妄想か、現実か

 

 あのとき、つけるべきだったケリをつけなかったから。


 今、こんなことになっている――。



 くそっ。

 何処行きやがった、あのクソ女。


 藤森はひとり、慣れぬ校舎を歩いていた。


 誰、あれ?

 新しい先生?

といった感じの視線が生徒たちから注がれる。


 こんな教師が居るか、と思ったが、まあ、教師もいろいろ。

 特に私立の高校となると、バラエティに富んでいるのは確かだ。


 思えば、今日はずっと明路に振り回されているが、仕方がない。

 奴にはひとつ借りが出来たからな、と思う。


 ふと気づけば、あの教師まで消えてしまっていたが、居られても、厄介そうな男だったし。


 見た目、爽やかで人当たりがいいが、何か裏がありそうな……。


 ともかく、明路を見つけなければ、と思ったとき、窓際に長い髪の少女が立っていた。


 茶がかった髪の彼女は、眼下を見下ろしているようだった。


「君、すまないが――」


 振り返った彼女と目が合った瞬間、どきりとしていた。

 可愛らしい顔立ちをした少女だ。


「いや、あの……


 此処を場違いな女が通らなかったか?」


 どんな訊き方だ、と自分でも思ったが。


 彼女は眉間に似合わぬ皺を寄せ、

「佐々木明路ですか?」

と訊いてきた。


 自分で訊いておいて、何故、わかる、と思う。


「その人なら、下に居ますよ」

と彼女は校舎の真下を指差した。


 確かに。

 明路らしき人影が、のこのこ帰ってくるところだった。


「……相変わらず、趣味の悪い」


 何を見てか、彼女は、そんな言葉をぼそりともらす。

 顔に似合わぬ台詞ばかりを吐く娘だ。


 少し、彼女と話して、下に下りた。



「あっ、藤森。

 ごめんごめん。


 放置してて」


「謝る気はあったのか……」


 裏口から入って来た明路は、一応、そんな言葉を口にする。


「もういいや、行こう」

「結局、なにしに来たんだ」


「用は済んだわ。

 なによ、その顔」


「いいや、なんでも」


「校長先生に、通してもらったお礼言いに行こうっと」


 明路はそんなことを言いながら、スタスタと校舎内を歩いていく。

 だが、廊下の途中で足を止めた。


 そこにある大鏡を見ている。


 恐らく、生徒の姿勢や服装を正すためにあるのだろうが。


 あまりに真剣にそこを見ているので、

 自分の顔に見惚れているのか?

と思ってしまった。


 残念ながら、通りすがりになら、見惚れてしまう容姿ではある。


 同僚としては、最悪な奴ではあるが。


 なんのことだか、

「今度は黒く映るかと思ったんだけどな~」

 などと呟いている。


「おい。

 あれはなんだ?」

と訊くと、え? と言いながら、こちらを振り返らずに鏡の端の方を見たようだった。


 そこには、校舎の外が映っている。

 明路は鏡に向かい、笑いかけた。


「ストーカー?」

「悪霊みたいにも見えるが」


 男子生徒が木の陰に立って、こちらを窺っている。

 これが張り込みだったら、大失敗だな、と思った。


 隙のなさそうな生徒なのに、やはり、その辺りがまだ子どもなのか。


「何か渋い顔をしているようだが」


「機嫌が悪いのよ。

 自分が私の子どもなんじゃないかって疑ってるみたいでね」


 今、何を聞いたのかわからなかった。

 一拍、間を置き、訊き返す。


「なんだって?」


「私が十六年前に産んだ子どもがね。

 自分なんじゃないかと思ってるの。


 顔が似てるからかしらねえ」

と呑気なことを言う。


「……ちょ、ちょっと待て。

 いろいろと訊きたいことが――」


「何も訊かなくていいわよ」


 あっさりとした明路の態度につい、

「いや。

 その話、何処までが本当なんだ」

と訊いてしまう。


「何処までも本当じゃないわ」

「十六年前に子どもを産んだっていうのは?」


「ああ、そこは本当」


 あっさりと明路はそう認めた。


「誰の子なんだ?」


「暇ねえ、藤森」

と言いながら、歩き出す。


 慣れた足取りで廊下を行きながら、

「どうして、みんな、知りたいのかしら。


 自分が何者かなんて。

 私は知りたくないわ」


 そう明路は言った。


 なんとなく付いて行きそびれ、その後ろ姿を見送る。

 すると、背後から声がした。


「いつもあの調子ですからね、ほんと」


 振り返らなくてもわかる。

 眉村だった。


「あの、子どもって――」


「ひどいですよね。

 僕だって、彼女と付き合っていたのに」


「……それは、あの~、妄想じゃなくて?」


 つい、そんな失礼なことを訊いてしまう。


「人はそう言いますけど、僕は違うと思ってますよ」


 そう、一見、人の良さそうな顔で微笑む。


 その爽やかな笑顔を見ながら、なんであいつの周りはヤバイ奴ばかりなんだ、と藤森は思っていた。








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