明路の秘密

 

 窓から射し込む月の光がソファで眠る猫の顔を照らしていた。


 身体はソファの背の陰になっていた。

 月の光が当たらないから、というわけでもないだろうが。


 寒いな、と猫は思った。

 あーあ、と大きく伸びをしたあとで気づく。


 身体が軽い。

 どうしたことだ。


 此処数日、鉛のように重かったのに。


 外から声が聞こえる。

 明路の声だ。


 その生意気な小娘と、それと―― 服部由佳とよく似た声の持ち主が話をしていた。


 えーと。

 ああ、そう、服部怜。


 今まですぐそこにあったはずの記憶がなんだか遠い。


 猫はソファから飛び降り、音もさせずに歩いて行く。


 飛びついてノブを回そうと思ったが、回らない。


 それどころか、扉の向こう側に落ちた。


 おやおや、と思いながら、見上げると、無言で向かい合っていた明路と怜が同時にこちらを見た。


「もう出てきた……」

と明路がちょっと呆れたように呟く。


 もうってなんだ、と思いながら、しっぽをパタリパタリとさせていた。


 


 今日は朝から、服部怜が機嫌がいい。

 すると、何故だかムカついた。


 休み時間、葵は見るともなしに、怜の方を見ていた。


 友人と話すその姿は、いつも通りのようにも見えるが、何処か浮かれているようにも見える。


 気づかぬふりをしたかったが、彼は自分の心の中で、無視できないポジションを占めていた。



 次の休み時間、怜が廊下に出るのを見計らい、葵も出た。


 さりげなく横に並び、

「随分と機嫌良さそうね」

と言う。


「うん」

と怜は素直に頷いた。


「実は、猫が死んだんだ」

 それは笑うとこなのか、と思っていると、怜は続けて言ってくる。


「それが、すぐに魂が現れてね。

 身体が軽い、とかって、今の状態を絶賛するんだよ」


 そんな風に語る怜の表情は可愛らしくもある。


 みんなこれに騙されるんだな。

 佐々木明路も――。


 怜が少し子どもに戻っているような気がした。

 何か安心することがあったようだ。


「あの刑事さんに会ったの?」


 葵はそうカマをかけてみた。


「え?

 ああ、そう」

と言う怜が無邪気に喜んでいるように感じられて、その足を蹴り上げそうになる。


 貴方は、いつも肝心なところで抜けてるのよ。

 貴方さえ、しっかりしてれば、こんなことには……っ。


 理不尽な怒りがムラムラと湧いてきた。


 いきなり自分が足を止めたことに、怜は気づかないかと思われたが、彼も遅れて足を止め、振り返った。


「服部くんはあの人が好きなの?」


 ストレートにそう問うと、彼はらしくもなく、少し顔を赤らめたようだった。


 男ってのは、なんて呑気なんだ、と思いながら葵は言った。


「服部くん。

 私には、この町や学校に焼きついている記憶が読めるって話、したわよね」


「え?」


 ああ、と頷きかけた怜にいう。


「佐々木明路はすぐに留学なんてしてないわ」

「え――」


「彼女は高校を休学し、子どもを産んでから、海外に行ったの」


 怜は一瞬、言葉の意味が理解できなかったようだった。

 だが、彼には更にもうひとつ理解してもらう必要がある。


「子どもって――。

 そんな話、してなかったけど」


「だって、彼女は誰にも話してないもの。

 子どもは産んですぐに取り上げられたし。


 まだ高校生で、父親のない子どもを抱えて生きることを、いろんな人が反対したから」


「その子は……?」


「さあ、どうしたのかしらね。

 施設にでも預けられたか。


 誰かに貰われたか。

 例えば、遠縁で、子どもを切望してる人にとかね。


 それは、私にもわからないことよ。

 『服部』怜くん」


 そのあと、怜がどんな顔をしていたのか――。


 振り返らずに行ってしまった葵にはわからなかった。







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