大人って――

 

 恐ろしい記憶が甦りそうな気がした。


 佐々木明路の話を聞いていると、自分の中に眠っていた、ぬるい記憶が意識出来る場所まで浮かび上がってくる気がする。


『まあ、たまに夢には見るけどね。

 その子がお腹の中に居たときの夢よ』


 母の胎内らしき場所に居たときの記憶――。

 自分は安心し切って眠っていた。


 外からお腹を撫で、やさしく自分に話しかけていてくれたのは、この佐々木明路だったのか?


 考え込むこちらに、

「だーかーらー。

 大丈夫だって。


 君は私なんかの子どもじゃないわ」

と明路は言い出す。


「……さっきわかんないって言いませんでした?」


 本当に大人って適当だ、と思いながら聞いていた。


「そもそもの、根拠を教えて欲しいわ。

 なんで、自分が私の子どもだと思ったの?」


「あの屋敷に行ったとき――

 見えたから」


 明路がどきりとしたのがわかった。


「それで、服部由佳が貴方の子どもの父親なら、同じ顔の俺がそうなのかなって」

「由佳の顔は何処で?」


「よく……夢で見ていて」



 悪い、夢ばかり見る――。


 夢の中で、鏡を見るが、その鏡の中に居るのは、自分であって、自分ではない。


 この世に自分が二人居て。


 いつか、そいつに乗っ取られそうな、厭な感覚……。



 あれもすべて、他人の記憶だというのか。


 黒い格子にかかった白い指。


 目を閉じれば、艶かしいそれが、今も目の前にあるように感じられるのに。


 額の中央に手をやり、怜は、そこに集中していた。

 そうすると、その記憶が鮮明に甦るから。


 だが、その手を佐々木明路に払われる。


「忘れたらいいわ。


 それが、この土地に焼き付いている記憶でも。

 遺伝子の記憶でも。


 貴方の前世の記憶だとしても――


 人がなんのために生まれ変わるか知ってる?


 きっと、すべてを忘れて幸せになるためよ」


「奇麗事を。

 じゃあ、何故、貴女は何も忘れないんです」


 明路は、ははは……と力なく笑って言う。


「だって、前世じゃないもの。

 全部繋がってるんだもの。


 私は――」


 そこで明路は一度、言葉を止めた。


「今、私が困っていることは、すべて前世から繋がっていて。

 これらにケリをつけない限り、何も何処へも進めないのよ」


「勝手ですね。

 自分だけ例外ですか。


 俺だって、全部ケリをつけなきゃ、何処へも進めない」


「あ、そう。

 じゃあ、教えてあげるわ。


 貴方は私の子どもじゃないし、服部由佳の生まれ変わりでもない。

 ただ単に、貴方が彼に似てるのは、貴方と彼が親戚だから。


 調べてみたら?

 以上よ」


 早口にまくし立てた明路を睨む。

 どれも本当のこととは思えなかったからだ。


 自分が近づかないように言っているとしか思えなかった。


「俺は俺で真実を探します。

 貴女は貴女で勝手にやればいい」


 そう言い放って、グラウンドを後にした。


 土埃の向こうから、消えたはずの白衣の男がこちらを見ている気配がした。



 林の方へ消えて行く服部怜を見送りながら、明路が溜息をついたとき、すぐ傍で声がした。


「あんな言い方したら、余計、本気になるよ」


 ひっ、と明路は身をすくめる。

 何処にどう隠れていたのか、眉村がすぐ傍に居た。


「藤森は?」

「置いてきた」


 舌打ちをする。

 あれはあれで、野放しにすると厄介なのにな、と思う。


「明路。

 さっき、何を言おうとしてた?」


「何か言いましたっけ? 私」


 言いかけたろう、と眉村は繰り返した。


「君の眼には今、何が見えてるんだい?

 出来れば、すべて教えて欲しいものだけど」


 そのとき、携帯が鳴った。

 出ようとすると、取り上げた眉村が勝手に切る。


 あのねえ、という顔で明路は見上げた。


「あいつだ」

「……なんで見なくてわかるんですか」


「わかるよ。

 わからない?


 こう鳴ってるときの感じで誰からかわかるんだよ」


「貴方の方が実は霊感あるんじゃないですか?」

と呆れたように明路は言う。


 本当に、彼が嫌う相手から着信していたからだ。


「そういえば、今度、肝試しをしようって話があってさ」

「肝試し?」


「あの階段で――」

「でも、今は……」


「未来は変えられない。

 変えない方がいいんだろう? 明路。


 君はこれからもっと後悔するかもしれない。

 『未来を変えてしまったこと』をね」


「……厭な宣言ですね」

と嗤う眉村に言う。


 今はない旧校舎を見上げたあと、怜が消えた方に歩き出し、明路は言った。


「でも、私は信じてますよ。

 これが正解だったんだって」


「服部由佳が死んでもか」


 明路は足を止める。


「今はそう思ってあげたいんです」


 振り返らずにそう言った。


「自分一人で、なんでも動かせると思ってるのか、明路」


 そのときの眉村の声には、昔のままの優しさが潜んでいる気がした。


「君は神様じゃない」

 そう言い聞かせるように言ってくる。


「そんなこと……」

 振り返り、明路は笑ってみせた。


「知ってますよ。

 何百年も前からずっと――」








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