服部怜

 

『あいつは相変わらず寝てるのか』


 童の言葉を思い出しながら、明路は廊下を歩いていた。

 そのまま、外に出る。


 眩しい光に目をしばたたき、今はかなりスカスカになった林を覗いた。

 木々の隙間にグラウンドが見える。


「随分すっきりしちゃったな~」


 二度と来たくなかった場所だが、仕方ない。

 祠や社のありそうなところを避け、グラウンドに向かう。


 がらんとしたそこで、一人、旧校舎の幻を見上げていた。

 風に舞い上がった砂埃に、再び、目をしばたたく。


「服部くん」


 前を見たまま、少し大きな声を出した。

 隠れる場所もなく、林の向こうに居るのだろう彼に呼びかける。


「昼休み、終わってるよ」

 舌打ちする感じがあった。


「腹痛です」

 現れた彼のその言葉に笑う。


「それで、保健室の外に居て、トイレの外に居たの?」


 中まで入らなければ、意味はないと思うが。

 動じることなく、怜は訊いてきた。


「此処で何をしてるんですか?」


 いや、そりゃまず、私の台詞だろう。

 最初に逢った頃の、少年らしい初々しさは消えつつあった。


 ちょっと淋しい気分になりながら、答える。


「人探しよ」


「此処でですか?」

と怜は誰も居ないグラウンドを見回す。


 どうでもいいが、この場所で、その顔で、敬語はやめて欲しいな、と思っていた。


「まだ此処に居ると聞いたけど」


 今はタイミングが悪く現れないようだが。

 そう思いながら、黙ってグラウンドに立っていると、怜が言った。


「自分のものではないような記憶があるんです」

 そんな言い方を彼はする。


「それは自分の前世の記憶なのかと思っていました。


 でも――

 或る人に、それは、その場に焼きついている記憶かもしれないし、遺伝子の記憶かもしれないと言われて」


「或る人って誰?」


「神崎葵という生徒です。

 矢来の友だちの」

と言われ、明路は、ああ、と笑う。


「それ、自分のことじゃないの?」


「そうみたいです。

 彼女は、その場に焼き付いている記憶が読み取れるんだそうで。


 それで――」


 ちらと怜はこちらを見る。


「なるほど。

 此処に居ると、私の記憶も見えるとか言ったわけか。


 そうねえ。

 それは彼女にとって、迷惑な話よねえ。


 石はレコーダーのように記録するって昔から言われてるけど。

 本当は、土も木も草も記憶するんでしょうね。


 より強い思念ほど、その場に焼き付いて。


 見える人にはそれが見えてしまうんでしょう。

 それはそれで、厄介な能力よね」


 足許を見る。

 黒く渦を巻いたような霧が見え始めていた。


 童の傍はよくないかと思い、離れたのだが。

 やはり、此処でも出て来てしまったようだ。


 自分にまとわりつく、村人たちの影。


「今、これ、見えてる?」

 はい、と彼は頷いた。


「これさあ、本当に居ると思う?

 もう結構離れたはずなのに。


 今、見えているのは、ただの残像じゃないかと思ってるんだけど」


「残像?」


「私の意識に焼き付いてるものが、貴方にも見えてるんじゃない?

 その神崎葵の言うように、私の周りに漂う記憶とでもいうか」


「なんでいつまでも漂ってるんですか?」


「さあ。

 罪の意識があるから、私が勝手に見たり、引き止めたりしてるのかしらね」

と苦笑する。


「その霊たちは、何故、貴方から離れたんです?」


「そうねえ。

 私が充分制裁を受けたと思ったからじゃない?


 充分……不幸だったと気がついたというか。


 自分が次の生を捨ててまで、呪ったり縋ったりするほどの相手ではないと気づいたのよ、きっと」


 女はほとんど離れたわね、と呟く。

 怜の中に、どれほど、服部由佳の記憶が甦っているのかわからないまま。


 恐らく、あの屋敷に連れていき、猫に逢わせたことで、拍車がかかったのだろう。


「そんな理由ですかね。

 少し違う気もしますが」


 聞いておいて、怜は冷静な顔つきで、そんなことを言い出す。


「あ、来た来た」

と明路が他所を向くと、


「人の話を聞きませんね~」

と怜は顔をしかめたようだった。


 しかし、世の中にはすべて、タイミングというものがある。

 今、この瞬間を逃したら、また居なくなってしまうかもしれないではないか。


 かつて、旧校舎があった位置に男が現れていた。

 白衣を着、カラカラとあまり見ないような機材を乗せた台車を押している。


「あの~、いつもこっちばかり調べてるんですか?

 あっちにも校舎、ありますよ」


 そう明路が話しかけると、男は無言で、林の向こうの新校舎を見上げる。


「あちらの校舎も行かなきゃいけないんじゃないですか?」


 だが、男はまた、そのまま正面を向き、行ってしまう。

 やがてグラウンドの途中で消えた。


「あの霊を新校舎にも出そうって言うんですか?」


「そういうわけじゃないんだけどさ。

 ちょっと、あっちに行っといて欲しいのよ」


「追い払いたいってことですか?」

 明路は額を手をやり、少し悩んだあとで言った。


「服部くん、その敬語、やめてくれない?」


「なんでですか?

 俺が貴方の子どもだからですか」


「……服部くん」


 いろいろ言いたいところのことはあるが――。


「あの~、もしかして、その敬語はあれな訳?

 私が親だと思っての反抗?


 っていうか、なんで、親だと思ったの?

 君には立派な親御さんが居るんじゃないの?」


「戸籍上、親子になってるからって、本当に親子だとは限りませんよね」


「こりゃまた、捻くれて育ったわね」


「貴方が育ててたら、もっと捻くれてたかもしれませんね」


「じゃ、よかったじゃない」


 怜はその軽い口調に、胡散臭げにこちらを見遣る。


「本当に俺の親なんですか?」

「さあ?」


 さあってなんだ、という顔を怜はする。


「ひとつ、いいこと教えてあげるわ。

 確かに、十六年前、私は子どもを産んだけど。


 すぐに取り上げられちゃったから、私はその子が、男だったのか、女だったのか。

 それさえも知らないの。


 養子縁組もしてないわ。

 その子は最初から、その家の子どもとして産まれたことになってるのよ」


「じゃあ、もしかして――」


「そう。

 貴方がもし、私の子どもだったとしても、私にはわからないのよ。


 何処に貰われていったのかも知らないんだから」


「それでも親か……」

 ようやく敬語を崩した怜が呆れたように言う。 


「しょうがないじゃないの。

 私は出て来ない方がその子が幸せになれるって言われたんだもの。


 その子どもは、愛情いっぱいの家庭で、自分がその家の子どもだと信じて育ってる。


 じゃあ、私が出る幕なんて、何処にもないのよ。


 ……まあ、たまに夢には見るけどね」


「夢?」


「その子がお腹の中に居たときの夢よ」


 怜はそこで黙った。

 知られたくない人が居るのよ、と彼に言う。


「その子どもが何処に居るのか、知られたくない人が居るのよ」

「誰?」


「子どもの父親の親族よ。

 引き取りたがってるけど。


 私は――

 その子を今の家庭で育てて欲しいと思っているから」






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