女刑事の過去

 

 あいつ、まだ服部邸に出入りしてやがったのか。


 明路と別れて歩きながら、湊は思った。


 服部由佳の両親は消えた息子の生還を信じ、当時、まだ日本に居た佐々木明路に鍵を託した。


 そのとき、初めて、お互いが遠縁に当たると知ったという。


 まあ、服部も佐々木もあの村の出身者に多い名前のようだからな。


 ダムに沈むはずだった村。

 逃げ延びて作った村は、そうして、また廃村となった。


 そういう宿命だと嘆くべきか。

 惨劇から逃げ延び、逞しく生き続けていると喜ぶべきなのか。


 そういえば、服部怜とはどうなっているのだろう。


 あまり口を挟むつもりはないが。

 接触しないと決めたのは本人だろうに。


 だが、怜は恐ろしいくらい、由佳に似ている。


 あの日、あそこで逢うことも、わかっていたようなのに。


 まあ……、あいつが決めることか。

 そこは突き放して考える。


 明路とはもう家族のようなものなのかもしれない。


 だが――

 憎しみも決して消えはしない。


 だから、自分は明路の傍に居る。

 永遠に。


「……お前は俺の奴隷だろ」

 誰も居ない廊下で、そう呟いた。



  

「よう、怜」

 教室移動のとき、やたらご機嫌に話しかけてきたのは、クラスメートの菅原だった。


「お前、神崎にフラれたんだって?」

 傷心のところにくだらぬことを言ってくるので、よろけそうになる。


「なんで俺があの女に」


 確かに、ちょっといいとは思っていた。

 だが、今や、もっとも、そういう興味の対象から外れている女だ。


「神崎は好みじゃない」


「そうなのか?

 お前がさっき、神崎と話してから元気がないと女子の間で話題だぞ」


「あいつら監視カメラか」

「女はいつでも何処でも、気になる相手を見張ってるんだよ」


 偏見だろ……。

 確かに彼女たちは好奇心旺盛だが。


「あら。

 葵は服部くんをフッてなんかいないわよね」


 振り返ると、教科書を手に、矢来が立っていた。


「だって、服部くんが好きなの、あの女刑事さんでしょう?」


「ええーっ。

 マジかよ。


 幾つ上だよ。

 あの刑事さん、若く見えるけど、ぼちぼち年齢いってるぞ。


 だって、うちの従兄が同級生だったって言ってたし。

 クラスは違ったらしいけど」


「お前の従兄が?」


「そう。

 眉村とは、三年のとき、同じクラスだったって」


「……へえ」


「美人のお姉様も悪くないけど。

 弄ばれて捨てられんのがオチだよ。


 うちの姉ちゃん、随分年下と付き合ってたけど、話が合わないって別れたぞ」


「待て。

 お前の姉ちゃん、幾つだ」


「二十二」


 随分下って幾つだ。

 話が合わない以前に、犯罪だろう。


「そういえば、その従兄が妙なこと言ってたよ。

 『佐々木明路は留学なんかしてない』って」


「……なんでだ?」


「同時期に留学した違う学校の友だちが、あの刑事さんは居なかったって言ってるんだって」


「そいつは、学校指定の短期留学か何かだったんじゃないか?」


「まあ、そうだろうけどね。

 彼女は長くあっちに居たはずなんだけど」


 佐々木明路は確かに留学していたのだろう。

 その友人とやらに出逢わなかったのは、相手が短期の留学だったからだ。


 俄然、神崎葵の話に信憑性が出てくる。


『彼女は高校を休学して、子どもを産んでから、海外に行ったの』


「ま、そんなことはいいんだけどさ。

 じゃあ、別にお前は、神崎さんが好きなわけじゃないのか」


 お前は好きなのか。

 物好きな。


 まあ、ちょっと気に入ってるクラスの子、くらいの感じのようだが。


 あの女と付き合ったり、結婚したりしてみろ、ひどい目に遭うに違いない。


 そのとき、後悔しても遅いんだからな、とまるで何かの捨て台詞のように考える。


「葵のタイプは、菅原くんとは違う気がするんだけどな~」

と矢来が呟いたので、


「なになに。

 どんなタイプなの?」

と幸いにも、二人の話は横滑りしていった。


 騒がしい二人の横を歩きながら考える。


 佐々木明路に子どもが居たという。

 その意味を。


『その子は――』


『さあ、どうしたのかしらね。


 施設にでも預けられたか。

 誰かに貰われたか。


 例えば、遠縁で、子どもを切望してる人にとかね。

 それは、私にもわからないことよ。


 「服部」怜くん』


 何故、神崎はあんな言い方をしたのか。


 自分の記憶と照らし合わせると、悪い想像しか浮かばない。 


 自分には、その場に焼きついている記憶が見られるのだと神崎葵は言っていた。


『リアルに記憶が見られるからと言って、それが自分の魂の記憶とは限らないのよ。


 その場に宿る記憶かもしれないし。


 それは――


 遺伝子の記憶かもしれない』


『遺伝子の記憶……』


『そう。

 親から受け継いだ記憶よ』


 自分の記憶の中にうっすらと、高校生の佐々木明路の姿がある。


 黒髪に白い肌の大人しげな佐々木明路。


 服部邸。

 それから、猫。


 そして、あの部屋での出来事――。


 あの屋敷に行ったことで、自分の中に甦ってきた。


 でも、それは、もしかしたら、自分自身の記憶ではなくて。


 

 父、服部由佳の記憶なのか――?




 



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