見えない未来
「うわっ」
突然、椅子から落ちそうになって、明路はこらえた。
なんなんだ? という顔で、大倉や藤森が見ている。
いやいや、ははは、と誤摩化すように笑いながら、椅子を直した。
なんだろうな、今の――
一瞬、何かの映像が見えて、消えた。
気のせいか。
いや、もしかしたら、自分がそれを拒否したのか?
それを見て、理解することを。
いつか、こんなことがあったような。
遠い昔に……。
そう思いながら、窓の外を見た。
今は雨は上がり、奇麗な青空が見えていた。
一時的な晴れ間だろうが、梅雨の合間に見えたそれに、ほっとした。
何処に行くつもりだ?
一人が足早に歩いていく行人のあとを、首の霊はつけていた。
時折、地中に潜ってみる。
行人に気づかれないように。
だが、これだけ気づかれないのも不思議だなと思っていた。
行人は何か別に気をとられていることがあるのかもしれない。
彼は真っ直ぐデパートに向かった。
一階は化粧品売り場だ。
すぐに通り抜けるかと思ったが、行人はそこで足を止める。
匂いが強くて嫌いなんだがな、このフロア。
行人は目に入った店員に声をかけかけてやめた。
何かに気づいたように。
そのまま化粧品を眺めはじめる。
今どきの若者は恥ずかしくないのだろうか。
自分が生きていた頃、こういう場所で足を止めることも恥ずかしかった。
まだアクセサリー売り場の方がマシだったかな、と思う。
しかし、職場の後輩などは、平気で彼女と下着売り場に行って選んでいたそうだから、自分が年寄り臭いだけかもしれないが。
それにしても、行人は何をしているのだろうと思う。
彼は口紅の辺りで足を止めた。
他の客への応対が終わった若い店員が彼の許にやってきた。
「プレゼント?」
と少し微笑ましそうに問う。
「……はい」
と行人は言ったが、本当にそうだったのかどうか。
まるで姉弟のように楽しげに二人は選んでいた。
行人が思うようなものはなかったようだが、結局、妥協したようで、かなり赤めの口紅を選んでいた。
「彼女、喜ぶといいわね」
「ありがとう。
西田さん」
一瞬、きょとんとした彼女だが、名札をつけていたことを思い出したのか、それを見て、ああ、と笑う。
「気に入ってくれたら、今度は彼女と来てね」
おつりと可愛くラッピングしたそれを渡した西田は手を振った。
店を出た行人はご機嫌だった。
鼻唄でも歌い出しそうな横顔に、やはり、少年なんだな、と思う。
さっきの西田と化粧品を選ぶ様子も、なんだか微笑ましく、そこだけ切り取れば、可愛らしいと思えなくもない。
だだ――
明路の前に出ると、どうにもよくない雰囲気になってしまうのだ。
さっき、何か未練があって行ったのかと思ったが、どうもそうではないようだった。
軽い足取りで駅へ向かいかけた行人だが、突然、足を止めた。
大きな建物を見上げる。
あの病院だった。
黙って、その一角を眺めている行人に、つい、余計な口を挟む。
「やめておけ、行人」
彼は驚いたようにこちらを見下ろした。
らしくもなく、油断していたらしく、本気で驚いている。
「やめるんだ、行人。
お前はお前の人生を生きろ」
病院を見たまま、行人は言った。
「……うるせえな」
『うるせえな』と言ったか? 今。
幻聴か?
行人はそのまま、病院へ入っていってしまう。
行人を追うべきか、明路に知らせるべきか。
どうでもいいが、こいつが一番フリーダムだな、と思いながら、しばし迷った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます