2、コバルト
喫茶店「ぱれっと」は、リューマたちが高校生の頃に入り浸っていたたまり場の一つだ。
「変わらねえな、ここは」
入口にほど近いテーブル席は、リューマにとっては「いつもの場所」だった。その席から見る店内の光景は、今度こそ彼が覚えているままの姿だった。
当時、ぱれっとは老夫婦が経営していた。マスターだった老爺は、リューマたちの下品な話題が度を超すと「帰れ!」と怒鳴り、それをきっかけに彼らは解散するのだった。だから入ってすぐの席をいつも使っていた。
「変わらないようにしてるんだよ」
いま、ぱれっとのカウンターには橋本がいた。
「橋本さんも変わらないっすよ」
「老けただろ。太ったしな」
橋本はリューマにとっては高校の先輩にあたる。不良生徒の行動パターンは似たり寄ったりで、授業をサボる時に逃げ込む場所や放課後に遊びに行く場所がほとんど同じだった。顔を合わせるうちに仲良くなったのだ。
「橋本さんがここを継いだなんてびっくりですよ」
「他にやりたいこともなかったから」
手際よくコーヒーの準備をしながら、橋本はちらっと奥に目をやった。
「奥は喫煙スペースだ。今は、そっちの方がいいんじゃないか?」
「俺、吸わないんですよ。意外でしょ?」
そうでもないよ、と橋本は肩をすくめ、ホットコーヒーをリューマの席まで運んで来た。他に客はいない。
「あれがブルーズって、本当ですか?」
「服を見れば分かるだろ。お前が作ったブルーズだよ」
ブルーズは、リューマが高校生の時にはじめた一種のチームだ。映画かドラマの影響だろう。地元で自分たちの存在感を出したかったのだ。
体のどこかに青い色のものを身につけることがトレードマークだ。やることといえば、ゲームセンターかバッティングセンターか、さもなければぱれっとで騒ぐぐらいのことだった。
「当時でさえ今どきカラーギャングはないだろと思ったのに、まだ生き残ってるとはな」
ちなみに、橋本は最初の2週間だけ青い帽子をかぶってくれたが、すぐに飽きた。それでも今になって温め直す程度の親交は続いていた。
「俺らが卒業して色んなところにバラバラになったから、とっくに終わったと思ってましたよ」
コーヒーを何度も冷ましながら、リューマはつぶやいた。若き日の自分たちを直視させられているようで、先程はいたたまれなかった。
「青春の傷跡を思い出してる場合じゃないぞ。ブルーズのやつら、今は好き放題やってるんだ」
「好き放題って?」
「このあたりだけじゃなくて、他の地域にもメンバーがいるみたいでな。50人以上はいる」
「そんなに集めてどうするんですか。サッカー大会とか?」
「万引きとか
「警察に訴えればいいじゃないですか」
「ブルーズはほとんどが未成年だろ。大した罪にはならないし、それに……」
「それに?」
橋本が舌打ちした。
「誰かがパクられたら仲間が報復しに来る、って噂だ」
「噂って……」
「一度、連中の態度に耐えかねてゲーセンの店長が警察呼んだんだよ。あいつら、その場では反省した態度を取ってたらしい。ところが三日もしないうちに店長が夜道で襲われた。バットでボコボコだよ。何ヶ月も入院する羽目になった」
「それこそ警察が……」
「捜査しても証拠が挙がらなかったらしい。犯人達は顔を隠してたし、周囲のカメラにも映ってない。目撃者もゼロ。そういう場所を選んで襲ったんだ。この辺に相当詳しいやつが指示したに違いない」
「ブルーズがやったって分かってるんでしょ?」
「連中は関わりを否定してる。『闇討ち』の時は青なんて着てないんだよ。卑怯なやつらだ。噂じゃ、半グレどもがやってる詐欺の受け子もやってるって話もある。とにかくどんどん凶悪化してるんだ」
リューマは口を閉じた。自分がお遊びではじめたことが、被害者を出すほどまでになっている。その上、誰も口出しできないなんて。まるで現実味がなかった。
「お前が卒業してすぐ入ってきたやつがいてな。そいつが入ってから一気に雰囲気が変わった」
「そいつって?」
「コバルトって呼ばれてる」
「コバルト? なんでそんな……」
その時、喫茶店の入口のドアベルが鳴った。
🟦
「
嫌味なほどに青いシャツを着た男だ。細身で長身。金のピアスをギラギラと光らせている。
「聞いてたのか?」
「人見知りだから、入りにくくて」
男は当たり前のように、リューマの向かいに座った。
「橋本さん、俺の仲間がツケてるみたいで。すみません、これで」
そう言って、橋本へ向かって万札をいくつか無造作に指しだした。
「注文は」
「話をしたらすぐ帰ります」
もう橋本には興味が無い、というように、男はリューマに向き直った。
「お前がコバルトか?」
「そうです。先輩が戻ったって聞いたんで、挨拶しようと思って」
どことなくは虫類を思わせる顔つきだ。
(ポケットに何か入れてるな。折りたたみナイフか?)
歩いている時の仕草で分かった。パンツの右のポケットに、何か硬いものを入れている。
「めちゃくちゃケンカが強かったって聞いてますよ。またブルーズに戻る気はないですか?」
リューマはコバルトの話しぶりを不愉快に感じていた。自分が話を進めたいように進める技術のようなものを身につけている話し方だと思った。
他人を従えたがる人間の話し方だ。本能的に、関わるのを避けるべきだと感じる。
「詐欺に関わってるって話、本当か?」
コバルトは答えなかった。代わりにテーブルをトントンと叩いた。
「オレたち、みんな若くって。よく言うでしょう。若い時には時間があるのに金がなくて、年を食ったら金があるのに時間がないって。だったら、時間がある内に稼がないと」
「マジメに働けばいいだろ」
「働くためにも原資がいるでしょ? 面接受けるためのスーツも買えないやつがいるんです。スタートラインに立つ前につまずいちゃってるやつが起き上がるには、手段を選んでられないでしょう? 俺たちは必死なんです」
よく口が回るやつだ。しゃべらせておけば、10分でも20分でも言い訳し続けるだろう。
「もう一回聞くぞ。おまえらが詐欺やってるって本当か?」
「俺は関わって無いですよ。もちろん、仲間にもそんなことするなって言ってるし。でも、もし誰かが生活に困って、金のためにやってたとしても、そういうプライベートなことまでオレには分かりませんよ」
「今のブルーズはお前の手足みたいなもんだ。お前が何も言ってないのに勝手にやるわけがないだろう」
「橋本さん、今日はよくしゃべりますね。先輩がいるから強気なんですか?」
カウンターに戻った橋本の方をちらりと見て、コバルトは薄く笑った。
「指示を出した証拠なんか残してないって言いたいんだな」
リューマはコーヒーを飲みきって、立ち上がった。
「こっちももう一度聞きますよ。ブルーズに戻りませんか?」
「もう24だぜ。チーマーごっこなんかやってられないよ」
そう告げて、リューマは喫茶店を出た。階段の下には青い服を着た連中がたむろしていた。リューマがひと睨みすると道を空けた。彼らはリューマの背中を見ながら何かを囁き合っていた。
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