるはずだ。なのに、聞こえてくる足音はひとつだけだ。

「まさか……いや……そんなわけ……」

 カラン。

 ドアベルを鳴らして入ってきたのは……リューマだった。


「……は?」

 驚きや恐怖を通り超して、コバルトが感じたのは不信だった。目の前で何が起きているのか分からなかった。

 リューマは鼻血を垂らしている。上着は破られたのか、血のついたTシャツ姿だ。手の甲の皮が破れて、そこからも血が流れている。ハァハァを息を荒げて、重たげに体を揺らしながら、橋本が座っているテーブルに近づいてくる。


「な……わけないだろ。50人いたんだぞ」

「最後の一人まで戦うわけないだろ、スパルタ兵じゃないんだぞ」

 疲れていることを全身でアピールしながら、リューマは呻いた。

「20人か……30人ぐらいぶちのめしたら残りは逃げていったよ」

 リューマがテーブルに手を着いた。体を支えるためだったが、コバルトは思わず飛び退いて後ずさった。


「どうやって……」

「殴ったり蹴ったりを繰り返したんだよ。アーケードの形のおかげで、いっぺんに来る人数は決まってるし、前から来るやつを全員ぶっ倒せば囲まれないだろ」

「熱血硬派くにおくんじゃねえんだぞ」

「こっちのセリフだ。50人も集めやがって……」

 リューマが鼻から垂れた血を拭う。べっとりと口元から頬にかけて赤く染まる。コバルトは節分でマメのオマケについてくる鬼の面を思い出した。


「ご希望通り、来てやったぞ」

「う……」

 コバルトは答えに窮した。想定外だった。当たり前だ。いくらケンカが強いと言っても、50人相手に勝ってくるなんて、考えもしなかった。

「お前の手下が母さんを攫ったんだろ?」

「お、オレは何も……」

 リューマは血まみれのげんこつでテーブルを叩いた。分厚い板がこの世のものとは思えぬ音を立ててヘシ折れた。


「言い訳はやめろ。俺は暴力が嫌いなんだ」

 異常を察した手下達が、喫煙スペースの前から飛び出してきた。リューマにすごまれているコバルトを見て、どうやら自分たちが最後の護衛役であることに気づいた少年達は互いに顔を見合わせた。

「お、オレに何かあったら、あんたの母親にも“事故”が起きるかもしれないんだぞ」

「そうなったら……」

 リューマは血だらけの拳を握り直した。ぽとりと垂れた赤い色が、コバルトの青いシャツにシミを作った。

「関わったやつを全員見つけて、全員殺す」


「く……」

 コバルトは後ろを振り返った。最後に残った二人の手下を肩越しに振り返る。少年達はすっかりリューマの迫力にのまれていた。

「コバルト、ブルーズはみんなお前が怖くて従ってるんだ」

 橋本が喫煙スペースから這い出すように出てきて、呆れたように言った。

「お前より怖いやつが出てきたらどうなるか、分かるだろ?」


「くそ……」

 コバルトはスマホで手下をコールした。

「オレだ。……ああ、もういい。放してやれ。家の前に送り届けろ。絶対ケガさせるなよ!」

 電話越しに拍子抜けしたような返事が返ってきたが、リーダーの尋常ではなさそうな様子を察したのだろう。「分かりました」という返事を聞き遂げて、リューマに向きなおる。

「終わりだ。今まで積み上げてきたものが……」

「犯罪で積み上がるのは罪状だけだろ」

 やれやれ、と首を振り、リューマは出口の方へ振り返った。


「橋本さん、警察と病院に電話してくれ。何人か骨折してると思うし」

「派手にやりすぎだ、まったく。後始末が大変なんだぞ」

 橋本が軽い調子で応じる。

「俺は帰る。母さんを安心させてやらないと」

 緊張の糸が解けたのか、リューマは軽くあくびを漏らした。


 その時、ふつとコバルトの胸に怒りがみなぎってきた。

(俺を舐めやがって……!)

 ブルーズにこの先はないだろう。全て失ったのと同じだ。だったら、せめて思い知らせてやる。コバルトは舐められっぱなしで終わるやつじゃないことを。

 頭に血が上ったぶん、行動は早かった。ポケットからナイフを抜く。折りたたみナイフを片手で開くと、チャキ、と金属音が鳴った。そのまま、リューマの背中に向けて突進する――


 一瞬だった。コバルトが身をかがめてリューマの背にナイフを突き立てようとした瞬間。

 振り返ったリューマが左手でコバルトの手首を掴んでいた。

(そんなバカな……)

 コバルトにはその時起きたことがスローに感じられた。ナイフを握った手がテーブルに押さえつけられる。勢いが止まらず姿勢を崩す。見計らったように、コバルトが倒れこむ先に握られた拳があった。

(こんなメチャクチャなやつがこんな田舎にいるわけない――)

 そう思っている間に、拳が画面の中心にたたき込まれた。

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